第1話 一家惨殺
第1話 一家惨殺
朝の予定が十分遅れる頃になっても、屋敷からは誰も出てこなかった。
迎えに来た運転手は、最初のうちは急な予定変更でも入ったのだろうと思っていた。相手は警察上層部に籍を置く人物で、先日は怪人事件について開かれた記者会見にも出席している。予定が直前で変わることなど珍しくはない。
それでも、連絡の一つくらいはあるはずだった。
本人の携帯電話へかけても応答がない。秘書を通して確認しても同じだった。自宅の固定電話にも誰も出ず、屋敷にいるはずの使用人へ連絡を取ろうとしても、一人としてつながらない。
そこまで重なると、さすがに予定変更では済まなかった。
「……おかしいな」
運転手は車を降り、門の脇にあるインターホンを押した。
呼び出し音だけが鳴る。
しばらく待ってから、もう一度押した。それでも返事はない。
広い敷地の向こうに見える屋敷は、朝だというのに妙に静かだった。カーテンが閉じたままの窓もあれば、わずかに開いている窓もある。外から見れば、取り立てて異常があるようには見えない。
なのに、人の気配だけがなかった。
本人だけならともかく、家族もいる。使用人もいる。朝ならば誰か一人くらい動いていて当然の家だった。
運転手はもう一度携帯電話を取り出した。
今度に限っては、予定の確認ではなかった。
◇
通報を受けた警察官が屋敷へ入り、応援要請を出すまでに、それほど時間はかからなかった。
家の中にいた者は、誰一人生きていなかった。
警察幹部本人。その家族。まだ三歳にも満たない幼い子供。そして、その時間に屋敷で働いていた使用人たち。
全員が死亡していた。
事故ではない。
心中でもない。
遺体には明らかな外傷があり、室内には抵抗したとみられる形跡も残っていた。誰か、あるいは何かが、この家の中にいた人間を一人残らず襲った。
殺人事件。
そこまでは、現場に入った捜査員たちの間でも早い段階で認識が一致した。
だが、そこから先になると、急に何も分からなくなった。
「……凶器は?」
「まだ見つかっていません」
現場を指揮する捜査員が眉を寄せた。
「傷を見る限り、刃物じゃないのか?」
「そう見えるものもあります。ただ……全部を同じ凶器で説明するのは難しいです」
「どういう意味だ?」
報告をしていた捜査員は、一度手元の資料へ目を落としてから答えた。
「切創に近く見えるものもあれば、強い衝撃を受けたように見えるものもあります。ただ、まだ検視の途中です。現時点で何を使ったと断定できる状態ではありません」
傷はある。
殺されたことも分かる。
それなのに、何を使って殺したのかが見えてこない。
刃物なのか。鈍器なのか。銃器なのか。それとも別の何かなのか。
しかも、肝心の凶器そのものが屋敷のどこからも見つからない。
「侵入経路は?」
「そちらも、まだです。玄関や勝手口に目立った破壊はありません。窓も、少なくとも外から無理やりこじ開けたようには見えません」
「防犯カメラは?」
「確認中です」
「犯人の足跡は?」
「特定できていません」
有力な指紋もない。犯人のものと断定できる遺留品もない。
これだけの人数を殺した者が、確かにこの家の中にいたはずだった。
それなのに、その者へつながる痕跡だけが、不自然なほど薄い。
現場には被害だけが残り、加害者の姿だけがきれいに抜け落ちているようだった。
「ここまでやって……何も残してないのか」
誰かが低く呟いた。
返事をする者はいなかった。
相手が極端に用心深い人間なのか。それとも、自分たちがまだ想定していない方法を使ったのか。
その時点では、どちらとも言えなかった。
◇
事件は、その日の昼には全国ニュースで大きく報じられていた。
『今朝、警察幹部の自宅で、本人と家族、使用人ら複数名が死亡しているのが発見されました』
テレビ画面には、規制線の向こうにある屋敷が映っている。門の前には複数の警察車両が停まり、道路の反対側には報道陣が集まっていた。
『死亡した中には三歳未満の幼児も含まれているということです。警察は殺人事件として捜査を進めています』
