第15話 上級生の器
夜の職員棟は、昼間よりも冷えていた。
第一会議室には、学院長、エルナ教官、管理局の術師長、セレス・アーヴェイン。そして、ロイ・オルディスがいた。
机の上には、学院地下の簡易図面が広げられている。
《翠門》北東封鎖区画。
訓練場地下。
第二演習場地下。
黒い線が、いくつも引かれていた。
術師長が渋い顔で言う。
「反応は確実に広がっています。ただし、根そのものが全域に伸びているわけではありません。先行しているのは、薄い波です」
「探り、か」
エルナ教官が呟く。
セレスが頷いた。
「おそらく。人の魔力密度が高い場所へ反応している」
「つまり、学内序列戦は餌になる」
学院長の声は穏やかだったが、部屋の空気は重かった。
学内序列戦。
学院にとって大きな行事であり、生徒たちの目標でもある。
王国軍、騎士団、魔術院、貴族家も視察に来る。簡単に中止できるものではない。
だが、外域反応がそこを狙うなら、放置もできない。
セレスが図面を指した。
「中止できないなら、制御下で行う。人を集める場所、魔力が高まる瞬間、反応が食いつく地点。それをこちらで限定する」
エルナ教官が腕を組む。
「序列戦を罠にする気か」
「罠というより、誘導です」
「危険だな」
「中止を引き延ばす方が危険です」
セレスは言い切った。
ロイは黙って図面を見ていた。
黒い線は、第二演習場の地下からさらに中央区画へ向かっている。
進行が速い。
このままなら、序列戦を待たずに生徒の多い場所へ出る可能性もある。
学院長がロイを見る。
「ロイ君。君の見立ては?」
「反応だけなら、まだ切れる」
「根は?」
「太いものは《翠門》側に残っている。学院側へ来ているのは、探りと細い枝だと思う」
セレスが問う。
「細い枝だけなら処理できるか」
「できる」
「構造を壊さずに?」
「場所による」
「序列戦の会場なら?」
ロイは図面を見る。
「地下補強が入っている。大きく撃たなければ壊れない」
エルナ教官が苦い顔をする。
「お前の“大きく”は信用しづらい」
「なら絞る」
「そうしてくれ」
会議室に、わずかに息を抜く空気が流れた。
だが、すぐに学院長が話を戻す。
「問題は、生徒側だ。異常を伏せたまま序列戦を進めれば、混乱時に危険が増す。だが全てを公表すれば、行事そのものが崩れる」
セレスが答える。
「上級生の一部には、協力者を置くべきです」
「四年か」
「はい。学内総合序列上位の中から、冷静に動ける者を」
エルナ教官はすぐに一人の名を出した。
「カイル・レインフォード」
ロイは知らない名だった。
学院長が頷く。
「四年、学内総合序列第五位。水と風の複合。指揮能力が高く、去年の実戦派遣でも評価が高い」
「性格は」
セレスが聞く。
「悪くない」
エルナ教官が即答した。
「少なくとも、ガレスたちのように感情で突っかかるタイプではない。強い相手を見れば、まず学ぼうとする」
ロイは図面から顔を上げた。
「呼ぶのか」
「呼ぶ」
セレスが言った。
「生徒全員を守るなら、学院側にも動ける者が必要だ」
◇
カイル・レインフォードは、十分後に会議室へ来た。
背の高い青年だった。
淡い金髪を後ろで束ね、制服は乱れなく着ている。腰には細身の片刃剣。姿勢は自然体だが、隙は少ない。
彼は入室すると、学院長とエルナ教官に一礼した。
「お呼びと伺いました」
次にセレスへ向く。
「セレス隊長。お目にかかれて光栄です」
「礼はいい。時間がない」
「承知しました」
カイルはすぐに顔を上げた。
そして、ロイを見た。
「君がロイ・オルディスか」
「ああ」
「噂は聞いている」
「そうか」
そこで終わるかと思ったが、カイルは穏やかに続けた。
「ガレスを三秒で止めた件も、十一重制御も、昨日の訓練場の件も」
「それで?」
「参考になった」
ロイは少しだけ瞬きをした。
「参考?」
「ああ。特に三秒で止めた件だ。ガレスは炎の立ち上がりが速いが、胸元への意識が薄い。僕も何度か指摘したが、君の方が分かりやすく教えたらしい」
「教えたつもりはない」
「だろうな」
