第10話 学院序列
王立学院北区画の門前には、夜にもかかわらず数人の教師が集まっていた。
管理迷宮《翠門》の再調査。
参加者は限られている。
境界軍からは《蒼刃》セレス・アーヴェインと、その小隊。学院側からはエルナ教官、管理局の術師二名。そして、前回の接触者としてロイ・オルディス。
リアナ・セレストの名も、同行者の欄にあった。
ただし、彼女の役割は戦闘参加ではない。
現場証言者。
昨日、ロイたちと共に未記録個体に遭遇した班長として、経路と撤退時の状況を確認する。それだけだ。
リアナはそれを理解していた。
だから、必要以上に口を挟まなかった。
セレスの指示にも、ロイの判断にも、割り込まない。
今の自分が立つべき位置は、前ではない。
それが分かる程度には、昨日の件は大きかった。
「セレスト」
エルナ教官が声をかける。
「はい」
「お前は記録確認のみだ。危険が出た時点で即時後退。いいな」
「承知しています」
リアナは短く答えた。
その横で、ロイは《黒鳴》の鞘に手を置いている。
セレスが言った。
「ロイ・オルディス。君は後方封鎖と異常感知。私の指示があるまで、討伐行動は禁止」
「分かった」
「セレスト。君は管理局の術師と共に記録照合。戦闘判断はしなくていい」
「承知しました」
セレスは一度だけリアナを見る。
「自分の役割から出るな」
「はい」
その声に反発はなかった。
ロイはリアナを見た。
昨日までなら、彼女はもう少し踏み込んできたかもしれない。だが今は、自分の位置を測っている。
悪くない。
役割を守れる者は、戦場で邪魔になりにくい。
《翠門》の石扉が開く。
湿った空気が流れ出した。
鉄の臭いは、まだ奥にある。
◇
再調査は短かった。
北東封鎖区画の手前まで進み、昨日の封鎖陣を確認する。
境界軍の兵士たちは無駄なく動いた。セレスはほとんど声を荒らげない。短い指示だけで、小隊は正確に配置を変える。
リアナは管理局の術師と共に、地図と実際の通路を照合していた。
「昨日、未記録個体が最初に現れたのはこの位置です」
「床下から?」
「はい。最初にロイが反応しました。私たちはこの地点から撤退を開始しています」
「封鎖区画との距離は?」
「およそ百五十歩。ですが、昨日はここまで外域反応が濃くありませんでした」
彼女の報告は簡潔だった。
余計な感情がない。
ロイは少し離れた位置で、床下の流れを追っていた。
黒い根は、昨夜より静かだ。
だが、消えてはいない。
封鎖陣の奥で、ゆっくりと力を溜めている。
セレスが近づく。
「どう見る」
「今夜は出ない」
「理由は」
「封鎖を破るより、奥で広がる方を選んでいる」
「厄介だな」
「ああ」
ロイは床に手を近づけた。
黒い火花が、指先から一つ落ちる。
石床の下で、何かが反応した。
遠い。
だが、確かにいる。
「切除するなら明日以降だ」
「同感だ。今夜は確認で終える」
セレスはすぐに判断した。
境界軍は撤収準備に入る。
その時、後方でリアナが小さく息を呑んだ。
ロイが振り返る。
管理局の術師が持っていた測定板に、黒い線が一本増えていた。
「反応が、学院側へ伸びています」
術師の声が硬い。
エルナ教官が地図を覗き込む。
「どこだ」
「北区画地下。旧訓練棟の下を通っています」
セレスの目が細くなる。
「学院内部か」
ロイは短く言った。
「まだ届いていない」
「いつ届く」
「この速度なら、早くて三日」
「遅ければ」
「一週間」
エルナ教官が舌打ちした。
「学院行事が近い時期に面倒な」
リアナが顔を上げる。
「行事?」
エルナは少しだけ顔をしかめた。
「二週間後、学院序列戦の予選がある」
◇
王立学院は四年制である。
一年は基礎。
二年は実習。
三年は専門分化。
四年は卒業試験と実戦派遣。
そして、王立学院には学生たちの実力を示す制度があった。
**学内序列**。
単なる成績順位ではない。
実技、戦術、迷宮実績、模擬戦、班行動、属性制御、指揮能力。それらを総合して決められる、学院内の戦闘評価である。
