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第24話 再開前夜

 《翠門》深部調査から二日が経った。


 学院側への異常侵食は止まっている。


 中央広場も、東棟も、第一闘技場も、封鎖は段階的に解除された。


 ただし、《翠門》北区画だけは今も閉ざされている。


 そこに残る本体は、まだ完全には消えていない。


 だが、学院は止まっていられなかった。


 学内序列戦、再開。


 掲示板にその通達が貼り出された時、生徒たちの反応は以前とは違っていた。


 ただの歓声ではない。


 ただの不満でもない。


 黒雷を見た。

 境界軍を見た。

 《翠門》の深部から帰ってきた者たちを見た。


 それでも、序列戦は戻ってくる。


 自分たちがどこに立っているのか。


 それを測る場として。



 第二演習場では、朝から自主訓練が続いていた。


 ヴァルターは土壁を並べている。


 以前のように厚く固める壁ではない。


 薄く、角度をつけ、相手の進路を変える壁。


 一枚で止めるのではなく、三枚、四枚で流れを削る。


「そこ、もう少し低い」


 ロイが言う。


 ヴァルターは眉を寄せる。


「低くすれば飛び越えられる」


「飛ばせればいい。着地を狙える」


「……なるほど」


 ヴァルターは土壁を低く作り直した。


 模擬魔獣が跳ぶ。


 着地地点に、次の壁。


 体勢が崩れる。


 ヴァルターはそこへ槍の石突きを入れ、動きを止めた。


「今のは?」


「前よりいい」


「そうか」


 短い返事。


 だが、ヴァルターの口元にはわずかに笑みがあった。


 ミナは少し離れた場所で、水糸を複数に分けていた。


「三本、四本、五本……うわ、これ難しい!」


 リアナが横から助言する。


「全部を同じ強さで扱おうとしない方がいいわ。主糸と補助糸に分けて」


「なるほど……ロイの並列制御って、こういうことをもっと変な数でやってるんだよね?」


「変な数どころではないと思うけれど」


 ミナは遠い目をした。


「参考にはなるけど、真似はできないやつだ」


 ロイは聞こえていたが、何も言わなかった。


 真似をする必要はない。


 それぞれに合った形で使えばいい。



 演習場の端では、ガレス・ロウガンが境界軍の兵士と向き合っていた。


 炎剣は抜いていない。


 ただの木剣。


 だが、息は荒い。


 何度も転がされている。


「立て」


 兵士が言う。


「はい!」


 ガレスは歯を食いしばり、立ち上がった。


「炎を使わないと、何も残らないか?」


「残します」


「なら見せろ」


 ガレスは踏み込む。


 木剣を振る。


 兵士は半歩でかわし、肩を押した。


 それだけでガレスの体勢が崩れる。


 だが、今度は倒れなかった。


 足を滑らせながらも、左手で地面を叩き、膝で踏ん張る。


 兵士の眉が少し動いた。


「今のは悪くない」


「……ありがとうございます」


「だが、遅い」


「もう一度お願いします」


「いいだろう」


 周囲で見ていた三年生たちは、黙っていた。


 以前なら、ガレスがここまで転がされれば空気は荒れたかもしれない。


 今は違う。


 誰も笑わない。


 強くなるために必要なら、頭を下げる。


 それをガレスが見せたことで、三年生たちも変わり始めていた。



 昼前、セレスが第二演習場に現れた。


 灰色の軍装。


 腰の蒼い長剣。


 彼女が入ってくるだけで、訓練の音が少しだけ静まった。


 セレスは周囲を一瞥し、短く言う。


「続けろ」


 その一言で、生徒たちは慌てて訓練へ戻った。


 ロイが近づく。


「何かあったか」


「序列戦再開時の警戒配置が決まった」


「そうか」


「君は参加者扱いのままだ。ただし、異常時は私の指揮下で動く」


「分かった」


 セレスは少し間を置き、続けた。


「それと、深部の核解析が進んだ」


「何が分かった」


「あれは本体ではない。だが、本体への道標になる」


「つまり」


「序列戦再開後、もう一度《翠門》へ入る」


「いつ」


「班単位試験が終わった後だ」


 ロイは眉を動かした。


「序列戦を挟むのか」


「挟む。学院を完全に止めるわけにはいかない。それに、今の生徒たちには必要だ」


 セレスは演習場を見る。


 ヴァルターが壁を作り、ミナが水糸を操り、リアナが班の動きを整えている。


 ガレスも、木剣を握って立ち上がっている。


「恐怖だけで終わらせると、折れる者が増える。だが、目標として再構成できれば、伸びる者が出る」


「境界軍らしくない考えだな」


「私も学院出身に近い教育を受けている」


「そうだったな」


 セレスはロイを見る。


