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第38話 支援役の勝ち方

 翌朝。


 第一闘技場の空気は、昨日までより少し柔らかかった。


 いや、緊張がないわけではない。


 本選は続いている。


 総合序列上位者も評価補助として残っている。


 午後には、特別評価戦として総合第一位ユリウス・レオンハルトとロイ・オルディスの手合わせも予定されていた。


 それでも、生徒たちの表情には、以前のような焦りだけではないものがあった。


 昨夜、第二演習場でロイが一人訓練していたという話は、すでに少し広まっていた。


 《黒雷》でさえ鍛える。

 境界任務を離れても、調整を怠らない。

 壁内と外域の差に、名簿保持者でさえ気を配る。


 その事実は、多くの生徒に妙な納得を与えていた。


 強い者は、何もしなくても強いのではない。


 強い者ほど、崩れないために積み続けている。



 観覧席の一角で、ミナは落ち着きなく足を揺らしていた。


「うう……」


 リアナが隣で言う。


「緊張しているの?」


「するよ! だって相手が総合第二位だよ!?」


 今日の午前、特別評価戦として組まれた試合。


 ミナ・ロウ対フィオナ・アルベール。


 ただし、通常の個人戦ではない。


 支援役同士の評価試合。


 護衛対象を守りながら、相手の妨害を受け、制限時間まで耐える。


 勝敗条件は単純な撃破ではなく、護衛対象の保持、拘束、回復判断、撤退路確保、そして自分自身の生存。


 ミナにとっては、個人戦よりも得意な形式のはずだった。


 だが、相手が悪い。


 総合第二位、フィオナ・アルベール。


 水と光の複合属性。


 治癒、結界、拘束、支援、広域把握。


 学院内では、支援役の完成形に近いとまで言われている。


 ミナは短杖を握りしめた。


「勝てる気しないんだけど」


 ヴァルターが言う。


「勝つことだけが評価ではない」


「それは分かってるけど!」


 リアナはミナの手元を見る。


「昨日までのあなたなら、かなり動けるわ。水糸二本も安定してきた」


「でもフィオナ先輩は、たぶん五本とか六本とか普通に使うよ?」


 カイルが近くで微笑んだ。


「フィオナなら、もっと使える」


「やめてください!」


 カイルは少し笑ってから、真面目な声に戻す。


「でも、ミナ。フィオナは君を潰すために出るわけじゃない。君の支援役としての伸びしろを見るために出る」


「それでも怖いです……」


 ロイが言った。


「守る対象を決めろ」


 ミナがロイを見る。


「え?」


「全部守ろうとするな。何を守るか、先に決める」


「でも護衛対象を守る試験でしょ?」


「ああ。なら、護衛対象を守る。そのために水糸を使う。自分が目立つ必要はない」


 ミナは少し黙った。


 ロイの言葉は、いつも短い。


 だが、今は妙にすっと入ってきた。


 自分が勝つのではない。


 護衛対象を残す。


 それが支援役の勝ち方。


「……うん」


 ミナは息を吐いた。


「やってみる」


 リアナが静かに頷く。


「大丈夫。あなたならできるわ」


「リアナまでそう言うと、ちょっと本当にできる気がしてくる」


 ミナは立ち上がった。


 闘技場へ向かう前、ロイの方を見る。


「ロイ」


「何だ」


「終わったら、ちゃんと評価して」


「ああ」


「甘めで」


「できない」


「そこはできてよ!」


 少しだけ笑いが起きた。


 ミナも笑い、そのまま闘技場へ向かった。



 闘技場中央には、三体の護衛人形が置かれていた。


 白い布を巻かれた、成人男性ほどの大きさの訓練人形。


 ミナ側に二体。


 フィオナ側に一体。


 条件は、ミナが不利だった。


 これは実力差を前提にした評価戦。


 ミナは二体の護衛対象を守り、フィオナの妨害を耐える。


 フィオナは一体を守りながら、ミナの護衛対象を一体でも機能停止させれば大きな評価点を得る。


 フィオナが柔らかく微笑んだ。


「よろしくね、ミナさん」


「よろしくお願いします!」


「そんなに硬くならなくていいわ」


