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第22話 深部招集

 中央広場と東棟の封鎖は、その日の昼まで続いた。


 天穿・抜雷。


 その名は、すぐに学院中へ広がった。


 黒い雷の抜刀。


 鞘を砲身にした亜音速の一閃。


 遅れて広場を叩いた衝撃。


 見た者は興奮気味に語り、見ていない者は信じきれずに何度も聞き返した。


「斬った後に音が来たって本当か?」


「石畳がめくれた」


「東棟の壁も割れたらしい」


「でも支柱は残したんだろ?」


「それ、逆におかしくないか」


 ロイ・オルディスが《黒雷》だと明かされたことで、学院の空気は完全に変わった。


 嫉妬は消えない。


 恐れもある。


 けれど、それ以上に、憧れが強くなった。


 境界名簿は、遠い英雄譚ではなくなった。


 その一人が、同じ学院の廊下を歩いている。


 同じ食堂で食事を取り、同じ授業に座っている。


 それは生徒たちにとって、恐ろしくもあり、眩しくもあった。



 職員棟第一会議室。


 ロイは、セレス、学院長、エルナ教官、管理局術師長、カイルと共に、再び図面を見ていた。


 中央広場と東棟に出た枝は切った。


 だが、本体はまだ《翠門》深部にいる。


 術師長が観測石を机に置く。


「広場側、東棟側の反応は沈静化しています。しかし、《翠門》深部の反応は逆に濃くなりました」


 エルナ教官が眉を寄せる。


「枝を切った反動か」


「おそらく。学院側へ伸ばしていた魔力を、本体側へ戻しています」


 セレスが言う。


「なら、時間を置くほど深部で固まる」


「はい」


 会議室の空気が重くなる。


 学院側への侵食は止めた。


 だが、根本的な解決ではない。


 このまま放置すれば、また別の枝を伸ばす。


 次は中央広場では済まないかもしれない。


 学院長が静かに言った。


「《翠門》深部へ入る必要がある、ということだね」


「はい」


 セレスは即答した。


「境界軍主導で深部調査および反応源の切除を行います。学院側には、入口周辺の封鎖と生徒避難体制の維持をお願いします」


「生徒の同行は?」


「原則なし」


 セレスの声は硬い。


 だが、カイルが手を挙げた。


「学院側の案内役は必要ではありませんか」


「管理局で足りる」


「深部へは管理局も全域把握していません。《翠門》は管理迷宮とはいえ、封鎖区画以降は実習記録が少ない。学院側の戦闘可能な案内役が一人いた方が、撤退時の判断が早くなる」


