第38話 支援役の勝ち方
翌朝。
第一闘技場の空気は、昨日までより少し柔らかかった。
いや、緊張がないわけではない。
本選は続いている。
総合序列上位者も評価補助として残っている。
午後には、特別評価戦として総合第一位ユリウス・レオンハルトとロイ・オルディスの手合わせも予定されていた。
それでも、生徒たちの表情には、以前のような焦りだけではないものがあった。
昨夜、第二演習場でロイが一人訓練していたという話は、すでに少し広まっていた。
《黒雷》でさえ鍛える。
境界任務を離れても、調整を怠らない。
壁内と外域の差に、名簿保持者でさえ気を配る。
その事実は、多くの生徒に妙な納得を与えていた。
強い者は、何もしなくても強いのではない。
強い者ほど、崩れないために積み続けている。
◇
観覧席の一角で、ミナは落ち着きなく足を揺らしていた。
「うう……」
リアナが隣で言う。
「緊張しているの?」
「するよ! だって相手が総合第二位だよ!?」
今日の午前、特別評価戦として組まれた試合。
ミナ・ロウ対フィオナ・アルベール。
ただし、通常の個人戦ではない。
支援役同士の評価試合。
護衛対象を守りながら、相手の妨害を受け、制限時間まで耐える。
勝敗条件は単純な撃破ではなく、護衛対象の保持、拘束、回復判断、撤退路確保、そして自分自身の生存。
ミナにとっては、個人戦よりも得意な形式のはずだった。
だが、相手が悪い。
総合第二位、フィオナ・アルベール。
水と光の複合属性。
治癒、結界、拘束、支援、広域把握。
学院内では、支援役の完成形に近いとまで言われている。
ミナは短杖を握りしめた。
「勝てる気しないんだけど」
ヴァルターが言う。
「勝つことだけが評価ではない」
「それは分かってるけど!」
リアナはミナの手元を見る。
「昨日までのあなたなら、かなり動けるわ。水糸二本も安定してきた」
「でもフィオナ先輩は、たぶん五本とか六本とか普通に使うよ?」
カイルが近くで微笑んだ。
「フィオナなら、もっと使える」
「やめてください!」
カイルは少し笑ってから、真面目な声に戻す。
「でも、ミナ。フィオナは君を潰すために出るわけじゃない。君の支援役としての伸びしろを見るために出る」
「それでも怖いです……」
ロイが言った。
「守る対象を決めろ」
ミナがロイを見る。
「え?」
「全部守ろうとするな。何を守るか、先に決める」
「でも護衛対象を守る試験でしょ?」
「ああ。なら、護衛対象を守る。そのために水糸を使う。自分が目立つ必要はない」
ミナは少し黙った。
ロイの言葉は、いつも短い。
だが、今は妙にすっと入ってきた。
自分が勝つのではない。
護衛対象を残す。
それが支援役の勝ち方。
「……うん」
ミナは息を吐いた。
「やってみる」
リアナが静かに頷く。
「大丈夫。あなたならできるわ」
「リアナまでそう言うと、ちょっと本当にできる気がしてくる」
ミナは立ち上がった。
闘技場へ向かう前、ロイの方を見る。
「ロイ」
「何だ」
「終わったら、ちゃんと評価して」
「ああ」
「甘めで」
「できない」
「そこはできてよ!」
少しだけ笑いが起きた。
ミナも笑い、そのまま闘技場へ向かった。
◇
闘技場中央には、三体の護衛人形が置かれていた。
白い布を巻かれた、成人男性ほどの大きさの訓練人形。
ミナ側に二体。
フィオナ側に一体。
条件は、ミナが不利だった。
これは実力差を前提にした評価戦。
ミナは二体の護衛対象を守り、フィオナの妨害を耐える。
フィオナは一体を守りながら、ミナの護衛対象を一体でも機能停止させれば大きな評価点を得る。
フィオナが柔らかく微笑んだ。
「よろしくね、ミナさん」
