第10話 足へ
第10話 足へ
「やっぱり、このままじゃ駄目だね」
シラメ博士が映像を止めた。
モニターには、アナグマドリルが地中へ逃げ込む直前の姿が映っている。
サクラの蹴りによって片腕を失い、毒も回っていた。それでも残ったドリルを地面へ突き立てた途端、路面は見る間に砕かれ、土煙の向こうへ巨体が沈んでいった。
サクラが追いついた時には、もう攻撃できる相手はいない。
そこに残ったのは、荒々しく抉られた地面だけだった。
「地上にいる間なら戦えるんだよ。片腕も落とせたし、毒も効いてた。でも、これをやられたら終わり」
シラメが紀人へ顔を向ける。
「今のキッドに、地下まで追える手はある?」
「ない」
紀人は迷わず首を振った。
「地上にいるなら何とかなる。でも、あそこまで潜られたら手が出せない」
「私も同じです」
サクラもモニターを見つめたまま頷く。
「出てきてくれれば戦えますけど、地中へ逃げられてしまうと……追いかけることはできません」
「だよね」
シラメは椅子から飛び降りると、部屋の奥へ向かった。
壁際には大小いくつものケースが積まれている。
蓋を開ける。中を覗く。首を傾げて閉じる。
また次。
何かの部品を持ち上げてみては戻し、その隣のケースへ手を伸ばす。
サクラが少し離れたところから、その様子を見守っていた。
「何か作るんですか?」
「作るっていうより、仕上げるかな」
「仕上げる?」
「一からやってたら間に合わないからね。前に考えてた試作品が何個かあるんだ。その中から、今回使えそうなのを選ぶ」
シラメはようやく一つのケースを引き出した。
中身をじっと見つめたあと、もう一つケースを開けて部品を見比べる。
「これを使うんですか?」
サクラが尋ねる。
「候補。少し手を入れればいけると思う」
その横で、紀人は停止したモニターへ目を戻していた。
画面の中央には、アナグマドリルが消えた穴。
「でもさ」
「ん?」
「相手は穴掘って逃げるんだろ。こっちも掘って追いかけるのか?」
シラメが顔を上げた。
「なんで?」
「なんでって……地面の下に行くんだから」
「別に追いかけなくていいでしょ」
「え?」
シラメは選んだ試作品を作業台へ運んだ。
ことり、と置く。
「逃げ込んだなら、向こうから出てきてもらえばいいんだよ」
紀人とサクラが顔を見合わせた。
「どうやって?」
紀人が尋ねる。
シラメは工具へ伸ばしかけていた手を止めた。
「……というか」
「ん?」
シラメの視線が、再びモニターのアナグマドリルへ向いた。
「そもそも、これがおかしいんだよ」
「何が?」
「全部」
「全部?」
紀人が聞き返した瞬間、シラメの目つきが変わった。
「アナグマ怪人だから穴を掘る。そこまでは分かる。でもさ、あの体格で、あのドリル二本だけ使って、あの短時間で自分の身体が丸ごと入る穴を作って、そのまま移動できるっておかしくない?」
「……そうなのか?」
「そうなの!」
勢いよく返された。
「まず穴の大きさ! あの身体が通るんだから、掘削する径は少なくとも身体より大きくないと駄目でしょ。肩も装甲も張り出してるんだから、ぎりぎりじゃ引っかかる。なのに両腕のドリルは、どう見てもそこまで大きくない」
紀人が口を開く。
「いや、怪人だし――」
「それに土!」
聞いていなかった。
「掘った土はどこに行ってるの?」
「土?」
「穴を掘ったら、そのぶんの土砂が出るでしょ。削ったものが消えてなくなるわけじゃないんだから、外へ出すか、後ろへ運ぶか、どこかへ押し固めるかしなきゃいけない。それをあの速度でやってるんだよ?」
「博士……?」
サクラがやんわり声をかける。
届いていない。