 エルナ教官がカイルを見る。


「入りたいのか」


「はい」


「危険だぞ」


「承知しています」


 カイルはまっすぐ答えた。


「ただ、学院の四年総合序列第五位として、全てを境界軍とロイに任せて後ろで待つだけでは、生徒側を納得させられません」


 セレスは黙ってカイルを見た。


 ロイも見る。


 カイルは続けた。


「戦闘の主役になるつもりはありません。案内、撤退補助、負傷者搬送。必要ならその役に徹します」


 セレスが問う。


「名誉のためではないな」


「違います」


「なら、許可を検討する」


 カイルは短く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 ロイは言った。


「役割を守れるなら邪魔にはならない」


 カイルが笑う。


「君にそう言われると、少し緊張するな」


「そうか」


「褒め言葉として受け取っておく」



 会議後、学院長から全生徒へ追加通達が出された。


 《翠門》深部調査のため、北区画全域を封鎖。


 学内序列戦は無期限延期ではなく、深部調査終了後に再開判断。


 この発表に、生徒たちはざわついた。


 だが、大きな反発はなかった。


 中央広場で見てしまったからだ。


 今、学院の足元に何かがいる。


 それを無視して序列戦を続ける方が異常だった。


 掲示板前で、ガレス・ロウガンは黙って通達を見ていた。


 隣の三年生が言う。


「序列戦、また延期だな」


「ああ」


「お前、ロイと当たるの楽しみにしてただろ」


 ガレスは低く答えた。


「今の俺が当たっても、勝負にならない」


 周囲の三年生が驚いた。


 ガレスは掲示板から目を離さない。


「だが、逃げる気はない。延期なら鍛えるだけだ」


「……変わったな」


「うるさい」


 ガレスは歩き出す。


 その先には、第二演習場がある。


 炎を大きくする訓練ではない。


 燃やさず止める訓練。


 今の自分に必要なものを、彼は理解し始めていた。



 第二演習場では、すでに何人もの生徒が自主訓練をしていた。


 四年生が制圧動作を教え、三年生がそれを学び、二年生が見よう見まねで試す。


 その中央に、境界軍の兵士が一人立っていた。


「派手に撃つな。止めろ。動きを奪え」


「はい!」


「炎を広げるな。対象の前に置け。燃やすな」


「はい!」


 ガレスもそこへ加わる。


 兵士は彼を見る。


「またお前か」


「教えてください」


 ガレスは頭を下げた。


 周囲が少し静まる。


 三年序列二十一位。


 プライドの高い炎属性の前衛。


 その彼が、境界軍の兵士に頭を下げた。


 兵士は一瞬だけ黙り、それから言った。


「いい。だが甘くはしない」


「お願いします」


「まず炎を消せ」


 ガレスの眉が動く。


「消す?」


「お前は炎に頼りすぎだ。火がなくても止められる身体の使い方からやる」


「……分かりました」


 悔しそうだった。


 だが、従った。


 それを見ていた一年生たちが、小さく声を漏らす。


「ガレス先輩、すごい」


「ちゃんと頭下げた……」


「強い人でも、ああやって習うんだ」


 学院の空気は、少しずつ変わっていた。


 ロイが《黒雷》だと明かされたことで、折れた者もいる。


 だが、火がついた者もいる。


 遠すぎる背中を見て、それでも一歩進もうとする者たちがいた。



 夕方。


 ロイは《翠門》入口前にいた。


 作戦参加者が集まっている。


 境界軍からは、セレスと小隊六名。


 管理局から術師長を含む三名。


 学院からはエルナ教官、カイル。


 そしてロイ。


 リアナ、ミナ、ヴァルターは入口の外側にいた。


 同行は許可されていない。


 リアナはそれを理解していた。


「私たちは入口周辺の待機班に入ります」


「ああ」


 ロイが頷く。


 ミナが少し不安そうに言う。


「本当に大丈夫?」


「危険はある」


「そうじゃなくて、ロイが」


「俺は問題ない」


「それ、信用していいやつ?」


「たぶん」


「たぶんなんだ……」


 ヴァルターはロイを見た。


「戻ってこい」


「ああ」


「君に勝つための時間が必要だからな」


 ロイは少しだけ目を向けた。


「なら戻る」


 ヴァルターは鼻で笑った。


「そうしてくれ」


 リアナは最後に短く言った。


「役割を守って待つわ」


「それでいい」


「あなたも、必要以上に一人で抱えないで」


 ロイは少し考える。


「できる範囲で」


「そこは、はいと言うところよ」


「はい」


 ミナが小さく笑った。


 場の空気が少しだけ和らぐ。


 セレスが声をかける。


「ロイ。出るぞ」


「ああ」


 《翠門》の石扉が開いた。


 奥から流れてくる空気は、以前より冷たい。


 鉄の匂い。

 湿った土の匂い。

 そして、焦げた雷の残り香。


 ロイは《黒鳴》に手を置き、迷宮へ入った。



 《翠門》第一層は、すでに管理迷宮の顔を失いつつあった。


 壁の苔光は弱く、床の一部には黒い筋が走っている。


 魔獣はほとんどいない。


 迷宮そのものが、深部の異常を避けているようだった。


 カイルが低く言う。


「ここが、学院の実習迷宮か」


「本来はもっと安定している」


 エルナ教官が答える。


「今は別物だ」


 セレスは前を見たまま言った。


