第29話 色相転位、再び
翌朝。
学内序列戦の再開を前に、学院では追加講義が行われた。
場所は第二講義棟、大講義室。
対象は、序列戦参加者と実技上位者。
昨日の並列行使訓練で、多くの生徒が自分の限界を知った。
二つ同時に扱うだけでも難しい。
三つなら、上位生でも集中を削られる。
それでも、生徒たちは訓練を続けている。
魔導灯を灯しながら訓練球を浮かせる者。
炎を小さく維持しながら剣を振る者。
水糸を二本に分けて動かそうとする者。
学院の空気は、以前より少しだけ前向きだった。
その講義室の前方に、属性魔力論の教師が立つ。
魔導板には、すでに大きく文字が書かれていた。
色相転位。
生徒たちがざわつく。
ミナが小声で言った。
「これ、前にも聞いたやつだよね」
リアナが頷く。
「ええ。属性魔力の色や性質が、一定以上の練度や圧縮で変化する現象」
ヴァルターはロイを見た。
「つまり、今日の主題は君か」
「たぶん」
ロイは淡々と答えた。
教師が咳払いする。
「本日の講義は、色相転位についてだ。以前は概要だけを扱ったが、今回は実例を踏まえる」
教師の目が、ロイへ向いた。
講義室全体の空気が変わる。
教師は続けた。
「諸君の多くが疑問に思っているはずだ。なぜ、ロイ・オルディス君の雷は黒いのか」
誰も声を出さなかった。
だが、聞きたかった問いだった。
雷属性なら、普通は白、黄、青白い色を帯びる。
黒い雷など、基礎課程ではほとんど扱わない。
しかもロイは、境界名簿第二十七席《黒雷》。
その異名そのものが、黒い雷を示している。
教師は魔導板へ雷属性の基本色を書いた。
白。
黄。
青白。
「属性魔力には、基礎色がある。火は赤や橙。水は青。風は薄緑。土は黄土。雷は白、黄、青白。これは魔力が属性に応じて帯びやすい色だ」
次に、教師はその横へ黒い線を引く。
「しかし、属性魔力は極めれば、必ずしも基礎色のままではない」
講義室が静まる。
「魔力密度、圧縮率、術式の癖、魔力回路の状態、環境適応、戦闘経験。複数の要因が重なると、魔力の見え方、性質、伝導速度、周囲への影響が変化することがある」
教師は魔導板を指した。
「それが、色相転位だ」
ミナが小声で呟く。
「つまり、黒いから闇属性とかじゃないんだ」
「違う」
ロイが答えた。
思ったよりはっきりした声だった。
ミナが少し驚く。
教師もロイを見る。
「ロイ君。その通りだ。君の黒雷は闇属性ではないな」
「ああ。雷だ」
「説明できる範囲でいい。なぜ黒く見える?」
講義室中の意識が、ロイへ集まった。
ロイは少し考える。
言葉を選んでいるようだった。
「広げないからだ」
教師が促す。
「続けてくれ」
「普通の雷は、外へ散る。光も音も広がる。俺の黒雷は、外へ逃がさない。内側に押し込める」
ロイは自分の手を見る。
「青白い雷を圧縮して、流れる場所を絞る。余分な光を出さず、熱も広げず、対象の内側へ通す。そうすると、外からは黒く見える」
生徒たちは黙って聞いていた。
ロイの説明は淡々としている。
だが、その内容は異常だった。
雷を広げない。
雷を内側へ押し込める。
それは、雷属性の常識と逆だった。
教師が補足する。
「雷属性は本来、拡散しやすい。速く、強く、周囲へ影響を及ぼしやすい属性だ。だからこそ制御が難しい。ロイ君の黒雷は、その拡散性を極限まで抑え、必要な経路へ流すことで成立している」
ヴァルターが低く言う。
「だから、根だけを焼けるのか」
「そうだ」
ロイが答える。
「周りを焼かずに、通したいものへ通す」
教師は頷いた。
「ここで誤解してはならない。黒いから強いのではない。黒く見えるほど、制御と圧縮が極端なのだ」
魔導板に新しい文字が書かれる。
黒雷=雷属性の色相転位。
