第28話 並列行使
《翠門》深部の本体核が封じられた翌日。
学院は、ようやく日常を取り戻し始めていた。
中央広場の封鎖は解除。
東棟の補修も進み、第一闘技場も一部を除いて使用可能。
学内序列戦は、明日から再開される。
だが、その前に特別授業が組まれた。
第二演習場。
全学年の実技上位者と、序列戦参加班の代表が集められている。
エルナ教官が壇上に立ち、黒板代わりの魔導板へ大きく文字を書いた。
並列行使。
「今日やるのは、これだ」
生徒たちがざわつく。
並列行使。
複数の魔力操作を同時に行う技術。
言葉としては知っている。
だが、実際に扱える者は少ない。
エルナ教官は続けた。
「勘違いするな。これは《黒雷》の真似をする授業じゃない。あれは真似するな。死ぬ」
何人かがロイを見る。
ロイは演習場の端に立っていた。
表情は変わらない。
エルナ教官はさらに言う。
「二つ同時に扱えれば、学院生としては十分に優秀だ。三つなら実技上位。四つ以上は教師でも扱える者が限られる」
その言葉で、生徒たちの空気が変わった。
改めて数字で聞くと、ロイの十一重制御がどれほど異常か分かる。
「今日はまず、二つ同時からだ」
エルナ教官が指を鳴らす。
演習場に小さな魔導灯と訓練球が並べられた。
「一つ目。魔導灯へ一定量の魔力を流し続ける。二つ目。訓練球を浮かせる。どちらも初歩だ。だが、同時にやると崩れる」
ミナが小声で言う。
「初歩って言われると逆に怖いんだけど」
ヴァルターが腕を組む。
「やるしかない」
リアナは真剣に魔導灯を見ていた。
「二つ同時……制御の優先順位が大事ね」
ロイは黙って聞いている。
エルナ教官が視線を巡らせた。
「始めろ」
◇
最初に崩れたのは、一年生たちだった。
魔導灯へ魔力を流す。
訓練球を浮かせる。
その二つだけなのに、片方に意識を向けると、もう片方が落ちる。
「球が落ちた!」
「灯りが消えた!」
「両方無理!」
演習場のあちこちで声が上がる。
二年生も簡単ではない。
ミナは水属性の魔力で訓練球を包みながら、魔導灯へ魔力を流そうとした。
だが、球がふわりと浮いた瞬間、魔導灯が消える。
「あーっ、また!」
ロイが横から言った。
「球を見すぎだ」
「見ないと落ちるんだよ!」
「落ちる前提で、灯りを切らすな」
「むずかしい!」
「難しい」
「ロイがそれ言うと、なんか腹立つ!」
ミナは文句を言いながらも、もう一度試す。
今度は球が揺れた。
だが、魔導灯は消えない。
「できてる?」
「まだ不安定」
「でも消えてない!」
「そうだな」
ミナは少し笑った。
◇
ヴァルターは土属性で訓練球を支え、魔導灯へ魔力を流していた。
球は安定している。
だが、魔導灯の明るさが一定ではない。
強くなったり、弱くなったりしている。
「魔力を押しすぎだ」
ロイが言う。
「押しすぎ?」
「球を支える方に力を入れるたび、灯りにも力が入っている」
「分けろということか」
「そうだ」
「簡単に言うな」
「分けるしかない」
ヴァルターは目を閉じた。
土の重さ。
灯りへ流す細い魔力。
二つを別の感覚に分ける。
球は石のように支える。
灯りは水のように流す。
そう考えた瞬間、魔導灯の揺れが少し減った。
ロイが言う。
「今の方がいい」
「……感覚を分ければいいのか」
「たぶん」
「たぶんか」
「俺のやり方とは違う」
ヴァルターは小さく息を吐いた。
「なら、自分のやり方を探す」
「ああ」
◇
リアナは三人の中で一番安定していた。
魔導灯へ細く魔力を流し、訓練球を氷風で浮かせている。
ただし、表情は険しい。
「二つなら、何とかなるわ」
ミナが驚く。
「さすがリアナ」
「でも、これを戦闘中にやるとなると別ね」
リアナは訓練球を下ろした。
「今は動かない対象だからできる。敵が動き、味方が動き、地形が変わる中で維持するのは、まるで違う」
エルナ教官が頷いた。
