第42話 七十二席の鍛冶師
翌日の午後。
学院正門には、普段とは違う警備が敷かれていた。
境界軍の兵士が二名。
管理局の術師が三名。
学院側からはエルナ教官と数名の教師。
そして少し離れた場所に、ロイとセレスが立っている。
正門へ向かう石畳の道を、生徒たちが遠巻きに見ていた。
掲示では、不要な接触は禁止されている。
だが、見るなとは書かれていない。
境界名簿保持者が来る。
それも、剣士でも魔術師でもなく、鍛冶師。
その噂だけで、学院の空気は少し浮き立っていた。
ミナが中庭側の柵から身を乗り出す。
「どんな人かな」
リアナが隣で注意する。
「近づきすぎないで」
「分かってるって。でも気になるじゃん。名簿持ちの鍛冶師だよ?」
ヴァルターも腕を組んで正門を見ている。
「第七十二席と言っていたな」
カイルが後ろから答える。
「境界名簿に載る時点で、ただの技術者ではないだろうね」
ユリウスも静かに頷く。
「装備で戦う者か。興味深い」
フィオナはミナの横で微笑む。
「支援具や拘束具も作れるなら、私も話を聞いてみたいわ」
ミナが目を輝かせる。
「ですよね!」
シオンがぼそりと言う。
「詮索禁止」
「聞くだけもだめ?」
「相手が勝手に話すなら別」
その言葉に、カイルが苦笑した。
「セレス隊長の話では、勝手に話す人らしいけど」
◇
しばらくして、正門の向こうから金属音が近づいてきた。
馬車ではない。
人の足音。
ただし、普通の足音ではなかった。
かしゃん、かしゃん、と小さな部品が揺れる音。
靴底が石畳を叩くたび、淡い魔力光が足元で弾ける。
現れたのは、背の高い男だった。
年齢は二十代半ばほど。
赤茶色の髪を雑に後ろで結び、片目には小さな拡大鏡のような魔導具を掛けている。
服装は軍装に近いが、まともな制服ではない。
胸当て、肩当て、腰帯、手甲、膝当て、靴、背中の工具箱。
全身に装備が付いている。
しかも、その一つ一つに細かな刻印が刻まれ、魔石や金属片が組み込まれていた。
武器を持っているというより、身体そのものが工房のようだった。
男は正門をくぐるなり、大きく手を上げた。
「よお、ロイ! 生きてるな!」
ロイは短く答える。
「ああ」
「返事が薄い! まあ無事ならいい!」
エルナ教官が眉を上げる。
「ずいぶん賑やかな名簿持ちだな」
セレスが淡々と言う。
「第七十二席、リオネル・バスク。装備技師兼前線戦闘員です」
リオネルは胸に手を当て、わざとらしく礼をした。
「境界名簿第七十二席、《百装鍛冶》リオネル・バスク。ただの鍛冶屋じゃない。殴れる鍛冶屋だ」
ミナが小声で言う。
「なんか思ってたより明るい」
リアナも少し驚いている。
「装備の量がすごいわね……」
ヴァルターは真剣に見ていた。
「全部、魔導具か?」
カイルが答える。
「おそらくね。しかも、どれも戦闘用だ」
◇
リオネルはロイの前まで来ると、まず腰の《黒鳴》を見た。
表情が変わる。
さっきまでの軽い笑みが消え、職人の目になる。
「抜け」
ロイは何も言わず、《黒鳴》を抜いた。
黒い鞘から、静かに刀身が現れる。
周囲の空気がわずかに沈んだ。
刀身は黒い。
だが、ただ黒いのではない。
深い金属光の奥に、雷のような細い筋が眠っている。
リオネルは腰の工具箱から薄い銀板を取り出し、刀身へ近づけた。
銀板に、黒い線が浮かぶ。
「蓄雷炉は安定。導雷刻印も生きてる。鞘内雷導軌条は……おい、また負荷をかけただろ」
ロイは答える。
「抜雷を一度使った」
「一度でこれか。相変わらず扱いが荒い」
「制限した」
「制限してこれだから言ってるんだよ」
リオネルはぶつぶつ言いながら、鞘の側面を指で叩いた。
薄い音。
それを聞いただけで、彼は目を細める。
「亀裂はない。だが、内側の反動逃がしが少しずれてる。境界へ出る前に調整する」
「頼む」
「頼まれなくてもやる。こいつを壊されたら、俺の寝覚めが悪い」
その言い方には、ただの装備以上の感情があった。
ミナが我慢できずに声を漏らす。
「こいつって、黒鳴のこと……?」
