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第44話 黒衣と流星

 整備棟の奥には、普段は生徒が入れない部屋がある。


 魔導兵装の調整室。


 壁には遮断結界。


 床には固定術式。


 中央には、大型の作業台と、複数の魔導炉。


 その部屋で、リオネル・バスクは上機嫌だった。


「よし、仕上がった」


 作業台の上に置かれていたのは、《黒鳴》ではない。


 衣服だった。


 黒を基調にした戦闘服。


 上は身体に沿うよう仕立てられた黒いスーツ型。


 襟元は高く、内側には薄い導魔繊維。


 袖口、肩、腰、背中に細かな刻印が走っている。


 その上に羽織るのは、膝下まで届く黒いロングコート。


 外套というより、軍装に近い。


 ただし、通常の軍服よりもずっと静かで、鋭い印象がある。


 黒雷を受けるための導雷刻印。

 反動を逃がすための背面回路。

 鞘を固定する腰部補助具。

 踏み込み時の衝撃を逃がす裾裏の魔導糸。


 すべてが、ロイのために調整されていた。


 ミナは作業台の上の戦闘着を見て、目を丸くした。


「うわ……かっこいい」


 ヴァルターも素直に頷く。


「確かに、見栄えはいい」


 リアナは細部の刻印を見ていた。


「見栄えだけではないわね。かなり実戦用に作られている」


 フィオナも興味深そうに裾の内側を見る。


「導魔糸の編み方が特殊ですね。衝撃分散と、魔力流の補助を兼ねているのかしら」


 リオネルは得意げに胸を張る。


「分かってるじゃないか。そいつは境界戦闘用の黒雷対応服だ。雷を外へ逃がしすぎず、内側に溜めすぎず、鞘と身体を繋ぐ。抜雷の反動も多少は散らせる」


 エルナ教官が腕を組んで言う。


「多少か」


「完全に逃がしたら技にならん。反動も力のうちだ」


 ロイは戦闘着を見下ろしていた。


「前のより長い」


「ああ。コートだからな」


「必要か」


「必要だ」


 リオネルは即答した。


 ロイが見る。


「何に」


 リオネルは一拍置いて、堂々と言った。


「かっこいい」


 整備室が静かになった。


 ミナが吹き出した。


「そこ!?」


 ヴァルターが眉を寄せる。


「実用性ではなく?」


「実用性もある。だが、最後の決め手はかっこいいからだ」


 リオネルはまったく悪びれない。


「いいか、戦場で名が通る奴は見た目も大事だ。黒雷が黒い刀持ってるんだぞ? 黒いロングコート羽織らせるに決まってるだろ」


 エルナ教官が呆れたように言う。


「趣味全開じゃないか」


「趣味と実用は両立する」


 リオネルは胸を張る。


「それに、ロイは放っておくと地味な装備を選ぶ。機能だけで選ぶ。だがな、こいつは境界名簿第二十七席《黒雷》だ。多少は見た目で圧を出せ」


 ロイは少し考えた。


「圧は必要か」


「必要だ。敵にも味方にもな」


 セレスが横から言った。


「それは否定できない。戦場で一目見て誰か分かることには意味がある」


 ロイはセレスを見る。


「セレスもそう思うのか」


「思う。私の蒼刃も同じだ。名と姿が一致すれば、兵は動きやすい」


 リオネルが満足げに頷く。


「ほら見ろ。つまり、かっこいいことには意味がある」


「そこまでは言っていない」


 セレスが冷静に返した。



 ロイは戦闘着に着替えた。


 黒いスーツ型の戦闘服は、彼の身体にぴたりと合っていた。


 無駄な緩みがなく、動きを妨げない。


 その上から黒いロングコートを羽織る。


 腰には《黒鳴》。


 鞘の固定具が、コートの内側で自然に収まる。


 ロイが一歩動くと、裾が静かに揺れた。


 派手ではない。


 だが、目を引く。


 黒雷の名と、黒い刀と、黒い外套。


 それらが一つに繋がったようだった。


 ミナが小声で言う。


「……似合いすぎでは?」


 フィオナが柔らかく笑う。


「ええ。少し驚いたわ」


 リアナはしばらく黙っていた。


 それから、視線を逸らしすぎないようにしながら言う。


「実戦用としても、かなり良さそうね」


 ミナが横から小声で囁く。


「感想そこ?」


「そこよ」


「本当に?」


「本当に」


 ヴァルターは真面目にロイを見ていた。


「以前より、境界軍の人間という印象が強いな」


 ロイは自分の袖口を確認する。


「動きやすい」


 リオネルは満足そうに頷いた。


