第22話 深部招集
中央広場と東棟の封鎖は、その日の昼まで続いた。
天穿・抜雷。
その名は、すぐに学院中へ広がった。
黒い雷の抜刀。
鞘を砲身にした亜音速の一閃。
遅れて広場を叩いた衝撃。
見た者は興奮気味に語り、見ていない者は信じきれずに何度も聞き返した。
「斬った後に音が来たって本当か?」
「石畳がめくれた」
「東棟の壁も割れたらしい」
「でも支柱は残したんだろ?」
「それ、逆におかしくないか」
ロイ・オルディスが《黒雷》だと明かされたことで、学院の空気は完全に変わった。
嫉妬は消えない。
恐れもある。
けれど、それ以上に、憧れが強くなった。
境界名簿は、遠い英雄譚ではなくなった。
その一人が、同じ学院の廊下を歩いている。
同じ食堂で食事を取り、同じ授業に座っている。
それは生徒たちにとって、恐ろしくもあり、眩しくもあった。
◇
職員棟第一会議室。
ロイは、セレス、学院長、エルナ教官、管理局術師長、カイルと共に、再び図面を見ていた。
中央広場と東棟に出た枝は切った。
だが、本体はまだ《翠門》深部にいる。
術師長が観測石を机に置く。
「広場側、東棟側の反応は沈静化しています。しかし、《翠門》深部の反応は逆に濃くなりました」
エルナ教官が眉を寄せる。
「枝を切った反動か」
「おそらく。学院側へ伸ばしていた魔力を、本体側へ戻しています」
セレスが言う。
「なら、時間を置くほど深部で固まる」
「はい」
会議室の空気が重くなる。
学院側への侵食は止めた。
だが、根本的な解決ではない。
このまま放置すれば、また別の枝を伸ばす。
次は中央広場では済まないかもしれない。
学院長が静かに言った。
「《翠門》深部へ入る必要がある、ということだね」
「はい」
セレスは即答した。
「境界軍主導で深部調査および反応源の切除を行います。学院側には、入口周辺の封鎖と生徒避難体制の維持をお願いします」
「生徒の同行は?」
「原則なし」
セレスの声は硬い。
だが、カイルが手を挙げた。
「学院側の案内役は必要ではありませんか」
「管理局で足りる」
「深部へは管理局も全域把握していません。《翠門》は管理迷宮とはいえ、封鎖区画以降は実習記録が少ない。学院側の戦闘可能な案内役が一人いた方が、撤退時の判断が早くなる」
エルナ教官がカイルを見る。
「入りたいのか」
「はい」
「危険だぞ」
「承知しています」
カイルはまっすぐ答えた。
「ただ、学院の四年総合序列第五位として、全てを境界軍とロイに任せて後ろで待つだけでは、生徒側を納得させられません」
セレスは黙ってカイルを見た。
ロイも見る。
カイルは続けた。
「戦闘の主役になるつもりはありません。案内、撤退補助、負傷者搬送。必要ならその役に徹します」
セレスが問う。
「名誉のためではないな」
「違います」
「なら、許可を検討する」
カイルは短く頭を下げた。
「ありがとうございます」
ロイは言った。
「役割を守れるなら邪魔にはならない」
カイルが笑う。
「君にそう言われると、少し緊張するな」
「そうか」
「褒め言葉として受け取っておく」
◇
会議後、学院長から全生徒へ追加通達が出された。
《翠門》深部調査のため、北区画全域を封鎖。
学内序列戦は無期限延期ではなく、深部調査終了後に再開判断。
この発表に、生徒たちはざわついた。
だが、大きな反発はなかった。
中央広場で見てしまったからだ。
今、学院の足元に何かがいる。
それを無視して序列戦を続ける方が異常だった。
掲示板前で、ガレス・ロウガンは黙って通達を見ていた。
隣の三年生が言う。
「序列戦、また延期だな」
「ああ」
「お前、ロイと当たるの楽しみにしてただろ」
ガレスは低く答えた。
「今の俺が当たっても、勝負にならない」
周囲の三年生が驚いた。
ガレスは掲示板から目を離さない。
「だが、逃げる気はない。延期なら鍛えるだけだ」
「……変わったな」
「うるさい」
ガレスは歩き出す。
