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第33話 本選開幕

 学内序列戦、本選初日。


 第一闘技場の観覧席は、朝から埋まり始めていた。


 個人予選とは違う。


 本選に残った者たちは、すでに一度以上、実力と判断を示している。


 そこへ、今年は特別な意味が加わっていた。


 《黒雷》ロイ・オルディス。


 《蒼刃》セレス・アーヴェイン。


 外域反応。


 《翠門》深部。


 並列行使。


 色相転位。


 この数日で、生徒たちの中に入ってきたものは多すぎた。


 それでも、今日は序列戦だ。


 学院生として、自分の名を刻む場所。


 エルナ教官が闘技場中央に立つ。


「本選第一試合」


 観覧席が静まる。


「ミナ・ロウ」


 ミナが肩を跳ねさせた。


「い、いきなり私!?」


 リアナが落ち着いた声で言う。


「大丈夫。昨日までやったことを思い出して」


「うん……」


 ミナは立ち上がる。


 手には短杖。


 腰には水糸用の小さな魔導具。


 攻撃特化ではない。


 回復、拘束、支援。


 これまでなら、個人本選に残るタイプではなかった。


 だが今年の評価基準は違う。


 支援役が、どう戦うか。


 それも見られている。


「対するは、三年上位班所属、ニール・バゼット」


 相手は三年生。


 風属性の軽剣士だった。


 速度と手数で押すタイプ。


 ミナにとっては、かなり相性が悪い。


 ヴァルターが眉を寄せる。


「厳しい相手だな」


 リアナも頷く。


「ええ。近づかれると苦しいわ」


 ミナが振り返る。


「今そういうこと言う?」


「でも、勝ち筋はある」


 リアナは短く言った。


「相手は速い。でも、直線的な癖がある。水糸を当てる必要はない。進路に置いて」


 ミナは頷く。


「置く……うん」


 ロイが言う。


「二本使え」


 ミナがロイを見る。


「二本?」


「一本は見せる。もう一本は足元」


「……分かった」


 ロイは少しだけ間を置いて、続けた。


「昨日よりできていた」


 ミナは目を丸くした。


「え、今褒めた?」


「事実だ」


「うわ、ちょっと元気出た」


 ミナは短杖を握り直し、闘技場へ向かった。



 開始の鐘が鳴る。


 先に動いたのはニールだった。


 速い。


 風をまとい、低い姿勢で一気に間合いを詰める。


 ミナは水糸を一本、正面へ伸ばした。


 だが、ニールはそれを読んでいる。


 軽剣で水糸を弾き、さらに踏み込む。


「支援役が正面で止められると思うなよ!」


 剣が迫る。


 ミナは下がる。


 焦りそうになる。


 だが、昨日の訓練を思い出した。


 一本目は見せる。


 もう一本は、足元。


 左手の指が動く。


 細い水糸が、床すれすれに走った。


 ニールの足首には当たらない。


 当てない。


 その一歩先に置く。


 ニールの足が、わずかに水糸を嫌がった。


 踏み込みが浅くなる。


 剣先がミナの肩をかすめるだけで止まった。


「っ……!」


 ミナは息を呑みながらも、二本目を引く。


 ニールの姿勢が崩れる。


 そこへ、一本目の水糸を絡める。


 腕ではない。


 剣の柄。


 ニールが舌打ちし、風で糸を切る。


 だが、その間にミナは距離を取っていた。


 観覧席で、リアナが頷く。


「いいわ」


 ヴァルターも言う。


「正面で受けなかった」


 ロイは短く言った。


「判断が早い」



 ニールはすぐに立て直した。


 さすが三年上位班。


 一度の失敗で崩れない。


「やるじゃないか」


「どうも!」


 ミナは笑って答えたが、余裕はない。


 水糸二本。


 それだけで、頭が熱くなる。


 一本を見せて、一本を置く。


 分かっていても難しい。


 ニールは次に、風刃を混ぜた。


 距離を詰めるだけではない。


 斜めから小さな風刃を飛ばし、水糸を切ろうとする。


 ミナは一本目を捨てた。


 風刃に切らせる。


 その間に、二本目を太くする。


 床に水膜を広げる。


 薄い。


 踏めば滑るほどではない。


 だが、風で加速するニールには十分な違和感になる。


 ニールの足が水膜へ触れた。


 風が乱れる。


 ミナは短杖を振った。


「水糸・結!」


 水糸が輪を作り、ニールの膝下へ絡む。


 完全拘束ではない。


 だが、速度が落ちる。


 ニールは強引に切ろうとする。


 その瞬間、ミナはもう一本の水糸を自分の腕へ巻いた。


 自分の身体を引く。


 後ろへ跳ぶのではなく、斜めへ滑る。


 ニールの剣が空を切る。


 ミナはそのまま、短杖の先をニールへ向けた。


 水の弾丸を撃つ。


 威力は低い。


