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第31話 総合序列第五位

 鐘が鳴った。


 カイル・レインフォードは、動かなかった。


 正面に剣を構え、風を薄くまとっている。


 強く吹かせる風ではない。


 身体の周囲に流れを置き、次の動作へ繋げるための風。


 ロイの指先には、黒い火花が一つ灯っていた。


 黒雷、一系統。


 広域展開は禁止。


 だが、それでも黒雷は黒雷だ。


 観覧席にいる生徒たちは、その小さな火花から目を離せない。


 中央広場で空を貫いた黒い雷。


 東棟の根を断った天穿・抜雷(てんせん・ばつらい)


 あれと同じ性質のものが、今はたった一本だけ、ロイの指先に収まっている。


 カイルは静かに息を吐いた。


「来ないのか」


 ロイが言う。


「そちらが来ると思った」


「では、行こう」


 カイルが踏み込んだ。


 速い。


 だが、直線ではない。


 風で身体を滑らせ、足音をずらし、剣の軌道を読ませない。


 右から来るようで、左。


 上段に見せて、下から切り上げる。


 ロイは刀を抜く。


 青白い雷が刀身を一瞬だけ走った。


 カイルの剣とロイの刀がぶつかる。


 甲高い音。


 風が散る。


 カイルは押さない。


 ぶつかった瞬間、剣の角度を変えて力を逃がした。


 そのまま足元へ風を走らせ、ロイの背後へ回る。


 観覧席が沸いた。


「速い!」


「カイル先輩、やっぱり強い……!」


 ロイは振り返らない。


 鞘の先を、わずかに後ろへ向けた。


 黒い火花が一本、床を這った。


 カイルの足元の風が乱れる。


 ほんの一瞬。


 だが、カイルはそれを読んでいた。


 彼は風を切り、あえて足を止める。


 黒雷が通る。


 その直後、カイルは逆方向へ跳んだ。


 ロイの黒雷は、空を切った。


 ミナが息を呑む。


「避けた……?」


 リアナが答える。


「読んでいたのね。黒雷が来る場所を」


 ヴァルターは低く言った。


「総合序列第五位は伊達ではない」


 ガレスも黙って見ている。


 今のは、ただ速いだけではない。


 黒雷を恐れて下がるのではなく、来る前提で動きを組み立てていた。


 ロイが少しだけ目を細める。


「いい判断だ」


 カイルは剣を構え直す。


「褒められる余裕はないんだが」


「なら続ける」


「望むところだ」



 カイルの攻めは、派手ではなかった。


 風刃を乱射しない。


 大きな魔法で押さない。


 小さな風を重ね、踏み込み、退避、剣筋の変化に使う。


 足元に一つ。

 肩口に一つ。

 剣の背に一つ。


 三つの風を、短く切り替えている。


 昨日の並列行使訓練で見せた三重制御。


 それを戦闘用に絞り込んでいた。


 ロイは刀で受け、鞘で逸らし、必要な箇所へだけ雷を通す。


 黒雷はまだ一本。


 だが、その一本が厄介だった。


 床を走れば足を奪う。

 剣に絡めば風を乱す。

 間合いに置かれれば、踏み込みを止める。


 カイルはそれを避け続ける。


 完全には避けられない。


 何度か風を削られる。


 それでも、崩れない。


 ロイの刀が横へ走る。


 カイルは剣で受けず、風で身体を半歩浮かせた。


 刃が制服の前をかすめる。


 その瞬間、カイルは剣を返した。


 ロイの肩口へ、鋭い突き。


 届く。


 観覧席の誰もがそう思った。


 だが、ロイの黒雷が刀身から消えた。


 次の瞬間、肩口に現れる。


 黒い火花が、カイルの剣先に触れた。


 剣の軌道がわずかに鈍る。


 そのわずかな遅れで、ロイは首を傾けた。


 突きは外れた。


 カイルは即座に引こうとする。


 ロイの柄頭が腹部へ向かう。


 カイルは風を腹前で圧縮した。


 衝撃を殺す。


 だが、完全には殺せない。


 身体が後ろへ飛ぶ。


 カイルは空中で回転し、足元に風を置いて着地した。


「……重いな」


 カイルが苦笑する。


「峰打ちの前の柄頭でこれか」


「当てる場所は選んだ」


「ありがたい配慮だ」


 カイルは息を整える。


 顔には疲労がある。


 だが、目はまだ死んでいない。


「もう少し、試したい」


「分かった」



 カイルの周囲で、風が変わった。


 今度は細かくない。


 一本の太い流れ。


 それを剣に沿わせる。


 リアナが目を細める。


「風を一点に集めている……」


 カイルは剣を下段に構えた。


「これは僕の得意な形だ。避けられたら終わる」


 ロイは刀を構える。


「来い」


 カイルが踏み込んだ。


 速さは先ほどより落ちている。


 だが、剣圧が違う。


 風をまとった一撃が、正面から来る。


 逃げ道を作らない。


 受ければ崩される。


 避ければ風が追う。


 カイルの剣が、闘技場の空気を裂いた。


風牙一閃(ふうがいっせん)