「これは別属性ではない。だが、通常の雷属性と同じ扱いをしてはならない。性質が変わっている」
教師はロイを見た。
「君の黒雷は、攻撃だけでなく、身体制御にも使われているな」
「使う」
「神経、筋肉、踏み込み、抜刀、止血補助。そういった用途にも?」
「必要なら」
講義室の数人が息を呑む。
雷を敵に撃つだけではない。
自分の身体の内側へ通す。
その危険性は、魔術を学んでいる者ほど理解できた。
ミナが顔を引きつらせる。
「それ、普通に危なくない?」
「危ない」
「即答……」
教師も苦笑した。
「真似をしないように。魔力回路を焼く。神経も損傷する。ロイ君の黒雷は、できるからやっているのではなく、長い適応と訓練の結果、生き残るためにそうなったものだ」
ロイは否定しなかった。
◇
講義は実演へ移った。
教師は雷属性の生徒を一人呼び、小さな雷球を作らせた。
青白い光が、手のひらの上で弾ける。
「これが標準的な雷属性だ。光が広がり、音が散り、周囲へ細かな放電が出る」
次に、教師はロイへ向く。
「ロイ君。極小で構わない。黒雷を見せてもらえるか」
「分かった」
ロイは右手を軽く上げた。
指先に、青白い雷が生まれる。
最初は普通の雷だった。
だが、次の瞬間、その光が細く縮む。
明るさが落ちたのではない。
押し込められた。
雷の輪郭が黒く沈み、青白い縁だけがかすかに残る。
指先に、黒い火花が一つ浮かんだ。
小さい。
だが、講義室の空気が変わった。
ぱち、と音がした。
遅れて、全員の肌に細い刺激が走る。
教師の魔導板に、黒い線が一瞬だけ映った。
「これが黒雷だ」
教師の声は静かだった。
「見て分かる通り、周囲への無駄な放電が極端に少ない。だが、圧は標準雷よりはるかに高い」
ロイは指先の黒雷を消した。
講義室はしばらく静まり返った。
ミナがぽつりと言う。
「小さいのに、怖い」
「圧縮しているからな」
リアナが答える。
「小さいから弱い、ではないのね」
「そういうことだ」
教師が頷く。
◇
次に、教師は色相転位の別例を紹介した。
「色相転位は、ロイ君だけの現象ではない。火属性が白炎へ至る例。氷属性が透明に近い無色氷へ至る例。風属性が音を伴わない圧風へ変わる例。数は少ないが、記録はある」
セレスの名も出た。
「《蒼刃》セレス・アーヴェイン隊長の蒼い斬撃も、通常の氷属性や水属性とは異なる性質を持つ。蒼刃は単に凍らせるだけではない。魔力の流れを止め、境界を切る」
生徒たちの間に、また緊張が走る。
黒雷だけではない。
蒼刃もまた、異常な到達点なのだ。
教師は言う。
「つまり、色相転位とは、才能の証明ではない。到達の痕跡だ。何を積み上げ、何を削り、何に適応したか。その結果、魔力の色と性質が変わる」
ヴァルターが小さく呟く。
「到達の痕跡……」
ガレスも講義室の後方で聞いていた。
彼は自分の手を見る。
炎は赤い。
普通の炎。
だが、それを恥じる必要はない。
赤い炎をどう扱うか。
そこから始めればいい。
◇
質疑の時間になった。
一年生の女子が、おずおずと手を挙げる。
「ロイ先輩の黒雷は、その……最初から黒かったんですか?」
講義室が少し静まる。
ロイは答えた。
「違う」
「いつから黒く?」
「気づいたら」
教師が補足を促すように見る。
ロイは少しだけ間を置いた。
「外では、大きく撃つと邪魔になることが多い。音で寄ってくるものもいる。光に反応するものもいる。雷を散らすと、毒を撒くものもいる」
生徒たちは黙る。
「だから、広げないようにした。必要な場所だけ通すようにした。何度もやっているうちに、黒くなった」
簡単な言葉だった。
だが、その裏にあるものは重い。
何度も。
生き残るために。
その結果、雷が黒く変わった。
教師は静かに言った。
