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第32話 休養日の距離

 翌日は、半日の休養日になった。


 本選を前に、学院側が強制的に調整時間を入れたのだ。


 第一闘技場は整備中。


 第二演習場も午前中だけ使用制限。


 《翠門》北区画は引き続き封鎖。


 戦う場所が閉じられると、学院は急に普通の顔を取り戻した。


 廊下を歩く生徒。

 食堂へ向かう声。

 購買部の前にできる列。

 中庭で魔導書を開く下級生。


 つい数日前、中央広場を黒い根が覆ったとは思えないほどだった。


 ミナが食堂の椅子に座りながら、深々と息を吐いた。


「休みだー……」


 ヴァルターが向かいに座る。


「半日だけだ」


「半日でも休みは休み」


 リアナは手元の予定表を確認している。


「午後は本選参加者の装備確認と簡易面談。午前中は自由行動ね」


「自由行動!」


 ミナが明るい声を出す。


 ロイは食事を取っていた。


 いつも通り、味より栄養を優先したような皿だった。


 ミナがそれを見て、眉をひそめる。


「ロイ、それおいしい?」


「食べられる」


「おいしいか聞いたんだけど」


「問題はない」


「問題じゃなくて味!」


 リアナが小さく笑った。


「ロイは、食事にも任務達成みたいな顔をするわね」


「食事は必要だ」


「そういうところよ」


 リアナは自分の皿から、焼き菓子を一つ取った。


 そして、ロイの皿の端へ置く。


 ロイがそれを見る。


「何だ」


「食べてみて。購買部で今朝出ていたものよ」


「俺の分ではない」


「私が渡したから、あなたの分」


 ロイは少しだけ考え、焼き菓子を手に取った。


 口に入れる。


 しばらく沈黙。


 ミナが身を乗り出す。


「どう?」


「甘い」


「それはそう!」


 リアナが尋ねる。


「嫌い?」


「嫌いではない」


「なら、よかった」


 その声が、少しだけ柔らかかった。


 ロイは気づいているのかいないのか、もう一口食べる。


 ミナは二人を見比べ、にやりとした。


「リアナ、最近ロイに優しいよね」


「班員に対して当然の配慮よ」


「ふーん」


「何?」


「べつにー?」


 リアナは表情を崩さない。


 だが、耳の先がほんの少し赤かった。


 ヴァルターは咳払いする。


「朝から妙な空気を作るな」


「ヴァルターも焼き菓子食べたい?」


「いらない」


「本当?」


「……一つだけなら」


 ミナが笑いながら皿を差し出した。



 朝食後、ミナの提案で購買部へ向かうことになった。


 理由は単純だった。


「ロイの装備、実用一辺倒すぎるから」


「問題ない」


「問題はないけど、学院生活的にはある」


「どういう意味だ」


「たまには普通の学生っぽいもの買おうって意味」


 ロイは理解していない顔だった。


 リアナが補足する。


「予備の手袋や筆記具くらいはあった方がいいわ。あなた、授業中に管理局の記録用紙をそのまま使っているでしょう」


「使える」


「使えるけれど、目立つの」


「もう目立っている」


「そういう問題ではないわ」


 ミナが頷く。


「そうそう。《黒雷》でも、筆記具くらい学生っぽくしよ」


「関係あるか?」


「ある!」


 ヴァルターは少し離れて歩きながら言った。


「僕は付き添う必要があるのか」


「あるよ。ヴァルター、意外と物の良し悪し分かりそうだし」


「意外とは余計だ」


 四人で購買部へ向かう。


 途中、何人かの生徒がロイに気づいた。


 声をかける者もいる。


「ロイ先輩、おはようございます!」


「昨日の評価戦、すごかったです!」


「あの、並列行使の練習、参考にしてます!」


 ロイは一つずつ短く返す。


「ああ」


「無理はするな」


「二つからやれ」


 それだけなのに、下級生たちは嬉しそうだった。


 ミナが横で小さく言う。


