第二話 負けたままじゃ終われない
第三章
第二話 負けたままじゃ終われない
翌日。
紀人は、いつも通り道場に来ていた。
「一本!」
「っ……!」
紀人の拳が、相手の顔の寸前で止まる。
「そこまで!」
二人はすぐに距離を取り、構えを解いた。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
礼を終える。
紀人は一歩下がり――
「もう一――」
「え?」
「…………」
向かいの道場生が首を傾げた。
「今、何か言った?」
「いや」
紀人は顔をそらす。
「なんでもない」
「?」
「…………」
自分でも、少し変な気分だった。
もう一回。
そう言おうとした。
いつも自分が言われていた言葉を。
◇
『もう一回!』
『また?』
まだ二人が今より幼かった頃。
道場の中央で、紀人とサクラは向かい合っていた。
『今のなし!』
『なんでだよ!』
『私、ちゃんと入ってた!』
『先に俺が取っただろ!』
『もう一回やれば分かる!』
『何が分かるんだよ!』
『どっちが強いか!』
『さっき分かっただろ!』
『分かってない!』
『お前が認めてないだけだろ!』
昔から。
そうだった。
道場に来れば、何度も組手をした。
紀人が勝つ日もあった。
サクラが勝つ日もあった。
『よし!』
サクラが一本を取る。
『見た?』
『見てたよ』
『ちゃんと見た?』
『見てたって!』
『じゃあ私の勝ちね』
『まだ一本だろ!』
『さっき勝ったときは、すぐ勝った顔してたじゃない』
『うるせえ!』
道場の外で一緒に遊ぶような間柄ではなかった。
学校が同じだったわけでもない。
けれど。
道場に来れば、サクラがいた。
そして。
気がつけば、何度も向かい合っていた。
どの距離から踏み込むのか。
蹴りの前に、ほんの少し肩が動くこと。
受けた直後、すぐ前へ出たがること。
追い込まれると、逆に思い切りが良くなること。
何度も拳を交えるうちに。
紀人は、そんなサクラの癖を覚えていた。
意識して覚えたわけではない。
身体が。
勝手に覚えていた。
たぶん。
向こうも。
同じだった。
◇
けれど。
二人が成長するにつれて。
少しずつ、変わっていった。
「始め!」
高校生になってからの組手。
サクラが踏み込む。
速い。
技も以前よりずっと上手くなっている。
間合いの取り方も。
攻撃へ移る判断も。
昔より洗練されていた。
それでも。
「っ!」
拳を受けた瞬間。
サクラの身体が押される。
「…………!」
もう一度。
踏み込む。
届く。
けれど。
相手も一歩入る。
腕の長さが違う。
打撃の重さも違う。
以前なら技術で埋められた差が。
少しずつ。
目に見える形になっていた。
「そこまで!」
「…………」
サクラが止まる。
「一本!」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました……」
礼。
サクラの負けだった。
技術で大きく劣っているわけではない。
むしろ、以前より上手くなっている。
なのに。
以前より、勝てなくなっていた。
「まあ、仕方ないって」
近くにいた道場生が声をかける。
「相手、男なんだから」
「女の子でそこまでできれば十分すごいよ」
「…………」
悪意はない。
本当に。
励ましているだけだった。
負けたサクラを慰めようとしている。
だから。
サクラも少し笑った。
「……ありがとう」
紀人は。
少し離れたところから、その顔を見ていた。
「…………」
笑っている。
ちゃんと礼も言っている。
なのに。
どう見ても。
機嫌が悪かった。
◇
稽古のあと。
サクラは一人で防具を片づけていた。
「…………」
その横を、紀人が通る。
「何?」
「え?」
「何か言いたそう」
「別に」
「慰めるならいらないから」
「慰めねえよ」
「…………」
サクラが顔を上げる。
「負けただけだろ」
「…………」
「次、勝てばいいじゃん」
「簡単に言うわね」
「だって」
紀人は何でもないように言った。
「お前、いつもそうじゃん」
「…………」
「負けたら、もう一回って」
「…………」
サクラが黙る。
ほんの少しだけ。
その表情から棘が抜けた。
「じゃあ」
「?」
