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第34話 風と炎

 翌朝。


 第一闘技場は、昨日以上に人が集まっていた。


 本選第二日。


 注目試合は一つ。


 四年総合序列第五位、カイル・レインフォード。

 三年序列二十一位、ガレス・ロウガン。


 学年も、序列も、経験も違う。


 普通に考えれば、カイルが有利。


 だが、今のガレスは以前とは違う。


 炎を大きくするのではなく、必要な場所へ置くことを覚え始めている。


 だからこそ、生徒たちは見たかった。


 今のガレスが、どこまで四年上位に迫れるのか。



 観覧席の一角で、ミナが身を乗り出していた。


「ガレス先輩、勝てるかな」


 ヴァルターが腕を組む。


「難しい。だが、以前よりはずっといい試合になるはずだ」


 リアナも頷く。


「カイル先輩は風の扱いが上手いわ。炎を広げすぎれば、逆に流される」


「じゃあガレス先輩、炎を抑えないとだね」


「ええ」


 ロイは闘技場を見ていた。


 カイルはすでに入場している。


 剣を下げ、自然体で立っている。


 一方、ガレスは硬い顔で闘技場へ上がった。


 炎剣はまだ抜いていない。


 以前なら、入場の時点で炎をまとわせていたかもしれない。


 今は違う。


 使う時まで、燃やさない。


 それだけでも、変化だった。


 境界軍の兵士が観覧席下から声をかける。


「ガレス」


 ガレスが振り返る。


「はい」


「燃やすな」


「分かっています」


「怒るな」


「……分かっています」


「なら行け」


 ガレスは深く息を吐いた。


「行ってきます」


 その返事に、周囲の三年生たちが少し驚く。


 ガレスが、境界軍の兵士に素直に返事をした。


 それだけで、彼がどれだけ変わったか分かる。



 闘技場中央。


 カイルは穏やかに言った。


「よろしく、ガレス」


「よろしくお願いします」


「硬いな」


「相手が相手なので」


「それは光栄だ」


 カイルは剣を抜いた。


 薄い風が、刃の周囲を流れる。


 ガレスも炎剣を抜く。


 炎は小さい。


 赤い線が、刃の表面に沿っているだけ。


 観覧席の一部がざわつく。


「炎、小さくないか?」


「前みたいに燃やさないんだ」


「本当に変えたんだな」


 ガレスはその声を聞いていない。


 目の前のカイルだけを見ている。


 勝てるとは思っていない。


 だが、勝つ気で行く。


 届かないと分かっていても、最初から退くつもりはなかった。


 エルナ教官が手を上げる。


「始め!」


 鐘が鳴った。



 先に動いたのはガレスだった。


 ただし、突進ではない。


 低い炎を床へ置く。


 直線ではなく、曲線。


 カイルの足元へ向かうのではなく、進路を二つに分けるように。


 カイルはその炎を見て、わずかに笑った。


「いい置き方だ」


 風で消すことはできる。


 だが、消せばその瞬間、風の流れが読まれる。


 カイルはあえて消さず、炎の切れ目へ足を運んだ。


 その瞬間。


 ガレスが踏み込む。


 炎で進路を作り、相手を誘導し、そこへ剣を合わせる。


 以前のような力任せの剣ではない。


 狙っていた。


 カイルは剣で受ける。


 風が散る。


 ガレスは押さない。


 剣を引き、炎を横へ置く。


 カイルの後退方向を塞ぐ。


 さらに、低い炎を足元へ二本。


 逃げ道を絞る。


 観覧席でヴァルターが呟いた。


「上手い」


 ロイも頷く。


「前よりかなりいい」


 ミナが小さく笑う。


「ロイ、最近ちゃんと褒めるよね」


「良ければ言う」


「うん。いいと思う」



 ガレスの炎は、カイルの足を止めた。


 ほんの一瞬。


 だが、四年総合序列第五位には、その一瞬で十分だった。


 カイルの足元に風が生まれる。


 前ではない。