「人気者だね」


「そうか?」


「そうだよ」


 リアナはその様子を見ていた。


 以前なら、ロイへの反応には嫉妬や警戒が多かった。


 今は違う。


 怖がる者もいる。


 遠巻きにする者もいる。


 けれど、素直に尊敬する者が増えている。


 そしてロイも、短くではあるが応じている。


 それが少しだけ、不思議だった。



 購買部は混んでいた。


 本選前の装備調整で、包帯、魔力補助布、予備の手袋、筆記具、携帯食などがよく売れている。


 ロイは棚の前で立ち止まった。


 同じような黒手袋が並んでいる。


 どれも似て見える。


「これでいい」


 ロイが最初の一つを取る。


 リアナがすぐに止めた。


「待って。それ、導魔糸が粗いわ」


「使える」


「使えるけれど、あなたの雷だとすぐ焼けると思う」


 リアナは隣の棚から別の手袋を取った。


「こっち。内側に導魔補強が入っている。黒雷に耐えるかは分からないけれど、普通のものよりはいいはず」


「詳しいな」


「装備確認は班長の仕事よ」


 リアナはそう言って、手袋をロイへ渡す。


 ロイは右手にはめた。


 少し大きい。


 リアナが手首の留め具へ手を伸ばした。


「ここ、締めないとずれるわ」


「自分でやる」


「片手だとやりにくいでしょう」


 彼女は自然に留め具を締めた。


 指が、ロイの手首に触れる。


 一瞬だけ、リアナの動きが止まった。


 ロイは彼女を見る。


「どうした」


「……いえ。少し熱かっただけ」


「雷は流していない」


「知っているわ」


 リアナは留め具を整え、手を離した。


「これで大丈夫」


「助かる」


 短い礼。


 それだけだった。


 だが、リアナは少しだけ目を伏せた。


「どういたしまして」


 ミナは少し離れた棚の陰から、その様子を見ていた。


「ふーん」


 ヴァルターも見ていた。


「何をしている」


「観察」


「趣味が悪い」


「いいじゃん。平和だし」


 ヴァルターは否定できず、黙った。



 購買部を出たところで、例の一年生の少女が声をかけてきた。


 以前、資料を落とし、ロイに手伝ってもらった少女だ。


「あ、あの、ロイ先輩」


「何だ」


「この前は、ありがとうございました。兄も、その……ロイ先輩にお礼を言いたいって」


「怪我は」


「もう大丈夫です」


「ならいい」


 少女は両手で小さな包みを差し出した。


「これ、また焼き菓子です。皆さんで」


 ミナが明るく受け取る。


「ありがとう。前のもおいしかったよ」


 少女の顔がぱっと明るくなる。


「本当ですか?」


「うん。本当」


 少女はロイを見る。


「ロイ先輩も……食べましたか?」


「食べた」


「どうでしたか?」


「甘かった」


 ミナが小声で突っ込む。


「またそれ」


 リアナが横から言った。


「ロイの中では、褒めている方よ」


 少女は少し驚き、それから嬉しそうに笑った。


「なら、よかったです」


 リアナの言い方は自然だった。


 ロイの言葉が足りない部分を、さりげなく補う。


 ミナがそれを見て、またにやにやする。


 リアナは気づいたが、今度は何も言わなかった。



 中庭へ出ると、数人の上級生が並列行使の練習をしていた。


 魔導灯を灯しながら、訓練球を浮かせる。


 昨日と同じ基礎訓練。


 ただ、今日は生徒同士で教え合っている。


 四年生が一年生に言う。


「球を落とさないことより、灯りを切らさないことを優先しろ。片方を基準にするんだ」


「はい!」


 三年生が別の二年生へ声をかける。


「力を入れすぎるな。魔力を太くすると、もう片方が乱れる」


 学院の空気は、確実に変わっていた。


 ロイを見て、恐れるだけではない。


 学ぶ。


 真似できる範囲へ落とし込む。


 上級生が下級生へ教える。


 その光景は、悪くなかった。


 カイルが中庭の端から歩いてきた。


「いい光景だろう?」


