第二十九話 王子のヤキモチ大作戦!
公務の書類を提出するため、王宮の長い廊下を歩いていた時、不意に聞き覚えのある、少し低くて涼やかな声に呼び止められた。
「お久しぶりですね、ディアナ嬢。お元気でしたか?」
振り返ると、そこにいたのはフェンリスだった。
けれど、いつもの『エクリプス・エンド』の団長としての荒々しい姿ではなく、ヴォルフィード家の次男としての品格を纏った、貴公子然としたフェンリス。
(……フェンの貴族モード、なんだか慣れませんわね。でも、周囲の目もありますし、ここは合わせるべきかしら?)
私は聖服の裾を軽く持ち上げ、淑やかな礼を返す。
「これはこれは、お久しぶりですね、フェンリス様。お健やかにお過ごしでしたか?」
完璧な「聖女モード」で応じると、フェンリスが耐えきれないといった風にくすくすと笑い出す。
「ちょっと! 何が可笑しいのよ……!」
「いや、悪い。お前のそういう余所行きな態度、珍しくて面白くてさ」
「失礼ね! それより、どうして王宮に?」
いつの間にか猫を被るのも忘れ、私たちは通常運転のやり取りに戻っていた。
フェンリスの話によれば、ヴォルフィード家は王宮御用達の装飾品を扱う名家であり、今日はその取引のために登城していたのだとか。
「貴族も大変なのね……」
「まぁな。それよりディアナ、お前……あの後、力の暴走とかしてないか? あの王太子にいじめられたり、脅されたりしてないかって心配してたんだ」
フェンリスの真っ直ぐな気遣いに、胸が温かくなる。
「うん、大丈夫よ。ありがとう。でも、もしまた制御が難しくなったら、『月の神殿』にお邪魔させてもらうかもしれないけれど……」
「ああ、もちろんだ。いつでも待ってるぞ。……あ、そうだ。ディアナ、頭の上に花弁が乗ってるぞ」
そう言って、フェンリスが私の頭に付いた小さな花びらを取ろうと、自然に手を伸ばしたその瞬間。
背後から、肌を刺すような猛烈な「殺気」が膨れ上がった。
「僕の聖女に、随分と気安く触れてくれるんだね? ヴォルフィード家の次男坊殿」
現れたのはエテル殿下。一見、完璧に整ったロイヤル・スマイルを浮かべているが、アイスブルーの瞳の奥は凍てついている。殿下は素早い動きで私の腰を引き寄せ、自分の背後に隠した。
「別に……貴方だけの聖女ってわけでもないでしょうに」
フェンリスも負けじと、呆れ混じりの視線で火花を散らす。
「殿下、そんなに怒らなくても! フェンリスはただ親切で、花びらを取ってくれようとしただけで……」
私が慌ててフォローに入ると、それが逆に火に油を注いでしまった。
「親切? それはどうかな」
殿下は一歩、こちらへ距離を詰める。
「それよりディアナ、僕のことは『殿下』呼びなのに、こいつのことは名前で呼ぶんだね? 君の『主人』が誰か、忘れてしまったのかな?」
「い、いえ、それとこれとは話が別と言いますか……!」
「別じゃないよ。全然、別じゃない」
子供のように拗ねたかと思えば、殿下は有無を言わさず私をひょいとお姫様抱っこで抱え上げる。
「殿下!? 急に何を!?」
そのまま、独占欲を隠そうともせず私を連れ去り、自室へと戻ってしまった。
***
部屋に入ると、殿下はなぜか背後でカチャリと鍵を閉める。
「えっ、殿下……?」
困惑する私を、殿下はそのまま自分の膝の上に座らせ、背後から逃がさないようにぎゅっと抱きしめてくる。
「……僕だけを見ていればいいんだ。他の奴に触れさせるのも、楽しそうに笑いかけるのも、絶対に許さない」
耳元で囁かれる低く熱い声。背中から伝わってくる、殿下の速い鼓動。
あまりの独占欲の強さに、私の顔は火が出るほど真っ赤になってしまう。
「……は、はい。殿下だけを、見ていますから……」
されるがままになりながら、私は心臓の音が殿下に漏れてしまわないか、そればかりを心配して固まっていた。
けれど、抱きしめる殿下の腕の力が少しだけ優しくなったのを感じて、なんだか悪い気はしない自分に、さらに顔が熱くなるのを感じた。