映像がスタジオへ切り替わる。
『捜査関係者によりますと、複数の遺体には外傷が確認されていますが、現在までに凶器は特定されていません。また、犯人につながる有力な遺留物についても、現時点では確認されていないということです』
司会者が沈痛な表情で隣の解説者へ向き直った。
「本人だけではなく、ご家族や使用人の方まで被害に遭っているということですが、やはり強い恨みを持った人物による犯行なのでしょうか」
「その可能性は当然考えられます。被害者本人だけが狙われたのではなく、屋敷にいた人たち全体へ被害が及んでいる。非常に強い怨恨が背景にあると考えるのは、不自然ではありません」
そこで解説者は、一度言葉を切った。
「ただ、今はもう一つ、以前なら考慮されなかった可能性があります」
「怪人、ですね」
「はい」
画面の下に、新しい字幕が表示された。
《強い怨恨か 怪人関与か 両面から捜査》
「怪人の存在は、すでに警察自身が公表しています。今回の事件には、凶器が特定できない、侵入経路が分からない、犯人につながる痕跡が非常に少ないといった、通常の犯罪だけでは説明しにくい点があります。もちろん、それだけで怪人の犯行とは言えません。しかし、最初から可能性を排除することもできないでしょう」
『警察は、被害者に強い恨みを持つ人物による犯行と、怪人が関与した事件の両面から捜査を進めています』
少し前までなら、殺人事件のニュースに「怪人」という言葉が並ぶこと自体なかった。
怪人の存在を主張すれば、証拠を求められ、信じてもらえず、現場から上がった報告すらまともに扱われないこともあった。
だが、その時代はもう終わっている。
怪人はいる。
その事実は、警察自身の口から世間へ公表された。
だからこそ、今度は逆に慎重さが必要だった。
説明のつかない事件だから怪人だ、と決めつけることもできない。
怪人らしい証拠がないから人間の犯行だ、と切り捨てることもできない。
両方を調べる。
ようやく警察は、その当たり前のところから捜査を始めるようになっていた。
◇
CASHにも、事件発覚からそれほど時間を置かずに資料が送られていた。
テレビの速報を見てから初めて現場の存在を知り、後から情報をかき集める。そんなことを繰り返していた頃とは違う。
捜査本部が立ち上がるのとほぼ同時に、怪人関与の可能性がある案件として現場資料が共有されている。
東は端末に表示された報告書へ目を通しながら、向かいのシラメ博士へ視線を向けた。
「どう見ます?」
「まだ何とも言えないよ」
シラメ博士は椅子の上で身を乗り出し、モニターに並んだ資料を次々に切り替えていった。
屋敷の見取り図。現場写真。出入りが可能な場所。検視途中の報告。防犯設備の配置。
ひと通り眺めてから、小さく首を傾げる。
「怪人じゃないとは言えない。でも、怪人だって言えるものもないね」
「傷は?」
「変ではあるよ。ただ、変だから怪人、って決め始めたら、そのうち何でも怪人事件になっちゃうでしょ。人間だって変な殺し方くらいするし」
「そうですね」
東も頷いた。
怪人が実在すると世間に知られたからといって、人間による犯罪がなくなったわけではない。分からないことをすべて怪人のせいにすれば、今度は別の意味で捜査を誤る。
「通常の殺人事件としての捜査は、捜査本部に任せます。ただし、怪人の線が残っている以上、こちらも最初から入ります」
「誰を出す?」
「川出」
答えは早かった。
尾行、潜入、追跡。正面から怪人と殴り合うだけがCASHの仕事ではない。相手がまだ見えていない今のような状況なら、川出の経験が一番生きる。
「一般隊員を二人つけます。現場と捜査本部、両方から情報を取ってください」
「了解」
川出はすでに席を立っていた。東の判断を予想していたのか、上着を手に取る動きにも迷いがない。
「何か見つけたら?」
「怪人に関係しそうなものなら、こちらの判断を待たずに共有してください。現場の情報が途中で止まって、動くべき時に動けなかったことは、もう繰り返しません」
「分かった」
川出が一般隊員二人とともに部署を出ていく。