「無理です!」


 フィオナはくすりと笑う。


「素直でいいわね」


 その声は優しい。


 だが、構えた瞬間に空気が変わった。


 柔らかいのに、隙がない。


 水のように受け、光のように塞ぐ。


 ミナは短杖を握り直した。


 エルナ教官が手を上げる。


「始め!」


 鐘が鳴った。



 先に動いたのはフィオナだった。


 攻撃魔法ではない。


 淡い光の輪が、ミナの足元に現れる。


 拘束。


 ミナは咄嗟に跳ぼうとした。


 だが、跳ばない。


 跳べば護衛対象から離れる。


 ロイの言葉を思い出す。


 何を守るか、先に決める。


 ミナは水糸を一本、自分の足首へ巻いた。


 もう一本を護衛人形へ。


 足元の光輪が締まる瞬間、自分の身体を後ろへ引く。


 同時に、護衛人形を斜めへずらす。


 光輪は空を掴んだ。


 だが、その直後、フィオナの水糸が来た。


 細い。


 速い。


 見えた時には、すでに護衛人形の肩に絡んでいる。


「うそっ!」


 ミナは水糸を交差させる。


 切るのではない。


 絡めて、引く。


 フィオナの糸と自分の糸がぶつかる。


 水同士。


 だが、密度が違う。


 ミナの水糸が、少しずつ押される。


 フィオナは穏やかな声で言った。


「力で押し返そうとしない方がいいわ」


「分かってます!」


「本当に?」


「今分かりました!」


 ミナは水糸を緩めた。


 押し返すのではなく、流す。


 フィオナの糸を受けて、護衛人形の姿勢を変える。


 倒される力を、そのまま横移動へ変えた。


 護衛人形が一歩分、横へ滑る。


 フィオナの糸は外れない。


 だが、機能停止位置からは外れた。


 観覧席でカイルが頷いた。


「いい対応だ」


 リアナも拳を握る。


「ミナ、落ち着いているわ」


 ロイは短く言った。


「守れている」



 フィオナは攻め方を変えた。


 今度は光の針を三本。


 護衛人形ではなく、地面へ打ち込む。


 ミナの水糸の通り道を塞ぐように。


 水糸が光に触れると、細く散る。


 切断ではない。


 分解に近い。


 ミナは顔をしかめた。


「それ、ずるくないですか!?」


「戦場では、相手が嫌がることをするものよ」


「優しい声で怖いこと言う!」


 フィオナは微笑んだまま、護衛人形へ水糸を伸ばす。


 今度は二本。


 右と左。


 ミナは自分の水糸を二本出した。


 だが、それだけでは足りない。


 一体目を守れば、二体目が狙われる。


 二体目を守れば、自分の足元が空く。


 頭が熱くなる。


 水糸二本。


 魔導灯と訓練球の時よりは動く。


 でも、足りない。


 ミナは奥歯を噛んだ。


 増やすしかない。


 三本目。


 細く、短く。


 護衛人形に巻くのではなく、自分の短杖の先から床へ垂らす。


 フィオナの光針に触れないよう、足元だけを濡らす。


 薄い水膜。


 ミナはそこへ水糸を滑らせた。


 直接通せないなら、床を伝わせる。


 三本目は不安定だった。


 すぐ切れそうになる。


 それでも、届いた。


 護衛人形の足元へ。


 フィオナの水糸が引く瞬間、ミナは床の水膜ごと護衛人形を滑らせた。


 ぎりぎりで外れる。


 観覧席が沸いた。


「三本目!」


「今、三本使ったよな!?」


 ミナの額に汗が浮かぶ。


 自分でも驚いていた。


 できた。


 ほんの一瞬だけ。


 でも、三本目が動いた。


 フィオナの目が柔らかく細まる。


「いいわ。今のは、とてもいい」


 ミナは息を切らしながら笑った。


「ありがとうございます……でも、まだ終わってないですよね」


「ええ」


 フィオナの周囲に、淡い光の輪が五つ浮かんだ。


 ミナの笑顔が引きつる。


「やっぱりそうなりますよね!」



 残り一分。


 ミナは防戦一方だった。


 フィオナの光輪が進路を塞ぎ、水糸が護衛人形を狙い、治癒光が自分の護衛人形を保護する。


 支援役同士の戦い。


 だが、支援役という言葉から想像する穏やかさはなかった。