 だが、顔の前で弾けた。


 視界が潰れる。


 ニールが一瞬止まる。


 ミナはその一瞬を逃さなかった。


 二本の水糸を交差させ、ニールの剣腕を巻く。


「止まって!」


 ニールの軽剣が、手から半分抜けた。


 エルナ教官の声が響く。


「そこまで!」


 鐘が鳴る。


 勝者、ミナ・ロウ。


 一瞬、ミナ自身が固まった。


「……え?」


 観覧席が沸いた。


 大きな歓声ではない。


 驚きと称賛が混じった拍手。


 支援役が、三年の軽剣士を止めた。


 派手な火力ではない。


 水糸二本と、足元の水膜と、視界潰し。


 昨日までの訓練が、形になった。


 ミナはようやく実感し、ぱっと顔を明るくした。


「勝った……!」



 ミナが戻ってくると、リアナが迎えた。


「おめでとう」


「リアナぁ……勝ったぁ……」


「ええ。いい判断だったわ」


 ミナは勢いのままリアナに抱きついた。


 リアナは少し驚いたが、そのまま受け止める。


 ヴァルターも腕を組んで頷いた。


「見事だった」


「ヴァルターに言われると、本当に勝った感じする」


「どういう意味だ」


「厳しそうだから」


「僕は正当に評価している」


 ミナは笑いながら、最後にロイを見る。


「ロイ、どうだった?」


「二本目が良かった」


「そこ?」


「足元に置いた判断が良かった。あと、最後に水弾で視界を潰したのもいい」


 ミナは目を丸くした。


「めっちゃ褒めるじゃん」


「勝ったからな」


「……へへ」


 ミナは少し照れたように笑った。


 その笑顔は、いつもの明るさより少しだけ柔らかい。


「ありがと。ロイに言われると、なんか変に嬉しい」


「そうか」


「そうだよ」


 リアナがその様子を見て、ほんの少しだけ目を細めた。


 怒っているわけではない。


 ただ、何かを感じたような顔だった。


 ミナはそれに気づき、にやっと笑う。


「リアナ?」


「何?」


「べつに?」


「その言い方、やめなさい」



 第二試合。


 リアナ・セレストの名が呼ばれた。


 相手は三年の氷属性術師。


 同じ氷系統を扱う相手だが、リアナは風との複合。


 純粋な氷の出力では相手が上。


 だが、制御と判断ではどうか。


 ロイは闘技場へ向かうリアナへ言った。


「氷で勝とうとするな」


 リアナが振り返る。


「風を使え、ということ?」


「相手は氷を見ている。風は見ていない」


「分かったわ」


 リアナは少しだけ微笑む。


「見ていて」


「ああ」


 その短いやり取りを、ミナが横で聞いていた。


「うわ」


 ヴァルターが眉を寄せる。


「何だ」


「いや、なんでもない」


「絶対何かある顔だ」


「あるけど言わない」


 ヴァルターは理解できず、首を傾げた。



 開始の鐘。


 相手の三年生は、すぐに氷槍を三本作った。


 正面、左、右。


 同時射出。


 リアナは氷壁を張らない。


 風を薄く流す。


 氷槍の軌道がわずかにずれた。


 正面の一本は肩をかすめる。


 左右の二本は、通り過ぎる。


 リアナはその隙に足元へ氷を広げた。


 相手も同じように氷を広げる。


 氷同士がぶつかる。


 単純な出力では、相手が押す。


 リアナの氷が押し返される。


 観覧席がざわつく。


「押されてる」


「相手の氷、強いな」


 だが、ロイは言った。


「問題ない」


 ミナが聞く。


「なんで?」


「リアナは氷で止めていない」


 次の瞬間、相手の足元で風が巻いた。


 氷の上を滑らせる風。


 相手は自分の氷で足場を固めていた。


 だからこそ、風のわずかな流れに対応が遅れた。


 リアナは氷で押し合うふりをしながら、風を足元へ回していたのだ。


「氷風・環縛」


 冷たい風が輪になり、相手の足首を包む。


 同時に、薄氷が膝まで走った。


 相手は氷を砕こうとする。


 だが、風が氷の再形成を助ける。


 砕いても、すぐ固まる。


 リアナは細剣を抜いた。


 氷の刃ではない。


 風をまとった細い突き。


 相手の喉元で止まる。


 鐘が鳴った。


 勝者、リアナ・セレスト。


 観覧席から拍手が起こる。


 リアナは静かに細剣を下ろした。


 派手ではない。


 だが、綺麗な勝ち方だった。



 リアナが戻ると、ミナが真っ先に声を上げた。


「リアナ、かっこよかった!」


「ありがとう」


 ヴァルターも頷く。


「風の使い方が見事だった」


「ロイの助言が効いたわ」


 リアナはそう言って、ロイを見る。


「ありがとう。見えていたのね」


「相手が氷だけを見ていた」


「ええ。あなたの言った通りだった」


 リアナはそこで少しだけ迷い、続けた。


「手袋、違和感はない?」


