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第39話 第一位の光

 黒雷が床を走る。


 細く、黒い線。


 青白い縁だけを残し、闘技場の石床を焼かずに滑っていく。


 ユリウス・レオンハルトは、それを正面から見ていた。


 逃げない。


 淡い光が、彼の足元から広がる。


 眩ませるための光ではない。


 距離を曖昧にし、影を消し、相手の足運びを読みづらくするための光。


 その光が、黒雷と触れた。


 音はない。


 ただ、淡い金色が一瞬だけ黒く沈む。


 ユリウスの目が細くなった。


「重いな」


 彼はそう呟き、足を半歩引いた。


 黒雷は、彼の踏み込み先を通過する。


 読んでいた。


 だが、完全には避けられていない。


 ユリウスの靴底の端が、わずかに焦げた。


 観覧席がざわめく。


 総合第一位が、初手で削られた。


 しかし、ユリウスは崩れない。


 むしろ、次の一歩が速かった。


 光が床を撫でる。


 ロイの足元に影がなくなる。


 影が消えれば、踏み込みの深さを読みづらくなる。


 ユリウスの剣が正面から来た。


 綺麗な剣筋。


 速く、無駄がなく、逃げ道を狭める。


 ロイは刀で受ける。


 青白い雷が刀身を走った。


 刃と刃がぶつかる。


 澄んだ音。


 ユリウスは押し込まない。


 剣の腹で力を流し、すぐに二撃目へ移る。


 上段からではない。


 肩口を狙う浅い斬り込み。


 ロイは鞘で受けた。


 その瞬間、ユリウスの光が鞘にまとわりつく。


 光が、視界を白くする。


 ほんの一瞬。


 ロイの反応を遅らせるための目潰し。


 だが、ロイは目を閉じなかった。


 黒雷が指先から鞘へ移る。


 光の膜を、内側から焼き切る。


 ユリウスの剣が、すでに三撃目へ入っていた。


 ロイは半歩下がる。


 だが、下がった先に光がある。


 床の距離感がずれる。


 足場が、わずかに遠く感じる。


 ミナが息を呑んだ。


「足元が変……?」


 カイルが答える。


「ユリウスの光は、ただ眩しいだけじゃない。相手の距離感を狂わせる。影、反射、床の光量。それを少しずつずらす」


 ヴァルターが低く言う。


「正面から戦いながら、場を支配しているのか」


「そうだ」


 カイルは闘技場から目を離さない。


「だから、第一位なんだ」



 ユリウスは強かった。


 派手ではない。


 だが、全てが高い。


 剣。

 魔力。

 足運び。

 場の作り方。

 相手への圧。


 ロイが黒雷一系統を許可されているにもかかわらず、ユリウスは正面から試合を成立させていた。


 ロイの黒雷が床を走る。


 ユリウスは光の膜を一枚置く。


 黒雷がそれを貫く。


 だが、その一枚で速度がわずかに落ちる。


 ユリウスはそのわずかな遅れで間合いを変える。


 光の剣がロイの右肩へ迫る。


 ロイは刀で弾く。


 弾いた瞬間、ユリウスの身体が光の中で半歩ずれた。


 実際に移動したのではない。


 見え方をずらされた。


 ロイの刀が、ほんの少し空を切る。


 観覧席がどよめいた。


 ロイの攻撃が外れた。


 ユリウスはその隙を逃さない。


 剣が低く走る。


 ロイの足元へ。


 斬るのではない。


 踏み込みを止めるための一撃。


 ロイは足を上げない。


 黒雷を足裏へ通し、床を軽く叩く。


 雷の反発で身体をわずかに浮かせ、剣をかわす。


 そのまま前へ出る。


 ユリウスの表情が変わった。


 驚きではない。


 喜びに近い。


「そう来るか」


 彼は剣を返した。


 光が刃に集まる。


 広げる光ではない。


 一点に収束する光。


「光刃・白閃」


 白い線が、ロイの胸元へ走った。


 速い。


 鋭い。


 ロイは黒雷を刀身へ移す。


 黒と白がぶつかった。


 闘技場に、短い閃光が走る。


 遅れて、結界が揺れた。


 ミナが思わず目を閉じる。


 リアナは目を細めながらも見続けた。


 光の中で、ロイの刀がユリウスの剣を受けている。


 押されてはいない。


 だが、完全に潰してもいない。


 ユリウスの白い光は、黒雷に触れながらも形を保っていた。


「……すごい」


 リアナが呟いた。


 ロイと打ち合っている。


 学院の第一位が、制限されたロイ相手とはいえ、正面から剣を重ねている。


 それは、学院上位の格を示すには十分だった。



 ユリウスは一歩引いた。


 息が少し乱れている。


 ロイは変わらない。


 だが、ユリウスは笑った。


「届かないな」


「強い」


 ロイが言った。


 その短い一言に、観覧席の上級生たちが反応した。