「ああ」


 ロイが答える。


「君が派手に暴れた効果だ」


「暴れたつもりはない」


「中央広場と東棟の修理費を見ても同じことが言えるか?」


 ロイは少し黙った。


 ミナが笑う。


「ロイが負けた」


「負けていない」


 カイルは楽しそうに笑った。


「午後の面談まで時間がある。中庭で少し休むといい」


「休む?」


 ロイが聞き返す。


 リアナが答える。


「何もしない時間のことよ」


「何もしないのか」


「そう」


「難しいな」


 ミナが吹き出した。


「休むのが難しいって、本当にロイだね」



 中庭の木陰に、四人は座った。


 カイルは上級生の指導へ戻り、ヴァルターは少し離れた場所で槍の手入れをしている。


 ミナは焼き菓子の包みを開けた。


「はい、休養日の甘いもの」


 ロイにも一つ渡す。


 ロイは受け取り、食べる。


「甘い」


「もうそれ感想として固定なの?」


「柔らかい」


「お、増えた」


 リアナが小さく笑う。


 その笑みは、いつもより少しだけ柔らかかった。


 ロイはそれを見て、少しだけ首を傾げる。


「何だ」


「いえ」


「何かあったか」


「あなたが、少し学院に馴染んできた気がしただけ」


「そうか」


「ええ」


 リアナは膝の上で手を重ねる。


「最初は、どこか遠くから来た人みたいだった。今も遠いけれど……少しだけ、同じ場所にいる感じがする」


 ロイは黙った。


 どう返すべきか分からなかった。


 ミナは珍しく茶化さなかった。


 風が中庭を抜ける。


 ロイは焼き菓子の残りを見て、短く言った。


「悪くない」


 リアナが彼を見る。


「学院が?」


「今が」


 その返事に、リアナは一瞬だけ目を開いた。


 それから、静かに微笑んだ。


「そう」


 たったそれだけ。


 けれど、彼女にとっては十分だった。



 午後の装備確認は、予定通り行われた。


 ロイの手袋は、リアナが選んだものに交換された。


 エルナ教官はそれを見て、少しだけ眉を上げた。


「珍しいな。お前が自分で装備を変えるとは」


「選んでもらった」


「誰に」


「リアナ」


 エルナ教官は一瞬ロイを見て、それからリアナを見た。


 リアナは平静を装っている。


 ミナは後ろで笑いをこらえている。


 ヴァルターは気づかないふりをしている。


 エルナ教官は口元をわずかに上げた。


「そうか。大事に使え」


「ああ」


「黒雷を流して焼くなよ」


「努力する」


「そこは約束しろ」


 リアナが横から言う。


「焼いたら、次は自分で選んでもらいます」


「分かった。焼かない」


 ミナが小声で言った。


「リアナが言うと聞くんだ」


 リアナは聞こえないふりをした。



 その夜。


 寮へ戻る前、ロイは中庭を通った。


 魔導灯の練習をしている生徒たちは、まだ何人か残っている。


 灯りは不安定だった。


 訓練球も落ちている。


 だが、昨日より少しだけ長く浮いていた。


 ロイは足を止める。


 その横に、リアナが来た。


「明日から本選ね」


「ああ」


「あなたと同じ場所に立てるとは思っていないわ」


「そうか」


「でも、同じ学院にはいる」


 リアナはまっすぐ前を見る。


「だから、見て学ぶ。できることを増やす。あなたが遠くても、背中を見失わないように」


 ロイは少し黙った。


 それから言う。


「見失ったら、言えばいい」


 リアナが彼を見る。


「待ってくれるの?」


「必要なら」


 いつもの言葉。


 けれど、今は少し違って聞こえた。


 リアナは小さく笑う。


「なら、置いていかれないようにするわ」


「ああ」


 夜の中庭に、魔導灯が揺れていた。


 小さく、弱く、けれど消えずに。


 明日から、学内序列戦の本選が始まる。


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