表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/48

第19話 黒雷という名

 翌朝、王立学院には二つの通達が出された。


 一つ。


 《翠門》より伸びていた地下術式異常は、境界軍および学院管理局の共同作戦により一時鎮静化。


 二つ。


 学内序列戦は、安全確認期間を挟んだのち、三日後に再開。


 掲示板の前には、多くの生徒が集まっていた。


「再開するのか」


「大丈夫なのかよ」


「でも、昨日の夜に処理したって」


「境界軍と管理局だろ?」


「ロイも行ってたらしいぞ」


 その名が出ると、周囲の空気が少し変わる。


 以前のような単純な反発だけではない。


 闘技場の異常を止めた。


 《翠門》の作戦にも関わった。


 境界軍の兵士が敬意を払っている。


 そこまで重なれば、ただの編入生ではないことくらい、誰でも分かる。


 だが、分からない。


 では、何なのか。


 そこが分からないから、噂は止まらない。



 ロイはいつも通り教室にいた。


 通達を見ても、特に反応は変わらなかった。


 ミナが机に頬杖をつく。


「序列戦、再開するんだね」


「ああ」


「ロイはまた出るの?」


「命令があれば」


「もうそれ、絶対出るやつじゃん」


 ヴァルターは黙って槍の手入れをしていた。


 リアナは通達の写しを読んでいる。


「個人予選は再編成。中断時点の勝者はそのまま通過扱い。未消化の試合だけ実施。その後、班単位試験へ移行」


「つまり、私たちは一回戦通過?」


 ミナが訊く。


「ええ。ただ、班単位試験の比重が上がるわ」


 ヴァルターが顔を上げる。


「昨日の異常を踏まえて、制圧と撤退判断を重く見るということか」


「そうでしょうね」


 ロイは窓の外を見る。


 第一闘技場はまだ一部封鎖されている。


 ただ、昨日までのような濁った気配は薄い。


 本線を切った効果は出ている。


 だが、終わってはいない。


 《翠門》の奥には、まだ何かが残っている。



 午前の授業は、実技ではなく外壁史に差し替えられた。


 教師は黒板に大きく二つの言葉を書いた。


 境界軍。

 境界名簿。


 教室の空気が引き締まる。


「君たちは境界名簿を知っているだろう」


 教師が言う。


「王国軍、騎士団、魔術院、冒険者組合。どの道へ進む者であっても、一度はその名を目にするはずだ」


 生徒たちは黙って聞いている。


 境界名簿。


 壁の外に関わる戦果を上げた者だけが名を載せる、王国最高峰の序列。


 学院生にとっては、遠い憧れだった。


 教師は続ける。


「だが、誤解してはならない。境界名簿は英雄譚ではない。そこに名が載るということは、常にそれ相応の危険と責務を背負うということだ」


 黒板に、いくつかの異名が書かれていく。


 《蒼刃》。

 《白砦》。

 《穿翼》。

 《黒雷》。


 その瞬間、教室のあちこちで小さな反応が起きた。


 黒雷。


 その字だけが、妙に重く見えた。


 教師は淡々と説明する。


「例えば《蒼刃》セレス・アーヴェイン。現在、学院に滞在している境界名簿第三十二席だ。若くして第三外郭隊の小隊指揮を任される序列保持者であり、蒼い斬撃による制圧と凍結に秀でる」