「相手して」
「今?」
「今」
「俺、もう帰るんだけど」
「逃げるの?」
「その言い方やめろ!」
「じゃあ、やる?」
「……やるよ!」
「決まり」
「お前なあ!」
サクラが笑った。
今度は。
誰かに見せるための笑顔ではなかった。
いつもの。
負けず嫌いなサクラの顔だった。
◇
「紀人」
「!」
声に呼び戻される。
現在。
目の前には北山がいた。
「ぼーっとしてるぞ」
「……すみません」
「サクラのことか?」
「…………」
紀人は一瞬だけ黙った。
「まあ……」
「気になるよな」
「…………」
紀人は道場の入口を見る。
今日も。
そこからサクラが入ってくることはない。
「連絡」
北山が言った。
「家族にもまだ来てないらしい」
「そうですか」
「警察にも届けてある」
「…………」
「何か分かれば」
北山は、ごく自然に続けた。
「道場にも話は来るだろ」
「……はい」
「だから」
「?」
「稽古中くらいは集中しろ」
「…………」
「さっき、危なかったぞ」
「見てたんですか」
「見てるよ」
「…………」
「はい」
紀人は小さく息を吐いた。
北山が。
警察とは別の場所でもサクラを追っていることを。
紀人は知らない。
◇
その頃。
別の場所では。
六人分の資料が、机いっぱいに広げられていた。
「年齢」
東が資料を見る。
「職業」
次。
「生活圏」
次。
「交友関係」
さらに。
「家族構成」
「…………」
調べれば調べるほど。
共通点が見えてくる――わけではなかった。
「共通点、薄いですね」
川出が言う。
「今のところはね」
東が答える。
「だからといって、無理に共通点を作らないで」
「え?」
「最初から『同じ事件だ』と思い込んで見ていると、違うものまで同じに見えてしまうわ」
「なるほど」
「先入観が一番危ないの」
南浦が資料を一枚取る。
「だったら」
「?」
「本当に別件って可能性もあるんじゃないのか」
「あるわ」
東は即答した。
「だから、その可能性も捨てない」
「…………」
北山が六枚の写真を見る。
「でも」
「?」
「短期間に、これだけ何も残さず人が消えるのも妙でしょう」
「そうね」
東が頷く。
「だから調べるの」
まだ。
答えを決める段階ではない。
今は。
ひとつずつ。
事実だけを拾う。
◇
「東さん」
川出が一枚の映像を止めた。
「これ」
「何?」
「ちょっと見てもらえます?」
防犯カメラの映像。
画面の中を、一人の人物が歩いている。
服装は普通。
特別目立つものもない。
ただの通行人。
そう言われれば。
そのまま見過ごしてしまいそうな人物だった。
「この人がどうかしたの?」
「…………」
川出が映像を巻き戻す。
再生。
止める。
また巻き戻す。
再生。
「……変なんですよね」
「何が?」
「動きです」
東が、もう一度画面を見る。
「普通に歩いているように見えるけど」
「そうなんです」
「?」
「普通に見えすぎる」
「…………」
川出が少し前のめりになった。
「人間って」
「ええ」
「どれだけ気をつけて歩いても、何かしら癖が出ると思うんですよ」
「癖?」
「歩幅とか」
画面を指す。
「腕の振り方」
次。
「右と左で微妙に違ったり」
次。
「重心の移し方」
「…………」
「体重をどっちの足に乗せるか」
映像を再生する。
「疲れてれば少し姿勢も崩れる。急いでれば歩幅も変わる。考え事してたら、腕の振りが変わる人だっている」
「…………」
「人間の身体って、完全な左右対称じゃないですからね。本人が意識してなくても、何かしら出るはずなんです」
けれど。
画面の人物は。
一定。
歩幅。
腕の振り。
重心移動。
身体の向き。
必要な分だけ足を運び。
必要な分だけ腕を振り。
必要な場所へ正確に重心を移している。
「無駄がなさすぎるんです」
「…………」
「綺麗すぎる」
東も。
今度は注意深く映像を見る。
「それが変なの?」
「はい」
川出は答えた。
「人間に見えるんですけど」
一度。
言葉を止める。
「人間の歩き方に見えない」
「…………」
室内が。
少しだけ静かになった。
◇
「この人物」
東が言う。
「ほかの映像には?」
「それが」
川出が別の画面を開く。
「似た人がいるんです」
