第二章 第3話「囮」
ビーストギア
第二章 第3話「囮」
「私を囮にします」
その一言で、会議室から音が消えた。
東は机の上に四枚の写真を並べていた。
いずれも、このところ立て続けに起きている猟奇殺人事件の被害者だ。
そして最後の一枚には――南浦の妻が写っている。
「……もう一度言ってみろ」
上司の低い声が沈黙を破った。
「私を囮にします」
「本気で言ってるのか?」
「本気です」
東は写真を一枚ずつ指した。
「被害者には共通点があります。黒いストレートのロングヘア。白いトップス。そして、赤いスカート」
「それは報告書にもある」
「問題は、ここからです」
東は指先を止めた。
「あの日――私が怪人に遭遇した時の格好も、これと同じでした」
上司の眉がわずかに動く。
「黒髪のロング。白いトップス。赤いスカート」
「……つまり?」
「犯人は、私を探している可能性があります」
「東」
「顔までは知らない。でも、髪型と服装は知っている。だから、その特徴に当てはまる女性を片っ端から襲っている」
「推測だろう」
「はい」
東は迷わず認めた。
「だから、確かめます」
「どうやって」
「同じ格好で歩きます」
再び、沈黙。
今度は長く続かなかった。
「馬鹿か、お前は!」
怒声が会議室を揺らした。
「犯人がお前を探しているという推測が正しいなら、お前自身が本命なんだぞ!」
「分かっています」
「分かってない!」
「分かっています!」
東も声を強める。
「だから、やるんです」
「何?」
東は机上の写真へ視線を落とした。
四人の女性。
その中の一人は、助けを求めて警察へ駆け込んできた南浦が、必死に探していた妻だった。
「もし私の推測が正しいなら……この人たちは、私と間違えられて殺されたんです」
「…………」
「このまま何もしなければ、また同じ特徴の女性が狙われるかもしれない」
東は顔を上げた。
「次の被害者が出るまで待つんですか?」
「だからといって、お前を餌にする理由にはならん」
「もう一つあります」
東は退かなかった。
「怪人の存在を証明できます」
上司の表情が変わる。
「怪人が私を狙って現れれば、複数の警察官が直接目撃できます。映像も残せる。痕跡だって確保できるかもしれない」
それは、東自身がこれまで求め続けてきたものだった。
証拠。
どれほど目撃証言が集まろうと、怪物を見たと訴える者が現れようと、それだけでは警察という巨大な組織は動かせない。
「怪人事件を専門に扱う部署を作るには、証拠が必要なんですよね?」
かつて自分に突きつけられた条件を、今度は東が突き返す。
「だったら、取りに行きます」
「危険すぎる」
「丸腰で行くつもりはありません」
東は机の横へ視線を向けた。
そこには、一つのケースが置かれている。
「……それは?」
「白目博士から借りました」
上司の顔が露骨に曇った。
「よりによって、あいつか……」
「私もそこは少し不安です」
「少しか?」
「かなりです」
「だったら、そんな物を持ってくるな」
「でも、博士の腕は信用してます」
「人間性は?」
「…………」
「黙るな」
東は咳払いを一つした。
「とにかく、使えるものは使います」
上司は額に手を当て、しばらく考え込んだ。
やがて、深いため息を吐く。
「……単独行動は認めん」
東の目が動いた。
「護衛を付ける。監視もだ。異常があれば即座に作戦を中止する」
「分かりました」
「それと」
「はい」
「勝手に追うな」
「…………」
「今、間があったな?」
「気のせいです」
「東」
「分かりましたって」
「絶対に追うなよ」
「はい」
東は写真を集め、ケースを持ち上げた。
その返事を、上司が最後まで信用していないことだけは分かった。
◇
「……本当に、その格好で来るんですね」
作戦当日。