「それに、君の正体が明かされた今、序列戦の意味も変わる。彼らは自分たちと君の差を知る必要がある」


「折れないか」


「折れる者もいる」


 セレスは淡々と言った。


「だが、折れずに前を見る者もいる。そちらを拾うのが学院の仕事だ」


 ロイは少し黙る。


「セレス」


「何だ」


「お前も、見せた方がいい」


「何を」


「序列者の力」


 セレスの目が少し細くなった。


「君が言うのか」


「俺だけだと、黒雷だけが目立つ」


「それは事実だな」


「境界名簿は俺だけじゃない」


 セレスはしばらく黙った。


 それから、微かに笑った。


「必要になれば見せる」


「大きくか」


「君ほど施設を壊すつもりはない」


「俺も壊すつもりはない」


「結果を見ろ」


 ロイは答えなかった。



 午後、班単位試験の説明が講堂で行われた。


 全学年の代表班が集められている。


 壇上にはエルナ教官とカイル。


 そして、セレス。


 生徒たちの緊張は強い。


 ロイが《黒雷》だと明かされてから、初めての公式説明だった。


 エルナ教官が話す。


「班単位試験は、予定通り救助・制圧・撤退判断を含む形式で行う。ただし、異常発生時は即時中止。境界軍の指示に従え」


 続いて、カイルが前へ出る。


「上級生は下級生の誘導補助も評価対象に入る。勝つことだけ考えるな。自分の班だけ助かっても評価にはならない」


 その言葉に、何人かの上級生が頷いた。


 以前なら、序列戦で他班の退避まで考える者は少なかったかもしれない。


 だが今は違う。


 中央広場の事件を経験したことで、退避命令の重みを誰もが知っていた。


 最後に、セレスが口を開く。


「境界軍から一つだけ言う」


 講堂が静まる。


「強さとは、敵を倒す力だけではない。必要な場所に立ち、必要な時に動き、必要なら退く力だ」


 蒼い目が、生徒たちを見渡す。


「憧れるのは自由だ。妬むのも勝手だ。だが、現場で感情を優先する者は、味方を殺す」


 誰も言い返せなかった。


「序列戦でそれを学べ。学べない者は、外へ出る資格はない」


 短い言葉。


 それだけで、講堂の空気は締まった。



 説明後、廊下でガレスがロイを待っていた。


 以前のように睨みつけるだけではない。


 だが、穏やかでもない。


「ロイ」


「何だ」


「お前が《黒雷》だと知っても、俺はまだ納得していない」


「そうか」


「だが、否定はしない」


 ガレスは拳を握る。


「俺はお前に勝てない。今はな」


「今は?」


「いつかだ」


 ロイは少し考えた。


「なら鍛えればいい」


「簡単に言うな」


「他にない」


 ガレスは歯を見せるように笑った。


「本当に腹が立つな、お前は」


「よく言われる」


「だろうな」


 少し離れた場所で、ヴァルターがそのやり取りを見ていた。


 彼は小さく息を吐く。


「僕も負けていられないな」


 リアナが隣で頷く。


「ええ」


 ミナは苦笑する。


「みんな急に熱血になってない?」


「悪いことではない」


 リアナはそう言った。



 夜。


 ロイは寮の屋上にいた。


 中央広場も東棟も、静かだった。


 《翠門》の方角には、まだわずかな赤黒い気配がある。


 だが、今夜は動かない。


 隣に、セレスが立つ。


「明日、班単位試験だ」


「ああ」


「君はどこまで見せる」


「必要な分だけ」


「それでは答えになっていない」


「なら、壊さない範囲」


「余計に不安だ」


 セレスは夜風に青い髪を揺らした。


「生徒たちは、君を見て変わり始めた。だが、まだ危うい。憧れは力になるが、距離を見誤れば毒になる」


「分かっている」


「本当か」


「たぶん」


「そこは断言しろ」


 ロイは黙った。


 セレスは小さく息を吐く。


「明日、もし異常が出れば、私も前に出る」


「大きくか」


「必要なら」


「見てみたいな」


 セレスはロイを横目で見る。


「君にそう言われると、妙な気分だ」


「そうか」


「《蒼刃》の名も、飾りではない」


「知っている」


 セレスは少しだけ口元を緩めた。


「なら、いずれ見せる」


 遠くで鐘が鳴った。


 序列戦再開前夜。


 学院は静かに眠っている。


 だが、その静けさの下には、熱がある。


 黒雷を見た者たちの熱。


 折れずに立とうとする者たちの熱。


 そして、まだ《翠門》の奥で息を潜めるものの気配。


 ロイは空を見上げた。


 雲の向こうで、遠い雷が一度だけ光った。


 明日、序列戦は再び動き出す。


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