 話題が急に変わった。


 ロイは右手を見る。


 昨日、リアナが選んだ手袋。


「ない」


「そう。よかった」


「使いやすい」


 リアナの目がわずかに柔らかくなる。


「なら、選んだ甲斐があったわ」


 ミナが両手で口元を押さえる。


「ふーん」


「ミナ」


「何も言ってないよ?」


「顔が言っているわ」


「顔は自由だよ」


 リアナは少しだけ頬を赤くし、視線を闘技場へ戻した。


 ロイはなぜミナが笑っているのか分かっていない。


 ヴァルターも分かっていない。


 二人だけが、妙に真面目な顔をしていた。



 午前の本選は順調に進んだ。


 ヴァルターも勝った。


 土壁と土杭を組み合わせ、相手の攻撃を受けるのではなく流し続けた。


 最後は槍の一突きで決める。


 ガレスも勝った。


 炎を派手に広げず、低く置き、相手の足場を制限した。


 怒りで燃やすのではなく、目的で置く。


 境界軍の兵士が観覧席で腕を組み、小さく頷いていた。


 生徒たちは変わっている。


 少しずつ。


 確実に。



 昼休憩。


 第一班は中庭で昼食を取ることになった。


 ミナが勝利祝いだと言って、購買部で甘いパンを買ってきた。


「今日は全員勝ったから、全員えらい!」


 ヴァルターが言う。


「まだ本選の序盤だ」


「それでも今日は勝ったでしょ」


「それはそうだが」


 リアナがパンを一つロイへ渡す。


「あなたも食べる?」


「甘いのか」


「たぶん」


「なら食べる」


 ミナが笑う。


「ロイ、甘いの慣れてきた?」


「補給にはなる」


「感想が兵士」


 リアナが小さく笑う。


「でも、前より自然に食べるようになったわ」


「そうか」


「ええ」


 ロイはパンを食べた。


「柔らかい」


「それ、この前も言ってたね」


 ミナが笑う。


 リアナは少しだけ嬉しそうにした。


 何でもない会話。


 戦闘でも、任務でも、外域でもない。


 ただ、昼休みに同じものを食べているだけ。


 けれど、ロイには少し珍しい時間だった。


 彼は中庭の灯りを見た。


 昨日まで練習していた生徒たちが、今日も魔導灯と訓練球を並べている。


 食事の合間にも、少しだけ練習しているらしい。


 ミナがその方向を見る。


「みんな、頑張ってるね」


「ああ」


 ロイが答える。


「悪くない」


 リアナがその言葉を聞き、小さく頷いた。


「ええ。悪くないわ」



 午後。


 本選表の次の更新が出された。


 明日の注目試合。


 カイル・レインフォード対ガレス・ロウガン。


 四年総合序列第五位と、三年序列二十一位。


 そして、その勝者は次にロイ・オルディスと特別評価戦を行う可能性がある。


 掲示板前が大きくざわついた。


 ガレスはそれを見て、口元を引き締める。


 カイルが横に立った。


「よろしく、ガレス」


「手加減は不要です」


「もちろん」


 カイルは穏やかに笑う。


「今の君なら、前より面白い試合になる」


「勝つつもりで行きます」


「それでいい」


 ロイは少し離れて、それを見ていた。


 ヴァルターが横に来る。


「どちらが勝つと思う」


「カイル」


「即答だな」


「現状は」


「ガレス先輩にも可能性は?」


「ある。だが、まだ届かない」


 ヴァルターは頷いた。


「なら、僕も見て学ぶ」


「ああ」



 夕方。


 試合を終えた生徒たちは、少しずつ寮へ戻っていった。


 ロイは中庭を抜けようとして、リアナに呼び止められた。


「ロイ」


「何だ」


 リアナは少し迷ったように見えた。


 それから、手に持っていた小さな布袋を差し出す。


「これ、予備の留め具。昨日の手袋用」


「必要か」


「黒雷を流さなくても、戦闘中に壊れるかもしれないでしょう」


「そうか」


「だから、持っていて」


 ロイは受け取った。


「助かる」


「ええ」


 そこで会話は終わるはずだった。


 だが、リアナはもう一言だけ足した。


「明日も、無理はしないで」


「無理はしない」


「あなたの無理は、たぶん私たちの無理と違うから」


「……気をつける」


 リアナは少し驚いた顔をした。


 ロイが、珍しく言い直したからだ。


「なら、いいわ」


 彼女はそう言って、少しだけ笑った。


 ロイは布袋を見下ろす。


 予備の留め具。


 戦闘に必要なものではある。


 だが、それだけではない気がした。


 まだ、うまく言葉にはできない。


 ロイはそれを懐へしまった。


 明日、本選はさらに進む。


 学院の序列戦は、戦いだけでなく、人の距離も少しずつ変えていた。


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