第11話 こちらから漏らす
第11話 こちらから漏らす
「……まだ、絞れませんか」
東が尋ねると、榊原は机いっぱいに広げた資料から目を上げ、静かに首を横へ振った。
「今のところは。杉山さんの移動予定に触れられた人間も、情報が通った経路も一通り洗っていますが、ここから漏れたと断定できるものは出ていません」
机の上には、警護計画に関係した部署、連絡先、車両の手配に関わった人間まで、細かく整理された資料が並んでいる。
警察内部だけではない。国会側にも情報は渡っている。車両や警護に関係する部署もある。
「外から監視されていた可能性は?」
「まだ消せません。誰かが意図的に渡した、と決まったわけではありませんから」
「そうですよね……」
東は椅子へ背を預けた。
分かったことはある。
分からないことも、まだ多い。
どこから情報を得ているのかも分からない相手に対し、ただ秘密を増やしたところで、それが本当に意味を持つのかも分からない。
榊原が資料を閉じかける。
その手元を見ていた東の目が、ふと止まった。
「……だったら」
「はい?」
「逆に使えませんか」
榊原の手が止まる。
東は杉山の資料を手元へ引き寄せた。
「相手が、こちらの予定を知っているなら」
一呼吸。
「こちらから、知ってほしい予定を流すんです」
榊原はしばらく黙っていた。
やがて、その視線が東の資料へ落ちる。
「……囮ですか」
「はい」
◇
「杉山さんを別の病院へ転院させる」
東は地図の上へ一本の線を引いた。
「そういう予定を、通常の連絡経路へ乗せます。時刻も、経路も、使用する車両も」
榊原は地図を見たまま尋ねる。
「杉山さん本人は?」
「動かしません」
東の返事に迷いはなかった。
「怪人に狙われていると分かっている人を、そのまま餌にはできません」
「では、搬送車両だけ走らせる」
「はい」
地図上の赤い線を、東の指がゆっくり辿る。
「向こうがこの情報を拾っているなら、杉山さんが乗っていると思って追ってくるはずです」
「来なければ?」
「私たちの考えが間違っていたということです」
東はそこで一度言葉を切った。
「でも、来れば」
「こちらの予定を事前に知っている可能性は、かなり高くなる」
「それに、今度はこちらが待てます」
前回は、向こうが先にいた。
今度は違う。
こちらが道を決め、時間を決め、来るかもしれない相手を待つ。
榊原は赤い線をしばらく見つめたあと、資料をまとめ始めた。
「囮車両に一般の救急隊員は乗せられません」
「もちろんです」
「予定経路も、できるだけ一般車両を外せる場所にしましょう。ただし露骨に道路を空ければ、囮だと気づかれる可能性もある」
「お願いします」
榊原は資料を抱えて立ち上がった。
「真壁さんに話を通します」
◇
許可が下りたのは、その日のうちだった。
条件は明確だった。
杉山本人は動かさない。
囮車両には作戦を理解した人員のみを乗せる。
作戦区域へ一般人を極力入れない。
そして、怪人が現れなければそこで終わる。
こちらから無理に戦闘を作り出すことはしない。
「通りました」
戻ってきた榊原の言葉に、東は小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
「礼は、全員無事に戻ってからにしましょう」
そう言って、榊原は新しい地図を机へ広げた。
「現場を詰めます」
◇
作戦前の打ち合わせには、CASHの面々に加え、紀人とサクラも顔を揃えていた。
地図の中央を、一本の赤い線が走っている。
「前回と同じ形にはしません」
東が全員を見回した。
「コヨーテライダーとアナグマドリル。この二体を合流させないことを最優先にします」
紀人は赤い線の先を見る。
前回は、地上のコヨーテライダーを止めている間に、地下からアナグマドリルが現れた。
しかも二体とも、状況次第では互いの方へ戻ろうとする。
片方を追い詰めた先に、もう片方がいたら意味がない。
「コヨーテライダーが現れた場合、紀人君はそちらへ」
「分かった」
「サクラさんには、アナグマドリルをお願いします」
「はい」
サクラが静かに頷いた。
「CASHは両方を支援します。ただし、どちらかを追い込んだ結果、もう一体と合流させることだけは避けてください」
ニシが腕を組む。
「二体揃えば、またあの狩りをやられる」
「そうです」
東は赤い線の両側へ指を置いた。
「今回は、最初から分けます」
◇
「サクラ、ちょっとこっち」
打ち合わせが終わる頃、シラメ博士が手招きした。
「はい」
