第五十六話 禁忌の呼び声、万魔の壺
王宮の最奥、リヴァベラ王妃の自室には、かつての華やかさは微塵もなかった。
エテルの不老不死の呪印が消え、再び呪いをかけようにも、ディアナが無意識に放つ「静止」の力に阻まれ、ことごとく失敗に終わっていたのだ。鏡に映る自分の肌が、魔力の枯渇と共に衰え、醜く崩れゆく様に耐えられず、リヴァベラは狂ったように室内中の鏡を叩き割っていた。
「どうして……! どうしてこんなことになるの!?こうなったら、あれを使うしかないわね……」
血走った眼差しで、彼女は隠し扉の奥から一つの大きな壺を取り出した。一見すれば精緻な装飾が施された美しい壺だが、それはあらゆる生命力を強制的に吸い上げる呪いの魔具『万魔の壺』。
王宮の屋上へと駆け上がった王妃が、禁忌の黒魔術を唱えれば、足元に禍々しい魔法陣が浮かび上がる。
「万魔の壺よ。この国のあらゆる『生』を吸い取り、私の美の糧となれ!」
叫びと共に、壺の口から噴き出したのは、どろりとした漆黒の靄だった。それは猛毒の雲のように王都中へと広がり、触れるものすべての生気を奪い去っていく。
街灯の明かりが一つ、また一つと力なく消えていく。街行く人々や動物たちは次々と膝から崩れ落ち、色鮮やかだった草木は一瞬で灰色の砂へと帰した。悲鳴すら上げる間もなく、王都は静寂という名の死に呑まれていく。
***
王都から遠く離れた「沈黙の古城」。
けれど、真なるタナトスの予兆を察知していたディアナは、窓の外を見て息を呑んだ。
(……空が、灰色に染まっていく。おぞましいほど巨大な『死』の気配が、王都の方から流れてくるわ……)
その異変には、エテル様とフェンリス様も即座に気づいていた。
「この異様な空気は、間違いなく負のエネルギーだ。だが、これほど膨大な量が蔓延するなんて、人間の仕業とは思えない。……おそらく、黒魔術に関わる強力な魔具が使われている」
「魔具か。それなら、あいつの宝物庫にはいくらでもあるからな」
フェンリス様の言葔に、エテル様のアイスブルーの瞳が鋭く光る。重苦しい沈黙が、三人の間に落ちた。誰かが決断を下さなければ、この均衡は崩れたままだ。
私は意を決して、二人の前に進み出た。
「私が行きます……! このままでは、エテル様の愛した国も、子供たちの未来もなくなってしまいます。私の『真なるタナトス』なら、この停滞した闇をどうにかできるかもしれません!」
「君をそんな危険な目にあわせるわけにはいかない!」
即座に否定するエテル様。けれど、フェンリス様がその肩に手を置いた。
「……だが、ディアナの言うことにも一理ある。なら、こうしよう。俺はここに残り、子供たちの世話と不測の事態に備える。その代わり、王太子殿下、あんたがディアナを側で守り、二人で王都の状況を把握しに行く。これならどうだ?」
「……確かに。僕が彼女を側で守れるなら、問題はない」
エテル様は苦渋の決断を下し、私を見つめた。私は深く頷き、汚れた修道服の上から深くフードを被る。
「行きましょう、エテル様。私たちの、光を取り戻すために」
二人は手を取り合い、灰色の霧に包まれた王都へと足を踏み出した。