「隊列を崩すな。根は切ったが、反応源は残っている。こちらを試してくる可能性がある」


 境界軍の兵士たちが短く返事をする。


 彼らの動きは静かだった。


 名簿には載らない。


 だが、十分に規格外。


 カイルはそれを間近で見て、改めて息を吐いた。


「学院の訓練とは違うな」


「違う」


 ロイが言う。


「でも、学べる」


「そうだな」


 カイルは剣の柄に手を置いた。


「学べるうちは学ぶ」



 北東封鎖区画を越える。


 前回切除した赤黒い塊は、灰のように崩れていた。


 だが、その奥。


 これまで封鎖されていた通路の先に、新しい穴が開いている。


 迷宮の構造が変わっていた。


 術師長が顔をしかめる。


「こんな通路は記録にありません」


 セレスが言う。


「作られたか」


「または、開かされた」


 ロイは穴の奥を見る。


 暗い。


 苔光も届かない。


 その奥で、赤黒い光がゆっくり瞬いていた。


「いるな」


 セレスが蒼刃を抜く。


「ここからは深部扱いだ。撤退路を維持しながら進む」


 ロイは鞘に手を置いた。


 天穿・抜雷は、ここでは使いづらい。


 狭い通路で撃てば、衝撃が返ってくる。


 別の技がいる。


 広く撃つのではなく、通路全体を支配する雷。


 ロイはまだ抜かない。


 必要になるまで温存する。


 奥へ進む。


 一歩。


 二歩。


 十歩。


 空気が変わった。


 足元の石が、柔らかく沈む。


 境界軍の兵士が叫ぶ。


「床、来る!」


 黒い根が、床一面から針のように突き出した。


 前方、左右、天井。


 逃げ場を潰す形。


 セレスが蒼刃を振るい、正面の根を凍らせる。


 兵士たちが左右を杭で止める。


 カイルが風で後方へ流れを作り、術師長を下げる。


 だが、天井からの根が速い。


 術師の一人へ落ちる。


 ロイが動いた。


 刀は抜かない。


 鞘をわずかに持ち上げる。


「天穿・黒雨」


 黒雷が、天井へ散った。


 雨のように。


 だが、水ではない。


 細い黒雷が無数の針となって、天井から落ちてくる根だけを撃ち抜いた。


 ぱらぱらと、黒い灰が降る。


 雷なのに、雨の音がした。


 細かく、静かに、しかし逃げ場なく。


 術師は目を見開く。


「今のは……」


 セレスが短く言う。


「足を止めるな」


 ロイは鞘を下ろす。


「広範囲制圧用だ。威力は低い」


 カイルが苦笑する。


「あれで低いのか」


「根だけなら」


「基準がおかしい」


 エルナ教官が後ろで言った。


「今さらだ」



 深部へ進むほど、通路は迷宮ではなくなっていった。


 壁は黒い根に覆われ、床は脈打つ。


 空気は重く、呼吸のたびに鉄の味がする。


 やがて、一行は広い空間へ出た。


 そこは、かつて迷宮の小広間だったのだろう。


 だが今は、中央に巨大な赤黒い繭が吊られていた。


 根が天井から垂れ、繭へ魔力を送っている。


 繭の表面には、いくつもの薄い光が浮かんでいた。


 中央広場。

 第一闘技場。

 東棟。

 訓練場。


 学院内の魔力が、そこに映っている。


 カイルが低く言う。


「学院を、見ていたのか」


「探っていた」


 ロイが答える。


 セレスの目が鋭くなる。


「反応源確認。あれを切除する」


 その瞬間、繭が脈打った。


 赤黒い光が強くなる。


 根が一斉に広がり、空間全体を覆う。


 セレスが蒼刃を構える。


「来る!」


 繭の表面が裂けた。


 中から、黒い獣の腕のようなものが出る。


 まだ全身ではない。


 だが、これまでの根とは違う。


 意思がある。


 敵意がある。


 ロイは刀を抜いた。


 黒い刀身に、黒雷が纏わりつく。


「セレス」


「何だ」


「ここなら少し使える」


「何を」


「次の技だ」


 セレスは一瞬だけ目を細めた。


「構造は」


「壊さない範囲でやる」


「信用しきれないが、許可する」


 ロイは一歩前へ出た。


 黒雷が刀身から床へ落ちる。


 それは線ではない。


 円だった。


 ロイを中心に、黒い雷の輪が広がる。


 根がその輪に触れた瞬間、動きを止めた。


 空気が震える。


 雷鳴が、地面の下で唸る。


 ロイは刀を低く構える。


「黒雷領域」


 黒い雷の輪が、広間全体へ広がった。


 視界が一瞬、黒と青白い光で染まる。


 敵の根だけが硬直し、味方の足元は焼かれない。


 それは攻撃ではない。


 支配だった。


 この広間のどこに雷を通すか。


 どこを焼き、どこを残すか。


 ロイが決める。


 カイルは思わず呟いた。


「……これが《黒雷》」


 セレスが蒼刃を構え直す。


「全員、領域内で動け。根は一瞬止まる。その間に繭を削る」


 境界軍の兵士たちが走る。


 カイルも続く。


 エルナ教官が後方から術式を展開する。


 黒雷の領域の中で、戦いが始まった。


 繭の中の何かが、初めて明確に震えた。


 恐れたのだ。


 ロイの黒雷を。


 そして、ロイはそれを見逃さなかった。


「出てこい」


 黒い刀身に、さらに雷が集まる。


 深部の空気が、雷雲の底のように重くなった。


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