第26話 外域想定
翌朝。
第三試験場の入口前には、選抜された班だけが集められていた。
二年第一班。
三年ガレス班。
四年上位混成班。
ほか数班。
昨日の班単位試験で一定以上の評価を得た者たちだ。
試験場の前には、セレスとエルナ教官、カイルが立っている。
カイルは今日、参加者ではない。
上級生側の誘導補助と記録役に回っていた。
セレスが短く告げる。
「今日の課題は、外域想定環境での混成対抗試験だ」
試験場の扉が開く。
中から、重い空気が流れ出した。
昨日より濃い。
《翠門》ほどではない。
だが、普通の訓練場ではない。
魔力が真っすぐ流れない。
呼吸のたびに、胸の奥へ小さな砂が入るような感覚がある。
ミナが顔をしかめた。
「昨日より、ずっと嫌な感じ……」
ロイは言う。
「まだ薄い」
「それ、もう聞きたくないかも」
ヴァルターが槍を握り直す。
「これで薄いなら、本物はどれほどだ」
セレスが答えた。
「立っているだけで魔力制御が乱れる場所もある。音が遅れて聞こえる谷、傷が塞がらない森、火を使うと空気ごと燃える湿地もある」
生徒たちが黙る。
「ダンジョンは危険だ。だが、管理されている。外域は違う。比較はできるが、同じ物差しでは測れない」
エルナ教官が続ける。
「今日の試験は、その入口だ。勝つことより、崩れないことを優先しろ」
セレスが頷く。
「開始する。第一組、入れ」
◇
試験場内は、広い廃墟区画になっていた。
崩れた壁。
低い霧。
足元に走る細い溝。
魔導灯はあるが、光が少し濁っている。
参加班は複数。
目的は三つ。
封鎖対象の確保。
負傷者役の救助。
制限時間内の撤退。
ただし、他班と接触した場合、戦闘もあり得る。
リアナがすぐに判断する。
「正面突破は避けるわ。左の建物沿いに進む。ミナ、霧の中へ糸を伸ばして。ヴァルターは足元。ロイは中間で反応確認」
「了解」
ミナの水糸が霧へ入る。
だが、すぐに糸が揺れた。
「うわ、変な方向に引っ張られる!」
「外域想定の魔力流だ」
ロイが言う。
「糸を固定しすぎるな。流れに逆らうと切れる」
「緩める?」
「半分流せ」
「やってみる!」
ミナは水糸の張りを変えた。
すると、糸は霧の中で大きく揺れながらも、切れずに進む。
リアナが頷く。
「そのまま周辺確認。無理に形を保たなくていいわ」
ヴァルターは足元に土壁を出そうとして、眉を寄せた。
「土が重い」
「魔力が沈む場所だ」
ロイが短く言う。
「厚く出すな。杭にしろ」
「杭か」
ヴァルターは壁をやめ、低い土杭を等間隔に出した。
足場を作る。
全員がその上を進む。
昨日までの訓練が、すぐに形を変えて使われていた。
◇
最初に接触したのは、三年ガレス班だった。
霧の向こうから、炎の気配が近づく。
だが、炎は大きくない。
低く、細い。
道を照らす程度に絞られている。
ガレスがこちらに気づいた。
「第一班か」
リアナが返す。
「交戦する?」
「今はしない。封鎖対象が先だ」
以前なら、ここで挑発が飛んだかもしれない。
だが、ガレスは周囲を見ていた。
霧。
歪む魔力。
足元の溝。
無駄に戦えば、どちらも消耗する。
「一時協力する」
ガレスが言った。
班員たちが驚く。
ヴァルターも少し目を細めた。
ロイは頷く。
「その方が早い」
「お前に言われると腹が立つな」
「そうか」
「だが、今回はそうする」
リアナがすぐに指示を出す。
「では、ガレス先輩の班は右側の建物沿いを。こちらは左。中央は空けましょう。何か出た場合は挟まず、片側へ流す」
「了解した」
ガレスは素直に受けた。
その様子を、試験場外の記録席でカイルが見ていた。
「いい判断だ」
エルナ教官も頷く。
「あのガレスが一時協力を選んだか」
「変わりましたね」