「だろう。見た目だけじゃない。肩の導雷線は抜刀時の反動逃がし。背面回路は黒雷纏歩の補助。裾裏の糸は高速移動時にコートが暴れないよう制御する」


「なら、長い意味はある」


「最初からそう言ってる」


「かっこいいとも言った」


「それが一番大事だ」


 リオネルは譲らなかった。


 セレスは少しだけため息をつく。


「任務前に騒がしいな」


「任務前だからだ。装備は気分も上げる」


 リオネルはロイの背中を軽く叩いた。


「よし。これで北西境界へ出ても恥ずかしくない」


「恥ずかしいかどうかは関係ない」


「ある」


「そうか」


 ロイはそれ以上言わなかった。



 戦闘着の簡易試験は、第二演習場で行われた。


 黒雷は使わない。


 雷属性の身体補助のみ。


 ロイは軽く踏み込み、反転し、抜刀寸前で止める。


 コートの裾は暴れなかった。


 遅れて、黒い布が静かに流れる。


 肩の導雷線が青白く一瞬だけ光り、すぐに消えた。


 リオネルが記録板を見る。


「反動分散良好。腰部固定も問題なし。鞘との接続も安定」


 エルナ教官が腕を組んで見る。


「悔しいが、いい出来だ」


「悔しがる必要あるか?」


「お前が調子に乗るからだ」


 ミナはロイの動きを目で追いながら言う。


「ロイ、いつもよりさらに速く見える」


 カイルが答える。


「装備が動きを邪魔していない。それどころか、動作後の揺れが減っている」


 ユリウスも頷く。


「見た目の印象だけでなく、兵装として完成度が高い」


 リオネルは得意げに笑う。


「もっと褒めていいぞ」


 シオンがぼそりと言う。


「調子に乗るからやめた方がいい」


 リオネルは胸を押さえた。


「冷たいな、学院の影の子」


 シオンは無表情だった。



 試験が終わりかけた頃。


 空が赤く光った。


 最初に気づいたのはセレスだった。


 彼女が顔を上げる。


 次にロイ。


 そのあと、境界軍の兵士たち。


 学院の生徒たちは、少し遅れて異変に気づいた。


 青空の高い場所。


 そこに、赤い尾を引く光があった。


 流星のようだった。


 だが、夜ではない。


 昼の空を、真紅の火線が走っている。


 光はまっすぐではなく、大きな弧を描いていた。


 遠くから放物線を描き、学院へ向かって落ちてくる。


 ミナが目を見開く。


「え、流れ星?」


 ヴァルターが即座に首を振る。


「昼だぞ」


 リアナの表情が強張る。


「落ちてきている……!」


 エルナ教官が叫んだ。


「全員、下がれ!」


 境界軍の兵士たちが一斉に動く。


 セレスが蒼刃へ手をかける。


 リオネルは目を細めた。


「あー」


 妙に納得した声だった。


 ロイが言う。


「レオナか」


 その名を聞いた瞬間、リオネルが頭を抱えた。


「来るなら門から来いって毎回言ってるんだがな!」


 赤い光がさらに近づく。


 熱が届く。


 空気が震える。


 学院の結界が自動起動し、半透明の膜が空に広がった。


 だが、赤い流星は速度を落とさない。


 むしろ、着地寸前で炎を広げた。


 巨大な真紅の剣影が、空中に現れる。


 炎でできた大剣。


 それを地面へ突き立てるように、流星が落ちた。


 轟音。


 第二演習場の端、空き地に赤い火柱が立つ。


 衝撃波が広がり、結界が揺れる。


 生徒たちの髪が後ろへ流れる。


 土煙と火の粉が舞った。


 だが、不思議なことに、周囲は燃えていない。


 熱は強い。


 しかし、制御されている。


 炎の中心に、人影が立っていた。



 火柱が割れる。


 そこから現れたのは、一人の女性だった。


 背は高い。


 燃えるような赤い髪を高く結び、黒と赤の境界軍戦闘服を着ている。


 肩には短い外套。


 腰には武器がない。


 だが、右手には真紅の炎が集まり、巨大な剣の輪郭を作っていた。


 炎帝剣。


 それは武器というより、彼女の魔力そのものだった。


 彼女は周囲を見回し、満面の笑みを浮かべた。


「着いた!」


 エルナ教官が額に手を当てる。


「着いた、じゃないだろ……」


 セレスは冷静に言った。


「第十一席」


 炎の女性は、ぱっとセレスを見る。


「お、セレス! 久しぶり!」


「学院の敷地に隕石のように落ちてくるなと、以前も言ったはずですが」


「燃やしてないからいいだろ!」


