第十六章 月の神殿、穏やかな死の揺りかご
フェンに手を引かれ、深い霧の森を抜けた先にあったのは、銀色の月光を湖のように湛える『月の神殿』だった。
そこには、私と同じ穏やかな瞳をした『死神』たちが身を寄せ合って生きていた。
「ここは……?」
「寿命を奪いたくない者たちの終着駅だ」
フェンが仮面を外し、静かに告げる。その素顔は、やはり夜会で出会ったあの美青年、フェンリスだった。
「『冥刻の影』って、聞いたことあるだろ?」
「……はい。反逆者たちの、恐ろしいテロ組織だと」
私はこくこくと頷く。王国では死神の集まり、そう呼ばれて恐れられている名前だ。
「実際は見ての通り、質素なものだ。ただ普通に生きたい死神たちが集まる場所に過ぎない」
「でも、悪評はかなり広まっていますよね……?」
「一部の連中が暴走して寿命を強奪したり、死神の名を騙って人殺しをしたりしているせいでな。だが、本当は誰も命を奪いたいなんて思っちゃいない。お前もそうだろう?」
「……っ、はい」
振り向いたフェンリスの眼差しは、夜会の時の品行方正な令息とも、ゴミ捨て場での荒々しい不審者とも違う、どこか兄のような温かさに満ちていた。
「夜会の時と違いすぎるから、同一人物だとは思わなかったわ!」
「あれは一応、表の顔だ。死神だと公表するわけにいかないからな。俺はこうしてお前みたいに力を発散できずに困っている同胞を案内したり、ここで暮らしたりしているんだ」
フェンリスはふっと笑う。その笑顔は夜の静寂によく馴染み、私の凍えていた心をじんわりと溶かしていく。
「儀式の時間だ。来い」
彼に導かれた神殿の奥で行われていたのは、私が想像していた「略奪」とは真逆の、厳かな光景だった。
横たわるのは、天寿を全うした長寿種の亡骸。長寿種は死後も、その体内に使い切れなかった「余剰の寿命」を微かに宿しているという。里の人々は祈りを捧げ、その「お裾分け」を慈しむように受け取っていた。
「奪うのではなく、受け継ぐ。それがこの里の理だ」
亡くなった方の想いを汚さぬよう、丁寧に力を中和していく人々の姿に、私は初めて「自分の力」を肯定されたような気がした。
ずっと、この力は誰かを傷つけるためだけにあるのだと思っていた。誰にも打ち明けられず、独りで抱え続けてきた。
でも、ここにいる人たちは違う。同じ力を持ちながら、それでも誰かを想って生きている。
気づけば、頬を涙が伝っていた。
さらにフェンリスは、神殿の最奥にそびえる巨大な樹へと私を案内する。
「触ってみろ」
「えっ……でも、こんな立派な大木を枯らすわけには……!」
「いいから、俺を信じろ。大丈夫だ」
恐る恐る、巨樹に触れる。
力を流し込んだ瞬間、一瞬だけ幹が黒く染まり、直後、銀色の葉が一気に舞い降りた。花は、一輪も咲かない。けれどその代わりに、無数の葉が月光を弾いて銀色に輝きながら舞い散る様は、どんな花よりも美しかった。
「綺麗……」
「だろう。これは死神たちの言えない気持ち……『コトノハ』だ」
この木は死神の力に触れても決して枯れず、けれど花も咲かない『虚無の巨樹』。木が許容できる「死」の量にも限界があるため、里の者たちが順番に少しずつ力を逃がしているのだという。
(私……ここにいても、いいのかしら……?)
生まれて初めて見つけた、本当の居場所。張り詰めていた糸が切れ、私はフェンリスの前で子供のように泣きじゃくってしまった。
「ありがとう、フェンリス。助けてくれて……本当に」
「……気にするな。また暴走しそうになったらここに来い。お前を待ってるからな」
照れくさそうに鼻を啜る彼の言葉に、魂まで救われた気がした。
***
日が昇る頃、私はフェンリスと別れ、清々しい気持ちで王宮へと戻っていた。
(よし! 殿下にはしっかり謝罪して、今日からはもっと殿下のために尽くしましょう!)
意気揚々と廊下を歩く私。
けれど、私はまだ知らなかった。
エテル殿下自身は、死神に対して恨みなど微塵も持っていないということを。むしろ「僕を終わらせてくれる唯一の存在」として死神を保護対象と考え、過去には見つかりそうな死神の子供を密かに逃がしたことさえあるということを。
そんな彼だからこそ、私の無断外出に、どれほど「心配」という名の怒りを募らせているか。
このときの私は、まだ何一つ、予想していなかった。