序列上位者は、王国軍、騎士団、魔術院、冒険者組合から注目される。
四年の上位十名は、卒業後の進路すら変わる。
だから生徒たちは、学内序列に強い関心を持つ。
境界名簿が遠い星なら、学内序列は手を伸ばせる塔だ。
登れば名が上がる。
勝てば認められる。
負ければ沈む。
その予選が、二週間後に迫っていた。
「今年は外部視察も入る予定だった」
エルナ教官が言う。
「王国軍、騎士団、魔術院、いくつかの貴族家。上級生だけでなく、二年の有望株も見られる」
リアナはすぐに理解した。
だから、学院は《翠門》の件を大きくしたくない。
学内序列戦は学院の大きな行事だ。学生にとっては実力を示す舞台であり、学院にとっては育成成果を見せる場でもある。
そこに外域反応が絡めば、行事どころではなくなる。
「中止するべきでは」
リアナが言うと、エルナは首を横に振った。
「簡単にはできない。王国行事に近い扱いだ。延期はできても、中止には相応の理由がいる」
セレスが静かに言った。
「外域反応が学院地下へ伸びているなら、十分な理由になる」
「公表できればな」
エルナの声は苦い。
ロイは黙って聞いていた。
行事。
序列。
視察。
生徒たちの嫉妬や期待。
そこに外域の根が伸びている。
面倒な構図だ。
「ロイ」
セレスが呼ぶ。
「何だ」
「この件、しばらく表に出ない。君は不用意に動くな」
「命令か」
「警告だ」
「分かった」
「本当に分かっているか」
「表で大きく動くと、生徒が寄ってくる」
「そうだ」
セレスは頷く。
「学内序列戦を前に、君は目立ちすぎている。黒雷。十一並列。境界軍との接触。これ以上材料を増やせば、挑んでくる者が増える」
「挑む?」
ロイは首を傾げた。
エルナ教官が呆れたように言う。
「そこからか」
◇
翌日、ロイはその意味を知ることになった。
朝の訓練場。
二年の実技授業前。
ロイが《黒鳴》の鞘を確認していると、数人の生徒が近づいてきた。
三年生だった。
制服の袖に上級実技班の徽章がある。
先頭に立っているのは、赤髪の男子生徒。体格が良く、腰には両刃剣。周囲の生徒たちは、彼を中心にしている。
ミナが小声で言った。
「うわ、まずい」
「知っているのか」
「三年序列二十一位、ガレス・ロウガン。炎属性の前衛。去年の序列戦でかなり目立ってた人」
ヴァルターの表情も硬い。
「上級実技班の主力だ」
ガレスはロイの前で足を止めた。
「お前がロイ・オルディスか」
「ああ」
「境界軍と随分仲がいいらしいな」
「仲?」
「とぼけるな。昨日も《蒼刃》と話していただろう」
周囲の視線が集まる。
嫉妬。
不満。
好奇心。
それらが混じった空気だった。
境界名簿は憧れだ。
そして憧れに近い場所にいる者は、妬まれる。
ロイはそれを今、理解した。
「話しただけだ」
「それが気に入らないと言っている」
「そうか」
ガレスの眉が跳ねた。
「お前、実力特例の編入らしいな。黒い雷だか何だか知らないが、学院の序列は甘くない」
「そうだろうな」
「なら、序列戦前に一度、実力を見せてもらおうか」
ミナが慌てて言う。
「ちょっと、授業前ですよ」
ガレスはミナを見ない。
「模擬戦だ。訓練場でやるなら規則違反ではない」
リアナは一歩前に出かけて、止まった。
ここで自分が前に出れば、またロイの事情に割り込みすぎる。
これは班の安全に直結する場面ではない。
なら、まず本人が判断するべきだ。
リアナは口を閉じた。
ロイはガレスを見る。
「必要か」
「逃げるのか?」
「授業前だ」
「言い訳か」
「違う。時間の確認だ」
ガレスの周囲で笑いが起きた。
「いいから構えろ。十秒で済ませてやる」
「十秒か」
ロイは《黒鳴》に手を置いた。
「なら足りる」
空気が変わった。
ガレスが剣を抜く。
炎が刀身を包む。
上級生だけあって、魔力の立ち上がりは速い。威力もある。並の二年生なら、近づく前に圧で止まるだろう。
ロイは刀を抜かなかった。