「背中の装備が排出機構なのかな。でも、それならあの短時間に処理できる量じゃないとおかしいし、そもそも地下でどこへ排出してるんだろう。後ろへ押し出してたら自分の退路を塞ぐことになるし……」
サクラが、そっと紀人を見た。
紀人もサクラを見る。
二人とも何も言わない。
「それから地盤!」
シラメはさらに勢いづいた。
「柔らかい土だけならまだ分かる。でも全部の地面が同じじゃない。砂礫が多いところもあるし、岩盤だってある。地下水が出たらどうするの? 柔らかすぎる地盤なら掘ったそばから崩れてくるんだから、場合によっては穴を補強しないと――」
紀人が、ほんの少しだけ入口へ顎を向ける。
サクラの目がそちらへ動いた。
そして、ごく小さく頷く。
「あと一番気になるのが摩擦熱! あれだけの速度でドリルを回し続けたら、先端温度がどうなると思う? 冷却してる様子もない。材質だけで耐えてるのか、それとも怪人の身体だから熱自体を逃がせるのか。いや待って、もし背部装置に冷却系も入ってるなら――」
一歩。
二歩。
紀人とサクラが静かに後退する。
シラメは作業台へ身を乗り出し、いつの間にか端末まで引き寄せていた。
「それ以前に、両腕ドリルだと正面に二本の穴ができるだけなんだよ。その間の土をどう処理して胴体の幅まで広げてるんだろう。回転方向を変えて横へ削ってる? でもそうすると掘進速度が――」
サクラが先に扉へたどり着いた。
音を立てないよう、そっと開ける。
紀人も続いた。
「……行こう」
囁くように言う。
「そうですね」
サクラも小声で返した。
二人が廊下へ出ても、シラメは気づかない。
紀人が扉を閉める、その直前まで声は続いていた。
「待って。もしかして、ドリルそのものより身体全体で地盤を押し広げてる? だったら側面装甲の耐圧性能が――」
扉が閉まった。
廊下に静けさが戻る。
紀人が息を吐く。
「……入ったな」
サクラは少し困ったように笑った。
「入ってしまいましたね」
二人は顔を見合わせ、そのまま作業室から離れた。
しばらく歩いても、後ろの扉の向こうから、かすかにシラメの声が聞こえていた。
◇
夜。
紀人がパンさんの店へ戻ると、店内のテレビではまだ国会周辺の事件が流れていた。
大きく崩れた道路。
何台も並ぶ警察車両。
画面を高速で横切っていくコヨーテライダー。
「ただいま」
「おう」
パンさんはカウンターの中で食器を拭いていた。
いつも通りの返事だった。
紀人もそのまま店の奥へ向かう。
テレビの前を横切った時、背後で食器を拭く音が止まった。
ほんの一瞬。
振り返りはしなかったが、視線を感じた。
すぐに、また布の擦れる音が始まる。
「そうだ、紀人」
「ん?」
パンさんがカウンターの下へ手を伸ばした。
「お前に荷物来てるぞ」
「俺に?」
差し出されたのは、小さな箱だった。
紀人が受け取る。
宛名には、間違いなく自分の名前。
内田紀人。
住所も合っている。
ただ一つ、送り主の欄だけが空いていた。
「差出人、ないけど」
「俺も見た。来た時から空欄だ」
「何だろ」
「さあな」
パンさんはそれだけ言って、また食器へ手を伸ばした。
紀人も箱を抱え、二階へ向かう。
一段。
二段。
「紀人」
呼ばれて足を止めた。
「何?」
振り返る。
パンさんは、テレビを見ていた。
画面の中では、怪人へ銃を向ける警察官たちが映っている。
やがてテレビから目を離し、手にしていた布を折り畳んだ。
「……俺には何もできねえけどな」
紀人は黙った。
パンさんは布をカウンターへ置く。
「必ず帰ってこいよ」
「……」
「何時になっても待っててやるから。ちゃんと帰ってこい」
それだけだった。
パンさんは別の食器を手に取り、もう紀人の方を見なかった。
紀人は階段の途中に立ったまま、しばらくその背中を見ていた。
「……うん」
小さく答え、二階へ上がった。
◇