リオネルがそちらを見る。
「お、見学組か」
エルナ教官がすぐに言う。
「接触は禁止だ」
「俺が話すのもだめか?」
「内容による」
「じゃあ安全な話だけする」
セレスが少しだけ目を細めた。
「安全な話だけにしろ」
「分かってるって」
リオネルは《黒鳴》を眺めながら、生徒たちへ向けて言った。
「いいか、こいつは普通の刀じゃない。刀と鞘で一つの魔導兵装だ。刀身は雷を通す。鞘は雷を溜める、整える、撃ち出す。柄と鍔には蓄雷炉。刻印はロイの雷癖に合わせてある。だから他人が振っても、ただ重い危険物にしかならん」
生徒たちが息を呑む。
ユリウスが静かに問う。
「それほど個人に合わせた武器なのですか」
「ああ。むしろ、個人に合わせないと使えない素材でできてる」
リオネルは刀身へ視線を戻す。
「こいつの芯材は、まともな炉じゃ溶けない。削れない。叩けない。普通の鍛冶師なら、素材を前にして祈るしかない」
ミナが思わず聞いた。
「何の素材なんですか?」
一瞬、空気が変わった。
セレスがリオネルを見る。
リオネルは軽い調子を少し抑えた。
「細かい記録は機密だ。だが、言える範囲なら」
彼は刀身を見たまま言った。
「境界魔獣の角だ」
講堂ではない。
正門前の空気が、静かに重くなる。
ヴァルターが低く言う。
「禍等級は」
リオネルは少しだけ笑った。
笑みはあるが、楽しげではない。
「その個体は、国禍級指定だった」
誰も声を出さなかった。
小禍未満。
中禍。
大禍。
災禍。
そのさらに上。
国禍。
国家存亡級。
その言葉を、つい先日聞いたばかりだった。
リアナの喉が小さく動く。
「国禍級の……角」
リオネルは頷いた。
「そいつの角を、ロイが折った」
視線がロイへ集まる。
ロイは何も言わない。
自慢もしない。
否定もしない。
ただ、《黒鳴》を持って立っている。
◇
リオネルはすぐに軽さを少し戻した。
「とはいえ、勘違いするなよ。ロイ一人で国禍級を倒したって話じゃない。あれは防衛戦だ。何十、何百って戦力が動いて、国境線ごと持っていかれかけた。ロイはその中で、角を一本折った」
カイルが真剣な表情で聞いている。
「それでも、異常な戦果ですね」
「異常だよ。だからこいつの刀になってる」
リオネルは《黒鳴》の鞘を軽く叩いた。
「角は、そのままでは加工不能だった。通常炉、魔導炉、高圧炉、全部だめ。俺の工房でも無理だった」
ミナが首を傾げる。
「じゃあ、どうやって……」
「最上位クラスに火と氷を借りた」
リオネルの目が少し遠くなる。
「一人は炎の化け物みたいな女だ。自分の魔力で炎帝剣みたいなものを顕現させて、炉ごと素材を焼いた。うるさい、強い、よく笑う。火力だけなら俺の炉より信用できる」
ミナが目を輝かせる。
「元気な人なんだ……」
リオネルは続ける。
「もう一人は逆だ。無表情で、冗談も通じない。武器は持たない。完全魔法特化の氷使いだ。あいつが周囲を凍らせて、温度差で角の外殻を割った。規模がおかしい。工房が一つ氷の宮殿みたいになった」
セレスが静かに言う。
「その二人の名は出すな」
「分かってる。今はな」
生徒たちは黙っていた。
炎を極めた序列者。
大規模凍結魔法の使い手。
そして、百装鍛冶。
三人の力を借りて作られた刀。
それが、ロイの腰にある《黒鳴》。
ヴァルターが呟く。
「武器一つにも、そこまでの記録があるのか」
リオネルは笑った。
「良い武器は、素材と使い手と作り手の記録でできる。こいつは特に重い」
◇
その後、《黒鳴》の正式確認は整備棟で行われることになった。
見学は一部の教師と管理局職員のみ。
ただし、学内上位者と第一班には、短時間だけ説明参加が許可された。
整備棟の一室。
リオネルは上着を脱ぎ、作業台へ《黒鳴》を置く。
その瞬間、彼の全身装備が動いた。
肩当てから細い補助腕が出る。
腰帯から小型工具が浮く。
手甲の指先が開き、中から針のような刻印具が現れる。
靴の側面から固定用の爪が床へ刺さる。
ミナが思わず声を上げた。
「うわ、すごい!」
