第三章 古文書の影で
―ディアナside―
(お願い、誰にも見つかりませんように……)
カチリ、と小さな音を立てて蔵の扉を閉め、私は深く息を吐いた。
昼間の喧騒が嘘のように、夜の第一教会は異様なほど静まり返っている。どこからか誰かの視線を感じる気がして、何度も背後を振り返る。
けれど、今は怯えている場合じゃない。
今日、偶然耳にした噂が私をここへ突き動かした。
「死神に関する古文書が、西の蔵で見つかったらしい」
それを聞いた瞬間、心臓が跳ねた。居ても立ってもいられず、消灯時間を過ぎるのを待って忍び込んだのだ。
(この力を……どうにかできる方法が、書いてあるかもしれない)
死神の力。触れた命を奪い、自分の寿命に変える。そんな、あまりにも残酷で「バグ」みたいな最悪の能力。
私はお母様の遺言をずっと守ってきた。
『何があっても、人の命を奪ってはいけないよ』
でも、その誠実さの代償として、私は「癒しの奇跡」を使うたびに自分の寿命を削り続けている。あと三年……いいえ、今日の無理な治療のせいで、もっと短くなっているはずだ。
生きたい。
心の奥底で、ドロドロとした叫びが渦巻く。
生きたい。でも、誰も殺したくない。
そんな矛盾した願いを抱えながら、私は埃を被った羊皮紙のページをめくった。
『死神の力は、命を奪い、命を繋ぐ』
『その代償は、永劫の孤独と恐怖である』
「……っ、やっぱり」
どこを読んでも、救いのある言葉なんて一行も書いていない。ページをめくる指が、情けなく震えた。
(私、なんのために生まれてきたんだろう)
お母様のように誰かを救いたいと願ったのに。人を救えば救うほど死に近づき、本気で「生きたい」と願えば、誰かを殺すしかないなんて。
「こんな力……消えてしまえばいいのに」
声にならない呟きが、喉の奥で震える。
私は最後にもう一度だけ古文書を見つめ、絶望を閉じ込めるようにして本を閉じた。
そっと蔵を出る私の銀髪が、天窓から差し込む月光に淡く照らされていたことにその時の私は、全く気づいていなかった。
―エテルside―
夜の第一教会は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
冷たい石畳に響く自分の足音が、やけに大きく耳に触れる。
僕がここにいる理由は、ただ一つ。『死神』その存在を示す古文書を手に入れるためだ。
(僕が死神を調べているなんて、陛下や大臣たちに知られるわけにはいかないからね)
フードを深く被り、影に紛れて廊下を進む。頭の中で、昼間に耳にしたメイドたちの噂がリフレインしていた。
『死神は人の寿命を奪う恐ろしいバケモノ。』
『百年もの間、姿を消していたけれど……。』
「……そんなバケモノが本当にいるなら、僕の救世主だよ」
その力で、この忌々しい『不老不死』という呪いを終わらせられるなら、魂だって売り払ってやる。
蔵の扉を見つけ、手に入れた合鍵を差し込む。カチリ、と解錠の音が鳴り、重い扉がゆっくりと開いた。
埃の匂い。積み重なる古書の山。ここが、終末への入り口――そう思いながら足を踏み入れて、僕は息を呑んだ。
(……先客、かな?)
月光に照らされた背中があった。折れてしまいそうなほど華奢な肩。銀色の髪が、夜気に溶けるように淡く光を放っている。
その少女は僕の侵入に気づかないまま、一心不乱に古びた本を読み耽っていた。ページをめくる乾いた音だけが、静寂を切り裂いていく。
「……あの娘、なぜ『死神』を調べている?」
僕は咄嗟に本棚の影に身を潜め、息を殺した。
やがて、少女は絶望したように肩を落として本を閉じると、ふらりと立ち上がった。顔を伏せたまま、幽霊のような足取りで蔵を出ていく。
銀の髪が最後にふわりと揺れ、闇の中に消えた。その去り際、一瞬だけ見えた横顔。そこにあった紅い瞳が、月光を吸い込むように怪しくきらめいていた。
少女の気配が完全に遠ざかったのを確認し、僕は彼女が読んでいた本を手に取った。
タイトルは『死神と命の理』。
期待に指先が痺れる。ゆっくりとページをめくっていくそして、ある一文で僕の目は釘付けになった。
『死神の特徴 銀色の髪。生きることへの異常なまでの執着。そして、血のごとき紅色の瞳』
「……銀髪。紅い瞳」
脳裏に、さっきの少女の姿が鮮烈に蘇る。あの切実な視線。必死に何かを求めるようにページを繰っていた、あの姿。
(まさか……ね)
僕は本を閉じ、しばらくの間、暗闇の中でその可能性を噛み締めていた。
やがて、ゆっくりと口角が吊り上がっていくのが、自分でもわかった。
「……見つけた。やっと、見つけたよ」
恐怖など微塵もない。あるのは、暗い愉悦と歓喜だけだ。
「あんなに『生きたい』って顔をしながら、僕に『死』を運んでくれるなんて最高に皮肉で、可愛いじゃないか」
確信に変わった疑念を胸に、僕は彼女、ディアナという名の『死神ちゃん』を追い詰めるための計画を練り始めた。