サクラが近づくと、シラメは小さなサイドポーチを差し出した。
「これ、腰につけて」
「これですか?」
「うん。開けてみて」
サクラが蓋を開く。
中には、卵ほどの大きさをした小型の装置が三つ、きれいに収まっていた。
「三つ入っていますね」
「ボクが作ったやつ」
シラメはそのうち一つを摘まみ上げ、側面の小さな部分を指で示した。
「アナグマドリルが穴に逃げたら、ここ押して」
「はい」
「それから、あいつが入った穴へ放り込んで」
サクラが装置を見る。
「穴の中に、ですか?」
「そう。それだけ」
「その後は?」
「見てれば分かるよ」
シラメは楽しそうに笑った。
サクラはほんの少しだけ困った顔をしたが、それ以上は尋ねなかった。
「分かりました」
「あ、三つしかないからね」
「無駄にはしません」
「うん。一個ずつ使って。間違って三つまとめて投げたりしないでよ?」
「さすがに、それはしません」
サクラの口元に小さな笑みが浮かぶ。
ポーチを腰へ固定すると、軽く手を添えて位置を確かめた。
◇
紀人も準備を終えていた。
最後にポケットへ手を入れる。
指先へ触れたのは、昨夜届いたビーストメモリー。
何のメモリーかは、まだ分からない。
浮かぶのは、あの二文字だけだった。
『足へ』
紀人はポケットの中でメモリーを一度握る。
今ここで試すつもりはなかった。
だが、置いていく気にもならない。
「……使うかどうかは、その時だな」
小さく呟き、手を離した。
◇
作戦当日。
病院の裏手から、一台の搬送車両がゆっくりと走り出した。
前後には護衛車両。
外から見れば、警護付きの患者搬送にしか見えない。
だが、その車内に杉山はいない。
乗っているのは、すべて作戦を承知した人員だけだった。
少し離れた交差点では、一般車両が自然な形で別の道路へ誘導されている。
道を空けすぎれば怪しまれる。
かといって、何も知らない人間を危険な場所へ残すわけにもいかない。
目立たないところで警察官たちが細かく動き、予定経路の周囲から少しずつ一般車両と歩行者を外していった。
紀人は経路から離れた位置で待機している。
サクラは別方向。
腰には、シラメから受け取ったサイドポーチ。
CASHも複数の地点へ分散していた。
さらに外側では、川出が周辺を監視している。
『囮車両、予定経路へ入ります』
東の声が無線から届いた。
搬送車両が交差点を曲がる。
紀人はその姿を遠くから追った。
まだ、何もない。
車両は予定通りに進む。
一分。
二分。
道路は静かなままだった。
来ない。
紀人の胸の中に、別の緊張が生まれる。
本当に情報を知っていたのか。
それとも、こちらが考えすぎただけなのか。
さらに少し進む。
無線も静かだった。
誰も余計なことを言わない。
待つ時間だけが伸びていく。
『東さん』
川出の声が入った。
紀人の視線が上がる。
『どうしました?』
『後方から、高速で接近するものがあります』
空気が一変した。
紀人は遠くの道路へ目を凝らす。
『速度が上がっています。通常の車両ではありません』
東の返答は速かった。
『確認できますか?』
『はい。少し待ってください』
短い沈黙。
紀人の耳に、まだ小さな音が届く。
遠い。
だが確実に近づいている。
『確認しました』
川出の声。
『コヨーテライダーです』
紀人の口元がわずかに引き締まった。
来た。
杉山の乗っていない車を。
こちらがわざと流した予定を。
本物だと信じて。
『各員、配置へ――』
「待ってください」
東の指示へ、サクラの声が重なった。
『サクラさん?』
サクラは搬送車両を見ていなかった。
道路の向こうから迫るものも見ていない。
足元。
アスファルトの下へ意識を向けていた。
わずかな震え。
一度。
止まる。
もう一度。
靴底から伝わってきた感覚に、サクラの表情が変わる。
国会前。
道路が崩れた直前にも、同じものを感じていた。
「……下です」
『何ですって?』
サクラは腰のポーチへ手を添えた。
「地面の下にもいます」
遠くから、コヨーテライダーの接近音が大きくなってくる。
そして足元からは、別の振動。
「アナグマドリルも来ています」
無線の向こうが、一瞬だけ静まり返った。
囮の搬送車両には、杉山など乗っていない。
それでも二体とも現れた。
こちらが流した時刻に。
こちらが流した道へ。
東が短く息を吸った。
『全員、予定通りに動いてください』
紀人の手がベルトへ伸びる。
サクラは足元の振動から目を逸らさない。
『作戦開始です』
地上から。
地下から。
二体の怪人が、存在しない獲物へ向かっていた。




