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第10話 学院序列

 王立学院北区画の門前には、夜にもかかわらず数人の教師が集まっていた。


 管理迷宮《翠門》の再調査。


 参加者は限られている。


 境界軍からは《蒼刃》セレス・アーヴェインと、その小隊。学院側からはエルナ教官、管理局の術師二名。そして、前回の接触者としてロイ・オルディス。


 リアナ・セレストの名も、同行者の欄にあった。


 ただし、彼女の役割は戦闘参加ではない。


 現場証言者。


 昨日、ロイたちと共に未記録個体に遭遇した班長として、経路と撤退時の状況を確認する。それだけだ。


 リアナはそれを理解していた。


 だから、必要以上に口を挟まなかった。


 セレスの指示にも、ロイの判断にも、割り込まない。


 今の自分が立つべき位置は、前ではない。


 それが分かる程度には、昨日の件は大きかった。


「セレスト」


 エルナ教官が声をかける。


「はい」


「お前は記録確認のみだ。危険が出た時点で即時後退。いいな」


「承知しています」


 リアナは短く答えた。


 その横で、ロイは《黒鳴》の鞘に手を置いている。


 セレスが言った。


「ロイ・オルディス。君は後方封鎖と異常感知。私の指示があるまで、討伐行動は禁止」


「分かった」


「セレスト。君は管理局の術師と共に記録照合。戦闘判断はしなくていい」


「承知しました」


 セレスは一度だけリアナを見る。


「自分の役割から出るな」


「はい」


 その声に反発はなかった。


 ロイはリアナを見た。


 昨日までなら、彼女はもう少し踏み込んできたかもしれない。だが今は、自分の位置を測っている。


 悪くない。


 役割を守れる者は、戦場で邪魔になりにくい。


 《翠門》の石扉が開く。


 湿った空気が流れ出した。


 鉄の臭いは、まだ奥にある。



 再調査は短かった。


 北東封鎖区画の手前まで進み、昨日の封鎖陣を確認する。


 境界軍の兵士たちは無駄なく動いた。セレスはほとんど声を荒らげない。短い指示だけで、小隊は正確に配置を変える。


 リアナは管理局の術師と共に、地図と実際の通路を照合していた。


「昨日、未記録個体が最初に現れたのはこの位置です」


「床下から?」


「はい。最初にロイが反応しました。私たちはこの地点から撤退を開始しています」


「封鎖区画との距離は?」


「およそ百五十歩。ですが、昨日はここまで外域反応が濃くありませんでした」


 彼女の報告は簡潔だった。


 余計な感情がない。


 ロイは少し離れた位置で、床下の流れを追っていた。


 黒い根は、昨夜より静かだ。


 だが、消えてはいない。


 封鎖陣の奥で、ゆっくりと力を溜めている。


 セレスが近づく。


「どう見る」


「今夜は出ない」


「理由は」


「封鎖を破るより、奥で広がる方を選んでいる」


「厄介だな」


「ああ」


 ロイは床に手を近づけた。


 黒い火花が、指先から一つ落ちる。


 石床の下で、何かが反応した。


 遠い。


 だが、確かにいる。


「切除するなら明日以降だ」


「同感だ。今夜は確認で終える」


 セレスはすぐに判断した。


 境界軍は撤収準備に入る。


 その時、後方でリアナが小さく息を呑んだ。


 ロイが振り返る。


 管理局の術師が持っていた測定板に、黒い線が一本増えていた。


「反応が、学院側へ伸びています」


 術師の声が硬い。


 エルナ教官が地図を覗き込む。


「どこだ」


「北区画地下。旧訓練棟の下を通っています」


 セレスの目が細くなる。


「学院内部か」


 ロイは短く言った。


「まだ届いていない」


「いつ届く」


「この速度なら、早くて三日」


「遅ければ」


「一週間」


 エルナ教官が舌打ちした。


「学院行事が近い時期に面倒な」


 リアナが顔を上げる。


「行事?」


 エルナは少しだけ顔をしかめた。