「まだ尖ってはいるがな」
セレスは淡々と言う。
「尖りは悪くない。向く方向を間違えなければ」
◇
廃墟区画の中央に近づくと、魔力の歪みが強くなった。
封鎖対象は近い。
だが、その前に模擬魔獣が出た。
四体。
狼型二体。
棘持ち一体。
そして、腕の長い人型一体。
昨日までの訓練個体より、動きが不安定だった。
速い時と遅い時がある。
足音と実際の位置がずれる。
ミナが叫ぶ。
「音が変!」
ロイが答える。
「聞くな。見ろ」
ガレスが低く唸る。
「やりづらいな」
「それが外域想定だ」
ロイは黒雷をまだ使わない。
まず、生徒たちに動かせる。
ヴァルターの土杭が狼型の足をずらす。
ミナの水糸が棘持ちの首を引く。
リアナの氷風が霧を薄く払い、ガレスの低い炎が人型の進路を嫌がらせる。
だが、人型が突然加速した。
長い腕がミナへ伸びる。
ヴァルターが壁を出す。
間に合わない。
ガレスが炎剣を出しかける。
だが、ロイが先に動いた。
鞘の先が床に触れる。
黒雷が一本だけ走った。
人型の足元ではなく、肘へ。
腕が途中で止まる。
ミナの頬のすぐ横で、爪が止まった。
「ひっ……!」
「下がれ」
ロイの声で、ミナが後退する。
ガレスが人型の肩を木剣で叩き、リアナが氷風で足を鈍らせる。
倒さない。
動きを止める。
最後はヴァルターの土杭が膝裏に入り、人型は崩れた。
「制圧!」
リアナが宣言する。
試験場の外で、評価官たちの筆が走った。
◇
封鎖対象は、廃墟中央の広場にあった。
黒い柱。
昨日のものより大きい。
その周囲に、三つの負傷者役人形が倒れている。
さらに、別方向から四年上位混成班も到着した。
代表の四年生がすぐに言う。
「戦う気はない。封鎖優先でいいな」
リアナが頷く。
「はい。救助対象が三体あります」
ガレスも短く言った。
「異論なし」
三班合同。
試験としては想定されているが、簡単ではない。
指揮系統が乱れれば、逆に危険になる。
四年生がカイルの方を見るように一瞬だけ外へ目を向け、それから言った。
「全体指揮はセレストに任せる。昨日の試験で、封鎖対象への判断が早かった」
リアナが一瞬だけ驚く。
だが、すぐに頷いた。
「分かりました。では、四年班は負傷者役の回収を。ガレス先輩の班は右側の魔獣を抑えてください。私たちは封鎖対象を止めます」
「了解」
「任せろ」
上級生たちは従った。
それは、リアナにとって大きな経験だった。
格上に命令する重さ。
その責任。
だが、彼女は逃げなかった。
◇
黒い柱が脈打つ。
外域想定の魔力負荷が、さらに上がった。
ミナの水糸がぶれる。
ヴァルターの土杭が崩れかける。
ガレスの炎が横へ流される。
四年生の風術も乱れた。
普通のダンジョンなら、ここまで環境そのものが邪魔をしてくることは少ない。
だが、外域ではそれが前提になる。
ロイは柱を見た。
「右上、左下、根元」
リアナが即座に理解する。
「三点を止めればいいのね」
「ああ」
「ミナ、右上へ水糸。ヴァルター、根元を土杭で固定。私は左下を冷やす。ロイは最後に通して」
「了解!」
動きは速かった。
ミナの水糸が右上へ伸びる。
途中で流されるが、主糸だけを残して届かせる。
ヴァルターの土杭が根元を押さえる。
リアナの氷風が左下を冷やす。
柱の脈動が一瞬止まった。
ロイが鞘を向ける。
黒雷が細く通る。
柱の内部で、三点の乱れが断たれた。
封鎖対象が沈黙する。
同時に、周囲の模擬魔獣の動きも止まった。
鐘が鳴る。
課題達成。
だが、リアナはすぐに叫んだ。
「撤退! 評価終了まで油断しないで!」
その判断が早かった。
生徒たちはすぐに負傷者役を抱え、撤退地点へ向かう。
最後尾でガレスが炎を低く置き、追撃を嫌がらせる。
