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第43話 招集名簿

 夜の整備棟に、細い金属音が響いていた。


 作業台の上には《黒鳴》。


 黒い刀身と、分解された鞘。


 リオネル・バスクは手甲から伸びる刻印針を操りながら、鞘内の雷導軌条を調整していた。


 かすかな黒い線が浮かび、消える。


 そのたびに、鞘の内側で眠っていた雷の通り道が整えられていく。


 ロイは作業台の向かいに立っていた。


 何も言わず、ただ見ている。


 リオネルは片目の拡大鏡を下ろしたまま、口だけを動かした。


「北西境界の波形、見たか」


「ああ」


「枝にしては妙だ。迷宮核に寄生しただけなら、もっと波が乱れる。今回のは、妙に真っ直ぐだ」


「本体に近いのか」


「かもしれん。あるいは、本体が何かに引かれている」


 リオネルは鞘の中へ細い工具を差し込む。


「中禍で済めばいい。大禍なら面倒。災禍の芽なら、調査隊じゃなく討伐軍を呼ぶ」


 ロイは黙って聞いていた。


 小禍未満。


 学院で出た枝は、そう評価された。


 だが、その根元が外にあるなら、話は変わる。


 リオネルは工具を止めた。


「だから、上も動き始めてる」


「誰が来る」


「正式な派遣はまだだ。だが、招集候補の名簿は出た」


 リオネルは腰帯から薄い金属板を取り出し、作業台へ滑らせた。


 魔力を流すと、文字が浮かぶ。


 境界名簿招集候補。


 第十一席。

 第十四席。

 第十九席。

 第三十一席。

 第七十二席。

 第二十七席。


 ロイの目が、その上位二つで止まった。


「第十一席と第十四席まで動くのか」


「まだ候補だ。だが、名前が出た時点で上はかなり警戒してる」


 リオネルは少しだけ笑う。


「久しぶりに、うるさい女と冷たい女が揃うかもしれんぞ」



 翌朝。


 学院長室の隣、小会議室。


 そこには、学院長、セレス、エルナ教官、術師長、ロイ、リオネルが集められていた。


 生徒代表として、ユリウスとカイルも同席している。


 ただし、二人には一部情報を伏せた形での参加だ。


 机上には、北西境界の地図。


 外域反応の波形記録。


 そして、招集候補者の名が記された書類。


 セレスが説明する。


「北西第三境界線外縁にて確認された反応は、《翠門》深部核片と類似。学院側へ出た枝との関連が疑われます」


 学院長が問う。


「現時点で、壁内への再侵入の兆候は?」


「ありません。ですが、反応源が移動している可能性があります」


 術師長が地図を指す。


「移動方向が壁側へ寄れば、境界軍が封鎖線を上げる必要があります。逆に外域深部へ戻るなら追跡は危険になります」


 リオネルが椅子に雑に腰かけながら言う。


「だから、最初の調査隊が重要だ。何なのかを見る。枝なのか、種なのか、巣なのか。そこを間違えると、後続が死ぬ」


 ユリウスの表情が硬くなる。


 カイルも静かに聞いていた。


 学院の序列戦で見たものとは違う。


 今ここで話されているのは、実際の境界任務だ。


 セレスは書類をめくった。


「今回、境界側は複数の名簿保持者を招集候補に入れています」


 エルナ教官が眉を上げる。


「ずいぶん大げさだな」


「そう判断するだけの要素があります」


 セレスは一つ目の名を読み上げた。


「境界名簿第十一席、レオナ・ヴァーミリオン。《炎帝剣》」


 その名が出た瞬間、リオネルが肩をすくめた。


「来たら騒がしいぞ」


 学院長が問う。


「炎属性の序列者かね」


「はい」


 セレスが答える。


「自身の魔力で巨大な炎剣を顕現させる、近接殲滅型の序列者です。単純火力、突破力、戦線押し上げ能力に優れます」


 リオネルが補足する。


「性格は強気、声はでかい、笑い方もでかい。だが、火力は本物だ。こいつの《黒鳴》を作る時も、あいつの炎帝剣がなきゃ角の外殻は焼けなかった」


 ロイは何も言わない。


 だが、その沈黙が事実を示している。


 セレスは続けた。


「次に、境界名簿第十四席、イリス・ノクスフィリア。《氷葬》」


 会議室の空気が少しだけ下がった気がした。


 名前だけで、そんな錯覚が生まれる。


「武器は持ちません。完全魔法特化。大規模凍結魔法による広域封鎖、進行停止、環境固定を得意とします」


 カイルが静かに問う。


「セレス隊長の蒼刃とは違うのですか」


「違います」


 セレスは即答した。


「私の蒼刃は、斬撃と境界線による制圧。線で切り、流れを止める。イリスは面で凍らせる。場そのものを凍結し、動くことを許さない」


 リオネルが苦い顔をする。


「あいつが来ると、工房の油まで凍る。無表情で『問題ありません』とか言うが、問題しかない」


 エルナ教官が少し笑った。


「ずいぶん濃い連中だな」