「よろしくお願いします!」
「そんなに硬くならなくていいわ」
「無理です!」
フィオナはくすりと笑う。
「素直でいいわね」
その声は優しい。
だが、構えた瞬間に空気が変わった。
柔らかいのに、隙がない。
水のように受け、光のように塞ぐ。
ミナは短杖を握り直した。
エルナ教官が手を上げる。
「始め!」
鐘が鳴った。
◇
先に動いたのはフィオナだった。
攻撃魔法ではない。
淡い光の輪が、ミナの足元に現れる。
拘束。
ミナは咄嗟に跳ぼうとした。
だが、跳ばない。
跳べば護衛対象から離れる。
ロイの言葉を思い出す。
何を守るか、先に決める。
ミナは水糸を一本、自分の足首へ巻いた。
もう一本を護衛人形へ。
足元の光輪が締まる瞬間、自分の身体を後ろへ引く。
同時に、護衛人形を斜めへずらす。
光輪は空を掴んだ。
だが、その直後、フィオナの水糸が来た。
細い。
速い。
見えた時には、すでに護衛人形の肩に絡んでいる。
「うそっ!」
ミナは水糸を交差させる。
切るのではない。
絡めて、引く。
フィオナの糸と自分の糸がぶつかる。
水同士。
だが、密度が違う。
ミナの水糸が、少しずつ押される。
フィオナは穏やかな声で言った。
「力で押し返そうとしない方がいいわ」
「分かってます!」
「本当に?」
「今分かりました!」
ミナは水糸を緩めた。
押し返すのではなく、流す。
フィオナの糸を受けて、護衛人形の姿勢を変える。
倒される力を、そのまま横移動へ変えた。
護衛人形が一歩分、横へ滑る。
フィオナの糸は外れない。
だが、機能停止位置からは外れた。
観覧席でカイルが頷いた。
「いい対応だ」
リアナも拳を握る。
「ミナ、落ち着いているわ」
ロイは短く言った。
「守れている」
◇
フィオナは攻め方を変えた。
今度は光の針を三本。
護衛人形ではなく、地面へ打ち込む。
ミナの水糸の通り道を塞ぐように。
水糸が光に触れると、細く散る。
切断ではない。
分解に近い。
ミナは顔をしかめた。
「それ、ずるくないですか!?」
「戦場では、相手が嫌がることをするものよ」
「優しい声で怖いこと言う!」
フィオナは微笑んだまま、護衛人形へ水糸を伸ばす。
今度は二本。
右と左。
ミナは自分の水糸を二本出した。
だが、それだけでは足りない。
一体目を守れば、二体目が狙われる。
二体目を守れば、自分の足元が空く。
頭が熱くなる。
水糸二本。
魔導灯と訓練球の時よりは動く。
でも、足りない。
ミナは奥歯を噛んだ。
増やすしかない。
三本目。
細く、短く。
護衛人形に巻くのではなく、自分の短杖の先から床へ垂らす。
フィオナの光針に触れないよう、足元だけを濡らす。
薄い水膜。
ミナはそこへ水糸を滑らせた。
直接通せないなら、床を伝わせる。
三本目は不安定だった。
すぐ切れそうになる。
それでも、届いた。
護衛人形の足元へ。
フィオナの水糸が引く瞬間、ミナは床の水膜ごと護衛人形を滑らせた。
ぎりぎりで外れる。
観覧席が沸いた。
「三本目!」
「今、三本使ったよな!?」
ミナの額に汗が浮かぶ。
自分でも驚いていた。
できた。
ほんの一瞬だけ。
でも、三本目が動いた。
フィオナの目が柔らかく細まる。
「いいわ。今のは、とてもいい」
ミナは息を切らしながら笑った。
「ありがとうございます……でも、まだ終わってないですよね」
「ええ」
フィオナの周囲に、淡い光の輪が五つ浮かんだ。
ミナの笑顔が引きつる。
「やっぱりそうなりますよね!」
◇
残り一分。
ミナは防戦一方だった。
フィオナの光輪が進路を塞ぎ、水糸が護衛人形を狙い、治癒光が自分の護衛人形を保護する。
支援役同士の戦い。