「よくありません」


 リオネルがため息をつく。


「レオナ、お前な。門があるだろ、門が」


 女性はリオネルを見て、豪快に笑った。


「リオネル! 相変わらずごちゃごちゃ着込んでるな!」


「お前は相変わらず雑に飛んでくるな!」


 ミナがぽかんとしている。


「あの人が……」


 カイルが低く言った。


「第十一席」


 ユリウスも息を呑む。


「《炎帝剣》レオナ・ヴァーミリオン……」


 レオナはその名に反応したように、胸を張った。


「そう! 境界名簿第十一席、《炎帝剣》レオナ・ヴァーミリオン!」


 真紅の炎剣が、彼女の右手で大きく揺れた。


「ロイに会いに来た!」



 ロイは演習場の中央に立っていた。


 黒いスーツ型戦闘服。


 黒いロングコート。


 腰には《黒鳴》。


 レオナは彼を見つけると、目を輝かせた。


「おお!」


 次の瞬間、彼女は一直線に駆けてきた。


 速い。


 炎を蹴り、地面を爆ぜさせずに加速する。


 生徒たちが反応するより早く、彼女はロイの前に立っていた。


 そして、遠慮なく背中を叩いた。


「ロイ! 久しぶりだな!」


 重い音がした。


 ミナが顔を引きつらせる。


「今の、普通の人なら倒れてない?」


 ヴァルターが頷く。


「たぶん」


 ロイは少しだけ揺れたが、倒れなかった。


「久しぶりだ」


「その格好、いいじゃないか! 黒くて強そうだ!」


 リオネルが即座に言う。


「俺の設計だ」


「だろうな! 趣味が出てる!」


「褒めてるか?」


「褒めてる!」


 レオナはロイのコートを見て、満足そうに頷いた。


「うん、いい。黒雷には黒い外套だな。分かりやすい!」


 ロイは淡々と言った。


「かっこいいらしい」


「かっこいいぞ!」


「そうか」


 その会話を見て、ミナは小声で言う。


「ロイが押されてる……」


 リアナも珍しく驚いていた。


「第十一席、距離が近いわね」


 フィオナは微笑みながら観察している。


「明るい方ね」


 セレスは冷静に訂正した。


「明るすぎる方です」



 レオナはようやく周囲の生徒たちへ目を向けた。


「お、学院生か! ロイの同級生たちか?」


 ミナが背筋を伸ばす。


「は、はい! ミナ・ロウです!」


「元気がいいな!」


 レオナは笑う。


「水か?」


「はい!」


「いいぞ。火の後始末には水がいる!」


 ミナは返答に困った。


 フィオナが柔らかく礼をする。


「フィオナ・アルベールです。総合序列第二位を務めています」


「支援役か。いいな。支援役が強い部隊は死ににくい!」


 フィオナの目が少しだけ和らぐ。


「ありがとうございます」


 リアナも名乗った。


「リアナ・セレストです」


「氷と風だな!」


「分かるのですか」


「なんとなく!」


 セレスが横から言った。


「彼女のなんとなくは、たまに当たります」


「たまにじゃない。けっこう当たる」


 レオナは笑いながら、ヴァルターやユリウスたちにも次々声をかけていった。


 距離が近い。


 声が大きい。


 だが、不思議と嫌な圧ではない。


 太陽のような熱。


 ただし、近づきすぎれば焼かれる。


 そんな印象だった。



 学院長も駆けつけた。


 表情はかなり険しい。


「レオナ殿」


「おお、学院長! 急に来て悪い!」


「本当に急ですな」


「北西境界の件で近くまで来ていた。ロイがいると聞いたから、先に顔を出した!」


 学院長は深く息を吐いた。


「次からは正門を通っていただきたい」


「分かった!」


 セレスが即座に言う。


「絶対に分かっていません」


「分かってるって!」


 リオネルがぼそりと言う。


「次も空から来るに賭ける」


「私もそう思います」


 セレスが答えた。


 レオナはまったく気にしない。


「それで、ロイ。北西境界へ行くんだろ?」


「ああ」


「私も後続候補に入った。反応が上がれば出る」


「聞いた」


「なら安心しろ。燃やす時は呼べ!」


「燃やしていい相手なら」


「そこは大事だな!」


 レオナは豪快に笑った。


 その一言で、ガレスが強く反応した。


 燃やしていい相手なら。


 炎の第十一席が、それを当然のように言った。


 火力があるから燃やすのではない。


 燃やしていいかを判断する。