 奪う。

 守る。

 縛る。

 流す。

 回復する。

 切る。


 全てが細かく、速い。


 ミナは必死だった。


 二本の水糸。


 時々、三本目。


 それ以上は無理。


 頭が割れそうになる。


 それでも、彼女は自分が前に出なかった。


 護衛対象から離れない。


 自分が目立つ必要はない。


 守る。


 守る。


 それだけを決める。


 フィオナの光輪が、二体目の護衛人形の足元に出た。


 このままでは固定される。


 ミナは水糸を伸ばす。


 間に合わない。


 だから、自分の足元の水膜を蹴った。


 滑る。


 転びかける。


 それでも、護衛人形と光輪の間に身体を入れた。


 光輪がミナの左腕を拘束する。


 痛みはないが、動かない。


 フィオナの水糸が護衛人形へ迫る。


 ミナは右手だけで短杖を振った。


 三本目の水糸。


 細く、震えながら伸びる。


 護衛人形ではなく、フィオナの水糸へ絡む。


 止められない。


 でも、少しだけ逸らせる。


 フィオナの水糸が護衛人形の肩をかすめ、外れた。


 鐘が鳴る。


 終了。


 ミナはその場に座り込んだ。


「……守った?」


 エルナ教官が確認する。


「護衛人形二体、機能維持。ミナ・ロウ、評価条件達成」


 観覧席から拍手が起きた。


 大きな拍手だった。


 ミナは呆然としたあと、ゆっくり笑った。


「守った……!」



 フィオナが近づき、ミナの左腕の光輪を解いた。


「お疲れさま」


「あ、ありがとうございます……」


「最後、自分を盾にしたのは危険だけれど、判断としては悪くないわ。護衛対象を明確に優先していた」


「必死でした」


「必死で正しい判断ができるなら、それは強さよ」


 フィオナはそう言って、ミナの短杖を見る。


「三本目、出たわね」


 ミナの目が輝く。


「はい! でも、すぐ切れそうでした!」


「最初はそれでいい。二本を安定させながら、必要な瞬間だけ三本目を出す。あなたにはその方向が合っていると思う」


「はい!」


 フィオナは柔らかく微笑んだ。


「支援役は、派手な勝利をもらえないことが多い。でも、残した人数がそのまま勝ちになる。今日のあなたは、ちゃんと勝っていたわ」


 ミナは一瞬、言葉に詰まった。


 それから、深く頭を下げる。


「ありがとうございます!」



 ミナが戻ると、リアナが真っ先に迎えた。


「よく耐えたわ」


「リアナぁ……疲れたぁ……」


 ミナはそのままリアナに抱きついた。


 リアナは苦笑しながら受け止める。


「三本目、出ていたわね」


「一瞬だけだけど!」


「それでも大きいわ」


 ヴァルターも頷く。


「支援役の戦い方を見た気がする」


「ヴァルターにそう言われると、なんか真面目に嬉しい」


「僕は常に真面目だ」


「知ってる」


 ミナは最後にロイを見る。


「ロイ、評価」


「守れていた」


「うん」


「三本目は不安定。でも必要な時だけ出したのは良かった」


「うん!」


「最後、自分を入れた判断は危険だが、護衛対象は残った」


「うん……!」


「良かった」


 ミナは目を丸くした。


「最後、普通に褒めた」


「褒めている」


「……ありがと」


 ミナは少しだけ照れたように笑った。


 その笑顔を見て、リアナはほんのわずかに視線を落とした。


 複雑な感情ではない。


 嫌ではない。


 ただ、ミナがロイに褒められて嬉しそうにしているのを見て、自分の胸の奥が少し動いた。


 ミナはそれに気づいて、にやりとする余裕もなかった。


 疲れ切っていたからだ。



 午前の残り時間は、総合上位者による短い評価試合が続いた。


 ユリウスは一年生代表の剣を受けた。


 光属性の剣は、派手に輝かない。


 必要な場所だけを照らし、相手の視界と足元を制御する。


 彼は相手を倒すのではなく、攻撃の癖を一つずつ見せてから止めた。


「今の踏み込みは悪くない。ただ、相手の目を見すぎている。肩を見ろ」


 その助言に、一年生は真剣に頷いた。