 緑がかった風の刃が、剣筋に重なる。


 ロイは刀を横にした。


 受けるのか。


 そう思った瞬間、ロイの黒雷が刀身に移った。


 一本だけ。


 細く、黒い線。


 それが、カイルの風牙とぶつかる。


 音が遅れた。


 先に、光が割れた。


 青白い縁を持つ黒雷が、風の中心を貫く。


 緑の風刃が左右へ裂ける。


 その直後、衝撃が闘技場を叩いた。


 どん、と低い音。


 観覧席の前面結界が揺れる。


 生徒たちの髪が後ろへ流れた。


 カイルの剣は、ロイの刀の上で止まっている。


 押し切れない。


 ロイは静かに言った。


「正面から来るなら、中心を通せる」


「なるほど」


 カイルは笑った。


「なら、僕の負けだ」


 ロイが刀をわずかに返す。


 カイルの剣が上へ弾かれた。


 次の瞬間、刀の峰がカイルの首元で止まる。


 鐘が鳴った。


 勝者、ロイ・オルディス。



 観覧席から、大きな拍手が起こった。


 ヴァルターやガレスの時とは違う。


 今の試合は、学院上位者が《黒雷》にどこまで迫れるかを示すものだった。


 結果は明白。


 届かない。


 だが、カイルは何度も対応した。


 黒雷を読んだ。


 風で逃げた。


 正面から一撃を叩き込もうとした。


 負けたが、ただ潰されたわけではない。


 カイルは剣を下ろし、深く息を吐いた。


「いや、遠いな」


「さっきも聞いた」


「君と戦うと、みんな同じ感想になるんだろう」


「たぶん」


「だが、収穫はあった」


 カイルは首元に止まった刀を見て、笑う。


「黒雷の一系統だけで、僕の風は崩される。なら、まずは風の切り替えをもっと速くする必要がある」


「それと、中心を作りすぎない方がいい」


「最後の一撃か」


「ああ。強いが、読める」


「手厳しい」


「良い一撃だった」


 カイルは少し目を丸くした。


 それから、楽しそうに笑った。


「ありがとう。そう言われると、素直に嬉しいな」


 ロイは刀を納める。


「次はもっと良くなる」


「そうする」


 カイルは闘技場を降りた。


 四年生たちが彼を迎える。


「どうだった?」


「遠い」


「やっぱりそれか」


「ああ。でも、見えないほどではない」


 カイルはロイを振り返る。


今は(・・)、だがな」



 特別評価戦は、その後も数試合行われた。


 全員がロイと戦うわけではない。


 選ばれた者だけだ。


 ロイは相手ごとに制限を変えた。


 下級生には抜刀なし。

 二年上位には雷属性のみ。

 三年上位には抜刀あり。

 四年上位には黒雷一系統まで。


 それぞれの距離に合わせて、試験として成立するように。


 それでも、誰一人としてロイには届かなかった。


 だが、誰もが何かを持ち帰った。


 足の運び。

 魔力の置き方。

 撤退の判断。

 攻める前の視野。

 受けた後の立て直し。


 ロイは多くを語らない。


 だが、試合後に一言だけ言う。


「今の防御は遅い」


「攻める前に右を見すぎだ」


「足元は良かった」


「魔力を広げるな」


「今の判断なら退いた方がいい」


 短い。


 だが、的確だった。


 生徒たちは最初、戸惑った。


 やがて、その一言を必死に覚えるようになった。


 《黒雷》からの評価。


 それは、序列表の順位とは別の意味を持ち始めていた。



 昼休憩。


 ロイは闘技場の外で水を飲んでいた。


 ミナが近づいてくる。


「ロイ、意外とちゃんと先生みたいなことしてる」


「先生ではない」


「でも、みんな聞いてるよ」


「必要なことを言っているだけだ」


「それが先生っぽいんだよ」


 リアナも来る。


「今日のあなたは、かなり合わせていたわね」


「試験だからな」


「相手に合わせて制限を変えるのは、簡単ではないと思うけれど」


「慣れている」


 ヴァルターが少し考えて言った。


「外では、相手を殺さず止める場面が多いと言っていたな」


「ああ」


「だから、加減もできるのか」


「加減というより、目的に合わせる」


 ミナが肩をすくめる。


「ロイ語だ」


「何だそれは」


「必要なことしか言わない感じ」


 ロイは少しだけ首を傾げた。


 リアナが微かに笑う。


「でも、前より分かりやすくなっているわ」


「そうか」


「ええ」



 午後の試合前、エルナ教官が講評を行った。


「今日、ロイと戦った者はよく覚えておけ。勝てなかったことを恥じる必要はない。むしろ、どこまで動けたかを記録しろ」


 生徒たちは真剣に聞いている。


「境界名簿の名持ちと直接向き合う機会など、本来そうそうない。得たものを捨てるな」


 セレスが隣で腕を組んでいる。