リオネルは得意げに笑う。
「俺の装備は全部俺製だ。手甲は刻印用。腰帯は工具格納。靴は衝撃固定。肩当ては補助腕。胸当ては結界炉。背中の箱は小型工房。戦闘中でも修理できる」
シオンが興味深そうに見る。
「その装備で戦うのか」
「そうだ。殴る、縛る、飛ぶ、直す、爆ぜる、守る。全部装備でやる」
ダリウスが短く言う。
「重くないのか」
「重い。だから靴と腰で支えてる」
ユリウスが感心したように言った。
「自己完結型の戦闘工房、ということか」
「お、いい言い方だな。それ使おう」
フィオナが微笑む。
「治療具もあるのですか?」
「ある。だが専門治癒師には負ける。俺のは止血、固定、毒抜き、焼灼、応急縫合だ」
ミナが少し顔を引きつらせる。
「痛そう」
「生きてりゃ勝ちだ」
その言い方は軽い。
だが、境界の現実が滲んでいた。
◇
リオネルは《黒鳴》の鞘を開いた。
普通の鞘ではあり得ない。
側面が薄く展開し、内部に細かな黒い軌条が見える。
鞘内雷導軌条。
天穿・抜雷を支える砲身。
カイルが息を呑む。
「本当に、鞘が砲身なんだな」
リオネルは頷く。
「抜刀じゃない。発射に近い。ただし、使い手の身体が追いつかなけりゃ腕が飛ぶ」
ミナがロイを見る。
「怖いことさらっと言われてるけど」
ロイは普通に答える。
「追いつけばいい」
「そういう問題じゃないよね?」
リアナが静かに言う。
「たぶん、ロイにとってはそういう問題なのよ」
フィオナが少し笑う。
「慣れてきたわね」
リアナは一瞬だけ驚き、軽く咳払いした。
「班員ですから」
ミナが小さく笑ったが、すぐにリオネルの作業へ目を戻した。
リオネルの手甲から伸びた刻印針が、鞘の内部をなぞる。
黒い線が一瞬だけ浮かび、消える。
「反動逃がし、三番と七番がずれてる。東棟で撃った時か?」
「ああ」
「支柱を残したらしいな」
「残した」
「そこは褒める。だが鞘に負担を寄せすぎだ。次は腰と足にも逃がせ」
「分かった」
「分かってる顔じゃない」
「分かっている」
「本当か?」
リオネルは文句を言いながらも、手は止めない。
その様子を見て、生徒たちは少しだけ理解した。
ロイの強さは、ロイ一人のものではない。
武器を作る者。
整える者。
過去に力を貸した者。
その全てが、今の黒雷を支えている。
◇
整備の途中、リオネルはふとミナの水糸用魔導具を見た。
「おい、そこの水の子」
「私ですか?」
「その糸具、貸してみろ」
ミナは慌ててフィオナを見る。
フィオナが頷く。
「見てもらうといいわ」
ミナは水糸用の小さな魔導具を渡した。
リオネルは片目の拡大鏡を下ろし、一瞬で構造を見る。
「悪くないが、三本目を出すには流路が細い。二本運用前提だな」
ミナが驚く。
「分かるんですか?」
「見れば分かる」
リオネルは腰帯から小さな部品を取り出した。
「応急で流路を少し増やせる。ただし、三本常時は無理だ。瞬間的に出すだけなら安定する」
フィオナが目を細める。
「彼女の今の訓練方針に合っていますね」
「だろ?」
リオネルは手早く部品を取り付けた。
「試してみろ」
ミナが水糸を出す。
二本。
そして、三本目。
短いが、前より少しだけ出しやすい。
「出た!」
「常時維持するなよ。焦げるぞ」
「水なのに!?」
「魔導具がな」
ミナは魔導具を抱えて、ぱっと笑った。
「ありがとうございます!」
「いいってことよ。支援具は命を拾う。大事に使え」
フィオナはその言葉に静かに頷いた。
◇
次にリオネルは、ヴァルターの槍を見た。
「土の坊ちゃん、その槍も見せろ」
「坊ちゃん……」
ヴァルターは少し不満そうだったが、槍を渡した。
リオネルは柄の重心を確認する。
「前に重すぎる。土壁と併用するなら、引き戻しが遅れる」
「確かに、最近は壁と杭を同時に使うため、戻しが遅い場面がありました」
「柄尻に重りを足す。あと、石突きに導魔溝を入れる。地面へ魔力を沈めやすくなる」
ダリウスが横で頷いた。
「それはいい」
ヴァルターの表情が変わる。
「お願いします」