 ダリウスは土属性の二年生に、地表だけでなく床下へ魔力を沈める感覚を教えていた。


 シオンは風属性の三年生に、音を消すより、音をずらす方が有効な場面があると見せた。


 カイルは全体を見ながら、試合後の記録をまとめている。


 上位者たちは、ただ強いだけではない。


 学院の上に立つ者として、下へ何かを渡していた。


 ロイはそれを見ていた。


「悪くない」


 隣のリアナが小さく笑う。


「最近、それをよく言うわね」


「そうか」


「ええ。でも、たぶん良いことだと思う」


 ロイは闘技場を見る。


「学院は、思ったより強くなる」


 リアナは少し驚いた。


「あなたがそう言うのね」


「ああ」


「なら、私たちも頑張らないと」


「もう頑張っている」


 不意に言われ、リアナは言葉を失った。


 ロイは普通に闘技場を見ている。


 何気ない評価。


 特別な意味は込めていないのかもしれない。


 でも、リアナには少しだけ強く響いた。


「……ありがとう」


「何が」


「今の」


「そうか」


 リアナは軽く息を吐き、少しだけ笑った。



 昼休憩の後。


 第一闘技場には、午前とは違う緊張が満ちていた。


 特別評価戦。


 ユリウス・レオンハルト対ロイ・オルディス。


 総合第一位と境界名簿第二十七席。


 もちろん、条件付きだ。


 ロイは黒雷一系統まで。


 広域技、抜雷、黒雷領域は禁止。


 ユリウスは通常制限なし。


 それでも、学院生たちは固唾を呑んでいた。


 ユリウスが闘技場へ上がる。


 白い鞘の長剣を抜く。


 刃に、淡い光が宿った。


 強い輝きではない。


 だが、不思議と目を逸らせない光だった。


 ロイも闘技場へ上がる。


 腰の《黒鳴》に手を置く。


 右手の手袋の留め具を、軽く確かめた。


 観覧席でリアナがそれに気づく。


 約束を守っている。


 そう思うと、少しだけ胸が温かくなった。


 ミナが横で小声を出す。


「リアナ、今ちょっと嬉しそう」


「試合を見なさい」


「はいはい」



 闘技場中央。


 ユリウスは静かに頭を下げた。


「よろしく頼む」


「ああ」


「全力で学ばせてもらう」


「分かった」


 エルナ教官が条件を確認する。


「ロイ・オルディス、黒雷一系統まで。広域技禁止。抜雷禁止。ユリウス・レオンハルト、通常制限なし。ただし殺傷級出力は禁止」


 ユリウスが頷く。


「承知しました」


 ロイも頷く。


 エルナ教官が手を上げた。


「始め!」


 鐘が鳴る。


 次の瞬間、ユリウスの光が闘技場に広がった。


 眩しい光ではない。


 淡く、薄く、床を撫でるような光。


 ロイの影が、わずかに薄くなる。


 ミナが呟く。


「影が……消えた?」


 カイルが答える。


「ユリウスの得意な場作りだ。相手の影、足元、距離感を曖昧にする」


 ユリウスが踏み込む。


 まっすぐ。


 正面から。


 ロイは刀を抜いた。


 青白い雷が走る。


 光の剣と雷の刀がぶつかる。


 音は澄んでいた。


 重くない。


 だが、鋭い。


 ユリウスの剣は、正統そのものだった。


 無駄がない。


 姿勢が崩れない。


 光で足元を曖昧にしながら、剣筋はまっすぐ通す。


 ロイは受ける。


 鞘で逸らす。


 半歩下がる。


 そこへ、ユリウスの二撃目。


 速い。


 カイルのような変則ではない。


 シオンのような奇襲でもない。


 正面から、完成度で押してくる。


 ヴァルターが息を呑む。


「これが総合第一位……」


 リアナも目を離さない。


「綺麗すぎる。だから崩れない」


 ロイの指先に、黒い火花が灯った。


 黒雷一系統。


 ユリウスの光が、それを照らす。


 黒い雷が、淡い光の中でより深く見えた。


 ロイは静かに言う。


「来る」


 ユリウスは微かに笑った。


「望むところだ」


 黒雷が床を走る。


 ユリウスの光が、それを迎えるように広がった。


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