その先には、第二演習場がある。
炎を大きくする訓練ではない。
燃やさず止める訓練。
今の自分に必要なものを、彼は理解し始めていた。
◇
第二演習場では、すでに何人もの生徒が自主訓練をしていた。
四年生が制圧動作を教え、三年生がそれを学び、二年生が見よう見まねで試す。
その中央に、境界軍の兵士が一人立っていた。
「派手に撃つな。止めろ。動きを奪え」
「はい!」
「炎を広げるな。対象の前に置け。燃やすな」
「はい!」
ガレスもそこへ加わる。
兵士は彼を見る。
「またお前か」
「教えてください」
ガレスは頭を下げた。
周囲が少し静まる。
三年序列二十一位。
プライドの高い炎属性の前衛。
その彼が、境界軍の兵士に頭を下げた。
兵士は一瞬だけ黙り、それから言った。
「いい。だが甘くはしない」
「お願いします」
「まず炎を消せ」
ガレスの眉が動く。
「消す?」
「お前は炎に頼りすぎだ。火がなくても止められる身体の使い方からやる」
「……分かりました」
悔しそうだった。
だが、従った。
それを見ていた一年生たちが、小さく声を漏らす。
「ガレス先輩、すごい」
「ちゃんと頭下げた……」
「強い人でも、ああやって習うんだ」
学院の空気は、少しずつ変わっていた。
ロイが《黒雷》だと明かされたことで、折れた者もいる。
だが、火がついた者もいる。
遠すぎる背中を見て、それでも一歩進もうとする者たちがいた。
◇
夕方。
ロイは《翠門》入口前にいた。
作戦参加者が集まっている。
境界軍からは、セレスと小隊六名。
管理局から術師長を含む三名。
学院からはエルナ教官、カイル。
そしてロイ。
リアナ、ミナ、ヴァルターは入口の外側にいた。
同行は許可されていない。
リアナはそれを理解していた。
「私たちは入口周辺の待機班に入ります」
「ああ」
ロイが頷く。
ミナが少し不安そうに言う。
「本当に大丈夫?」
「危険はある」
「そうじゃなくて、ロイが」
「俺は問題ない」
「それ、信用していいやつ?」
「たぶん」
「たぶんなんだ……」
ヴァルターはロイを見た。
「戻ってこい」
「ああ」
「君に勝つための時間が必要だからな」
ロイは少しだけ目を向けた。
「なら戻る」
ヴァルターは鼻で笑った。
「そうしてくれ」
リアナは最後に短く言った。
「役割を守って待つわ」
「それでいい」
「あなたも、必要以上に一人で抱えないで」
ロイは少し考える。
「できる範囲で」
「そこは、はいと言うところよ」
「はい」
ミナが小さく笑った。
場の空気が少しだけ和らぐ。
セレスが声をかける。
「ロイ。出るぞ」
「ああ」
《翠門》の石扉が開いた。
奥から流れてくる空気は、以前より冷たい。
鉄の匂い。
湿った土の匂い。
そして、焦げた雷の残り香。
ロイは《黒鳴》に手を置き、迷宮へ入った。
◇
《翠門》第一層は、すでに管理迷宮の顔を失いつつあった。
壁の苔光は弱く、床の一部には黒い筋が走っている。
魔獣はほとんどいない。
迷宮そのものが、深部の異常を避けているようだった。
カイルが低く言う。
「ここが、学院の実習迷宮か」
「本来はもっと安定している」
エルナ教官が答える。
「今は別物だ」
セレスは前を見たまま言った。
「隊列を崩すな。根は切ったが、反応源は残っている。こちらを試してくる可能性がある」
境界軍の兵士たちが短く返事をする。
彼らの動きは静かだった。
名簿には載らない。
だが、十分に規格外。
カイルはそれを間近で見て、改めて息を吐いた。
「学院の訓練とは違うな」
「違う」
ロイが言う。
「でも、学べる」
「そうだな」
カイルは剣の柄に手を置いた。
「学べるうちは学ぶ」
◇
北東封鎖区画を越える。
前回切除した赤黒い塊は、灰のように崩れていた。
だが、その奥。
これまで封鎖されていた通路の先に、新しい穴が開いている。
迷宮の構造が変わっていた。
術師長が顔をしかめる。
「こんな通路は記録にありません」