「分かっているなら上等だ」
その時、カイルが前へ出た。
「エルナ教官。三つ同時を試しても?」
「やってみろ」
四年総合序列第五位。
カイルが行うとなれば、周囲の生徒も自然と注目する。
カイルは魔導灯へ魔力を流す。
訓練球を風で浮かせる。
さらに、足元に小さな風の刃を維持した。
三つ。
魔導灯。
訓練球。
風刃。
最初は安定していた。
だが、十秒を過ぎたあたりで風刃がぶれた。
二十秒で訓練球が揺れる。
三十秒で、カイルは自分から魔力を切った。
「ここまでだな」
生徒たちが息を吐く。
四年上位でも、三つを維持するのは難しい。
カイルは苦笑した。
「戦闘中なら、もっと短い。三つを維持しながら相手を見るのはかなり厳しい」
エルナ教官が言う。
「今のが学院上位の現実だ。よく見ておけ」
生徒たちは黙った。
そして、改めてロイを見る。
十一。
あれは、数字ではない。
世界が違う。
◇
ガレスも挑戦していた。
魔導灯。
訓練球。
そして、低い炎。
三つ。
だが、炎が暴れる。
強くしようとすれば、灯りが揺れる。
灯りを整えれば、球が落ちる。
「くそっ」
ガレスは歯を食いしばる。
境界軍の兵士が近くで見ていた。
「炎を主にするな」
「どういう意味ですか」
「お前は全部を炎の感覚で押している。灯りも球も、炎で殴っているようなものだ」
「……分けろと」
「そうだ。燃やす、支える、流す。全部違う」
ガレスは黙った。
以前なら反発したかもしれない。
だが今は、飲み込む。
炎を小さくする。
球を支える。
灯りを流す。
三つのうち、炎を一番弱くした。
すると、球が少し安定した。
兵士が言う。
「今の方がいい」
「弱くしたのに?」
「必要な強さにしただけだ」
ガレスはその言葉を噛みしめる。
必要な強さ。
強ければいいわけではない。
燃やせばいいわけではない。
それを、彼は少しずつ理解し始めていた。
◇
授業の後半。
エルナ教官はロイを呼んだ。
「手本を見せろ。ただし、壊すな」
「何を」
「二つから五つまででいい」
生徒たちが一斉に反応した。
五つまででいい。
その言い方がおかしい。
ロイは前に出る。
魔導灯が五つ並べられた。
訓練球が五つ。
さらに、床には小さな魔法陣が五つ描かれている。
エルナ教官が言う。
「魔導灯五つに別々の出力。訓練球五つを別々の高さで維持。魔法陣五つへ、順番に魔力を通せ」
ミナが小声で呟く。
「それ、五つじゃなくない?」
リアナが答える。
「十五に近いわね」
「だよね?」
ロイは魔導具の前に立った。
左手を軽く上げる。
黒雷は使わない。
ただの雷属性魔力。
青白い細い光が、指先から分かれた。
魔導灯が五つ、別々の明るさで灯る。
訓練球が五つ、別々の高さで浮く。
床の魔法陣へ、雷が順番に流れ込む。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
四つ目。
五つ目。
全てが同時に維持された。
揺れない。
ぶれない。
呼吸するように、当然のように。
ロイはそれを見ながら言う。
「これは練習用だから簡単だ」
演習場の空気が止まった。
ミナが両手で顔を覆う。
「言っちゃだめなやつ……」
ヴァルターが低く呟く。
「簡単、か」
リアナは真剣な目で見ていた。
「でも、分かったこともあるわ」
「何が?」
ミナが聞く。
「ロイは全部を力で押していない。むしろ、一つ一つが細い。必要な量だけ流している」
カイルが頷く。
「そうだな。魔力量ではなく、分配精度だ」
エルナ教官が生徒たちへ言う。
「見習うならそこだ。数ではない。必要な量を、必要な場所へ送る。それだけを覚えろ」
ロイは魔力を切った。
魔導灯が消え、訓練球が静かに床へ降りる。
◇
授業が終わる頃、生徒たちは疲れ切っていた。
たった二つ同時。
それだけで、魔力も集中力も削られる。
だが、表情は悪くなかった。
「二つなら、なんとか形になった」