 《黒雷》が、総合第一位を強いと認めた。


 ユリウスは剣を構え直す。


「なら、もう一つだけ試したい」


「来い」


 ユリウスの周囲の光が変わる。


 広がっていた淡い光が、彼の背後へ集まり始めた。


 光の翼のように見える。


 だが、翼ではない。


 剣筋を隠すための反射面。


 複数の光の膜が、ユリウスの周囲に浮かぶ。


 そこに剣が映る。


 本物の剣が一本。


 光に映った剣が数本。


 どれが本物か、分かりづらい。


 シオンが前列で呟いた。


「これは厄介だな」


 ダリウスも頷く。


「正面型に見せて、最後は視界を潰すか」


 フィオナは静かに見ている。


「ユリウスらしいわ。真正面から行くために、真正面の条件を整える」


 ユリウスが踏み込んだ。


 剣が五本に見える。


 上。

 右。

 左。

 正面。

 遅れて下。


 本物は一つ。


 だが、ロイは迷わなかった。


 黒雷が、刀身ではなく左手の指先に戻る。


 小さな火花。


 それを、ロイは床へ落とした。


 黒雷が広がらず、点のまま沈む。


 次の瞬間、ロイの足元から薄い黒い輪が一瞬だけ走った。


 領域ではない。


 広域技でもない。


 ただ、足元の光だけを焼くための極小の放電。


 ユリウスの光の反射が、ほんの一瞬だけ乱れた。


 本物の剣だけが残る。


 ロイはそこへ刀を合わせた。


 刃と刃がぶつかる。


 ユリウスの目が見開かれる。


「見切ったか」


「光を消した」


「なるほど」


 ロイの刀が、わずかに角度を変えた。


 ユリウスの剣が上へ流れる。


 同時に、ロイの鞘がユリウスの腹部へ向かう。


 ユリウスは光の膜を腹前に重ねた。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 鞘がそれを砕く。


 だが、勢いは削がれた。


 ユリウスは後ろへ跳ぶ。


 着地と同時に剣を構える。


 まだ終わらない。


 そう思った瞬間、ロイはすでに前にいた。


 青白い雷が、足元で一度だけ弾けている。


 刀の峰が、ユリウスの首元で止まった。


 鐘が鳴る。


 勝者、ロイ・オルディス。



 静寂。


 それから、第一闘技場に大きな拍手が響いた。


 ユリウスは剣を下ろし、深く息を吐いた。


「完敗だ」


「良い試合だった」


「それはありがたい」


 ユリウスは笑った。


 悔しさはある。


 だが、清々しい笑みだった。


「最後、光の反射だけを焼いたのか」


「ああ」


「黒雷一系統で?」


「一瞬だけ床に落とした」


「本当に嫌な制御をする」


「必要だった」


「だろうな」


 ユリウスは剣を鞘に収めた。


「だが、収穫はあった。僕の光は、外域反応相手にはもっと脆いかもしれない。見え方をずらすだけでは、足りない場面がある」


「光は残る」


 ロイが言った。


 ユリウスが目を向ける。


「何?」


「最後の膜。三枚目は硬かった」


 ユリウスは少しだけ驚き、それから嬉しそうに笑った。


「そうか。なら、そこを伸ばす」


「ああ」


 総合第一位は、深く一礼した。


「ありがとう、ロイ・オルディス」


 ロイも短く頷く。


「ああ」



 観覧席の空気は熱を帯びていた。


 ロイが勝った。


 それは誰もが予想していた。


 だが、ユリウスは強かった。


 学院の第一位として、十分に強かった。


 黒雷に呑まれただけではない。


 自分の光で場を作り、剣を通し、最後まで学び続けた。


 それは下級生たちにとって、大きな意味を持っていた。


 学院の上には、ちゃんと高みがある。


 その高みのさらに外に、《黒雷》や《蒼刃》がいる。


 階段が見えた。


 遠すぎる空だけではなく、登るべき段差が見えた。


 ミナがほっと息を吐く。


「ユリウス先輩、すごかったね」


 ヴァルターが頷く。


「ああ。あれが総合第一位か」


 リアナも言う。


「正面から強い、というのはああいうことなのね」


 ロイが戻ってくる。


 リアナは自然に彼の右手を見た。


「手袋は?」


 ロイは右手を上げる。


「焦げていない」


「本当ね」


 リアナは少しだけ笑った。


「約束を守ったのね」


「ああ」


 ミナが横から小声で言う。


「なんかもう、手袋が二人の合図みたいになってる」


 リアナは即座に振り返る。


「ミナ」


「はい、黙ります」


 ヴァルターは首を傾げた。


「合図?」


「ヴァルターはそのままでいて」


「どういう意味だ」



 その日の本選は、ユリウスとロイの評価戦をもって大きな山を越えた。


 午後の残りは順位調整と班単位評価。