別の失踪現場。
少し離れた場所。
画質は悪い。
顔までは分からない。
「同じ人?」
「まだ何とも」
「…………」
「服装も違います。体格だって、映像だけじゃ断定できません」
「そう」
「でも」
川出が二つの画面を並べた。
片方。
そして。
もう片方。
「歩き方が」
「…………」
「似てるんですよね」
東は、しばらく黙って映像を見比べた。
似ている。
そう思ってしまえば。
似ているようにも見える。
けれど。
それこそ。
自分がさっき注意した先入観かもしれない。
「分かったわ」
「どうします?」
「まず確認して」
「はい」
「同一人物だと決めつけないこと」
「了解」
「ただ」
東は映像を見る。
「この違和感は、追ってみる価値がありそうね」
◇
夜。
「…………」
紀人は。
夕食を前にして。
ほとんど箸が進んでいなかった。
「紀人」
「ん?」
パンさんが向かいから見る。
「今日、静かだね」
「そう?」
「そう」
「別に」
「…………」
「…………」
「その『別に』は」
パンさんが言う。
「何かある時のやつだね」
「…………」
紀人が少しだけ顔をしかめる。
「なんですか、それ」
「長く一緒にいれば分かるよ」
「…………」
「何かあった?」
紀人は。
しばらく黙っていた。
それから。
「知り合いが」
「うん」
「いなくなった」
パンさんの表情が変わった。
「……そうか」
「何日も」
「うん」
「連絡もない」
「…………」
「警察も探してる」
「そうか」
「…………」
パンさんは。
それ以上、すぐには聞かなかった。
「心配だね」
「……まあ」
「まあ、か」
「…………」
紀人は箸を置いた。
「俺」
「うん」
「何もできないんですよね」
「…………」
「探すなって言われて」
「そう」
「待ってろって」
紀人が少し苛立ったように言う。
「待ってるだけって」
「…………」
「何もしてないのと同じじゃないですか」
パンさんは。
すぐには答えなかった。
少し考えて。
「そうでもないと思うよ」
「?」
「待つのも」
一拍。
「結構、難しいから」
「…………」
紀人は。
見るからに納得していなかった。
「その顔」
「何ですか」
「全然納得してないね」
「してません」
「正直だなあ」
パンさんが苦笑する。
紀人も。
ほんの少しだけ。
いつもの顔に戻った。
◇
部屋へ戻る。
「…………」
道着。
ベルト。
メモリー。
そして。
スマートフォン。
紀人は、またサクラとのメッセージを開いた。
『明日、組手』
『勝手に決めんな』
『逃げるの?』
『やるよ』
『じゃあ決まり』
「…………」
次。
『今日は?』
『今日は何』
『組手』
『昨日やっただろ』
『今日は今日』
「…………」
紀人の口元が。
ほんの少しだけ動いた。
「ほんと勝手だな……」
そして。
一番下。
『今日、道場来ないの?』
未読。
「…………」
画面を見たまま。
紀人は昔の声を思い出した。
『もう一回!』
「…………」
負けたら。
もう一回。
また負けたら。
また。
納得するまで。
何度でも。
向かってくる奴だった。
「負けたまま帰れねえ奴が」
紀人が小さく呟く。
「…………」
スマートフォンを握る。
「何も言わずに」
一度。
息を吐く。
「いなくなるわけねえだろ」
◇
同じ頃。
川出は。
もう一度、防犯映像を再生していた。
「…………」
歩く人物。
普通の服。
普通の姿。
普通の歩き方。
そう見える。
なのに。
見れば見るほど。
気持ちが悪い。
右。
左。
右。
左。
歩幅は揃い。
腕は必要なだけ振られ。
重心は必要な位置へ。
正確に移されている。
人間なら。
誰にでもあるはずのもの。
ちょっとした左右の差。
余計な一歩。
僅かな姿勢の崩れ。
本人すら気づかない癖。
それが。
見つからない。
「…………」
川出が小さく呟いた。
「綺麗すぎるんだよな……」
画面の中。
その人物は。
人間と同じ姿で。
人間のように。
歩いていた。
あまりにも。
正確に。
あまりにも。
無駄なく。
だからこそ。
人間には見えなかった。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。