 ガレスは無意識に拳を握った。


 レオナがそれに気づく。


「お前、炎だな」


 ガレスは姿勢を正す。


「三年、ガレス・ロウガンです」


「いい目をしてる。だが、肩に力が入りすぎだ!」


 レオナは近づき、また背中を叩いた。


 ガレスが一歩前へよろめく。


「っ……!」


「炎は怒りで大きくなるが、怒りだけだと雑になる。燃やすなら、笑って燃やせ!」


 ガレスは一瞬、理解できない顔をした。


「笑って……?」


「そうだ! 自分で火に呑まれるな。火を連れていけ!」


 レオナは真紅の炎を指先に灯す。


 それは大きくも荒くもない。


 小さく、明るく、綺麗に揺れていた。


「火は怖い。だが、怖いだけじゃない。道を照らす。冷えた身体を温める。敵を止める。味方を守る。全部できる」


 ガレスはその炎を見つめた。


「……はい」


「よし! 今度少し見てやる!」


 ガレスの目が見開かれる。


「本当ですか」


「本当だ!」


 境界軍の兵士が横から言った。


「ガレス。生き残れ」


「はい」


 ミナが小声で言う。


「ガレス先輩、また濃い先生が増えたね」


 ヴァルターが頷く。


「羨ましいような、恐ろしいような」



 その後、レオナは短時間だけ学院長室へ向かうことになった。


 正式な協議ではない。


 だが、第十一席が来た以上、何も話さず帰すわけにはいかない。


 去り際、レオナはロイへ振り返った。


「ロイ!」


「何だ」


「黒鳴、ちゃんと見せろよ。あの角を折った時より、今の方が似合ってるか見てやる」


「意味が分からない」


「分かれ!」


 リオネルが笑う。


「俺は分かるぞ」


「お前の趣味だろ」


 ロイが言う。


「そうだ」


 リオネルは即答した。


 レオナはまた笑い、学院長室へ向かっていった。


 彼女が歩くたび、足元に小さな火の粉が散る。


 しかし、床は焦げない。


 完全に制御された炎。


 ただ明るく、熱い。


 それだけで、彼女が第十一席である理由の一端が見えた。



 夕方の第二演習場は、しばらくざわめきが収まらなかった。


 昼の空を流星のように飛んできた第十一席。


 真紅の炎帝剣。


 ロイの黒い戦闘着。


 黒鳴の整備。


 北西境界への調査。


 学院の日常に、境界の上位者たちが次々と入り込んでくる。


 ミナはまだ空を見上げていた。


「本当に空から来たね……」


 フィオナが微笑む。


「魔力で飛行しているというより、炎で自分を射出していたように見えたわ」


「射出……」


 リアナは真剣に言う。


「放物線を描いていた。途中で何度か炎を噴かせて軌道修正していたわね」


 ヴァルターが額に手を当てる。


「人間の移動方法ではない」


 カイルが苦笑する。


「境界名簿第十一席だからね」


 ユリウスは静かに言った。


「彼女を見て、また一つ分かった」


「何が?」


 ミナが聞く。


「上位序列者は、強さの形だけでなく、存在そのものが戦場に影響する」


 その言葉に、周囲が少し黙る。


 レオナが来ただけで、空気が変わった。


 明るくなった。


 熱を帯びた。


 怖さもあるのに、どこか前を向かされる。


 それもまた、強さなのだろう。



 ロイは演習場の端で、黒いコートの裾を軽く払った。


 まだ慣れない。


 だが、動きに支障はない。


 リオネルが横で満足げに言う。


「やっぱり似合うな」


「任務に必要なら着る」


「必要だ。かっこいいから」


「またそれか」


「何度でも言う」


 セレスが横で静かに言った。


「ロイ」


「何だ」


「第十一席が来たことで、北西境界の件は軽くないと学院側にも伝わった」


「ああ」


「明日、正式命令が出る可能性が高い」


「分かった」


 ロイは空を見る。


 赤い流星が通った跡は、もう消えている。


 だが、熱の残り香だけが、どこかにあるような気がした。


 学院に現れた第十一席。


 北西境界で動く外域反応。


 まだ来ていない第十四席。


 そして、黒鳴を整えた新しい戦闘着。


 壁の外へ向かう準備は、ほとんど整いつつあった。


 夜風が黒いロングコートを揺らす。


 ロイは腰の《黒鳴》に手を置き、静かに息を吐いた。


 次は、境界だ。


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