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第17話 個人予選、開幕

 翌朝。


 王立学院第一闘技場は、早い時間から熱を帯びていた。


 学内序列戦、個人予選初日。


 四年制の王立学院において、学内序列はただの成績ではない。


 軍、騎士団、魔術院、貴族家。


 卒業後の進路にまで関わる、実力の証明だった。


 闘技場の観覧席には、生徒だけでなく教師、管理局職員、外部視察者の姿もある。


 その一角に、灰色の軍装をまとった境界軍の者たちが立っていた。


 セレス・アーヴェインもいる。


 境界名簿第三十二席《蒼刃》。


 その存在だけで、場の緊張は一段上がっていた。


「うわぁ……人、多い」


 ミナが控え席で小さく呻いた。


 リアナは対戦表を確認している。


「今日は個人予選。勝敗だけでなく、判断内容も記録されるわ。無理に派手な勝ち方を狙う必要はない」


「それ、ロイに言ってる?」


「全員に言っているわ」


 ヴァルターは槍の石突きを床に置き、静かに息を整えていた。


「僕は第三試合だ」


「俺は第一試合らしい」


 ロイが言うと、ミナが微妙な顔をした。


「最初からロイなんだ」


「そう書いてある」


「運営、絶対分かってやってるよね」


 リアナは否定しなかった。


 開幕試合に、話題の編入生。


 偶然ではないだろう。


 ロイの相手は、二年序列十位。


 名はオルガ・バレント。


 風属性の槍使いで、速度と間合い管理に優れる生徒だ。


 同級生の中では十分に強い。


 だが、今のロイに対しては、相手が悪い。


「ロイ」


 リアナが声をかける。


「何だ」


「相手を壊さないで」


「分かっている」


「それから、試合中に異常があれば?」


「試合を止める」


「勝敗より?」


「当然だ」


 リアナは頷いた。


「ならいいわ」


 以前なら、もう少し言葉を重ねていたかもしれない。


 だが今は違う。


 必要な確認だけをして、引く。


 ロイもそれを理解していた。



 第一試合の開始が告げられた。


 ロイは闘技場へ上がる。


 向かい側には、オルガ・バレントが立っていた。


 短く刈った黒髪。細身の槍。軽装の防具。


 彼は深く息を吸い、ロイを見た。


「正直、運が悪いと思っている」


「そうか」


「だが、棄権する気はない」


「それでいい」


「僕は君を妬んでいない」


 ロイは少しだけ目を向けた。


 オルガは槍を構える。


「ただ、知りたい。今の僕が、君にどこまで届くのか」


「分かった」


 開始の鐘が鳴った。


 オルガは動き出しが速かった。


 風属性を足元に集め、斜めに跳ぶ。


 正面から来ない。


 ロイの初手を避ける判断だ。


 続いて、槍先が三方向に揺れる。


 フェイント。


 さらに風の刃を薄く混ぜ、間合いを誤認させる。


 二年序列十位。


 その評価に見合う動きだった。


 ロイは刀を抜かない。


 半歩下がる。


 槍が届く直前、鞘の先で槍の腹を軽く押した。


 軌道がずれる。


 オルガは即座に引く。


 いい反応だった。


 普通なら、そこで体勢を崩す。


 だが彼は風を逆に噴かせ、距離を取り直した。


「速いな」


 ロイが言った。


 オルガの目がわずかに見開かれる。


「評価してくれるのか」


「実際に速い」


「なら、もう一段上げる」


 オルガの足元で風が渦を巻いた。


 次の瞬間、彼の姿が横へ消える。


 ロイの右側。


 いや、左。


 違う。


 上。


 風を蹴ったオルガが、斜め上から槍を落としてきた。


 観覧席が沸く。


 ロイは上を見ず、鞘を少しだけ傾けた。


 黒雷が一瞬、鞘の縁を走る。


 槍の先端が鞘に触れた瞬間、オルガの身体が止まった。


 雷ではない。


 衝撃を流されたのだ。


 落下の力が、地面へ逃がされている。


 ロイはそのまま一歩入り、柄頭をオルガの胸元へ置いた。