だが、支援役という言葉から想像する穏やかさはなかった。
奪う。
守る。
縛る。
流す。
回復する。
切る。
全てが細かく、速い。
ミナは必死だった。
二本の水糸。
時々、三本目。
それ以上は無理。
頭が割れそうになる。
それでも、彼女は自分が前に出なかった。
護衛対象から離れない。
自分が目立つ必要はない。
守る。
守る。
それだけを決める。
フィオナの光輪が、二体目の護衛人形の足元に出た。
このままでは固定される。
ミナは水糸を伸ばす。
間に合わない。
だから、自分の足元の水膜を蹴った。
滑る。
転びかける。
それでも、護衛人形と光輪の間に身体を入れた。
光輪がミナの左腕を拘束する。
痛みはないが、動かない。
フィオナの水糸が護衛人形へ迫る。
ミナは右手だけで短杖を振った。
三本目の水糸。
細く、震えながら伸びる。
護衛人形ではなく、フィオナの水糸へ絡む。
止められない。
でも、少しだけ逸らせる。
フィオナの水糸が護衛人形の肩をかすめ、外れた。
鐘が鳴る。
終了。
ミナはその場に座り込んだ。
「……守った?」
エルナ教官が確認する。
「護衛人形二体、機能維持。ミナ・ロウ、評価条件達成」
観覧席から拍手が起きた。
大きな拍手だった。
ミナは呆然としたあと、ゆっくり笑った。
「守った……!」
◇
フィオナが近づき、ミナの左腕の光輪を解いた。
「お疲れさま」
「あ、ありがとうございます……」
「最後、自分を盾にしたのは危険だけれど、判断としては悪くないわ。護衛対象を明確に優先していた」
「必死でした」
「必死で正しい判断ができるなら、それは強さよ」
フィオナはそう言って、ミナの短杖を見る。
「三本目、出たわね」
ミナの目が輝く。
「はい! でも、すぐ切れそうでした!」
「最初はそれでいい。二本を安定させながら、必要な瞬間だけ三本目を出す。あなたにはその方向が合っていると思う」
「はい!」
フィオナは柔らかく微笑んだ。
「支援役は、派手な勝利をもらえないことが多い。でも、残した人数がそのまま勝ちになる。今日のあなたは、ちゃんと勝っていたわ」
ミナは一瞬、言葉に詰まった。
それから、深く頭を下げる。
「ありがとうございます!」
◇
ミナが戻ると、リアナが真っ先に迎えた。
「よく耐えたわ」
「リアナぁ……疲れたぁ……」
ミナはそのままリアナに抱きついた。
リアナは苦笑しながら受け止める。
「三本目、出ていたわね」
「一瞬だけだけど!」
「それでも大きいわ」
ヴァルターも頷く。
「支援役の戦い方を見た気がする」
「ヴァルターにそう言われると、なんか真面目に嬉しい」
「僕は常に真面目だ」
「知ってる」
ミナは最後にロイを見る。
「ロイ、評価」
「守れていた」
「うん」
「三本目は不安定。でも必要な時だけ出したのは良かった」
「うん!」
「最後、自分を入れた判断は危険だが、護衛対象は残った」
「うん……!」
「良かった」
ミナは目を丸くした。
「最後、普通に褒めた」
「褒めている」
「……ありがと」
ミナは少しだけ照れたように笑った。
その笑顔を見て、リアナはほんのわずかに視線を落とした。
複雑な感情ではない。
嫌ではない。
ただ、ミナがロイに褒められて嬉しそうにしているのを見て、自分の胸の奥が少し動いた。
ミナはそれに気づいて、にやりとする余裕もなかった。
疲れ切っていたからだ。
◇
午前の残り時間は、総合上位者による短い評価試合が続いた。
ユリウスは一年生代表の剣を受けた。
光属性の剣は、派手に輝かない。
必要な場所だけを照らし、相手の視界と足元を制御する。
彼は相手を倒すのではなく、攻撃の癖を一つずつ見せてから止めた。
「今の踏み込みは悪くない。ただ、相手の目を見すぎている。肩を見ろ」
