第五十八話 真なるタナトス vs 万魔の壺
私は全身全霊で、屋上へと続く螺旋階段を駆け上がっていた。肺が焼けるように熱い。やっとの思いで辿り着いた屋上そこで異様な執念を放ち、禍々しい壺を抱えていたのは、リヴァベラ王妃だった。
絶世と謳われた美しさは保たれているはずなのに、その輪郭には耐え難い歪さが滲んでいる。王妃が、獲物を見つけた獣のような目でこちらを振り向いた。
「お前は……エテルにまとわりついていたという死神か!? なぜここにいるの!」
血走った瞳が私を射抜く。私は一歩も引かずに言い返した。
「そうです、私は死神です。ですが王妃様、どうして貴女がこんなことを? 貴女がしていることは、無理やり生を吸い取る……命を奪う死神と同じではありませんか!」
すると、王妃は喉の奥から絞り出すような、奇妙な笑い声を上げた。
「そんなの決まっておろう……。すべては私の美しさと、永遠の命のため。この国に生きる有象無象どもは、私の美のために生を捧げているのよ。私の一部になれるのだから、感謝してほしいものね……」
その笑顔に宿る純粋な狂気に、私は背筋が凍るのを感じた。けれど、怒りを静かな魔力へと変え、私は掌を広げる。
「白銀の弔い(レクイエム)」
唱えた瞬間、私の銀髪は月光を宿したように輝き、紅い瞳は燃え盛る業火のように光を放つ。暴走したあの時とは違う。心は凪のように穏やかで、意識は冴え渡っていた。
壺の中から「助けて」と苦しみ悶える、無数の魂の叫びが聞こえてくる。
(アウレリア様。私のタナトスを使い、この子たちの苦痛を癒してください……!)
強く願うと、壺から溢れていた漆黒の靄が、触れるものを包み込む柔らかな白銀の霧へと変質していく。
「何をしたの!?」
激昂した王妃が、私の首を強い力で掴み上げた。喉が締め付けられ、視界の端がちかちかと明滅する。
「……彼らの、苦しみを……和らげただけよ……」
意識が遠のきかける中、私は全霊を込めて最後の言葉を紡ぐ。
「生なる神よ、どうかお力をお貸しください。奪われた生を、本来あるべき場所へ!」
私の体が白銀に爆発するように輝き、その光に怯んだ王妃が手を離す。
私の背後に、天をも突く巨大な「白銀の時計」が現れた。禁忌の術によって逆回転を続けていた生命の針が、重厚な音を立てて停止し、そして正しく時を刻み始める。
「おやすみなさい」
その一言で、生を吸い続けていた『万魔の壺』の鼓動が止まった。その存在理由さえも眠らされた壺は、砂のように崩れ落ち、静かな光の粒子となって霧散していった。
「……ふぅ。これで、一件落着かしら……」
安堵したのも束の間。目の前の王妃が、この世のものとは思えない絶叫を上げた。
「どうして……何もかもうまくいかない! 全部お前のせいだわ!」
無理やり繋ぎ止めていた生命力が霧散したことで、王妃の容姿は急速に崩れ落ちていく。美しい肌は枯れ木のように乾き、皺だらけの老婆へと成り果てた。
正気を失った彼女が、私を道連れにしようと突き飛ばした、その時。
「う、あぁぁぁ……っ!」
王妃が激しく悶え、その体が足元から透け始めた。
「……許容量を超えて生を吸いすぎたのよ! 肉体がその負荷に追いついていないの!」
私が叫んだ瞬間、屋上の重い扉が大きな音を立てて蹴破られた。
「そこまでだ!」
現れたのは、アルリック団長と、剣を抜いた大勢の騎士団員たちだった。
彼らの目に映ったのは、崩れゆく王妃と、紅い瞳を光らせて立ち尽くす死神の姿。
リヴァベラ王妃は消えゆく直前、指を震わせ、騎士たちに向かって最後の呪いを吐きかけた。
「あ……あの死神が……私を殺し、この国の命を……奪おうとした……っ! 止めて……殺して……!」
「王妃様――っ!」
アルリックの叫びと共に、王妃の体は光の塵となって消滅した。
残されたのは、静まり返った屋上と、手に血を滲ませた私。
騎士たちの目は、明らかな憎悪と恐怖に染まっていた。彼らにとって、ディアナこそが王妃を殺害し、国に死を撒き散らした最悪の災厄に他ならなかった。
「……死神め。よくも王妃様を……この国を!」
アルリックの冷たい剣先が、私の喉元に突きつけられた。




