第30話 制限模擬戦
学内序列戦は、再開された。
ただし、以前とは別物だった。
個人予選の残り試合は予定通り進む。
だが、その合間に組み込まれた特別評価戦。
ロイ・オルディスとの制限模擬戦。
その存在が、学院中の空気を引き締めていた。
勝つための試合ではない。
どこまで動けるか。
どこで判断できるか。
どこまで崩れずにいられるか。
《黒雷》と向き合い、自分の距離を知るための試験だった。
◇
第一闘技場。
修復された床には、まだ新しい石材の色が残っている。
観覧席には生徒たちが集まっていた。
以前のような騒がしさは薄い。
黒雷を見た。
蒼刃を知った。
外域想定試験で、自分たちの未熟さも知った。
だからこそ、今日の試合を軽く見る者は少なかった。
闘技場中央に、エルナ教官が立つ。
「特別評価戦第一試合。ヴァルター・グレイン」
ヴァルターが闘技場へ上がる。
金髪を後ろへ流し、槍を握っている。
表情は硬い。
だが、逃げる気配はない。
「対するは、ロイ・オルディス」
ロイも闘技場へ上がった。
腰には《黒鳴》。
ただし、今日は条件がある。
エルナ教官が読み上げる。
「ロイ・オルディスは制限出力。黒雷の広域展開、天穿・抜雷、天穿・雷杭、黒雷領域の使用は禁止。抜刀は許可。ただし、対人制圧範囲に限る」
ミナが観覧席で小さく呟いた。
「禁止技、多いね……」
リアナが答える。
「それでも十分すぎるわ」
カイルも近くで頷く。
「むしろ、これでようやく試験になる」
ヴァルターはロイを見た。
「確認したい」
「何だ」
「君は、どこまで使う」
「必要な分だけ」
「それでは分からない」
ヴァルターは槍を構えた。
「僕は、今の自分がどこまで届かないかを知りたい。だから、軽く流されるのは困る」
ロイは少し黙った。
それから、鞘に左手を添える。
「分かった」
空気が変わった。
黒雷ではない。
だが、ロイの周囲で雷属性の魔力が細く走る。
青白い火花。
黒くは沈んでいない。
それでも、密度が違う。
「刀は抜く。黒雷は使わない」
ヴァルターの喉が動いた。
「十分だ」
開始の鐘が鳴った。
◇
先に動いたのはヴァルターだった。
正面に土壁。
ただし、厚くない。
低く、斜めに三枚。
ロイの進路を止めるのではなく、ずらす配置。
さらに、その裏へ土杭を二本。
踏み込めば足場が崩れる。
以前とは違う。
ただ守るだけではない。
相手の動きを読んで、流すための土だった。
ロイは一歩踏み込む。
最初の土壁を越えない。
横へ滑る。
ヴァルターは即座に土杭を起こす。
だが、ロイの足はその手前で止まった。
読まれている。
ヴァルターは槍を突いた。
土壁の隙間を通す、細い突き。
ロイは鞘で槍の穂先を逸らす。
金属音。
ヴァルターはすぐに引かず、槍の柄を回して足元を払う。
同時に、ロイの後方へ土壁を一枚。
退路を塞ぐ。
観覧席が小さく沸いた。
ミナが拳を握る。
「いい! 今のいい!」
リアナも頷く。
「前よりずっと立体的に使えている」
ロイは後ろの土壁を見ず、膝を少し沈めた。
次の瞬間、足元に雷が走る。
青白い線が一瞬だけ床を撫でた。
ロイの身体が低く前へ滑る。
槍の払いを潜り、ヴァルターの間合いへ入る。
ヴァルターは土杭を胸元に出す。
防御ではない。
ロイの踏み込みを止めるための杭。
ロイは刀を抜いた。
黒ではない。
青白い雷を薄くまとった刃が、土杭の側面を叩く。
斬らない。
壊さない。
角度だけを変える。
土杭が外へずれた。
ロイの柄頭が、ヴァルターの胸元に届く。
だが。
ヴァルターは倒れなかった。
胸元の直前に、薄い土の板を一枚挟んでいた。
衝撃を殺すための板。
ロイの柄頭は板を割ったが、勢いが落ちる。
ヴァルターはその隙に後退した。
観覧席がはっきりとどよめく。
ロイが少しだけ目を細めた。