 ミナが小声で呟く。


「そのまんまだ……」


「そして《黒雷》」


 教師の声に、ロイ以外の何人かが顔を上げた。


「詳細な戦歴は公開されていない。ただし、境界軍の記録では、黒い雷を操る若き名持ちとして知られる。雷属性を極度に圧縮し、通常の雷とは異なる黒い放電を扱うとされる」


 黒い雷。


 その言葉が、教室に落ちる。


 誰かが息を呑んだ。


 ロイは黒板を見ている。


 表情は変わらない。


 教師は続けた。


「異名は見た目だけで決まるものではない。戦果、対応力、生還率、任務達成率。それらが重なって初めて、名は定着する。君たちが軽々しく真似ていいものではない」


 授業はそこで次の話題へ移った。


 だが、生徒たちの意識はしばらく戻らなかった。


 黒い雷。


 ロイの雷も、黒い。


 もちろん、そんな単純な話ではない。


 境界名簿の《黒雷》など、学院生からすれば雲の上の存在だ。


 目の前の編入生と結びつけるには、話が大きすぎる。


 大きすぎる、はずだった。



 授業後、教室のざわめきはすぐには収まらなかった。


「黒雷って、今の話……」


「いやいや、まさか」


「黒い雷なんて珍しいけど、同じとは限らないだろ」


「でも境界軍の兵士が敬語使ってたぞ」


「《蒼刃》もロイのこと知ってる感じだった」


「いや、だからって境界名簿の黒雷はないだろ。あれ、名持ちだぞ?」


「だよな。流石にない」


 否定する声が多い。


 だが、その否定には揺れがあった。


 あり得ない。


 そう言いながら、いくつかの断片が頭の中で繋がり始める。


 黒い雷。

 境界軍の敬意。

 十一重制御。

 《翠門》での異常対処。

 《蒼刃》との距離。


 言われてみれば、気づけそうではあった。


 だが、信じたくない。


 ただの編入生だと思っていた相手が、境界名簿の名持ちかもしれない。


 その可能性は、学院生たちの感情を大きく揺らした。


 羨望。

 嫉妬。

 興奮。

 不安。

 そして、信じたくない悔しさ。


 ロイはその会話を聞いていたが、何も言わなかった。


 ミナがぎこちなく笑う。


「ロイ……今の授業、聞いた?」


「ああ」


「黒雷って、出てたね」


「ああ」


「その……」


 ミナは言葉を探した。


 リアナも黙っている。


 ヴァルターはロイを見ていた。


 ロイは短く言う。


「必要なら話す」


 それだけだった。


 今は必要ではない。


 少なくとも、ロイはそう判断している。


 だが、周囲はもう、必要かどうかを考え始めている。



 昼休み。


 図書棟の境界史資料室には、数人の上級生がいた。


 四年生の一人が、境界名簿に関する公開資料を開いている。


 カイル・レインフォードもそこにいた。


「やはり、資料は少ないな」


 四年生が言う。


「《黒雷》の項目はほとんど非公開だ。異名、属性傾向、いくつかの作戦名だけ」


 カイルは資料を覗き込む。


 そこには短い記述があった。


 ――《黒雷》。雷属性。黒色放電。刀型魔導兵装を使用する可能性あり。詳細戦歴非公開。


 四年生が苦笑する。


「黒い雷、刀、境界軍の敬意。これだけ並ぶとな」


「断定はできない」


 カイルが言う。


「だが、無視もできない」


「本人に聞くか?」


「答えないだろう」


「だろうな」


 カイルは資料を閉じた。


 彼の顔に嫉妬はない。


 むしろ、慎重な理解があった。


「仮にそうだとしても、彼が隠しているなら理由がある。面白半分に暴くべきではない」


「真面目だな」


「必要な時に分かる。そういう類の話だ」


 カイルは窓の外を見た。


 第一闘技場の補修が進んでいる。


「ただ、その必要な時は近いかもしれない」



 同じ頃、三年棟では別の反応が起きていた。


 ガレス・ロウガンは、仲間たちと共に境界名簿の写しを見ていた。


「《黒雷》だと?」


 一人が言う。


「まさか、あいつが?」


「あり得ないだろ」


「でも条件は合ってる」


「黒い雷を使う奴なんて、他にもいるかもしれない」


「境界軍がロイ殿って呼ぶ他の理由は?」


 沈黙が落ちる。


 ガレスは資料から目を離さなかった。


 黒雷。


 境界名簿。


 もし、ロイがそれなら。


 自分が突っかかっていた相手は、学内序列どころではない。