セレスが言う。
「作られたか」
「または、開かされた」
ロイは穴の奥を見る。
暗い。
苔光も届かない。
その奥で、赤黒い光がゆっくり瞬いていた。
「いるな」
セレスが蒼刃を抜く。
「ここからは深部扱いだ。撤退路を維持しながら進む」
ロイは鞘に手を置いた。
天穿・抜雷は、ここでは使いづらい。
狭い通路で撃てば、衝撃が返ってくる。
別の技がいる。
広く撃つのではなく、通路全体を支配する雷。
ロイはまだ抜かない。
必要になるまで温存する。
奥へ進む。
一歩。
二歩。
十歩。
空気が変わった。
足元の石が、柔らかく沈む。
境界軍の兵士が叫ぶ。
「床、来る!」
黒い根が、床一面から針のように突き出した。
前方、左右、天井。
逃げ場を潰す形。
セレスが蒼刃を振るい、正面の根を凍らせる。
兵士たちが左右を杭で止める。
カイルが風で後方へ流れを作り、術師長を下げる。
だが、天井からの根が速い。
術師の一人へ落ちる。
ロイが動いた。
刀は抜かない。
鞘をわずかに持ち上げる。
「天穿・黒雨」
黒雷が、天井へ散った。
雨のように。
だが、水ではない。
細い黒雷が無数の針となって、天井から落ちてくる根だけを撃ち抜いた。
ぱらぱらと、黒い灰が降る。
雷なのに、雨の音がした。
細かく、静かに、しかし逃げ場なく。
術師は目を見開く。
「今のは……」
セレスが短く言う。
「足を止めるな」
ロイは鞘を下ろす。
「広範囲制圧用だ。威力は低い」
カイルが苦笑する。
「あれで低いのか」
「根だけなら」
「基準がおかしい」
エルナ教官が後ろで言った。
「今さらだ」
◇
深部へ進むほど、通路は迷宮ではなくなっていった。
壁は黒い根に覆われ、床は脈打つ。
空気は重く、呼吸のたびに鉄の味がする。
やがて、一行は広い空間へ出た。
そこは、かつて迷宮の小広間だったのだろう。
だが今は、中央に巨大な赤黒い繭が吊られていた。
根が天井から垂れ、繭へ魔力を送っている。
繭の表面には、いくつもの薄い光が浮かんでいた。
中央広場。
第一闘技場。
東棟。
訓練場。
学院内の魔力が、そこに映っている。
カイルが低く言う。
「学院を、見ていたのか」
「探っていた」
ロイが答える。
セレスの目が鋭くなる。
「反応源確認。あれを切除する」
その瞬間、繭が脈打った。
赤黒い光が強くなる。
根が一斉に広がり、空間全体を覆う。
セレスが蒼刃を構える。
「来る!」
繭の表面が裂けた。
中から、黒い獣の腕のようなものが出る。
まだ全身ではない。
だが、これまでの根とは違う。
意思がある。
敵意がある。
ロイは刀を抜いた。
黒い刀身に、黒雷が纏わりつく。
「セレス」
「何だ」
「ここなら少し使える」
「何を」
「次の技だ」
セレスは一瞬だけ目を細めた。
「構造は」
「壊さない範囲でやる」
「信用しきれないが、許可する」
ロイは一歩前へ出た。
黒雷が刀身から床へ落ちる。
それは線ではない。
円だった。
ロイを中心に、黒い雷の輪が広がる。
根がその輪に触れた瞬間、動きを止めた。
空気が震える。
雷鳴が、地面の下で唸る。
ロイは刀を低く構える。
「黒雷領域」
黒い雷の輪が、広間全体へ広がった。
視界が一瞬、黒と青白い光で染まる。
敵の根だけが硬直し、味方の足元は焼かれない。
それは攻撃ではない。
支配だった。
この広間のどこに雷を通すか。
どこを焼き、どこを残すか。
ロイが決める。
カイルは思わず呟いた。
「……これが《黒雷》」
セレスが蒼刃を構え直す。
「全員、領域内で動け。根は一瞬止まる。その間に繭を削る」
境界軍の兵士たちが走る。
カイルも続く。
エルナ教官が後方から術式を展開する。
黒雷の領域の中で、戦いが始まった。
繭の中の何かが、初めて明確に震えた。
恐れたのだ。
ロイの黒雷を。
そして、ロイはそれを見逃さなかった。
「出てこい」
黒い刀身に、さらに雷が集まる。
深部の空気が、雷雲の底のように重くなった。




