第五十五話 崩壊の序曲、静寂の古城へ
静寂の古城から戻ると、フェンリス様は何かを察したような顔をしていたが、深くは追及せず、黙って見逃してくれた。その優しさに甘えながら、私は再び日常へと戻る。
「ディアナお姉ちゃん、遊ぼ~!」と駆け寄ってくる子供たち。彼らと遊び、不器用ながらにご飯を作り、タナトスを制御するための修行に励む。
そんな平和だった月の神殿に、突如として鉄の足音が響き渡った。
国王直属の死神狩り、ヴォイド・ウォーカーたちが、ついにこの聖域を特定してしまったのだ。
「化け物どもを炙り出せ! 一匹残らず駆逐しろ!」
燃え上がる炎、逃げ惑う子供たちの悲鳴。壁を突き破って雪崩れ込む鎧の群れ。土煙と怒号と、幼い泣き声が入り混じる地獄絵図。恐怖に震える小さな命を背に、私は本能的に前に出た。
(お願い、止まって……! これ以上、この子たちを傷つけさせない……っ!)
その瞬間、私の体からかつてないほど濃密で、けれど凪のように静かな「死」の波動が溢れ出した。それは「破壊」ではなく、周囲の空間そのものを『静止』させる真なるタナトスの片鱗。
力が解放された瞬間、目の前に巨大な時計の幻影が浮かび上がり、世界の時が止まった。
剣を掲げたまま硬直する騎士。泣き叫ぶ顔のまま固まった子供たち。何が起きたのか分からず呆然とする私に、フェンリス様が鋭く告げる。
「お前の修行の成果だな。……これが真のタナトスだ。破壊ではなく、空間そのものを静止させたんだ。今のうちに子供たちを連れて逃げるぞ!」
我に返り、固まっている子供たちを抱え上げて、私たちは燃える月の神殿を後にした。
森の奥深くで息を潜め、様子を伺う。力の効力が切れたのか、背後からはヴォイド・ウォーカーたちの怒号が聞こえてくる。彼らは私たちを炙り出すため、思い出の詰まった月の神殿に次々と火を放った。
フェンリス様と私は、残酷な惨劇を見せないよう、子供たちの目をそっと覆った。
(ただ、私たちは静かに暮らしたいだけなのに……。どうしてここまで残酷になれるの?)
静かな怒りに震える私に、フェンリス様が困ったように呟く。
「月の神殿がああなった以上、新しい場所が必要だが……。一体どこに俺たちの居場所があるんだ」
「……心当たりがあります。エテル様が管理されているお城へ行きましょう。彼なら、きっと分かってくれます」
***
辿り着いたのは、あの「沈黙の古城」。
「ディアナ!? ……これは、一体……」
古城で待っていた私をエテル様は、ボロボロになった私と、怯える死神の子供たちを見て息を呑んだ。けれど、彼は迷うことなく泥だらけの子供をその腕に抱き上げた。
「……怖かったね。もう大丈夫だ。ここは、君たちを拒まないよ」
その瞳に宿る慈悲に、私の心は救われた。
「エテル様……急に押しかけて、お母様との大切な思い出の城を汚してしまって……すみません……」
「何を言っているのさ。母様だって、ここに人が増えて喜んでいるよ。それよりディアナ、腕を見せて。怪我をしているんだろう?」
子供たちを庇った際に騎士に切りつけられた左腕。エテル様は慣れた手つきで消毒し、丁寧に手当てをしてくれた。
「全く、僕の大切な人に傷をつけた怖いもの知らずの騎士は、一体どこの誰だろうね?」
浮かべる笑みはひどく怖かったが、傷に触れる手つきはどこまでも優しかった。
その後、エテル様は王太子としての気品を保ちながらも、子供たちと一緒にスープを飲み、不器用ながらに遊び相手になってくれた。フェンリス様との間にはなぜか絶えず火花が散っていたけれど、その光景は亡き先妃が夢見た「共生」の形そのもので、私はこれが本当の幸せなのだと感じていた。
けれど、その時。
私の胸に、鋭い棘で貫かれたような激痛が走った。
(……何? この、おぞましい魔力の胎動は……っ。うぅ……痛い……!)
真なるタナトスへと目覚めつつある私の五感が、王宮の奥底で渦巻く「最悪の禁忌」を察知した瞬間だった。