「三つは無理」
「でも練習すればいけるかも」
「カイル先輩でも三つ大変なんだな」
「ロイは……考えるのやめよう」
現実を知った。
同時に、進む道も見えた。
ロイの十一重制御は、遠すぎる。
だが、二つを三つへ。
三つを安定へ。
そこなら、自分たちにもできるかもしれない。
ミナが水糸を指に絡めながら言った。
「私、まず二本の水糸を別々に動かせるようにする」
リアナが頷く。
「私は氷と風の切り替えではなく、同時維持を詰めるわ」
ヴァルターは土の小杭を見下ろす。
「僕は壁と杭を同時に扱う。防ぐだけでなく、流すために」
ロイは短く言った。
「いいと思う」
三人がロイを見る。
ミナが笑う。
「それ、ちゃんと褒めてる?」
「ああ」
「じゃあ受け取っておく」
◇
夕方。
掲示板に、学内序列戦再開後の組み合わせが貼り出された。
個人予選の続き。
班単位試験の評価反映。
混成対抗試験の再編成。
そして、特別枠。
ロイ・オルディスの名前は、通常の二年枠ではなく、総合評価枠に移されていた。
その横に、小さく注記がある。
――境界軍監督下、制限出力で参加。
生徒たちがざわつく。
だが、以前のような反発一色ではない。
「制限出力って……」
「そりゃそうだろ。抜雷とか使われたら闘技場壊れる」
「見たいけどな」
「見たいけど死にたくない」
「分かる」
ロイは掲示板を見ていた。
隣にセレスが立つ。
「当然の措置だ」
「分かっている」
「君が普通に出ると試験にならない」
「なら、何をする」
「評価側も兼ねろ」
ロイはセレスを見る。
「参加者では?」
「参加者だ。ただし、君と当たる者には、勝敗とは別の評価を与える。どこまで動けたか、どこで退く判断をしたか、どこまで耐えたか」
「俺を試験内容にするのか」
「そうだ」
セレスは淡々と言った。
「《黒雷》と向き合って、何を学ぶか。それも序列戦の一部になる」
ロイは少し考えた。
「面倒だな」
「諦めろ」
カイルが後ろから笑う。
「いい試験だと思う。僕も受けたいくらいだ」
「お前は本選側だ」
セレスが言う。
「分かっています」
カイルは掲示板を見る。
「明日から、また荒れるな」
エルナ教官が横で腕を組む。
「荒れてもらわなきゃ困る。安全な範囲でな」
ロイは掲示板の自分の名を見た。
境界軍監督下。
制限出力。
それでも、出る。
学院生として。
《黒雷》として。
その両方で。
◇
夜。
第二演習場には、まだ何人かの生徒が残っていた。
魔導灯と訓練球。
二つ同時の練習。
何度も失敗し、灯りが消え、球が落ちる。
それでも、彼らは続けていた。
ガレスもいた。
ヴァルターも。
ミナも。
リアナも。
遠くで見ていた一年生たちも、小さな魔導灯を借りて真似している。
学院は変わり始めていた。
黒雷を見たことで、折れた者もいる。
だが、立った者もいる。
そして、立った者たちは、まず二つ同時の灯りから始めていた。
ロイは演習場の入口でそれを見ていた。
セレスが横に立つ。
「悪くない光景だな」
「ああ」
「明日、序列戦が再開する」
「分かっている」
「手加減しすぎるな。侮辱になる」
「壊さない範囲でやる」
「それでいい」
演習場の中で、ミナの魔導灯が消えずに残った。
訓練球は大きく揺れていたが、落ちていない。
ミナが声を上げる。
「できた! 見て、今のちょっとできた!」
リアナが笑う。
「ええ。今のは良かったわ」
ヴァルターも小さく頷く。
「悪くない」
ガレスは少し離れた場所で、灯りと炎を同時に維持しようとしていた。
炎はまだ揺れている。
だが、消えてはいない。
ロイはそれを見て、短く言った。
「明日は、少し面白そうだ」
セレスが横目で見る。
「君がそれを言うのは珍しい」
「そうか」
「ああ」
夜の演習場に、小さな灯りがいくつも浮かんでいた。
まだ弱い。
不安定で、すぐ消える。
けれど確かに、増え始めていた。