 学院の塔の上ではなく、まったく別の場所に立つ人間だったことになる。


 それは認めがたい。


 認めたくない。


 だが、昨日の闘技場で見た黒雷は、ただの二年生が扱うものではなかった。


 ガレスは低く言う。


「まだ決まったわけじゃない」


「だよな」


「ああ。決まってない」


 自分に言い聞かせるような声だった。


「確かめるなら、序列戦だ」


 ガレスは拳を握る。


「逃げ場のない舞台で、あいつがどれだけ隠せるか見る」



 放課後、第二演習場では軽い調整訓練が行われた。


 ロイたち第一班に、カイルが加わる。


 今日は大きな魔力を使わない。


 地下反応は落ち着いているが、完全に消えたわけではないからだ。


 ミナが水糸を細く伸ばし、負傷者役の人形を引き寄せる。


 ヴァルターは低い土壁で進路を作る。


 リアナは風で足元の砂を払う。


 ロイは最小限の黒雷だけを床に流し、位置取りを確認していた。


 黒雷は、以前よりも多くの者に意識されている。


 だからこそ、今日は細く、目立たない。


 だが、一度知ってしまうと、細い黒雷ですら意味を持って見える。


 カイルがロイの横へ来る。


「噂になっている」


「そうだろうな」


「否定しないのか」


「必要がない」


「肯定は?」


「それも必要がない」


 カイルは苦笑した。


「君らしい」


「面倒になる」


「もうなっている」


「そうだな」


 その時、演習場の端で小さな歓声が上がった。


 一年生数人が、ミナの水糸操作を見て拍手している。


 ミナは照れたように手を振った。


「いいな」


 カイルが言う。


「何がだ」


「下級生が上級生や強い生徒を見て、素直に憧れる。学院はそういう場所でもある」


 ロイは一年生たちを見る。


 彼らはミナやリアナ、ヴァルターにも目を向けている。


 ロイだけではない。


 強い者。

 優しい者。

 上手い者。

 届きたいと思える者。


 学院には、そういう光もある。


 ロイは短く答えた。


「悪くない」


「だろう?」



 訓練が終わる頃、セレスが第二演習場に現れた。


 彼女が来ると、場の空気が自然と引き締まる。


 セレスはロイへ近づいた。


「話がある」


「何だ」


「学院長から、序列戦再開時の警戒配置が決まった。君は表向き、参加者のままだ」


「実際は」


「異常発生時の即応戦力」


「分かった」


「そして、もう一つ」


 セレスは少し声を落とした。


「君の異名について、噂が出ている」


「ああ」


「放置するか」


「必要なら話す」


「その必要は、近いかもしれない」


 ロイはセレスを見る。


 セレスの表情は変わらない。


 だが、声は少しだけ硬い。


「次に大きな異常が出れば、隠す余裕はない。黒雷を使わずに済む保証もない」


「使う必要があれば使う」


「その時は、私が後押しする」


「後押し?」


「君が自分で名乗らないなら、誰かが言う必要がある」


 ロイは少し考えた。


「名は任務に必要か」


「時には必要だ」


 セレスははっきり言った。


「生徒を下がらせるために。教師を動かすために。境界軍が君に指揮権を一部預ける理由を示すために」


「そうか」


「君が嫌でも、名が人を動かすことはある」


 ロイは答えなかった。


 名に興味はない。


 序列にも、異名にも。


 だが、それで人が動くなら。


 それが任務に必要なら。


「分かった」


 セレスは頷いた。



 その夜。


 学院の上空には、低い雲が流れていた。


 雨は降っていない。


 だが、空気は湿り、重い。


 第一闘技場の封鎖符が、風もないのにかすかに揺れた。


 管理局の術師が異常を確認し、すぐに境界軍へ報告する。


 反応は小さい。


 だが、深い。


 《翠門》の奥からではない。


 学院の下を通り、第一闘技場のさらに奥。


 中央広場の地下へ向かっている。


 そこは、序列戦再開時に開会式が行われる場所だった。


 翌朝には、多くの生徒が集まる。


 術師は顔を青くした。


「まだ、残っている……?」


 黒い波は、地面の下で静かに広がる。


 まるで、次の舞台を選ぶように。


 そして、その中心には。


 闇の奥で、微かに赤黒い光が灯っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