護衛の一人である女性警察官が、東の姿を見て苦笑した。
白いトップス。
赤いスカート。
そして、腰まで伸びた黒いストレートの髪。
連続殺人の被害者たちと同じ特徴。
「これが条件みたいだから」
「相手が本当に服装だけで人を選んでるなら、ずいぶん雑ですよね」
「怪人の考えてることなんて分からないわよ」
「それもそうですね」
女性警察官は軽く肩を回した。
何気ない動作だったが、東はそこに目を留めた。
無駄のない、引き締まった身体。
立ち姿にも妙な安定感がある。
「格闘技、やってる?」
「ええ。昔から」
「強い?」
「それ、自分で『強いです』って答えるの、恥ずかしくないですか?」
「じゃあ、弱い?」
「それはそれで腹が立ちますね」
思わず、東の口元が緩んだ。
「頼りにしてる」
「できれば、頼られるような状況にならない方がいいですけどね」
「それは同感」
少し離れた場所では、他の護衛たちが配置についている。
彼らの装備は、普段と変わらない。
警察官が携行する通常の拳銃。
白目博士が作った特殊な銃を持っているのは――東だけだ。
まだ、実戦で怪人に通用するかどうかさえ分からない。
東はケースを開いた。
中に収められた銃を見つめる。
『使ったら、結果を教えて』
白目博士の言葉が脳裏に蘇った。
「……本当に大丈夫なんでしょうね、これ」
「東さん?」
「何でもない」
ケースを閉じる。
もし何も起きなければ、それでいい。
自分の推測が外れていた。
ただ、それだけの話だ。
「始めましょう」
◇
何も起きなかった。
一時間。
さらに一時間。
東は指定された区域を歩き続けた。
店に入る。
しばらくして出る。
道を変える。
人通りの少ない場所にも足を運ぶ。
護衛たちは一定の距離を保ちながら、周囲を警戒している。
それでも――何も起きない。
『東さん』
耳元の通信機から声がした。
「何?」
『一度、休憩しませんか?』
「まだ大丈夫」
『でも、もう二時間ですよ』
「犯人が時間通りに来てくれるなら、警察は苦労しないわ」
『それはそうですけど……』
通信が切れた。
東は歩き続ける。
「……外れたかな」
口にした瞬間。
胸の奥が、わずかに軽くなった。
推測が外れていたのなら。
四人の女性は、自分とは関係なく殺されたことになる。
それは決して喜べることではない。
けれど少なくとも――
自分と間違えられたせいで、彼女たちが死んだわけではない。
そう思える。
その時だった。
「…………」
東の足が止まった。
何かがいる。
音が聞こえたわけではない。
姿を見たわけでもない。
なのに。
視線だけを感じる。
じっと。
こちらを見ている。
東はゆっくり振り返った。
道の向こうを数人の通行人が歩いている。
建物。
電柱。
街灯。
それ以外に、不審なものはない。
「気のせい……?」
再び歩き出す。
一歩。
二歩。
三歩。
まただ。
今度は、はっきり分かった。
上。
東が顔を上げる。
「――!」
建物の縁に。
何かがいた。
視線が合った――ような気がした次の瞬間。
黒い影が消える。
「全員、警戒!」
東が通信機へ叫んだ。
『どうしました!?』
「いる!」
『何が――』
「来た!」
直後。
上空から何かが落下した。
東は反射的に後方へ飛ぶ。
轟音。
衝撃が足元から突き上げた。
「……っ!」
舞い上がる土煙。
その奥で。
何かが、ゆっくりと立ち上がった。
人ではない。
人の形をしているのに、人間とは決定的に違う。
異形の身体。
獲物を高所から見定める鳥を思わせる怪人。
東の喉が鳴った。
「怪人……」
あの日に遭遇した、セミの幼虫を思わせる怪物とは違う。
だが。
分かる。
こいつも同じだ。
人間ではない。
怪人は東を見た。
黒い髪。
白い服。
赤いスカート。
一つずつ確かめるように視線を動かす。
そして――