 上。


 身体を軽く浮かせ、炎の線を越えた。


 そのまま空中で剣を返す。


 風をまとった斬撃が、ガレスの肩口へ落ちる。


 ガレスは受ける。


 炎剣で正面から。


 だが、風の斬撃は重くない。


 当たった瞬間に横へ流れ、ガレスの防御を滑る。


 剣の角度がずれた。


 カイルの二撃目が迫る。


 ガレスは炎を広げかけた。


 反射的に。


 だが、歯を食いしばって抑える。


 広げるな。


 燃やすな。


 目的で置け。


 彼は自分の足元へ炎を置いた。


 爆発させるのではない。


 床を熱で弾く。


 身体を横へ逃がす。


 カイルの二撃目が制服の袖をかすめた。


 ガレスは体勢を崩しながらも、倒れない。


「今の判断はいい」


 カイルが言う。


「余裕ですね」


「余裕はないさ」


「嘘だ」


「少しはある」


 ガレスは舌打ちした。


 だが、その目は死んでいない。



 試合は、予想より長く続いた。


 ガレスは何度も崩された。


 カイルの風は、炎の隙間を抜ける。


 炎を置いても、風で流される。


 剣を振っても、角度をずらされる。


 それでも、ガレスは炎を暴走させなかった。


 怒りで燃やさない。


 焦りで広げない。


 目的を失わない。


 それだけで、以前とはまったく違う。


 カイルが距離を取る。


「ガレス」


「何ですか」


「そろそろ決めに行く」


「親切ですね」


「君なら受けるだろう?」


「当然」


 カイルの周囲で風がまとまる。


 昨日、ロイに使ったものよりは出力を抑えている。


 だが、十分に鋭い。


 一本の風。


 剣に沿う、緑がかった刃。


「風牙一閃」


 カイルが踏み込む。


 正面。


 速い。


 ガレスは逃げなかった。


 炎剣を構える。


 ただし、受けるためではない。


 足元へ炎を置く。


 左右へ二本。


 さらに、剣の腹へ薄い炎を重ねる。


 風牙が来る。


 ガレスは剣をぶつけた。


 炎と風が噛み合う。


 押し負ける。


 その瞬間、ガレスは足元の炎を爆ぜさせた。


 大きくではない。


 一瞬だけ。


 身体を斜めへずらすために。


 風牙の中心を外す。


 剣は弾かれる。


 だが、直撃ではない。


 ガレスは肩から床へ転がった。


 すぐに立ち上がろうとする。


 カイルはすでに前にいた。


 剣先が、ガレスの喉元で止まる。


 鐘が鳴る。


 勝者、カイル・レインフォード。



 ガレスは膝をついたまま、荒く息を吐いた。


 負けた。


 当然の結果だ。


 それでも、観覧席から拍手が起きた。


 昨日よりも大きい。


 同情ではない。


 今の試合を見た者なら分かる。


 ガレスは、変わった。


 炎で押し切るだけの前衛ではなくなりつつある。


 カイルは剣を下ろした。


「最後、中心を外したな」


「外しきれませんでした」


「だが、直撃は避けた」


「負けは負けです」


「それでも、いい試合だった」


 ガレスは顔をしかめた。


「褒められるのは慣れません」


「慣れた方がいい。君は伸びている」


 カイルは手を差し出した。


 ガレスは一瞬迷い、その手を取って立ち上がる。


 観覧席の拍手がさらに強くなった。


 ガレスは居心地悪そうに顔を背ける。


 だが、その口元はわずかに緩んでいた。



 闘技場を降りたガレスの前に、境界軍の兵士が立っていた。


「負けたな」


「はい」


「だが、燃やさなかった」


「……はい」


「次は、炎を置く前に足を作れ。火で逃げる癖が残っている」


「分かりました」


 兵士は少しだけ頷いた。


「悪くなかった」


 ガレスの目がわずかに開く。


「ありがとうございます」


 その一言を、近くの三年生たちは聞いていた。


 ガレスが頭を下げる。


 境界軍の兵士が、短く評価する。


 その光景は、三年生たちにとって大きかった。