鞘に左手を添える。
ガレスが踏み込む。
炎の剣が振り下ろされる。
ロイは半歩だけ横へ動いた。
足首に黒雷。
膝に黒雷。
肩、肘、手首。
五つで足りる。
鞘が炎剣の腹を叩いた。
軌道がずれる。
次の瞬間、ロイの右手がガレスの胸元へ伸びた。
柄頭が、心臓の位置に触れる。
黒い火花が一つだけ弾けた。
ガレスの炎が消えた。
「終わりだ」
ロイが言った。
実際、終わっていた。
ガレスは剣を振り下ろした姿勢のまま止まっている。胸元に触れた柄頭。その位置から黒雷を流されれば、心臓か魔力回路が止まる。
もちろん、ロイは流していない。
触れただけだ。
訓練場が静まり返った。
十秒どころではない。
三秒。
ガレスの顔が赤くなる。
「今のは……!」
「炎の立ち上がりは速い。踏み込みも悪くない」
ロイは柄を引いた。
「ただ、剣に魔力を寄せすぎだ。胸元が空いている」
リアナが小さく息を吐いた。
言い方は相変わらずだ。
だが、以前より先に評価を言った。
一応、学んでいる。
ガレスは歯を食いしばった。
「舐めるな!」
再び炎が上がる。
その瞬間、訓練場に声が響いた。
「そこまで」
エルナ教官だった。
彼女はゆっくり歩いてくる。
「授業前に何をしている」
ガレスは剣を下ろす。
「模擬戦です」
「今のは模擬戦ではなく、私闘になりかけていた。下がれ」
「しかし――」
「下がれと言った」
ガレスは何か言いたげだったが、周囲の目を見て剣を納めた。
「……失礼しました」
彼はロイを睨み、仲間を連れて離れていく。
ミナが小さく息を吐いた。
「いきなり来たね」
ヴァルターはロイを見る。
「今の上級生を、三秒か」
「相性が良かった」
「そういう問題ではない」
「そうか」
リアナは訓練場の奥へ去っていくガレスを見た。
「これで、さらに目立つわね」
「挑まれたから受けただけだ」
「分かっている。でも、相手はそう受け取らない」
「嫉妬か」
リアナが少し驚いたようにロイを見る。
「理解しているのね」
「昨日聞いた」
「そう」
ロイはガレスの背中を見る。
憧れに近づきたい者。
近くにいる者が気に入らない者。
それを否定するつもりはない。
ただ、邪魔なら退かす。
それだけだ。
◇
授業後、ガレスの敗北はすぐに広がった。
三年序列二十一位が、編入生に三秒で止められた。
しかも刀を抜かせることもできなかった。
噂は昼までに二年棟、三年棟、そして四年の上位班にまで届いた。
ロイは食堂でスープを飲んでいた。
ミナは周囲を見ながら、少し疲れた顔をしている。
「視線が増えた……」
「そうだな」
「原因はロイだよ」
「挑まれた」
「勝ち方が問題なの」
「負けた方がよかったのか」
「それは違うけど」
ヴァルターが静かに言う。
「学内序列戦の前に、上級生が動くかもしれない」
「なぜ」
「君を測るためだ。あるいは、潰すためだ」
「潰す?」
「序列戦では、勢いも評価に関わる。得体の知れない編入生が注目を集めれば、面白くない者は多い」
リアナが頷く。
「特に今年は境界軍が来ている。視察の噂もある。上を狙う人ほど、あなたの存在は気になるはずよ」
ロイは少し考える。
「面倒だな」
「ええ。かなり」
ミナがパンをちぎりながら言った。
「でもさ、ちょっと楽しみでもあるよね」
「何がだ」
「ロイがどれくらい上まで行くのか」
ヴァルターも黙っていたが、否定はしなかった。
学内序列。
四年制学院の中で、生徒たちが目指す塔。
そこに、黒雷の編入生が現れた。
嫉妬も、挑戦も、憧れも、これから増えていく。
ロイはスープを飲み干した。
「必要なら上がる」
ミナが笑う。
「その言い方、ロイらしい」
リアナは何も言わなかった。
ただ、窓の外の北区画を見る。
学内序列戦。
境界軍の調査。
《翠門》の外域反応。
全てが、同じ時期に重なり始めている。
偶然か。
それとも、誰かがそうなるように動かしているのか。
答えはまだ見えない。
だが、学院の日常はもう、静かには戻らなかった。




