第三十三話 目覚めし力と、洞窟の夜
深い森の奥、ひっそりと口を開けた小さな洞窟。
ディアナは、気を失ったままのエテルを柔らかい苔の上に横たえ、ようやく安堵の吐息を漏らした。
洞窟の外では、先ほどまで彼女を襲おうとしていた魔物たちが、物言わぬ骸となって転がっている。彼らは皆、苦悶の表情を浮かべることもなく、まるで穏やかな夢を見ているかのような安らかな顔をしていた。
(私の、この手は……)
ディアナは、震える自分の左手を見つめた。
先ほど感じた、身体の奥底から湧き上がる悍ましいほどの「力」。祈りと共に溢れ出した漆黒の靄は、魔物たちの命を音もなく吸い込み、彼女の枯れかけていた身体に底知れぬ活力を与えた。
(聖女として人々を『生かす』ための祈りが、死神として命を『奪う』ための引き金になるなんて……。神様、これは何の罰なのですか?)
自責の念に押し潰されそうになりながらも、ディアナは湿った布でエテルの顔を拭う。毒の影響で死人のように青白かった彼の肌に、少しずつ赤みが戻り始めていた。ディアナが強制的に回収した魔物たちの寿命が、無意識のうちにエテルへと流れ込み、彼の治癒力を極限まで高めているのだ。
「……ん……ディア、ナ……」
微かな声と共に、エテルの長い睫毛が震えた。ゆっくりと開かれたアイスブルーの瞳が、薄暗い洞窟の中でディアナの姿を捉える。
「殿下! お気が付きになりましたか!?」
「……ああ。君が……僕をここまで? 魔物たちに、襲われたりしなかったかい……?」
エテルは重い身体を起こそうとして、洞窟の外に広がる異様な静寂に気づく。彼の視線が、ディアナの瞳の奥に残る消えきらない紅い残光と、その指先から立ち上る微かな「死」の気配を、静かに捉えていた。
「……殿下、私は……」
真実を話せば、彼は自分を化け物として蔑むだろうか。それとも、恐怖に顔を歪めて遠ざけるだろうか。
(私みたいな化け物が、彼の隣にいたいなんて……そんなの、許されることじゃないのに……)
ディアナが怯えたように視線を落とした瞬間、エテルの大きな手が彼女の頬を優しく包み込んだ。
「……君が、僕を救ってくれたんだね。ありがとう」
その声には、拒絶も恐怖もなかった。ただ、深い慈しみと、すべてを悟ったような悲しげな理解だけが籠もっていた。
「……私の手は、汚れています。殿下を救うために、私は……たくさんの命を、奪ってしまった……」
「いいんだよ、ディアナ。その手が何を奪ったとしても、僕にとっては……暗闇の中にいた僕に光をくれた、世界で一番温かい手だ」
エテルはそのままディアナを強く引き寄せ、冷え切った彼女の身体を自分の胸の中に閉じ込めた。
(殿下は、温かい……。殿下に抱きしめられていると、化け物である自分さえも、生きているのが許されるような気がしてしまう。……でも、怖い。このまま力が暴走して、彼の寿命さえも吸い取ってしまったら……)
そう考えると、ディアナは底知れない恐怖感に苛まれた。抑えようとしても、視界は涙で激しく滲んでいく。
「ディアナ、泣かないで。僕はちゃんとここにいるよ。君が僕の側で、僕を守ってくれたおかげでね」
エテルは、ディアナが抱える「正体」について何も問わなかった。ただ、溢れる涙を指先で丁寧に拭い、壊れ物を扱うような手つきで、何度も、何度も彼女を抱きしめ直す。
(殿下は、何かを感じ取っていても、何も聞かずにただ側にいてくれる。殿下……優しすぎます。その貴方の心に、私はどう報えばいいの……)
ポロポロと零れ落ちる涙を、エテルはひたすらに拭い続けた。
洞窟の外の冷たい夜風とは対照的に、二人の間には、静かで、どこまでも深い情愛に満ちた時間が流れていた。