 強い者が、さらに強い者から学ぶ。


 それは恥ではない。


 むしろ、進むために必要なことだった。



 昼前。


 カイルは次の試合に備えて休憩に入った。


 その横へ、ロイが来る。


「良かった」


 カイルが笑う。


「僕か? ガレスか?」


「両方」


「それは珍しく豪華な評価だ」


「風牙は昨日より絞れていた」


「君に割られたからな。中心を作りすぎるなと言われただろう」


「使ったのか」


「すぐには直らないが、意識はした」


 カイルは闘技場を見る。


「ガレスも良かった。彼はまだ荒いが、火を置く感覚を掴み始めている」


「ああ」


「君と戦った者は、何かしら変わるな」


「俺のせいか」


「いい意味でだ」


 カイルは水を飲み、少し声を落とした。


「午後、僕は君ともう一度やるらしい」


「そう聞いた」


「条件は?」


「黒雷一系統。抜刀あり。広域技なし」


「昨日と同じか」


「少し変えるかもしれない」


「怖いな」


 そう言いながら、カイルは楽しそうだった。



 昼休憩。


 第一班は中庭へ移動した。


 ミナは朝からずっと上機嫌だった。


「ガレス先輩、負けたけどかっこよかったね」


 ヴァルターが頷く。


「ああ。認めざるを得ない」


「ヴァルターが素直!」


「僕はいつも正当に評価している」


「その台詞、最近よく聞く」


 リアナは手元の飲み物を持ちながら、ロイの右手を見た。


「手袋、傷んでいない?」


 ロイは右手を見る。


「少し焦げた」


 リアナの目が細くなる。


「黒雷は流さないと言っていたわ」


「黒雷は流していない」


「では、なぜ焦げたの?」


「雷属性の魔力は流した」


「……次からはそれも含めて注意するわ」


 ロイは少し考えた。


「悪かった」


 リアナは一瞬だけ驚く。


 それから、柔らかく息を吐いた。


「謝るほどではないわ。予備の留め具もあるし」


「使うか」


「ええ。今、直す」


 リアナは布袋を取り出し、ロイの手袋の留め具を確認する。


 指先が触れる。


 昨日より、少し自然だった。


 ミナは黙ってそれを見ている。


 にやにやしている。


 ヴァルターはパンを食べながら首を傾げた。


「なぜ笑っている」


「ヴァルターは分からなくていいよ」


「またそれか」


 リアナは聞こえないふりをして、留め具を締め直した。


「これで大丈夫」


「助かる」


「次は焦がさないで」


「努力する」


「約束」


 ロイはリアナを見る。


「分かった。約束する」


 リアナの手が一瞬止まった。


 ミナが口元を押さえる。


 リアナは何事もなかったように手を離したが、耳の先が赤い。


「……なら、いいわ」



 午後。


 特別評価戦。


 カイル・レインフォード対ロイ・オルディス。


 観覧席の空気は、朝とは違う緊張に包まれていた。


 昨日の試合では、カイルは黒雷一系統まで許可されたロイと戦い、敗れた。


 だが、今日のカイルは、ガレス戦を挟んでさらに調整している。


 ロイもまた、昨日と同じではない。


 闘技場中央で、二人が向かい合う。


 エルナ教官が条件を読み上げる。


「ロイ・オルディスは黒雷一系統まで許可。広域技禁止。天穿・抜雷禁止。カイル・レインフォードは通常制限なし」


 カイルが苦笑する。


「僕だけ制限なしと言われても、差が大きいな」


「そのための評価戦だ」


 ロイが答える。


「そうだな」


 カイルは剣を構えた。


「今日は、昨日より一歩だけ詰める」


「分かった」


 ロイの指先に、黒い火花が灯る。


 小さい。


 だが、闘技場の空気が沈む。


 黒雷一系統。


 それだけで、場の意味が変わる。


 開始の鐘が鳴った。



 カイルは最初から仕掛けた。


 風を三つ。


 足元、剣、背後。


 昨日と同じ三重制御。


 だが、切り替えが速い。