「素直でよろしい」
リオネルは手際よく調整を始めた。
ガレスの炎剣にも目を向ける。
「炎の奴は、鞘を見直せ。熱を逃がしすぎてる。炎を置く訓練をしてるなら、剣より足具が先だ」
ガレスが驚いた。
「なぜ分かるんですか」
「靴底の焦げ方」
リオネルは即答した。
「火で逃げてる。足運びの訓練中だろ」
境界軍の兵士が少し離れて頷く。
「その通りだ」
ガレスは苦い顔をした。
「……お願いします」
「いいぞ。炎で爆ぜる前に、足で止まれ」
◇
気づけば、整備室は小さな工房授業のようになっていた。
リオネルは癖が強い。
口も軽い。
だが、腕は本物だった。
装備を見れば、使い手の癖を見抜く。
戦い方を聞けば、必要な調整が分かる。
名簿第七十二席。
順位だけなら、ロイやセレスよりずっと下。
だが、誰も彼を軽く見なかった。
強さの形が違う。
それだけだった。
ユリウスが静かに言う。
「境界名簿は、本当に単純な強さの表ではないのですね」
セレスが頷く。
「何度も言ったはずだ」
「今日、実感しました」
リオネルは笑いながら、黒鳴の鞘を閉じた。
「よし、応急調整は終わり。正式整備は夜にやる。ロイ、あとで来い」
「ああ」
「それと、北西境界に行くなら、黒鳴の蓄雷炉を少し絞る。相手が《翠門》の枝と同系統なら、広げすぎる雷は逆効果だ」
「分かった」
「本当に分かってる顔か?」
「分かっている」
「まあいい」
◇
整備棟を出る頃、夕方になっていた。
ミナは調整された水糸具を嬉しそうに眺めている。
「三本目、少し楽になった……!」
フィオナが優しく言う。
「道具も含めて実力よ。でも、頼りすぎないように」
「はい!」
ヴァルターは槍の柄を確認している。
「重心が違う。かなり扱いやすい」
ダリウスが短く言う。
「使いこなせ」
「はい」
ガレスは靴の調整を受けるため、境界軍の兵士と残っていた。
リアナはロイの隣に並ぶ。
「黒鳴の話、想像以上だったわ」
「ああ」
「国禍級の角……あなたは本当に、そういう場所で戦ってきたのね」
「防衛戦だ。多くの人がいた」
「それでも、角を折ったのはあなたなのでしょう」
ロイは少しだけ黙った。
「必要だった」
リアナはその横顔を見た。
やはり、ロイは誇らない。
けれど、その淡々とした声の奥に、重い記録がある。
ミナが反対側から顔を出した。
「ねえ、その炎の人と氷の人って、いつか会えるのかな」
セレスが前から答える。
「可能性はある」
ミナの目が輝く。
「本当に?」
「境界が動けば、上位序列者が集まることもある」
フィオナが興味深そうに言う。
「大規模凍結魔法の使い手……一度見てみたいですね」
セレスは少しだけ表情を変えずに言った。
「見れば、寒いだけでは済まない」
その声に、全員が少し黙った。
炎の序列者。
氷の序列者。
百装鍛冶。
黒雷。
蒼刃。
境界には、まだ知らない名がいくつもある。
学院の空気は、また少し外へ向き始めていた。
◇
夜。
ロイは整備棟へ戻った。
《黒鳴》の本整備を受けるためだ。
リオネルはすでに作業台の前に立っていた。
手甲の刻印針が青白く光っている。
「来たか」
「ああ」
「北西境界、面倒になるぞ」
「分かるのか」
「素材屋の勘だ」
リオネルは笑った。
だが、その目は真剣だった。
「《翠門》の枝と同じ波形。国禍級ほどじゃないにしても、ただの小物じゃない。中禍か、大禍か。場合によっては災禍の芽だ」
ロイは静かに聞いている。
「学院は?」
「今すぐどうこうはない。だが、根が壁内へ伸びた前例ができた。境界側で断つ必要がある」
「そうか」
リオネルは《黒鳴》を作業台に置き、低く言った。
「だから、こいつを万全にする」
黒い刀が、魔導灯の下で静かに光った。
その奥に、かつて折られた国禍級の角の記憶が眠っている。
ロイは黙って頷いた。
学院での時間は、確かに彼の中に残っている。
だが、境界の気配はもう近い。
北西境界。
外域反応源。
中禍か、大禍か、あるいはその先か。
次に向かう場所は、壁の外だった。