「終わりだ」


 鐘が鳴る。


 第一試合、勝者ロイ・オルディス。


 時間は短かった。


 だが、オルガは一方的に潰されたわけではない。


 攻めた。

 工夫した。

 届かなかった。


 だからこそ、差がはっきり出た。


 オルガはしばらく動かなかったが、やがて槍を下ろした。


「完敗だ」


「ああ」


「そこは少し否定してくれてもいいんだが」


「届いていなかった」


「分かってる」


 オルガは苦笑した。


 それから、深く頭を下げる。


「ありがとう。思ったより、ずっと遠かった」


「遠いなら詰めればいい」


「簡単に言うな」


「他にない」


 オルガは一瞬黙り、それから笑った。


「そうだな」


 観覧席から拍手が起きた。


 嫉妬もある。

 悔しさもある。

 だが今の試合には、素直な称賛も混じっていた。


 ロイは闘技場を降りる。


 控え席に戻る途中、境界軍の兵士が一人、わずかに頭を下げた。


「お見事でした、ロイ殿」


「試合だ」


「それでもです」


 そのやり取りを近くで聞いた生徒たちは、またざわついた。


 ただ、今度は不満だけではない。


 先ほどの試合を見れば、敬意の理由を少しは理解できた者もいた。



 第三試合。


 ヴァルター・グレインが闘技場へ上がった。


 相手は同じ二年の火属性剣士。


 単純な出力では相手が上。


 以前のヴァルターなら、正面から土壁を張り、押し勝とうとしたかもしれない。


 だが今は違った。


 開始と同時に、薄い土壁を三枚。


 正面ではなく、斜め。


 炎剣の進路を削る。


 相手が横へ回ろうとすると、足元に低い壁が生える。


 止めるのではなく、ずらす。


 ロイが教えた考え方を、ヴァルターなりに使っていた。


「やるじゃん、ヴァルター」


 ミナが控え席で拳を握る。


 リアナも頷く。


「壁の置き方がかなり変わったわ」


 ロイは短く言った。


「前よりいい」


 試合は長引いた。


 だが、ヴァルターは焦らない。


 炎の勢いを何度もずらし、相手の魔力消費を増やす。


 最後は槍の石突きで足を払い、喉元へ穂先を止めた。


 鐘が鳴る。


 勝者、ヴァルター・グレイン。


 観覧席から拍手が起こる。


 ヴァルターは息を切らしながら戻ってきた。


 ミナが笑顔で迎える。


「勝った!」


「当然だ」


 そう言いながらも、彼の顔には隠しきれない安堵があった。


 ロイが言う。


「壁は良かった」


 ヴァルターは一瞬、言葉に詰まる。


「……そうか」


「ああ」


「なら、次はもっと良くする」


 その返事には、以前のような反発だけではないものがあった。


 悔しさを燃料に変えた者の声だった。



 予選は順調に進んでいった。


 ミナは支援役ながら、拘束と足場操作を使って一回戦を突破した。


 リアナも氷風の制御で相手の動きを封じ、危なげなく勝利した。


 昼前には、二年第一班の全員が一回戦を抜けていた。


 その結果に、不満を持つ者もいた。


 だが、素直に認める者も増えた。


「第一班、普通に強いな」


「ロイだけじゃないんだな」


「グレインの壁、前より速かった」


「ミナの水糸、あれ支援役なのに嫌すぎる」


「セレストは安定してる」


 評価は少しずつ変わっていく。


 ロイ一人の異物感だけではない。


 第一班全体が、変わり始めている。


 それを見ていたカイルは、満足そうに頷いた。


「いい傾向だ」


 隣にいた四年生が言う。


「カイル、お前あの班に入れ込んでるな」


「面白いからな」


「ロイが?」


「それもある。だが、周りが変わるのが面白い」


 カイルは闘技場を見る。


「強い異物が入ると、腐る者もいる。だが、伸びる者もいる。学院としては後者を増やしたい」


「教師みたいなこと言うな」


「四年だからな」



 午後。


 三年の予選が始まった。


 ガレス・ロウガンの出番だった。


 彼は闘技場へ上がる。