 足元の風で踏み込み、剣の風で斬撃を伸ばし、背後の風で反動を殺す。


 ロイの黒雷が床を走る。


 カイルは避ける。


 昨日より早い。


 黒雷の予兆に反応するのではなく、ロイの鞘の角度と指先の動きから読む。


 黒雷が空を切る。


 観覧席が沸く。


 ロイは一歩踏み込む。


 カイルは下がらない。


 風の刃を二つに分ける。


 一つは見せる刃。


 もう一つは、ロイの足元へ流す圧。


 並列行使の応用。


 ロイの足が一瞬止まった。


 カイルの剣が迫る。


 ロイは刀で受ける。


 黒雷が刀身へ移る。


 カイルは即座に剣を離すように引き、風で軌道を変えた。


 黒雷に触れない。


 昨日の失敗を、すぐに修正している。


 ロイが言う。


「速くなった」


「昨日の今日だからな」


「いい」


 カイルは笑う余裕なく、さらに踏み込む。



 試合は短く、濃かった。


 カイルは昨日より確かに近づいている。


 ロイの黒雷一系統に対して、読みと風の切り替えで対応している。


 だが、ロイはさらに一段、細かい。


 黒雷を攻撃に使わない。


 相手の風を切る。

 足元の圧を乱す。

 剣の角度を半寸ずらす。


 それだけで、カイルの組み立てが崩れる。


 カイルが大きく踏み込んだ。


 風牙一閃ではない。


 もっと細い。


 剣筋を隠すための無音の風。


 ロイの目が細くなる。


「それはいい」


 カイルの剣が、ロイの左肩へ届きかけた。


 だが、届く直前。


 黒雷が消えた。


 床にも、刀身にも、指先にもない。


 カイルは一瞬だけ見失う。


 次の瞬間、黒雷は鞘の縁にいた。


 ロイの左手が鞘を押す。


 抜雷ではない。


 ただ、鞘の角度を変えるだけ。


 黒い火花がカイルの剣の腹を叩いた。


 剣筋が一寸ずれる。


 ロイの刀の峰が、カイルの胸元で止まった。


 鐘。


 勝者、ロイ・オルディス。


 カイルはその場で息を吐いた。


「一歩詰めたつもりだったが」


「詰めていた」


「でも届かない」


「ああ」


「分かっているさ」


 カイルは笑った。


「だが、昨日より見えた。黒雷がどこに置かれるか。君がどこで相手を崩すか」


「なら次はもっと良くなる」


「君は本当にそればかりだな」


「他にない」


 カイルは剣を下ろした。


「その通りだ」



 観覧席の拍手は大きかった。


 カイルは負けた。


 だが、確かに一歩詰めた。


 それを多くの生徒が見た。


 強者との差は、一日で埋まらない。


 だが、一日で変わることはできる。


 それを、カイルが示した。


 ガレスも観覧席で黙って見ていた。


 拳を握っている。


 悔しい。


 だが、前とは違う。


 その悔しさは、誰かを否定するためではなく、自分を進めるために燃えていた。



 夕方。


 本選二日目が終了した。


 学院長から、翌日の予定が告げられる。


 午前は本選準決勝。


 午後は、境界軍と学院による合同説明。


 内容は、外域、禍等級、ダンジョン等級との差について。


 その発表に、生徒たちは静かにざわついた。


 ついに、説明される。


 自分たちが見た黒い根が何だったのか。


 外域とは何なのか。


 ダンジョンで強いことと、外で生き残ることがどう違うのか。


 セレスが壇上に立つ。


「明日の説明は、興味本位で聞くものではない」


 講堂の空気が締まる。


「知った上で、どう進むかを考えろ」


 ロイは観覧席の端から、それを聞いていた。


 外域。


 禍等級。


 境界名簿。


 学院の生徒たちは、ようやくその入口に立つ。


 その先にあるものを、まだ彼らは知らない。


 だが、知る準備は少しずつできていた。


 夜の学院に、訓練用の魔導灯がまた一つ灯った。


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