その助言に、一年生は真剣に頷いた。
ダリウスは土属性の二年生に、地表だけでなく床下へ魔力を沈める感覚を教えていた。
シオンは風属性の三年生に、音を消すより、音をずらす方が有効な場面があると見せた。
カイルは全体を見ながら、試合後の記録をまとめている。
上位者たちは、ただ強いだけではない。
学院の上に立つ者として、下へ何かを渡していた。
ロイはそれを見ていた。
「悪くない」
隣のリアナが小さく笑う。
「最近、それをよく言うわね」
「そうか」
「ええ。でも、たぶん良いことだと思う」
ロイは闘技場を見る。
「学院は、思ったより強くなる」
リアナは少し驚いた。
「あなたがそう言うのね」
「ああ」
「なら、私たちも頑張らないと」
「もう頑張っている」
不意に言われ、リアナは言葉を失った。
ロイは普通に闘技場を見ている。
何気ない評価。
特別な意味は込めていないのかもしれない。
でも、リアナには少しだけ強く響いた。
「……ありがとう」
「何が」
「今の」
「そうか」
リアナは軽く息を吐き、少しだけ笑った。
◇
昼休憩の後。
第一闘技場には、午前とは違う緊張が満ちていた。
特別評価戦。
ユリウス・レオンハルト対ロイ・オルディス。
総合第一位と境界名簿第二十七席。
もちろん、条件付きだ。
ロイは黒雷一系統まで。
広域技、抜雷、黒雷領域は禁止。
ユリウスは通常制限なし。
それでも、学院生たちは固唾を呑んでいた。
ユリウスが闘技場へ上がる。
白い鞘の長剣を抜く。
刃に、淡い光が宿った。
強い輝きではない。
だが、不思議と目を逸らせない光だった。
ロイも闘技場へ上がる。
腰の《黒鳴》に手を置く。
右手の手袋の留め具を、軽く確かめた。
観覧席でリアナがそれに気づく。
約束を守っている。
そう思うと、少しだけ胸が温かくなった。
ミナが横で小声を出す。
「リアナ、今ちょっと嬉しそう」
「試合を見なさい」
「はいはい」
◇
闘技場中央。
ユリウスは静かに頭を下げた。
「よろしく頼む」
「ああ」
「全力で学ばせてもらう」
「分かった」
エルナ教官が条件を確認する。
「ロイ・オルディス、黒雷一系統まで。広域技禁止。抜雷禁止。ユリウス・レオンハルト、通常制限なし。ただし殺傷級出力は禁止」
ユリウスが頷く。
「承知しました」
ロイも頷く。
エルナ教官が手を上げた。
「始め!」
鐘が鳴る。
次の瞬間、ユリウスの光が闘技場に広がった。
眩しい光ではない。
淡く、薄く、床を撫でるような光。
ロイの影が、わずかに薄くなる。
ミナが呟く。
「影が……消えた?」
カイルが答える。
「ユリウスの得意な場作りだ。相手の影、足元、距離感を曖昧にする」
ユリウスが踏み込む。
まっすぐ。
正面から。
ロイは刀を抜いた。
青白い雷が走る。
光の剣と雷の刀がぶつかる。
音は澄んでいた。
重くない。
だが、鋭い。
ユリウスの剣は、正統そのものだった。
無駄がない。
姿勢が崩れない。
光で足元を曖昧にしながら、剣筋はまっすぐ通す。
ロイは受ける。
鞘で逸らす。
半歩下がる。
そこへ、ユリウスの二撃目。
速い。
カイルのような変則ではない。
シオンのような奇襲でもない。
正面から、完成度で押してくる。
ヴァルターが息を呑む。
「これが総合第一位……」
リアナも目を離さない。
「綺麗すぎる。だから崩れない」
ロイの指先に、黒い火花が灯った。
黒雷一系統。
ユリウスの光が、それを照らす。
黒い雷が、淡い光の中でより深く見えた。
ロイは静かに言う。
「来る」
ユリウスは微かに笑った。
「望むところだ」
黒雷が床を走る。
ユリウスの光が、それを迎えるように広がった。