 相手は三年序列三十位台の水属性剣士。


 決して弱くはない。


 だが、ガレスは開始と同時に炎を爆発させた。


 以前より荒い。


 ただし、出力は高い。


 相手の水刃を炎圧で押し返し、そのまま踏み込む。


 剣が振り下ろされる。


 決着は早かった。


 勝者、ガレス・ロウガン。


 観覧席が沸く。


 ガレスは剣を下ろし、息を吐いた。


 そして、闘技場の外にいるロイを見た。


 今回は絡まない。


 挑発もしない。


 ただ、自分の勝利を見せた。


 ロイは少しだけ頷いた。


 それを見て、ガレスの眉が動く。


 苛立ちか。

 認められたことへの反発か。

 あるいは、わずかな安堵か。


 彼自身にも分からなかった。



 予選が終盤に差しかかった頃、闘技場の魔導灯が一瞬だけ揺れた。


 ロイはすぐに気づいた。


 カイルも。


 セレスも。


 観覧席の下。


 地下。


 薄い波が走る。


 昨日と同じ。


 だが、今回はさらに広い。


 闘技場全体を撫でるように通り、中央の試合場で止まった。


 ロイが立ち上がる。


 カイルが近づいた。


「来たか」


「まだ出ない」


「だが、探っている」


「ああ」


 セレスが職員席から動いた。


 境界軍の兵士たちも、目立たないよう配置を変える。


 試合は続いている。


 壇上では二年生同士の試合が行われていた。


 片方が大きな火球を作る。


 それに反応するように、床下の波が強くなった。


 ロイの目が細くなる。


「まずい」


 火球が放たれる。


 相手は避ける。


 火球は結界に当たり、散るはずだった。


 だが、その直前。


 闘技場の床が割れた。


 黒い根が、火球へ向かって伸びた。


 観覧席が悲鳴に包まれる。


 火球が根に食われる。


 黒い炎のように膨らむ。


 試合中の生徒二人が固まった。


 セレスの声が飛ぶ。


「全員、退避!」


 カイルがすぐに動いた。


「上級生は観客誘導! 出口を塞ぐな!」


 四年生たちが反応する。


 教師たちも結界を張る。


 混乱は起きたが、崩壊はしない。


 準備していたからだ。


 ロイは闘技場へ飛び降りた。


 黒い根は火球を取り込み、赤黒く脈動している。


 昨日までより反応が強い。


 試合場の中央。


 人と魔力が集まる場所。


 そこを狙って出た。


 ロイは《黒鳴》に手を置く。


 セレスが短く叫ぶ。


「ロイ!」


「分かっている」


「討伐はまだだ。生徒の退避を優先!」


「ああ」


 ロイは刀を抜かなかった。


 鞘を床へ向ける。


 黒雷が沈む。


 十一の線が地下へ走った。


 根の進路を焼き、試合中の生徒二人の足元を守る。


 だが、赤黒い塊は止まらない。


 火球を食ったことで、一時的に膨らんでいる。


 触手のような根が二本、生徒へ伸びた。


 ガレスが動いた。


 観覧席ではない。


 試合場脇から、炎剣を抜いて駆けていた。


「下がれ!」


 彼は叫び、根を斬る。


 炎が走る。


 だが、根は燃えながら再生した。


「くそっ!」


 ロイが言う。


「燃やすな。増える」


 ガレスが歯を食いしばる。


「ならどうする!」


「止めろ。斬るな」


「簡単に言うな!」


 言いながらも、ガレスは剣の炎を絞った。


 斬撃ではなく、熱で押す。


 根の動きがわずかに鈍る。


 悪くない。


 ロイは短く言った。


「それでいい」


 ガレスは一瞬、顔を歪めた。


「上から言うな!」


「今は動け」


「分かってる!」


 ガレスは根を足止めする。


 その間に、カイルが試合中の二人を引きずるように退避させた。


「助かった、ガレス!」


「礼は後だ!」


 怒鳴りながらも、ガレスは下がらない。


 嫉妬もある。

 悔しさもある。


 だが、目の前の生徒を見捨てる男ではなかった。


 ロイはそれを見た。


 少しだけ、評価を変える。