部屋へ入る。
箱を机の上へ置き、テープを剥がした。
蓋を開けたところで、紀人の手が止まる。
「……これ」
中に入っていたのは、一つのビーストメモリーだった。
手に取る。
表を見る。
裏返す。
もう一度見る。
知らない。
「何のメモリーだ?」
見覚えがなかった。
箱の底には、小さく折られた紙が一枚。
「ん?」
取り出して開く。
そこには、たった二文字だけ書かれていた。
『足へ』
「……は?」
目を細める。
もう一度読む。
『足へ』
裏返す。
何もない。
箱を覗く。
もう何も入っていない。
「それだけ?」
メモリーを見る。
紙を見る。
「いや、何なんだよ、これ……」
呆れて紙を机へ置こうとした。
その指が止まる。
「……待って」
紙を持ち上げた。
もう一度、二文字を見る。
最初は内容しか見ていなかった。
今度は、文字そのものを見る。
線の払い方。
形の癖。
見覚えがあった。
胸の奥が、強く鳴った。
「……ジン兄さん?」
声に出した途端、その名前が妙に現実味を持った。
紀人は紙を持ったまま動けなくなる。
机の上には、知らないメモリー。
手の中には、見慣れた筆跡。
「……生きてるのか」
その一言だけで、胸の奥に詰まっていたものが少しほどけた。
生きている。
少なくとも、この紙を書いた時には。
それなら。
どうして。
「だったら……」
紙を持つ指に力が入った。
「だったら、なんで会いに来てくれないんだよ」
部屋には、自分の声しかない。
「この身体のことも、あの研究室のことも……ビーストギアのことだって」
紀人は自分の手を見た。
知らないままのことが、多すぎる。
抜け落ちた記憶。
目覚めた地下の研究室。
今の身体。
次々と現れるメモリー。
どこから手をつければいいのか分からないほど、聞きたいことがある。
「俺を改造したのも……ジン兄さんなのか?」
答えはない。
もちろん、確証もない。
それでも。
分からないことを一つずつ辿っていくと、どうしてもジンの姿が浮かぶ。
「だったら、直接話してくれよ」
紙は沈黙したままだった。
紀人は椅子へ腰を下ろす。
その時。
机の上のメモリーを見て、別の姿が頭をよぎった。
何度か戦いの中へ現れた、あの謎のヒーロー。
必要な時にだけ姿を見せる。
何も説明しない。
メモリーを投げ渡し、紀人が声をかけるより先に消えてしまう。
「……あいつ」
紀人はメモリーを手に取った。
今まで、あのヒーローが渡してきたもの。
そして今。
差出人のない箱に入っていた、新しいメモリー。
その隣には、ジンの文字。
「ジン兄さんと……何か関係あるのか?」
そこから先は分からない。
同じ人物なのか。
知り合いなのか。
同じ場所にいるのか。
何一つ確かめる術がない。
ただ、まったく無関係だと言い切るには、重なるものが増えすぎていた。
紀人は紙を机へ置いた。
『足へ』
二文字だけ。
相変わらず、説明はない。
「生きてるなら、会いに来いよ」
椅子の背にもたれ、天井を見る。
「こっちは聞きたいことだらけなんだから」
腹が立つ。
会いたい。
生きているらしいことには、ほっとしている。
なのに、その本人はまた姿を見せず、メモリーだけを寄越した。
どの気持ちが一番強いのか、自分でも分からなかった。
しばらくして、紀人はもう一度机へ手を伸ばした。
新しいメモリーをつまみ上げる。
「……足、か」
何のメモリーなのかは分からない。
何が起きるのかも。
それでも、ジンはそこだけを指定した。
紀人はメモリーを手の中で転がし、小さく息を吐いた。
「相変わらず勝手だな、ジン兄さん」
呆れたような声になった。
けれど、そのメモリーを机へ戻すことはしなかった。
手にしたまま。
もう一度だけ。
『足へ』
その二文字を見つめた。




