第五十話 亡命の銀翼
ディアナは、牢獄の隙間から差し込む一筋の陽光を眺めていた。
(この冷たい牢獄さえも、陽の光は温かくしてくれる……まるで、エテル様のよう。エテル様を信じることしかできないけれど、それでも彼の身に降りかかる悪意や嫌悪をすべて取り除いてあげたい。どうか、タナトス……。彼の憂いに潜む悲しみや辛さを和らげて……)
絶望の淵にいてもなお、彼女はひたすらに祈りを捧げていた。自分を処刑しようとする世界ではなく、自分を愛してくれた一人の男のために。
「全く……こんな時まで祈っているのかよ。本当にお前は、救いようのない聖女だな……」
闇の中から、聞き慣れた、けれど今の状況には不釣り合いなほど軽い声が響いた。
顔を上げると、鉄格子の向こう側に、漆黒のスーツを纏ったフェンリスが立っていた。彼は音もなくタナトスの力を使い、複雑な牢の鍵を外すと、呆然とするディアナに大きな手を差し伸べる。
「フェンリス……様……? どうして、ここに……」
「お前のタナトスは、他の死神とは質が違う。ただ『奪う』だけの力じゃないんだ。……この歪んだ、終わらない生を謳歌する世界を正せるのは、お前だけかもしれない。ここで死なせるわけにはいかないんだよ」
フェンリスの瞳には、いつになく真剣な光が宿っていた。
「さあ、行くぞ。……言っておくが、お前を助けたいと思っているのは、俺だけじゃないからな」
フェンリスは、ディアナの汚れを隠すように黒いマントを羽織らせ、深くフードを被せた。その手を強く掴み、闇に紛れて走り出す。
「行くぞ……。俺たちの同胞がいる、月の神殿へ」
***
フェンリスとのディアナ脱獄計画を実行するため、僕は今、王宮の謁見の間に立っていた。すべては、彼女を逃がすための時間稼ぎだ。
並み居る重臣たち、そして玉座に座る父王に対し、僕は隠すことなく言い放つ。
「彼女が死神だということは、最初から知っていた!知った上で、僕が側に置いたんだ! 彼女に罪はない、すべては僕の意志だ!! 彼女は、誰の寿命も奪ってはいない。茶会にいた人たちだって、眠っていただけで、目を覚まして普通に生きている……。なのにそれでも彼女を処刑するのですか……!?」
謁見の間が、しんと静まり返る。誰も、口を開かなかった。
しかし、その沈黙はほんの一瞬で、すぐに氷のような冷ややかな視線が僕を刺した。
「殿下、お疲れなのです。あの死神に、よほど深く魅了されていたのでしょう」
「左様です。殿下のような清廉な方が、死神と知りながら側に置くはずがない。すべてはあの女の呪いのせいです」
誰も、僕の言葉を信じない。僕が「一人の女性」として彼女を愛しているという真実を、呪いのせいにすり替えていく。
唇を噛み切りそうなほど強く結んだ僕の視界の端に、微かな影が落ちた。それは、脱獄の手引きを終えたフェンリスからの「完了」の合図だった。
(……必ず、彼女だけが僕にとって必要不可欠な存在であると認めさせてやる。彼女と共に生きていけるのなら、王位など僕にはいらない。君だけは、絶対に諦めない。……何としてでも、前のように君がそばにいる生活を取り戻してみせる)
エテルは冷徹な「王太子」の仮面を被り直し、静かに謁見の間を後にした。その胸中には、激しい怒りと、彼女を救い出すための燃えるような決意が渦巻いていた。