怪人と確定してから動くのでは遅い。
怪人かもしれない。その段階で、少なくとも情報だけは同時に取りに行く。
結果として人間による殺人事件だったのなら、それでいい。
本当に怪人事件だった時、また一歩目から遅れる方が問題だった。
前までなら、そこへたどり着くまでにもっと時間がかかっていた。
今は違う。
失敗した分だけ、少なくとも動き方は変わり始めていた。
◇
川出たちが捜査へ出た後も、部署の空気は重いままだった。
テレビでは何度も、同じ屋敷と規制線が映されている。
『死亡した警察幹部は、先日行われた怪人事件に関する記者会見にも出席していました』
画面が以前の会見映像へ切り替わる。
壇上には三人の上層部が並んでいた。
そのうちの一人が、もう死んだ。
「……上の連中には、言いたいことはいくらでもあるけどな」
ニシがテレビから目を離さないまま呟いた。
「だからって、子供まで殺していい理由にはならねえだろ」
誰も反論しなかった。
南浦も、北山も、東も黙ったままだった。いつもなら何かしら口を挟みそうなシラメ博士も、今回は何も言わない。
死亡した本人とCASHの間に、何もなかったわけではない。
現場の報告を信じようとしなかった上層部。怪人の存在を認めず、その結果として情報共有が遅れ、被害を大きくしてきた判断。その責任を巡って、少し前には真正面から激しくぶつかったばかりだった。
腹に据えかねるものは、今も残っている。
だが、それと一家が殺されたことは別だった。
本人にどれほど恨みを持つ者がいたとしても、家族や使用人まで殺す理由にはならない。まして、まだ三歳にもならない子供まで巻き込まれている。
「北山、ニシ、南浦」
東が静かに呼びかけた。
三人が振り返る。
「装備を確認しておいてください。川出から何か出れば、すぐに動けるように」
「怪人だと思ってるのか?」
北山が聞いた。
「分かりません」
東は迷わず答えた。
「分からないから、準備します」
それだけで十分だった。
北山は短く頷き、席を立った。ニシも黙って後に続き、南浦はライフルケースの方へ目を向ける。
誰も、今すぐ戦闘になるとは思っていない。
それでも、必要になってから準備を始めるつもりもなかった。
◇
夕方になって、川出から最初の報告が入った。
『今のところ、怪人がやったと直接示せるものは見つかってません』
東は端末を耳元へ寄せた。
「捜査本部の見方は?」
『怨恨が本線。ただ、怪人の線も切ってない。上からも両方調べろって話になってます』
「それで?」
通信の向こうで、川出がわずかに間を置いた。
『……変なんですよ』
「何が?」
『人をこれだけ殺してるのに、犯人がいた痕跡が少なすぎる』
そばにいたシラメ博士が反応し、東の端末へ顔を寄せた。
「侵入経路は?」
『まだ分からない。捜査本部も同じところで止まってる。玄関や窓を壊して入った感じじゃないし、防犯設備も今のところ決め手なし』
「目撃者は?」
『有力なのはなし。周辺も当たってるけど、夜中に大人数が出入りしたとか、妙な奴を見たって証言も出てない』
「凶器は?」
『それもまだ』
シラメ博士は少しだけ眉を寄せた。
「じゃあ、まだ何も決めない方がいいね」
『俺もそう思います。怪人っぽいってだけで寄せると、見落とすかもしれない』
「うん。人間の線もそのまま見て」
『了解』
通信が切れた。
結局、その日のうちに犯人へつながる有力な証拠は見つからなかった。
夜になっても、テレビでは昼と同じ屋敷が映し出されている。
『警察は、強い怨恨を持つ人物による犯行と、怪人が関与した事件の双方を視野に捜査を続けています』
誰がやったのか。
どうやって屋敷へ入り、何を使って、家にいた者全員を殺したのか。
そして、なぜ一人も残さなかったのか。
人間がやったのか、怪人がやったのか。その最初の分かれ道さえ、まだ見えていない。
この時点では、それはただ一件の凄惨な殺人事件だった。
まだ、一件だった。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