「境界名簿の上位は、大体濃い」


 リオネルは平然と答えた。



 セレスはさらに名を読み上げる。


「境界名簿第十九席、グレン・バルドハイム。《砦槍》」


 ユリウスが反応した。


「その名は聞いたことがあります。北方防衛線で十年以上指揮を取っている方では」


「はい。三十代後半。槍と防壁術を併用する防衛指揮官です。個人戦闘力も高いですが、真価は部隊を崩さないことにあります」


 リオネルが頷く。


「グレンのおっさんは堅いぞ。人も、槍も、守りも。怒ると静かに怖い」


 エルナ教官がリオネルを見る。


「お前が三十代後半をおっさん呼ばわりするのか」


「俺より上なら大体おっさんだ」


「雑だな」


 セレスは淡々と次へ進める。


「第三十一席、オルド・ガイゼル。《老狼》」


 その名には、会議室の空気が少し重くなった。


「五十代後半。元外域遊撃隊長。現在は後進育成と特殊追跡任務を担当しています。魔力痕跡の追跡、撤退路確保、負傷者回収、長期外域行動に長けています」


 リオネルも、今度は軽口を抑えた。


「オルド爺さんは、派手じゃない。だが、あの人がいると帰還率が上がる。境界じゃ、それが一番怖い強さだ」


 ロイが短く言った。


「足跡を消しても追ってくる」


 セレスが頷く。


「外域で見失った部隊を三日後に回収した記録があります」


 カイルは小さく息を呑んだ。


「倒す強さではなく、帰す強さ……」


「そうだ」


 セレスの声は静かだった。


「境界名簿は、単純な撃破力の表ではない」


 ユリウスはその言葉を深く受け止めていた。


 学院総合第一位。


 その彼でさえ、知らない強さがまだ多すぎる。



 最後に、セレスはロイとリオネルの名を確認した。


「第七十二席《百装鍛冶》リオネル・バスク。第二十七席《黒雷》ロイ・オルディス。現地初動調査は、この二名を中心に編成される可能性が高い」


 学院長がロイを見る。


「出発はいつになる」


「最短で二日後です」


 セレスが答えた。


「ただし、第十一席、第十四席、第十九席、第三十一席はすぐに合流するとは限りません。反応規模が上がった場合、段階的に投入されます」


 エルナ教官が腕を組む。


「つまり、最初はロイとリオネルで見に行く。面倒なら上位が来る」


「大まかには」


 リオネルが笑う。


「見に行くだけで済むといいな」


 その言葉に、誰も軽く笑わなかった。



 会議後。


 ユリウスとカイルは廊下へ出て、しばらく無言だった。


 やがて、ユリウスが口を開く。


「学院の上位であることに、誇りはある」


「僕もだ」


 カイルが答える。


「でも、外にはまだ段階がある」


「ああ」


 ユリウスは窓の外を見る。


 第二演習場では、生徒たちが訓練している。


 ミナが水糸を伸ばし、フィオナが見ている。


 ヴァルターが土壁を出し、ダリウスが修正する。


 ガレスが足運びを繰り返す。


 リアナが配置図を広げ、シオンと話している。


「彼らには、どこまで話すべきだろうか」


 カイルが少し考える。


「全部ではなくていい。でも、ロイが境界へ行くことは伝えた方がいい」


「そうだな」


「それに、上位序列者の名が出たことで、学院生たちはまた外の広さを知る」


 ユリウスは苦笑した。


「今年の学院は、ずいぶん外を見せられる」


「悪いことではないさ」


 カイルは静かに言った。


「閉じたままでは、いつか壁の外に飲まれる」



 昼過ぎ。


 第二演習場に、ロイとリオネルが現れた。


 リオネルは朝よりさらに装備が増えていた。


 背中の工具箱に追加の小型炉。


 腰には封鎖杭。


 肩には折り畳み式の補助腕。


 ミナが目を丸くする。


「昨日より増えてる!」


 リオネルは得意げに胸を張る。


「調査仕様だ。見栄えがいいだろ」


「見栄えっていうか、重そう」


「重いぞ」


「そこは否定しないんですね」


 フィオナが微笑みながら言う。


「追加装備の用途は?」


「封鎖、測定、応急修理、逃走補助。あと爆破」


「最後だけ物騒ですね」


「便利だぞ、爆破」


 ミナが小声で言う。


「この人、支援役なのか破壊役なのか分からない」


 リオネルは笑った。


「生き残れば支援だ」


 その言い方に、境界の雑さと合理性が同居していた。



 ロイは第一班と上位者たちへ、簡単に告げた。


「二日後、北西境界へ出る可能性が高い」


 演習場が静かになる。


 ミナが水糸を止めた。


「決まったんだ」


「まだ正式ではない。だが、準備はしている」


 リアナが問う。


「調査任務?」


「ああ」


 ヴァルターが拳を握る。


「僕たちは待機か」


「そうだ」


 ガレスが少し離れた場所から言う。


「外域反応なら、俺たちにはまだ早い。分かっている」


 その声には悔しさがある。