「これが、色相転位を軽々しく目指してはならない理由だ。色だけ真似ても意味はない。黒く見せる魔法と、黒雷はまったく別物だ」
ミナが小さく頷く。
「見た目じゃなくて、中身なんだ」
「そうだ」
ロイが答える。
ミナは少し笑った。
「今日のロイ、けっこう喋るね」
「聞かれたから」
「いつもそれくらい説明してくれると助かるんだけど」
「必要なら」
「そればっかり」
◇
講義後、第二演習場では自主訓練が始まった。
今日の課題は、並列行使に加えて、魔力の質を見ること。
ただ強くするのではない。
色、流れ、拡散、密度。
自分の魔力がどう動いているのかを知る。
リアナは氷と風を同時に維持しながら、色の境目を観察していた。
「氷が強すぎると、風が鈍る……逆に風を強くすると冷却が薄くなる」
ミナは水糸を二本に分け、その片方だけを細くする練習をしている。
「同じ水でも、太さ変えるだけで全然違う……」
ヴァルターは土壁と土杭を同時に出し、片方を硬く、片方を柔らかく保とうとしていた。
「土にも流れがある、か」
ガレスは炎を小さく維持していた。
赤い炎。
まだ色は変わらない。
だが、以前よりも揺れが少ない。
燃やす炎ではなく、止めるための炎。
境界軍の兵士がそれを見て言う。
「少し良くなった」
「ありがとうございます」
「だが、まだ炎に感情が乗りすぎる」
「……はい」
「怒りで燃やすな。目的で置け」
ガレスは黙って頷いた。
◇
ロイは演習場の端で、訓練を見ていた。
セレスが隣に来る。
「色相転位の講義か」
「ああ」
「君の黒雷も、ずいぶん学院向けに説明されたな」
「間違ってはいない」
「全てでもない」
「そうだな」
セレスはロイを見る。
「黒雷は、君が外で削られてできたものだ」
「削られたつもりはない」
「そういうところだ」
セレスは小さく息を吐いた。
「生徒たちは、今日少し理解しただろう。異名とは飾りではない。色とは見た目ではない。そこへ至る理由がある」
「いいことだ」
「ああ」
演習場の中では、魔導灯の光がいくつも揺れている。
青、赤、緑、黄。
どれもまだ基礎色だ。
弱く、不安定で、すぐ消える。
だが、それでいい。
最初から色を変える必要はない。
まず、自分の魔力を知る。
必要な量を、必要な場所へ。
その積み重ねの先に、いつか変わる者もいるかもしれない。
◇
夕方。
学内序列戦再開の最終組み合わせが発表された。
個人予選の残りは明日。
その翌日から本選。
そして、本選前の特別評価戦として、ロイ・オルディスとの制限模擬戦が数試合組み込まれていた。
対戦者の中には、カイル・レインフォード。
ガレス・ロウガン。
そして、ヴァルター・グレインの名もあった。
掲示板前がざわつく。
「グレイン、ロイとやるのか」
「制限ありでもきついだろ」
「でも、評価戦だ。勝つ必要はない」
「どこまで動けるか、か……」
ヴァルターは自分の名前を見て、静かに息を吐いた。
ミナが心配そうに見る。
「大丈夫?」
「大丈夫ではない」
「正直」
「だが、逃げる気はない」
ヴァルターはロイを見る。
「君と戦えば、届いていない場所が分かる」
「そうか」
「だから、手を抜きすぎるな」
「壊さない範囲でやる」
「それは少し怖いな」
リアナが横から言う。
「評価戦は、班としての経験にもなるわ。私たちも見て学びましょう」
「うん」
ミナが頷く。
ロイは掲示板を見る。
制限模擬戦。
学院生として戦う。
《黒雷》として試す。
その両方。
夜の演習場では、まだ魔導灯が揺れていた。
小さな光。
未熟な並列行使。
基礎色の魔力。
だが、その一つ一つが、確かに次へ向かっている。
ロイはそれを見て、少しだけ目を細めた。
明日、序列戦は本当に再開する。