「今のは良かった」
ヴァルターは荒い息のまま答える。
「まだ終わっていない」
「分かっている」
◇
ヴァルターは槍を構え直した。
正面から勝てるとは思っていない。
だが、今の一度で分かった。
完全に届かないわけではない。
いや、勝利には届かない。
だが、工夫した一手は、ロイに認識させることができる。
それだけで、今のヴァルターには十分な意味があった。
土壁を五枚。
薄く、低く、斜めに。
さらに土杭を二本。
今度は自分の足元にも小さな土台を作る。
攻めるための防御。
動くための足場。
「行く」
ヴァルターが踏み込む。
槍が正面から伸びる。
ロイは刀で受ける。
ヴァルターはその瞬間、足元の土台を斜めに押し上げた。
自分の身体を、横へずらす。
槍の軌道が変わる。
正面の突きが、横からの払いへ変わった。
ロイは半歩下がる。
ヴァルターは追わない。
追えば、懐に入られる。
代わりに、土壁をロイの足元へ低く出す。
膝下。
ほんのわずかな高さ。
だが、踏み込みの角度を乱すには十分。
ロイの足がそれを踏んだ。
次の瞬間、土壁が崩れる。
足場を奪う罠。
ロイの身体がわずかに沈む。
ヴァルターは槍を突き出した。
今度こそ、届く。
そう思った瞬間。
ロイの左手が鞘を押さえた。
抜雷ではない。
鞘の中で黒雷は唸らない。
ただ、刀身に青白い雷が一筋走る。
ロイの身体が、沈んだ姿勢のまま回った。
刃の背が槍を叩く。
槍が跳ね上がる。
同時に、ロイの足元から細い雷が走り、崩れた土壁の破片を固定した。
沈んだはずの足場が、一瞬だけ固まる。
ロイはそこを踏み、前へ出た。
今度は止められなかった。
刀の峰が、ヴァルターの首元で止まる。
鐘が鳴った。
勝者、ロイ・オルディス。
◇
静寂。
それから、拍手が起きた。
ヴァルターは肩で息をしながら、槍を下ろした。
「……遠いな」
「ああ」
「否定しないのか」
「遠い」
「そうだな」
ヴァルターは苦笑した。
悔しさはある。
だが、不思議と折れてはいない。
むしろ、今までよりはっきり見えた。
自分が伸ばすべき場所。
土壁の使い方。
足場。
槍の軌道。
防御から攻撃へ移る瞬間。
届かない。
だが、何もできなかったわけではない。
「一度、止めた」
ロイが言った。
ヴァルターは顔を上げる。
「何を」
「最初の柄頭。土の板がなければ終わっていた」
「……あれは、君の動きを見てからでは間に合わない。先に置いた」
「だから良かった」
ヴァルターは少しだけ笑った。
「そうか」
ロイは刀を納めた。
「次はもっと早く置けばいい」
「簡単に言う」
「やるしかない」
「分かっている」
ヴァルターは闘技場を降りる。
ミナが駆け寄った。
「ヴァルター、すごかったよ!」
「負けたがな」
「でも、すごかった!」
リアナも頷く。
「かなり動けていたわ。特に足場の使い方」
「課題も多い」
「それは全員同じよ」
ヴァルターはロイを振り返る。
境界名簿第二十七席《黒雷》。
遠い。
だが、その遠さを知るために、今日の試合はあった。
◇
次の特別評価戦は、ガレス・ロウガンだった。
闘技場へ上がる前、ガレスは境界軍の兵士に声をかけられた。
「燃やすな」
「分かっています」
「怒りで剣を振るな」
「分かっています」
「なら行け」
ガレスは頷き、闘技場へ上がった。
観覧席の空気が少し変わる。
以前のガレスなら、ロイへ突っかかるためだけに戦ったかもしれない。
だが今は違う。
嫉妬はある。
悔しさもある。
それでも、戦う理由が少し変わっていた。
ロイが向かいに立つ。
「条件は」
ガレスが聞く。
「黒雷なし。抜刀あり」
「俺にも同じか」
「ああ」
「舐められているとは思わない」
ガレスは炎剣を抜いた。
炎は小さい。
刃に薄く沿うだけ。