 根が再び膨らむ。


 セレスが闘技場へ降り立った。


 蒼い刃が抜かれる。


「ロイ、右下を押さえろ。私は中心を凍らせる」


「ああ」


「ガレス、下がれ」


「まだ――」


「下がれ。お前の仕事は終わった」


 セレスの声に、ガレスは一瞬だけ耐えた。


 だが、すぐに剣を引く。


「……了解」


 境界名簿第三十二席の命令。


 逆らうほど、彼は愚かではなかった。


 ロイの黒雷が床下を縫う。


 セレスの蒼刃が、赤黒い塊の表面を凍らせる。


 根の動きが止まる。


 だが、完全には死んでいない。


 ロイは鞘を強く握った。


 十一。


 さらに奥へ、細く。


 十二。


 十三。


 今度は隠しきれないほど、黒雷が深く走った。


 闘技場の床が低く鳴る。


 セレスだけが、それに気づいた。


 いや。


 カイルも気づいた。


 境界軍の兵士も、何人かが息を呑んだ。


 ロイはそのまま雷を絞り、根の核へ通す。


 爆発させない。


 壊さない。


 ただ、動きを奪う。


 赤黒い塊が硬直した。


 セレスが蒼刃を振る。


 青い斬撃が、塊を封じるように走った。


 静寂。


 根は動かなくなった。


 セレスが短く言う。


「封鎖完了。管理局、固定しろ」


 術師たちが駆け寄る。


 闘技場の中央に、封印符が重ねられていく。



 観覧席の混乱は、予想より早く収まった。


 カイルと上級生たちが誘導したおかげだった。


 ガレスも、途中から負傷者確認に回っていた。


 彼は荒い呼吸のまま、試合場の端に立つ。


 ロイが近づく。


「さっきは良かった」


 ガレスの顔が険しくなる。


「何がだ」


「炎を絞った。燃やさず止めた」


「……お前に褒められても嬉しくない」


「そうか」


 ロイはそれだけで引こうとした。


 ガレスが声を荒げる。


「待て」


「何だ」


「俺は、お前が気に入らない」


「ああ」


「でも、今は助かった」


 言葉を絞り出すようだった。


「それだけだ」


 ロイは短く頷いた。


「分かった」


 ガレスは顔を背ける。


 悔しさは消えない。


 嫉妬も消えない。


 だが、その中に別のものが混じった。


 認めたくない相手に助言され、その通りに動いて、生徒を守れた。


 その事実は、重かった。



 闘技場中央の封鎖が終わると、学院長が壇上へ上がった。


 声は落ち着いていた。


「本日の個人予選は、ここで一時中断します。負傷者の確認、安全点検を優先します」


 生徒たちはざわめいたが、大きな反発はなかった。


 誰もが見てしまった。


 学内序列戦の舞台に、異常が現れたことを。


 そして、それをロイとセレスが止めたことを。


 カイルがロイの横に立つ。


「これで、ただの噂では済まなくなったな」


「ああ」


「君もだ」


「俺も?」


「今日の件で、君を見る目はさらに変わる。妬む者もいる。憧れる者もいる。助けられた者もいる」


「面倒だな」


「だが、避けられない」


 セレスが近づいてきた。


「ロイ。会議に出ろ」


「今か」


「今だ」


「目的は」


「序列戦の継続判断。そして、反応源の切除作戦」


 ロイは闘技場の中央を見る。


 封印符の下で、黒い根は沈黙している。


 だが、完全には終わっていない。


 むしろ、今日の出現で確信した。


 これは人の魔力に反応している。


 強い感情にも、強い魔力にも。


 学内序列戦は、餌として機能してしまった。


 なら、次はもっと大きい。


 ロイは頷く。


「分かった」


 予選初日は、中断された。


 だが、学院の熱は下がらない。


 恐れ。

 興奮。

 感謝。

 嫉妬。

 憧れ。


 全てが混じり合い、次の火種になる。


 そしてその中心に、黒雷の編入生の名が刻まれ始めていた。


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