第16話 予選前日
学内序列戦の組み合わせ発表から、学院の空気は明らかに変わった。
二年第一班。
ロイ・オルディス。
リアナ・セレスト。
ミナ・ロウ。
ヴァルター・グレイン。
協力上級生。
四年総合序列第五位、カイル・レインフォード。
対抗班。
三年序列二十一位、ガレス・ロウガン班。
それはただの混成対抗試験ではない。
この数日、学院中で噂になっていた名前が、公式の試験でぶつかる。
そう受け取った生徒は多かった。
「完全に狙ってるよね、これ」
昼休みの食堂で、ミナが通達の写しを見ながら言った。
「誰が?」
ロイが訊く。
「学院か、先生か、運営か、神様か知らないけど」
「偶然かもしれない」
「絶対違うよ」
ヴァルターは腕を組んでいる。
「組み合わせとしては悪くない。ガレス先輩は三年の中でも実戦寄りだ。僕たちにとっては、序列戦前に上級生との差を測れる」
「向こうはロイを倒す気満々だと思うけどね」
ミナが言うと、ヴァルターは否定しなかった。
「だろうな」
リアナは通達を見つめていた。
「対抗試験の内容は、まだ一部しか出ていないわ。勝敗条件も不明。単純な模擬戦とは限らない」
「境界軍が関わっているなら、ただ相手を倒す試験にはしないだろう」
ヴァルターが言う。
その通りだった。
最近の訓練内容。
境界軍の講評。
《翠門》と地下異常。
全てを考えれば、今回の序列戦は例年とは違う。
ロイは静かに食事を進めていた。
ミナが半眼になる。
「ロイ、当事者感ある?」
「ある」
「本当に?」
「試験には出る」
「それは当事者感っていうより、予定の確認だよ」
カイルが食堂の入口から歩いてきたのは、その時だった。
四年総合序列第五位。
上級生の中でも、自然と道が空く存在だ。
だが、彼は気負った様子もなく、ロイたちの席の横に立った。
「少し座っても?」
リアナが姿勢を正す。
「もちろんです」
カイルは空いている席に腰を下ろした。
「対抗試験について、少し共有しておきたい。正式な説明は明日だが、上級生側には一部情報が降りている」
ミナが身を乗り出す。
「どんな内容ですか?」
「救助と制圧の混合試験だ」
カイルは机に簡単な図を描く。
「試験場には模擬魔獣、負傷者役、封鎖対象、撤退地点が置かれる。班は制限時間内に負傷者を確保し、魔獣を倒すか制圧し、撤退する」
ヴァルターが眉を上げる。
「戦闘だけではないのですね」
「むしろ、戦闘だけに寄せた班は評価を落とす」
カイルは頷いた。
「敵を倒しても、負傷者を置き去りにすれば減点。派手な魔法で通路を壊せば減点。撤退命令を無視すれば失格に近い扱いになる」
リアナが小さく息を吐く。
「昨日の通達通りですね」
「ああ。境界軍が評価基準に入っている」
カイルはロイを見る。
「君向きの試験だな」
「そうか」
「目的達成型だ。勝つより終わらせる方を優先する者が強い」
ミナが小さく笑う。
「ロイ、その言い方なら得意そう」
「必要なことをするだけだ」
「それそれ」
カイルは楽しそうに笑った。
◇
放課後、第二演習場で合同訓練が行われた。
ロイたち二年第一班と、カイル。
四年生が一人加わるだけで、班の動きはかなり変わった。
カイルは前に出すぎない。
指示を奪わない。
リアナが班長として動く余地を残しながら、足りない部分だけを埋める。
「セレスト、撤退地点の指定は早めに」
「はい」
「グレイン、壁を一枚で完結させるな。薄く重ねた方が後衛が動ける」
「承知しました」
「ミナ、支援糸は負傷者役の固定にも使える。拘束だけに使うと評価が狭くなる」
「なるほど……!」
カイルは的確だった。
上級生らしい余裕がある。
そして、ロイにも遠慮なく言う。
「ロイ。君は最後尾ではなく、中間に立った方がいい」
「なぜだ」
「君が最後尾にいると、後ろは安定する。だが、前が君を使いづらい」
「俺を使う?」
「戦力としてだ」
カイルは模擬通路を示した。