 だが、反発ではない。


 フィオナが静かに言った。


「待つ側にも、できることはあるわ。訓練、記録整理、負傷者受け入れ準備。支援役は特に」


 ミナは頷いた。


「はい」


 ダリウスがヴァルターを見る。


「土で仮封鎖の訓練をしておけ」


「はい」


 シオンがリアナへ言う。


「情報が少ない時の指揮訓練をやる。待機時ほど噂で班が乱れる」


「お願いします」


 ユリウスはロイを見る。


「君が戻るまで、学院側は崩さない」


「頼む」


 その一言に、ユリウスは少しだけ笑った。


「任された」



 リオネルは場の空気が重くなりすぎたのを嫌ったのか、わざと明るく声を上げた。


「せっかくだ。境界名簿の上位連中について、少しだけ話してやる」


 セレスがすぐに釘を刺す。


「機密は避けろ」


「分かってるって」


 生徒たちの目が集まる。


 リオネルは指を一本立てた。


「第十一席《炎帝剣》レオナ・ヴァーミリオン。炎属性の到達点の一人だ。自分の魔力で巨大な炎剣を作る。斬るというより、戦線ごと焼き割る。性格は明るい。強気。勝手に人の背中を叩く。痛い」


 ミナが小さく笑う。


「なんか会ってみたい」


「会ったら分かる。元気すぎる」


 リオネルは二本目の指を立てる。


「第十四席《氷葬》イリス・ノクスフィリア。武器なし。完全魔法特化。喋り方は淡々。顔もあまり動かない。だが、魔法を使うと一面が凍る。セレスの蒼刃が線なら、イリスは面だ」


 リアナが静かに聞いていた。


「面で凍らせる……」


 セレスが補足する。


「彼女は、戦場を止める。敵だけではなく、地形、魔力流、毒霧、炎、崩落。その全てを凍結対象にする」


 ミナの笑みが少し引く。


「規模が違う……」


「違う」


 セレスは短く言った。


 リオネルは三本目の指を立てる。


「第十九席《砦槍》グレン・バルドハイム。三十代後半の防衛指揮官。槍と防壁。部隊を壊さない。怒鳴らないが、命令は重い。あの人が立つと、兵士が退かなくなる」


 ヴァルターが真剣に頷く。


「防衛指揮……」


 リオネルは四本目。


「第三十一席《老狼》オルド・ガイゼル。五十代後半。外域追跡と回収の達人。派手な技は少ないが、外で迷ったらこの人を探せ。見つける前に向こうが見つける」


 カイルが呟く。


「帰還率を上げる序列者か」


「そうだ。生きて戻す強さだな」


 リオネルは最後にロイを見る。


「で、第二十七席《黒雷》。説明いるか?」


 ミナが笑う。


「今さら?」


 ロイは何も言わない。


 リオネルは肩をすくめた。


「まあ、雷を黒くして刀を撃ち出す変な奴だ」


「雑だな」


 ロイが言った。


「合ってるだろ」


「一部だけだ」


 少しだけ、場の空気が緩んだ。



 その後、訓練は再開された。


 だが、内容は少し変わった。


 待機時の動き。


 情報が少ない状態での班維持。


 負傷者受け入れ。


 封鎖具の設置。


 簡易結界の補助。


 境界へ行くのはロイたち。


 だが、学院側も何もしないわけではない。


 ミナはフィオナと支援具の扱いを詰める。


 リアナはカイル、シオンと臨時指揮系統を作る。


 ヴァルターはダリウスから仮封鎖の土壁を学ぶ。


 ガレスは境界軍兵士と、炎で進路を塞ぐ訓練を続ける。


 ユリウスは上級生をまとめ、緊急時の学院内誘導を確認する。


 学院は、待つ準備を始めていた。



 夕方。


 ロイは中庭の端で、演習場を見る。


 セレスが横に立った。


「上位の名を聞いて、折れる者は少なかったな」


「ああ」


「むしろ、火がついた」


「そう見える」


 セレスは少しだけ目を細める。


「悪くない学院だ」


 ロイは短く答える。


「ああ」


 そこへミナが走ってきた。


「ロイ!」


「何だ」


「三本目、少し安定した!」


 彼女は水糸を二本出し、その後に短く三本目を伸ばした。


 ほんの数秒。


 だが、昨日より確かに安定している。


「良くなった」


 ロイが言う。


 ミナは嬉しそうに笑った。


「よし!」


 少し離れた場所で、リアナが配置図を抱えている。


 ヴァルターは土で低い封鎖壁を作っている。


 フィオナは支援役の下級生たちへ声をかけている。


 セレスはそれらを見て、静かに言った。


「君が境界へ行っている間、ここも止まらない」


「その方がいい」


「そうだな」


 夜風が吹いた。


 境界からの招集は、もう近い。


 その向こうには、まだ見ぬ第十一席、第十四席、第十九席、第三十一席の気配がある。


 そして、北西境界の外で蠢く反応源。


 学院の灯りは揺れていた。


 だが、消えてはいなかった。


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