以前のように燃え上がらない。
「今の俺では、それでも足りない」
「そうか」
「だが、やる」
開始の鐘が鳴った。
ガレスはすぐに炎を広げなかった。
低い炎を足元へ置く。
ロイの進路を焼くのではなく、嫌がらせるための火。
さらに、剣そのものの炎は細い。
斬るためではなく、触れた瞬間に相手の動きを鈍らせる熱。
ロイが踏み込む。
ガレスは剣を振るわない。
半歩下がり、炎の線を置く。
ロイの足が止まる。
ほんの一瞬。
だが、止まった。
ガレスはその瞬間に横へ回る。
剣を振り下ろす。
ロイは刀で受けた。
青白い雷と赤い炎がぶつかる。
火花が散る。
ガレスは力で押さない。
剣を引き、炎を低く回す。
ロイの足元へ。
燃やす火ではない。
動きを読ませるための火。
ロイが言った。
「変わったな」
「黙れ」
「良くなった」
「だから黙れ!」
怒鳴ったが、炎は膨らまない。
怒りを乗せない。
目的で置く。
ガレスは歯を食いしばりながら、それを守った。
観覧席で、境界軍の兵士が小さく頷いた。
◇
試合は長くは続かなかった。
ロイが一歩深く踏み込む。
ガレスは炎の線を置く。
だが、ロイはその手前で止まらず、雷で足裏を保護して炎を越えた。
ガレスの目が見開かれる。
越えてくるとは思っていた。
だが、速い。
ロイの刀の峰が、ガレスの剣を弾く。
次に、柄頭が腹部へ入る。
ガレスの身体がくの字に折れた。
膝をつきかける。
だが、倒れない。
左足を引き、炎を地面へ置いて、自分の身体を支えた。
ロイの追撃が止まる。
一瞬だけ。
ガレスはその一瞬で剣を戻す。
届かない。
だが、倒れずに戻した。
ロイの刀が首元で止まった。
鐘が鳴る。
勝者、ロイ・オルディス。
ガレスは荒い呼吸のまま、歯を食いしばっていた。
「……くそ」
「最後、倒れなかった」
「慰めか」
「評価だ」
ガレスはロイを睨む。
だが、その目に以前のような濁った怒りは少ない。
「俺は、まだ弱い」
「ああ」
「だが、前よりはマシか」
「ああ」
「ならいい」
ガレスは剣を下ろした。
そして、悔しそうに笑った。
「次は、もっとマシになる」
「そうか」
「見てろ」
「見る」
観覧席から拍手が起きた。
ガレスは驚いたように顔を上げる。
嘲笑ではない。
称賛だった。
負けた。
だが、変わった。
それを見た者たちが、拍手していた。
ガレスは顔をしかめる。
「……やりづらいな」
そう言いながら、彼は闘技場を降りた。
◇
エルナ教官は記録板を確認し、満足げに頷いた。
「いい評価戦になったな」
セレスが答える。
「二人とも、折れていない。距離を知った上で、次を見ている」
「ロイを試験内容にした甲斐があったか」
「本人は面倒そうですが」
ロイは闘技場の中央で、次の相手を待っていた。
次はカイル・レインフォード。
四年総合序列第五位。
学院側で最も冷静にロイを見てきた上級生の一人。
観覧席の空気が再び引き締まる。
カイルは闘技場へ上がりながら、軽く笑った。
「待たせたな」
「待っていない」
「そういう返しだと思った」
カイルは剣を抜く。
風が薄く巻いた。
「条件は?」
ロイが答える。
「黒雷、一系統まで許可。抜刀あり。広域技なし」
観覧席がざわつく。
ヴァルターとガレスの時より、制限が少し緩い。
カイルは目を細めた。
「僕には黒雷を使うのか」
「必要だと思う」
「それは光栄だ」
カイルの表情が変わる。
穏やかな上級生ではなく、総合序列第五位の顔になった。
「では、こちらも全力で学ばせてもらう」
開始の鐘が鳴る直前。
ロイの指先に、黒い火花が一つ灯った。
小さい。
だが、圧が違う。
講義で見た極小の黒雷と同じ。
いや、少しだけ実戦寄りだった。
カイルの風が、その圧に触れて震える。
ロイは静かに構えた。
「始める」
鐘が鳴った。