首を傾けた。
その仕草を見た瞬間。
東の中に残っていた最後の希望が消えた。
やはり。
こいつは。
この姿を探していた。
モズキャッチャーが、一歩を踏み出す。
「止まりなさい!」
護衛たちが一斉に姿を現した。
拳銃を構える。
「警察だ! 動くな!」
止まらない。
怪人の視線は、東だけに向けられている。
「止まれ!」
さらに一歩。
「撃て!」
乾いた銃声が連続した。
一発。
二発。
三発。
弾丸がモズキャッチャーの身体へ吸い込まれていく。
確かに命中した。
外してはいない。
なのに。
「……嘘だろ」
護衛の一人が呟いた。
モズキャッチャーは立っていた。
倒れない。
それどころか――まともに怯みすらしない。
怪人は弾丸を受けた場所へ目を落とした。
そして。
まるで服についた埃でも払うように、その場所を手で払った。
「効いて……ない?」
誰かの声が震えた。
拳銃。
警察官にとって、それは最後に頼るべき武器だ。
人間を止めるためなら、十分すぎるほどの力を持つ。
だが。
目の前の存在にとっては――その常識すら通用しない。
モズキャッチャーが動いた。
「東さん!」
速い。
距離が一瞬で消える。
その進路へ、一人の女性が飛び込んだ。
「こっちは通さない!」
先ほど東と話していた女性警察官だった。
迷いなく踏み込む。
拳が走った。
顔面。
続いて腹部。
さらに顎。
速い。
しかも、正確だ。
「ちょっと!」
東が叫ぶ。
「無茶しないで!」
「そうしたいんですけどね!」
モズキャッチャーの腕が薙ぎ払われる。
女性は身を沈めてかわした。
「後ろに東さんがいるんで!」
懐へ潜り込む。
拳を叩き込む。
一発。
二発。
三発。
東は目を見張った。
強い。
ただ腕力があるのではない。
相手の動きを読む。
かわす。
間合いを潰す。
死角へ回り込み、正確に打ち込む。
人間同士の戦いなら。
間違いなく、相当な使い手だ。
だからこそ。
異常さが際立った。
「…………」
効いていない。
拳は当たっている。
攻撃も外していない。
なのに。
モズキャッチャーの身体が、ほとんど揺れない。
「っ!」
女性警察官も気づいた。
素早く距離を取る。
モズキャッチャーが首を傾けた。
次いで。
ゆっくりと片手を上げる。
指先を動かした。
――来い。
そう言わんばかりに。
「…………」
女性警察官の表情が変わった。
「こいつ……」
遊んでいる。
彼女が弱いからではない。
攻撃は届いている。
技術でも、決して一方的に負けてはいない。
それでも。
モズキャッチャーにとって、人間の拳など脅威ですらない。
「舐めるな!」
女性警察官が踏み込んだ。
拳。
蹴り。
回避。
さらに打撃。
その一つ一つは鋭い。
それでも、怪人は倒れない。
やがてモズキャッチャーが、無造作に腕を振った。
「っ!」
女性警察官は咄嗟に両腕で受けた。
次の瞬間。
身体が宙へ浮いた。
「――っ!」
数メートル先まで弾き飛ばされ、地面を転がる。
「大丈夫!?」
「……っ、平気です!」
すぐに身体を起こす。
立てる。
まだ戦える。
だが。
モズキャッチャーは、もう彼女を見ていなかった。
まるで。
遊びに飽きた子供のように。
その視線が再び東へ向けられる。
「……やっぱり」
東は息を呑んだ。
「私が目的なのね」
モズキャッチャーが踏み込む。
「東さん、下がって!」
護衛たちが拳銃を撃つ。
銃声。
銃声。
銃声。
何発もの弾丸が怪人へ命中する。
それでも。
止まらない。
「くそっ!」
「効かない!」
モズキャッチャーが迫る。
東はケースを開いた。
白目博士から渡された特殊銃。
まだ一度も怪人へ撃ったことのない武器。
『使ったら、結果を教えて』
「博士……」
東は銃を構えた。
照準を合わせる。
怪人が迫る。
「これでダメだったら――」
指を引き金へ。