 上位者たちも引き続き補助に回り、それぞれの生徒へ短い助言を与えた。


 学院は熱を持っていた。


 勝敗だけではない。


 学ぶための熱。


 悔しさを次へ変える熱。


 遠いものを見て、足元を鍛え直す熱。


 それは、セレスの説明によって外域の重さを知った後でも消えなかった。


 むしろ、少し強くなっていた。



 夕方。


 学院長室の隣にある小会議室。


 そこには、学院長、セレス、エルナ教官、ロイ、そしてユリウスとカイルが呼ばれていた。


 生徒代表としてのユリウス。


 実務補助としてのカイル。


 ロイは壁際に立っている。


 セレスが一枚の報告書を机に置いた。


「境界軍からの追加連絡だ」


 学院長の表情がわずかに険しくなる。


「《翠門》関連かね」


「はい。学院内の枝は封鎖済み。ただし、外域側にある反応源と一致する波形が、北西境界で確認されました」


 エルナ教官が目を細める。


「近いのか」


「現時点では、ただの波形一致です。即時襲来ではありません」


 セレスはそう言いながらも、声を落とした。


「ですが、境界側は調査隊を出します」


 ロイが口を開く。


「招集か」


「正式ではない。だが、近いうちに可能性は高い」


 室内の空気が変わった。


 ユリウスとカイルも黙る。


 学院での序列戦。


 成長。


 日常。


 それらの外側に、本来の境界任務がある。


 ロイはその中心へ戻る可能性がある。


 学院長が問う。


「ロイ君を出す必要があるのかね」


 セレスは答えた。


「波形は黒雷による封鎖記録と相性がいい。彼の経験が必要になる可能性があります」


 エルナ教官がロイを見る。


「お前はどうする」


「命令なら行く」


「命令でなくても?」


 ロイは少しだけ間を置いた。


「必要なら行く」


 その答えは、いつものものだった。


 ユリウスはその横顔を見た。


 先ほどまで闘技場で学院生として戦っていた男が、もう境界の話をしている。


 同じ学院にいる。


 だが、背負っているものが違う。


 セレスは続ける。


「ただし、すぐではありません。少なくとも序列戦の正式終了までは学院内待機で問題ないと判断されています」


 学院長は頷いた。


「ならば、今の行事は最後まで行う。生徒たちにも必要な区切りだ」


「同意します」


 セレスが答えた。



 会議が終わった後、ロイは一人で廊下を歩いていた。


 窓の外には、夕焼けに染まる学院が見える。


 中庭では、まだ生徒たちが訓練していた。


 魔導灯。

 訓練球。

 水糸。

 低い炎。

 土壁。

 風の流れ。


 壁内の光景。


 ロイはそれを見て足を止めた。


「ロイ」


 後ろから声がした。


 リアナだった。


 手には、予備の留め具が入った小さな布袋。


「会議、終わったの?」


「ああ」


「何かあった?」


 ロイは少し黙った。


 機密に触れる部分は言えない。


 だが、何もないとは言えなかった。


「境界から連絡があった」


 リアナの表情が変わる。


「戻るの?」


「まだ分からない」


「そう」


 短い返事。


 リアナは窓の外を見る。


 訓練する生徒たち。


 笑う声。


 灯る魔導灯。


「あなたは、そちらの人なのね」


 責める声ではなかった。


 ただ、確かめるような声だった。


 ロイは答える。


「境界軍に所属している」


「ええ。知っているわ」


 リアナは少しだけ笑った。


「でも、今は学院生でもあるでしょう」


「そうだな」


「なら、ここにいる間は、ちゃんと学院生として扱うわ」


「今までもそうだった」


「そうかしら」


「ああ」


 リアナはロイを見る。


「じゃあ、明日の最終日も手袋を焦がさないで」


「またか」


「約束は継続中よ」


 ロイは右手を見る。


「分かった」


「それと」


 リアナは少しだけ視線を逸らした。


「戻ることになったら、言って」


「命令なら伝えられないこともある」


「言える範囲でいいわ」


 ロイは彼女を見る。


 夕焼けの光で、リアナの髪が淡く光っている。


 彼女は少し不安そうで、それでもまっすぐ立っていた。


 ロイは短く答えた。


「分かった」


 リアナは小さく息を吐く。


「なら、いいわ」


 廊下の外で、魔導灯が一つ消えかける。


 すぐに、誰かが魔力を流し直した。


 灯りはまた揺れながら戻る。


 学院の日々は、終わりへ向かっているわけではない。


 だが、ロイの立つ場所には、少しずつ境界の気配が戻り始めていた。


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