 彼女も口を開いた。


「ただし、勘違いするな。ロイは大きく制限している。今日の試合をもって、名簿持ち相手に何秒戦えた、などと誇るな」


 容赦のない言葉だった。


 だが、生徒たちはもう反発しない。


 それが事実だと分かっているからだ。


「誇るべきは、そこから何を変えたかだ」


 セレスの声は冷たい。


 だが、突き放してはいない。


「負けて終わるな。距離を知ったなら、詰めろ」


 ロイが同じようなことを言うと雑に聞こえる。


 セレスが言うと、命令のように響く。


 ガレスが小さく笑った。


「結局、同じことか」


 隣の三年生が問う。


「何が」


「遠いなら詰めろ、だ」



 午後の個人予選は、予定通り進んだ。


 ロイの特別評価戦の後だからか、生徒たちの動きは変わっていた。


 派手な技を無理に見せようとする者が減った。


 相手の足元を見る者が増えた。


 撤退線を意識する者が出た。


 並列行使訓練の成果を試し、灯りと攻撃、足場と防御を同時に扱おうとする者もいた。


 失敗も多い。


 魔力が乱れ、技が不発になる者もいる。


 それでも、挑戦していた。


 ミナは観覧席でそれを見て、嬉しそうに言った。


「みんな、ちょっとずつ変わってるね」


 リアナが頷く。


「ええ。黒雷を見たからこそ、自分の基礎を見るようになったのかもしれない」


 ヴァルターは腕を組んでいる。


「遠いものを見た後に、足元を見る。悪くない」


「ヴァルター、最近いいこと言うね」


「前から言っている」


「そうかな?」


「言っている」


 ミナが笑った。


 ロイはそのやり取りを聞きながら、闘技場を見ていた。


 学院は、確かに動いている。


 弱くても。


 未熟でも。


 小さな光を灯しながら、前へ進んでいる。



 夕方。


 本選進出者が発表された。


 カイル・レインフォード。

 ガレス・ロウガン。

 リアナ・セレスト。

 ヴァルター・グレイン。

 ミナ・ロウ。


 そして、特別評価枠としてロイ・オルディス。


 ミナは掲示板の前で目を丸くした。


「え、私も?」


 リアナが笑う。


「当然よ。支援評価が高かったもの」


「でも、個人戦だとそこまで強くないよ?」


 カイルが近くで言う。


「今年の序列戦は、個人の撃破力だけでは見ていない。君の支援と救助判断は十分に評価対象だ」


 ミナは口元を押さえる。


「うわ……嬉しいかも」


 ヴァルターは掲示板を見て、静かに頷いた。


 ガレスは少し離れたところで、自分の名を見ていた。


 彼の隣に、境界軍の兵士が立つ。


「残ったな」


「はい」


「なら次も燃やすな」


「……分かっています」


「分かっているならいい」


 兵士はそれだけ言って去った。


 ガレスは小さく笑う。


「本当に、容赦ないな」



 その夜。


 ロイは寮へ戻る途中、セレスに呼び止められた。


「ロイ」


「何だ」


「本選後、学院長から正式な場が設けられる。境界軍と学院の合同説明だ」


「外域についてか」


「そうだ。ダンジョン等級と禍等級の違い。今回の黒い根の暫定評価。境界名簿の扱い。生徒たちに最低限は説明する」


「ようやくか」


「早すぎるくらいだ」


 セレスは夜の闘技場を見る。


「だが、彼らは見た。黒雷を。蒼刃を。外域反応を。なら、何も知らないままにはできない」


「そうだな」


「それと」


 セレスは少しだけ声を落とした。


「上から連絡が来た」


「境界軍か」


「ああ。今回の反応は、小禍未満の枝として処理される。ただし、学院内発生のため記録区分は特殊扱いだ」


「本体は」


「外域側に由来する可能性が高い。完全な外域魔獣ではないが、近い」


 ロイは黙る。


 終わったようで、終わっていない。


 学院を守った。


 だが、外はまだある。


 セレスは続ける。


「それから、近いうちに別の名簿保持者が来るかもしれない」


 ロイが目を向けた。


「誰だ」


「まだ確定ではない」


「上位か」


「かなり」


 セレスの声がわずかに硬くなる。


「彼女が来るなら、学院はまた騒がしくなる」


「そうか」


「君は平然としているな」


「誰か分からない」


「分かっても、たぶん平然としている」


「そうかもしれない」


 セレスは小さく息を吐いた。


「今は本選に集中しろ。明日から、さらに空気が変わる」


「ああ」


 ロイは夜空を見る。


 黒雷の名は、もう隠れていない。


 学院の生徒たちは、その名を知ったうえで前へ進み始めている。


 そして、境界の外からは、次の気配が近づきつつあった。


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