「君は単独で何とかできる範囲が広い。だからこそ、班全体から一番遠い場所に置くのは惜しい。中間に立てば、前にも後ろにも手が届く」
ロイは少し考えた。
「分かった」
リアナが頷く。
「私もその方がいいと思うわ。昨日までの私たちは、ロイを後方封鎖に置きすぎていた」
「悪くはない」
ロイが言う。
「だが、今回は救助もある。中間の方が対応が早い」
ミナがぱっと顔を上げた。
「じゃあ、私が後ろ寄り?」
「ミナは負傷者役とリアナの間。水糸で両方を見る」
「了解」
ヴァルターは槍を構え直す。
「僕は前で足止めだな」
「ただし、無理に止めるな」
ロイが言った。
「流していい。倒すより、進路を変える方が早い」
ヴァルターは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに頷いた。
「分かった。試す」
訓練が始まる。
模擬魔獣が二体。
負傷者役の人形が一体。
通路は狭い。
ヴァルターが土壁を三枚、斜めに置く。魔獣の突進が曲がる。
リアナが氷風で足元を鈍らせる。
ミナの水糸が負傷者役を固定し、引き寄せる。
カイルが前へ出て、片方の魔獣の首元を軽く叩いた。大きな攻撃ではない。ただ動きを崩す。
ロイは中間から鞘を床へ向けた。
黒雷が細く走り、魔獣の進路だけを焼く。
倒していない。
だが、二体とも動けなくなった。
撤退地点まで、十五秒。
カイルが手を叩いた。
「悪くない。かなり速い」
ミナが息を吐く。
「今の、初回にしてはよくないですか?」
「いい。だが、ロイの処理が速すぎて、他の動きが追いついていない」
「それ、どうしようもなくないですか?」
「どうしようもある」
カイルは笑う。
「ロイを基準にするな。ロイが止めた後に、自分たちが何をするかを決めておけばいい」
リアナがすぐにメモを取る。
「ロイが制圧した後の動き……」
「そう。強い味方に頼ることと、強い味方に任せきることは違う」
その言葉に、ヴァルターが反応した。
頼ることと、任せきること。
それは、今の二年第一班に必要な考え方だった。
◇
演習場の端では、数人の上級生が訓練を見ていた。
ガレスの取り巻きではない。
四年の序列持ちや、三年の上位班の生徒たちだった。
「カイルが楽しそうだな」
「あいつ、強い相手見るとすぐ教材にするから」
「でも分かる。ロイの動き、参考にはなる」
「刀を抜かずに制圧するのが厄介すぎる。魔力の通し方が細い」
「真似できるか?」
「無理。でも発想は使える」
彼らは妬んでいなかった。
少なくとも、今は。
強い者を見て、自分の訓練へ取り入れようとしている。
学院の上級生全てが、ロイを敵視しているわけではない。
中には、純粋に感心する者もいる。
自分との距離を理解した上で、それでも盗めるものを探す者もいる。
そこへ、ガレスが現れた。
彼は訓練中のロイたちを見て、表情を険しくする。
「見物か」
四年生の一人が振り返った。
「研究だよ」
「研究?」
「負けたくないなら、見た方がいい。意地だけで勝てる相手じゃない」
ガレスの顔が歪む。
「俺が負けると決めつけるのか」
「違う。勝つ気があるなら、相手を見ろと言っている」
四年生は静かに言った。
「お前は強い。三年で二十一位は伊達じゃない。だが今のお前は、ロイを倒したいんじゃなくて、ロイが気に入らないだけに見える」
ガレスは言い返せなかった。
図星だったからだ。
ロイが気に入らない。
境界軍に敬意を払われることが気に入らない。
自分が積み上げてきた場所へ、当然のように入ってきたことが気に入らない。
だが、それだけで勝てる相手ではない。
「……分かっている」
ガレスは低く言った。
「ならいい」
四年生は再び訓練へ目を向ける。
「見ておけ。悔しいなら、使えるものは使え」
◇
合同訓練が終わる頃、リアナは明らかに疲れていた。
それでも表情は悪くない。
カイルの助言は的確で、班の動きが整理された感覚があった。
