第四十四話 月下の誓約、解けゆく呪縛
喧騒を極める会場を抜け出し、辿り着いたのは静まり返った殿下の自室。窓から差し込む青白い月光が、私たちの影を床に長く落としている。
ディアナはエテル殿下に抱きしめられたまま、堪えきれずに大粒の涙をこぼしていた。
「殿下……っ、だめです、離れてください……。私、さっき左手で殿下に触れてしまいました。殿下の寿命を、私が……っ。ごめんなさい……。こんなこと、許されるはずがないのに……」
自分の手が、愛する人の命を削り取ってしまった。その恐怖に全身を震わせるディアナを、エテル殿下は突き放すどころか、壊れ物を扱うようにさらに強く抱きしめた。
「これは僕の予想なんだけどね……。君は僕の寿命を奪ってなんていないよ。だって僕は、無意識に周囲の生を吸収してしまう怪物。君は寿命を奪ってしまう死神。お互いに『奪う』力を持っているからこそ、その力が相殺し合って、中和されたのかもしれない。ほら、見てごらん? 君のタナトスに触れても苦しくないし、奪われている感覚もない。なんなら、パーティーが始まる前より元気なくらいだよ」
殿下はいたずらっぽく微笑み、ディアナの涙を指先で優しく拭う。
「お互いの力を打ち消し合うなんて……僕たちは、出会うべくして出会った運命の人なのかもしれないね」
「でも……私……」
まだ信じられないといった様子のディアナに対し、殿下は静かに自身のシャツを脱ぎ捨て、右肩を指した。
一瞬、部屋の空気が張り詰める。ディアナは息を止め、そこに視線を落とした。
そこにあったのは、不老不死の証であり、彼を長年苦しめてきた、どす黒く浮き出た「呪印」の場所だ。
「見て、ディアナ。……消えているんだ。あんなに僕を苦しめていた呪いの疼きが、『奪え』と僕を急かしていた飢えが、君が触れたところから、綺麗に消えていくんだよ」
「え……? 消えて……?」
ディアナは何度も目を擦って確認した。けれど、そこには確かに、かつての禍々しい紋様はない。彼を怪物に変えていたあの呪印が、驚くほど綺麗に消え去っていた。
(私に……こんな力があったの……?)
殿下はそのまま、彼女の頬に残る涙の跡にそっと口づけを落とした。
「君のタナトスは、僕の命を奪うんじゃない。……僕を縛り付けていた『不老不死』という呪いを、眠らせてくれているんだ。君の愛が、僕を怪物から『人間』に戻してくれているんだよ……」
二人の力が溶け合い、紅色とアイスブルーの瞳の輝きが静かに交差する。
ディアナは初めて知った。自分の忌むべき「死神の力」が、世界で一番大切な人を救うための「祝福」であったことを。
「……殿下、私……」
「もう、自分を責めないで。君のタナトスは、世界で一番優しい力だ」
重なり合う吐息。二人は誰にも邪魔されない、静かな誓いの口づけを交わした。
***
ひとしきり想いを通わせた後、ディアナは胸に抱えていた疑問を口にする。
「殿下は……本当に私を婚約者にするのですか……? 私はこの通り死神です。寿命だって長くありません。殿下の側にいることなんて……本当は許されないのに……」
俯く彼女の額に、殿下は自分の額をそっと合わせた。
「未来がどうなるか、まだ誰にもわからない。でも今は、君の気持ちが知りたいんだ。僕のこと、好き? 僕の側にいたいと思ってくれているかい?」
「……っ、そんなの……大好きに決まっています! 死神だから側にいてはいけないと分かっているのに……貴方の側を離れたくない、ずっと一緒にいたいと、そう願っています……!」
再び溢れ出した涙。それを愛おしげに見つめ、殿下は優しく微笑んだ。
「ふふっ……。うん、ありがとう。君のその気持ちだけで、僕は救われるよ。……婚約したいというのは本心だ。僕の妻にしたいと思うのは、世界中で君だけだ。君以外に、僕の孤独を癒やしてくれる人なんていない。愛しているんだ……どうしようもなく」
殿下は、彼女の腰を引き寄せ、真剣な眼差しで続けた。
「だけど……今は色々な陰謀が絡み合っている。この厄介ごとをすべて片付けてから、君にちゃんともう一度、僕の気持ちを伝えさせてほしい。だから今は……これまでみたいに僕の側にいて?」
その言葔が、ディアナの心の奥底に灯火を灯した。
「もちろんです……。これからも、殿下のお側においてください」
二人は再び、深い口づけを交わし合う。まるで、これからの過酷な運命を共に歩むための、聖なる誓いを刻むように。