カイルは軽く笑った。
そこに嫉妬はなかった。
少なくとも、表には出していない。
強い相手を見て、悔しさより先に情報として受け取る。
それが彼の器だった。
エルナ教官が言う。
「カイル。お前には序列戦当日、生徒側の誘導補助を頼みたい」
「異常事案絡みですか」
会議室の空気が止まる。
カイルは図面を見て、すぐに続けた。
「《翠門》の件がまだ終わっていない。訓練場と第二演習場も封鎖。であれば、序列戦の形式変更は安全対策だけではない。違いますか」
セレスがカイルを見る。
「察しがいいな」
「四年ですから」
「外域反応に近い異常が、学院地下へ伸びている」
カイルの表情がわずかに引き締まった。
だが、取り乱さない。
「序列戦を中止しない理由は?」
「政治的理由と、誘導の必要性」
「なら、生徒側の混乱を抑える役が要る」
「そうだ」
カイルは短く考え、頷いた。
「お受けします」
エルナ教官が言う。
「危険だぞ」
「分かっています。ですが、四年の上位が何も知らずに観客席で騒ぐよりは、役割を与えた方がいいでしょう」
「よく分かってるじゃないか」
「自分たちが騒ぐ側だと知っているので」
軽い冗談だった。
だが、場の空気は少しだけ和らいだ。
◇
会議後、カイルはロイと並んで廊下を歩いた。
セレスは管理局との調整へ向かい、エルナ教官は学院長と残った。
「ロイ」
「何だ」
「君は学内序列戦に出るのか」
「命令があれば」
「出たいわけではない?」
「必要なら出る」
「なるほど」
カイルは少し楽しそうに笑った。
「君を嫌う者が増えるわけだ」
「なぜだ」
「多くの生徒にとって、序列戦は自分を証明する場所だ。努力して、勝って、認められるための舞台だ。そこへ、必要だから出る、という者が現れる」
「邪魔か」
「邪魔に感じる者は多いだろう」
カイルは歩調を変えない。
「だが、僕は嫌いじゃない」
「そうか」
「君の戦い方は参考になる。派手な魔法より、目的を優先している。学院生はそこを見落としがちだ」
ロイは少し黙った。
「上級生は全員、俺を嫌っていると思っていた」
「そんなわけがない」
カイルは即答した。
「ガレスのように反発する者もいる。君を妬む者もいる。だが、君を見て自分を鍛え直そうとする者もいる。実際、四年の何人かは今日から制圧訓練を始めた」
「境界軍の兵士を見てか」
「それもある。だが、君の影響もある」
「俺は何もしていない」
「しているさ。強さを見せるだけでも、人は変わる」
ロイは答えなかった。
カイルは廊下の先で足を止める。
「一つだけ忠告しておく」
「何だ」
「ガレスは悪人ではない」
ロイはカイルを見る。
「感情で動く」
「そうだ。未熟だし、面倒な男だ。だが、弱い者を踏むために強くなったわけではない。上を見て、焦っている」
「なら止まればいい」
「それができれば苦労しない」
カイルは苦笑した。
「君には理解しにくいかもしれないが、憧れは人を前に進ませる。同時に、見苦しくもする」
「そうか」
「だから、必要なら折ってくれ。ただし、折るなら立ち直れるように折ってやってほしい」
ロイは少し考えた。
「難しいな」
「君なら、折るだけなら簡単だろう?」
「ああ」
「だから頼んでいる」
カイルはそれだけ言って、廊下の角を曲がった。
ロイはしばらくその背中を見ていた。
上級生にも、いろいろいる。
嫉妬する者。
挑む者。
学ぶ者。
守ろうとする者。
学院は、一枚ではない。
◇
翌日。
第二演習場では、四年生数名による自主訓練が行われていた。
ロイたち二年第一班が入ると、数人が振り返る。
その中にカイルもいた。
「ちょうどいい。少し見ていくか」
リアナが一礼する。
「よろしいのですか」
「ああ。こちらも、下級生がどう動くか見ておきたい」
ガレスのような刺々しさはない。
四年生たちも、ロイを見る目に好奇心はあるが、敵意は薄かった。
訓練内容は、昨日の境界軍兵士の動きを参考にした制圧訓練だった。
大型訓練獣に対し、倒すのではなく動きを止める。
だが、やってみると難しい。