「今日はここまでにしよう」
カイルが言う。
「明日は個人予選だ。無理に詰め込みすぎると、かえって崩れる」
ミナがその場に座り込む。
「助かった……」
ヴァルターも額の汗を拭った。
「実りはあった」
リアナがカイルへ向き直る。
「ありがとうございました。かなり整理できました」
「こちらも参考になった」
「私たちがですか?」
「ああ。下級生の班としては、かなり判断が早い。特に、ロイを中心に置いた後の切り替えがいい」
カイルはロイを見る。
「君は、周りを待つのが少し上手くなったな」
「そうか」
「以前は?」
「知らない」
「そういう返しをすると思った」
カイルは笑った。
その時、演習場の入口から小さな声がした。
「あの、ロイ先輩」
昨日、資料を運んだ一年生だった。
彼女は緊張した様子で、両手に小さな包みを持っている。
「何だ」
「これ、差し入れです。班の皆さんで食べてください」
ミナが目を丸くする。
「差し入れ?」
「昨日、兄を助けてもらったお礼も兼ねて……」
少女は包みを差し出した。
中には焼き菓子が入っている。
ロイは少し考えた。
「俺だけではない」
「はい。だから皆さんで」
少女はそう言って、リアナやミナ、ヴァルター、カイルにも頭を下げた。
ミナが笑顔で受け取る。
「ありがとう。嬉しいよ」
少女の顔が明るくなる。
ロイは短く言った。
「助かる」
「はい!」
少女は嬉しそうに頷き、慌てて走り去ろうとして、途中で歩きに直した。
それを見て、ミナが小さく笑う。
「かわいい」
ヴァルターが焼き菓子を一つ見て呟く。
「こういう感謝もあるのだな」
リアナは頷いた。
「ええ。忘れないようにしたいわね」
嫉妬や不満は目立つ。
だが、それだけではない。
助けられた者がいる。
憧れる者がいる。
目標にする者がいる。
学院は、悪意だけで満ちているわけではなかった。
◇
夜。
個人予選前日の学院は、どこか浮ついていた。
各寮では、遅くまで装備を確認する音が聞こえる。
廊下では、明日の組み合わせを話す声。
演習場では、最後の調整をする生徒たち。
学内序列戦は、ただの試験ではない。
積み上げたものを見せる場所だ。
ロイは寮へ戻る途中、掲示板の前で足を止めた。
個人予選の第一組。
そこに自分の名前がある。
ロイ・オルディス。
対戦相手は、二年序列十位の生徒。
隣の列には、ヴァルターの名もあった。
少し離れた上級生区画には、ガレスの名。
カイルの名は本選からだった。
「明日、君がどれだけ見せるかで空気が変わる」
背後から声がした。
カイルだった。
「そうか」
「嫉妬は増えるかもしれない。だが、憧れる者も増える」
「面倒だな」
「そう言うと思った」
カイルは掲示板を見る。
「でも、悪いことばかりじゃない。強い者が現れると、学院全体が少し変わる。腐る者もいるが、伸びる者もいる」
「伸びるならいい」
「だろう?」
カイルは軽く笑う。
その時、廊下の魔導灯が一瞬だけ揺れた。
ロイとカイルは同時に上を見る。
音はない。
だが、床下を薄い波が通った。
昨日よりも、さらに広い。
カイルの表情が変わる。
「今のが例の反応か」
「ああ」
「近いな」
「明日、来るかもしれない」
カイルは息を吐いた。
「予選初日か。観客も多い」
「餌としては十分だ」
「嫌な言い方だが、その通りだな」
ロイは掲示板を見た。
学内序列戦。
個人予選。
学院中の熱が集まる日。
黒い根がそれを狙うなら、明日は動く。
カイルは静かに言った。
「ロイ」
「何だ」
「もし異常が出たら、僕は生徒の誘導を優先する。君は?」
「命令次第だ」
「では、命令が出たら?」
「切る」
迷いはなかった。
カイルは頷く。
「分かった。なら僕は、君が切れる場所まで道を作る」
「ああ」
二人は掲示板の前で別れた。
翌朝、個人予選が始まる。
学院の熱と、地下の黒い反応。
その二つが、同じ場所へ集まろうとしていた。




