第十八章 体温の記憶、抱き枕の夜
「……あの、殿下。本当にこの体勢で寝るんですか?」
王宮の最奥、厳重に施錠されたエテル殿下の寝室。広いベッドの上で、私は殿下の腕の中にすっぽりと収まっていた。文字通り「抱き枕」状態である。密着しすぎて、殿下の心臓の音が背中越しにドクドクと伝わってくる。心臓に悪いのは私の方だ。
「言っただろう? これが僕への謝罪の条件だって。……静かにして。もう眠いんだ」
殿下は私の首筋に顔を埋め、子供のように深く息を吐いた。
やがて、規則正しい寝息が聞こえ始める。……寝顔は、驚くほど綺麗だ。普段の腹黒い笑みが消えると、ただの寂しがり屋の青年にしか見えない。
(……この人は、どんな夢を見ているのかしら)
ふと、殿下がうなされるように眉を寄せ、消え入りそうな声でこぼした。
「……冷たい。何も、感じないんだ……」
「殿下……?」
眠りに落ちた彼の独白。それは、起きている時には決して見せない、魂の叫びだった。
「味がしない……風が吹いても、花に触れても……匂いがしない」
一度、言葉が途切れる。私は息を殺して、続きを待った。
「何を食べても砂を噛んでいるみたいだ。……ディアナ、怖いんだ。いつか、悲しいとか嬉しいとかいう感情さえ、この永遠の中に溶けて消えてしまうのが」
また、間があった。今度は、掛け布団を握る彼の指先が微かに震えているのが見えた。
「……感情さえも失った人間はもう、人ではないと僕は思う。……心まで失ってまで、不老不死で生きていたいなんて……思えるはずがない……」
私は息を呑んだ。
不老不死。それは神の加護などではない。長く生きすぎることで、世界との接点が摩耗し、すり減っていく「感覚の腐食」。彼にとって、この世界はすでに色彩を失った、冷たく静かな硝子の箱庭なのだ。
「……君だけなんだ。君が触れる時だけ、僕は自分が『生きている』と……『感覚』を感じられる。だから、離さないで……壊してもいいから、僕をひとりにしないで……」
縋り付くように回された腕の力が強まる。
それは、死を渇望する王子の、あまりにも切実な「生」への執着。
(……ズルいですわ、殿下。そんな顔、いいえ、そんな声、反則ですよ)
私はそっと、彼の冷たい手に自分の手を重ねた。
短命種の私からすれば、贅沢な悩みかもしれない。けれど、心まで死んでいく彼を放っておけるほど、私は強くなかった。
しばらく、彼の寝息だけが部屋を満たしていた。私はその静けさの中で、自分の中にある答えを確かめるように、ゆっくりと口を開いた。
「……ここにいます。私が、貴方の『感覚』になりますから。……ですから、安心して眠ってください」
震える殿下の背中を、私はゆっくりと摩り続けた。
腹黒だし、軽率に脅してくることもある。けれど、それを上回るほどの深い孤独と絶望を知ってしまった。
(死神の私でも、役に立てることがあるのね……。ふふ、なんだか嬉しい)
死神である私の体温が、不老不死の孤独を少しだけ溶かしていく。
夜の静寂の中、私たちは互いの欠落を埋めるように、静かに眠りについた。