ロイは中間で全体を見ていた。
誰も置き去りにしない。
誰も勝利に浮かれない。
全員が撤退地点へ入った瞬間、二度目の鐘が鳴った。
混成対抗試験、達成。
◇
試験場の外へ出ると、生徒たちは一斉に息を吐いた。
ミナはその場に座り込む。
「きっつ……」
ヴァルターも肩で息をしている。
「魔力が、思ったより乱された」
ガレスは額の汗を拭った。
「ダンジョンとは違うな」
ロイが頷く。
「違う」
四年生の一人が言う。
「これで薄い再現なら、外域の魔獣をダンジョンの等級で見ること自体が危ないな」
セレスが近づいてきた。
「その通りだ」
生徒たちが彼女を見る。
セレスは短く続けた。
「ダンジョンでA級相当の魔獣が、外域では小禍にも届かないことがある。逆に、単体の力はB級程度でも、環境と性質次第で部隊を壊すものもいる」
ガレスが問う。
「では、この前の黒い根は」
「正式評価はまだだ」
セレスは即答した。
「ただし、壁内発生個体としては異常。外域基準では、本体ではなく枝と核片に近い。禍等級で言えば、小禍未満。だが、ダンジョン基準だけで測れば、部分的にはA級以上の危険を持っていた」
生徒たちが黙る。
小禍未満。
それで、あれほどの混乱が起きた。
中央広場を覆い、東棟を狙い、《黒雷》と《蒼刃》が出る必要があった。
ミナが小さく言う。
「小禍未満で、あれ……?」
セレスは頷いた。
「だから、物差しが違うと言った」
その言葉は、生徒たちの胸に重く落ちた。
◇
評価発表はその場で行われた。
リアナ率いる混成組は、最高評価。
理由は、封鎖対象への判断、他班との協力、負傷者役の回収、撤退の早さ。
特に、リアナの指揮判断が大きく評価された。
リアナは驚いたように目を見開いた。
カイルが笑う。
「当然だ。今日は君が指揮を取った」
「皆さんが従ってくれたからです」
「それも指揮官の力だ」
リアナは少しだけ俯き、すぐに顔を上げた。
「ありがとうございます」
ミナが嬉しそうに笑う。
「リアナ、すごい!」
ヴァルターも頷いた。
「班長として当然の評価だ」
「あなたに言われると少し不思議ね」
「僕もそう思う」
ロイは短く言った。
「良かった」
リアナはロイを見る。
「それだけ?」
「指揮は良かった」
「……なら、十分ね」
◇
ガレス班も高評価だった。
完璧ではない。
だが、前回より明確に改善している。
特に、炎を抑えた制圧と他班協力が評価された。
ガレスは評価板を見て、しばらく黙っていた。
ロイが横を通る。
「炎は今日も良かった」
ガレスは顔をしかめる。
「毎回言う気か」
「良かった時は」
「なら、悪い時も言え」
「分かった」
「……本当に腹が立つな」
だが、以前ほど棘はない。
ガレスは評価板から目を離し、試験場を見た。
「小禍未満で、あれか」
「ああ」
「外は、そんなに違うのか」
「違う」
「……なら、俺たちはまだ何も知らないんだな」
「今知った」
ガレスは短く笑った。
「そうだな。今知った」
◇
夕方。
試験終了後、セレスはロイにだけ声をかけた。
「核片の解析が終わった」
「結果は」
「本体への道が開く。明日、深部へ入る」
「分かった」
「今度は、私も前に出る」
ロイはセレスを見る。
「大きくか」
「必要なら」
「そうか」
セレスの蒼い目が、わずかに冷たく光る。
「《蒼刃》の名が、飾りではないことくらいは見せておく」
ロイは頷いた。
「期待してる」
「君にそう言われると、少し癪だな」
セレスはそう言って、歩き出した。
その背中には、静かな圧があった。
黒雷とは違う。
冷たく、鋭く、澄んだ刃のような圧。
明日、《翠門》深部へ再び入る。
そこでは、ロイだけでなく。
《蒼刃》セレス・アーヴェインの実力も、いよいよ明らかになる。