「本気で恨むからね!」
撃った。
通常の拳銃とは明らかに違う轟音が響く。
反動が東の腕を跳ね上げた。
弾丸が。
モズキャッチャーを捉える。
「――!」
怪人の身体が大きく揺れた。
足が止まった。
「……効いた?」
東自身が、最も驚いていた。
倒れてはいない。
致命傷どころか、深い傷を負わせたようにも見えない。
それでも。
違った。
拳銃を何発撃ち込まれても意に介さなかった怪人が。
初めて、人間の攻撃で明確に怯んだ。
モズキャッチャーが東を見る。
いや。
違う。
見ているのは――銃だ。
それまで遊ぶように人間たちを眺めていた怪人の態度が変わった。
警戒している。
「もう一発……!」
東が再び銃を構えた。
その瞬間。
モズキャッチャーが大きく後方へ跳んだ。
「逃げる!」
「追うな!」
制止の声が飛ぶ。
怪人は建物の壁を蹴り、高所へ跳び上がる。
さらに屋根へ。
そして。
夜の街へ、その姿を消した。
◇
あとに残ったのは。
奇妙なほどの静寂だった。
誰も、すぐには動けない。
護衛たちは手にした拳銃を見つめていた。
何発撃ったのか。
確かに当てた。
それでも。
ほとんど意味がなかった。
「……何なんだよ、あれ」
誰かが呟いた。
答えられる者はいない。
東は自分の手元へ視線を落とした。
白目博士の特殊銃。
これだけが。
あの怪人に明確な反応を起こさせた。
「大丈夫?」
東は女性警察官のもとへ駆け寄った。
彼女は片腕を押さえていた。
「ええ。なんとか」
「病院には行って」
「これくらいなら」
「行って」
「……はい」
女性警察官は苦笑した。
少し間を置いてから。
「でも……参りました」
「何が?」
「こっちは本気だったんですけどね」
彼女は、モズキャッチャーが消えた方向を見る。
「あいつ、最後まで私とは戦ってなかった」
東は何も言えなかった。
「遊ばれてました」
悔しさが滲んでいた。
けれど。
それは自分の技量に対する言い訳ではなかった。
彼女の拳は当たっていた。
攻撃をかわしてもいた。
技術が通用しなかったのではない。
もっと根本的な部分。
身体そのものが違う。
人間と怪人。
その差が。
あまりにも大きい。
東は特殊銃を見つめた。
怪人はいる。
もう、間違いない。
今日ここにいた全員が目撃した。
映像も残っている。
複数の証言者もいる。
東が求め続けていたもの。
怪人が実在するという証拠は――手に入った。
なのに。
達成感など、どこにもなかった。
代わりに突きつけられたのは。
もっと大きな問題だった。
警察の拳銃は、通用しない。
鍛え上げた人間の身体も、怪人には届かない。
そして。
白目博士が作った特殊銃で。
ようやく。
怯ませることができた。
ただ、それだけだ。
「…………」
東は銃を握り締める。
これまで。
怪人の存在を証明することばかり考えていた。
証明さえできれば。
警察を動かせる。
怪人事件に対応する組織を作れる。
そう思っていた。
だが。
違った。
存在を認めることと。
戦えることは。
まったく別の話だ。
「これが……」
東は顔を上げた。
怪人が消えていった夜空を見つめる。
「怪人と戦うってことなのね」
人間は。
ようやく、怪人の存在を捉えた。
だが。
怪人と戦うための力は。
まだ――
足りなかった。
――つづく
――――――――――
※本作は、作者が物語のストーリー、世界観、キャラクター、設定、展開を考案し、AIとの対話を通じて文章の整理・推敲・執筆補助を行いながら制作しています。
物語の方向性、設定、展開、および最終的な内容の判断は作者自身が行っています。
本作では「人間とAIが協力して、一つの物語を作る」という創作の形にも取り組んでいます。
※本作品は「カクヨム」「小説家になろう」の両サイトに掲載しています。