四年生の一人が訓練獣の前足を狙ったが、角度が浅く、逆に弾かれた。
カイルがすぐに声をかける。
「力で押すな。関節の流れを切るんだ」
「分かってるが、見たより速い」
「だから境界軍は化け物なんだよ」
四年生たちは笑った。
悔しさはある。
だが、それは暗いものではない。
強い者を見て、学ぼうとする悔しさだった。
カイルがロイを見る。
「ロイ。君ならどこを止める」
ロイは訓練獣を見た。
「右前足の付け根。次に首の下。三秒以内に動きを止めるなら、左後ろ足も同時に潰す」
四年生の一人が苦笑する。
「同時に三箇所か。簡単に言うな」
「一人でやるなら必要だ」
「班なら?」
「前足を一人、首を一人、後ろ足を一人。残りは退路を塞ぐ」
カイルが頷く。
「採用しよう」
四年生たちはすぐに配置を変えた。
ロイの助言を、素直に取り入れる。
ミナが小声で言った。
「なんか、いい上級生って感じ」
ヴァルターも頷いた。
「上を見ている者ほど、学ぶのも早いのかもしれない」
リアナはカイルたちの動きを観察していた。
「こちらも参考になるわ」
ロイは黙って見ていた。
四年生の動きは、まだ境界軍には遠い。
だが、変わろうとしている。
それは悪くない。
◇
訓練が終わる頃、第二演習場の入口に数人の二年生が集まっていた。
その中には、以前ロイに突っかかった男子生徒もいる。
彼は演習場の中を見て、顔をしかめた。
「四年まで、あいつに教わってるのかよ」
隣の生徒が小声で返す。
「教わってるっていうか、参考にしてるだけだろ」
「同じだ」
「でも、実際使えるならいいんじゃないか」
「お前までそう言うのか」
「だって昨日の根、ロイが止めたんだろ」
男子生徒は黙った。
不満はある。
だが、全員が同じ方向を向いているわけではない。
ロイを妬む者もいる。
認め始める者もいる。
助けられたことを覚えている者もいる。
学院の空気は、少しずつ割れていた。
暗い感情だけではない。
明るい憧れだけでもない。
その両方が、同時に育っている。
◇
昼過ぎ。
学院の掲示板に、新たな通達が貼られた。
学内序列戦、一次日程確定。
個人予選は三日後。
班単位試験は五日後。
混成対抗試験はその翌日。
さらに、特別監督官として境界軍の名が記されていた。
セレス・アーヴェイン。
その名を見て、生徒たちのざわめきが大きくなる。
だが、通達の最後にもう一文あった。
――異常発生時は、全参加者に退避命令が出される。命令違反者は序列評価対象外とする。
カイルが掲示板の前で呟く。
「なるほど。序列評価に退避命令を組み込んだか」
隣にいた四年生が笑う。
「逃げるのも評価か」
「逃げ方を知らない強者は、現場で邪魔になる。昨日の境界軍が言っていたことだ」
カイルは振り返る。
少し離れたところに、ロイがいた。
「ロイ」
「何だ」
「序列戦、面白くなりそうだな」
「面倒そうだ」
「君は本当にそればかりだな」
カイルは笑った。
その時、掲示板前の生徒の一人が叫んだ。
「おい、追加発表があるぞ!」
管理局の職員が、新しい紙を貼っていく。
そこには、混成対抗試験の一部組み合わせが記されていた。
二年第一班。
ロイ・オルディス。
リアナ・セレスト。
ミナ・ロウ。
ヴァルター・グレイン。
協力上級生。
四年総合序列第五位、カイル・レインフォード。
対抗班。
三年序列二十一位、ガレス・ロウガン班。
掲示板前が、一気に騒然となった。
ガレスの名。
ロイの名。
そして、カイルの名。
因縁と、上級生の介入。
学内序列戦の火種が、正式な形を持った瞬間だった。
カイルは掲示板を見て、少し肩をすくめる。
「どうやら、僕は君の側らしい」
「そうらしいな」
「よろしく頼む」
「ああ」
ロイは短く頷いた。
少し離れた場所で、ガレスが掲示板を見ていた。
その表情は険しい。
だが、もう単なる嫉妬だけではなかった。
自分が何を相手にしているのか。
それを確かめたい。
そんな色も混じっていた。
学院の熱は、高まっていく。
憧れも。
悔しさも。
尊敬も。
嫉妬も。
すべてが、三日後の序列戦へ向かっていた。