「二週間後、学院序列戦の予選がある」



 王立学院は四年制である。


 一年は基礎。

 二年は実習。

 三年は専門分化。

 四年は卒業試験と実戦派遣。


 そして、王立学院には学生たちの実力を示す制度があった。


 **学内序列**。


 単なる成績順位ではない。


 実技、戦術、迷宮実績、模擬戦、班行動、属性制御、指揮能力。それらを総合して決められる、学院内の戦闘評価である。


 序列上位者は、王国軍、騎士団、魔術院、冒険者組合から注目される。


 四年の上位十名は、卒業後の進路すら変わる。


 だから生徒たちは、学内序列に強い関心を持つ。


 境界名簿が遠い星なら、学内序列は手を伸ばせる塔だ。


 登れば名が上がる。

 勝てば認められる。

 負ければ沈む。


 その予選が、二週間後に迫っていた。


「今年は外部視察も入る予定だった」


 エルナ教官が言う。


「王国軍、騎士団、魔術院、いくつかの貴族家。上級生だけでなく、二年の有望株も見られる」


 リアナはすぐに理解した。


 だから、学院は《翠門》の件を大きくしたくない。


 学内序列戦は学院の大きな行事だ。学生にとっては実力を示す舞台であり、学院にとっては育成成果を見せる場でもある。


 そこに外域反応が絡めば、行事どころではなくなる。


「中止するべきでは」


 リアナが言うと、エルナは首を横に振った。


「簡単にはできない。王国行事に近い扱いだ。延期はできても、中止には相応の理由がいる」


 セレスが静かに言った。


「外域反応が学院地下へ伸びているなら、十分な理由になる」


「公表できればな」


 エルナの声は苦い。


 ロイは黙って聞いていた。


 行事。


 序列。


 視察。


 生徒たちの嫉妬や期待。


 そこに外域の根が伸びている。


 面倒な構図だ。


「ロイ」


 セレスが呼ぶ。


「何だ」


「この件、しばらく表に出ない。君は不用意に動くな」


「命令か」


「警告だ」


「分かった」


「本当に分かっているか」


「表で大きく動くと、生徒が寄ってくる」


「そうだ」


 セレスは頷く。


「学内序列戦を前に、君は目立ちすぎている。黒雷。十一並列。境界軍との接触。これ以上材料を増やせば、挑んでくる者が増える」


「挑む?」


 ロイは首を傾げた。


 エルナ教官が呆れたように言う。


「そこからか」



 翌日、ロイはその意味を知ることになった。


 朝の訓練場。


 二年の実技授業前。


 ロイが《黒鳴》の鞘を確認していると、数人の生徒が近づいてきた。


 三年生だった。


 制服の袖に上級実技班の徽章がある。


 先頭に立っているのは、赤髪の男子生徒。体格が良く、腰には両刃剣。周囲の生徒たちは、彼を中心にしている。


 ミナが小声で言った。


「うわ、まずい」


「知っているのか」


「三年序列二十一位、ガレス・ロウガン。炎属性の前衛。去年の序列戦でかなり目立ってた人」


 ヴァルターの表情も硬い。


「上級実技班の主力だ」


 ガレスはロイの前で足を止めた。


「お前がロイ・オルディスか」


「ああ」


「境界軍と随分仲がいいらしいな」


「仲?」


「とぼけるな。昨日も《蒼刃》と話していただろう」


 周囲の視線が集まる。


 嫉妬。


 不満。


 好奇心。


 それらが混じった空気だった。


 境界名簿は憧れだ。


 そして憧れに近い場所にいる者は、妬まれる。


 ロイはそれを今、理解した。


「話しただけだ」


「それが気に入らないと言っている」


「そうか」


 ガレスの眉が跳ねた。


「お前、実力特例の編入らしいな。黒い雷だか何だか知らないが、学院の序列は甘くない」


「そうだろうな」


「なら、序列戦前に一度、実力を見せてもらおうか」


 ミナが慌てて言う。


「ちょっと、授業前ですよ」


 ガレスはミナを見ない。


「模擬戦だ。訓練場でやるなら規則違反ではない」


 リアナは一歩前に出かけて、止まった。


 ここで自分が前に出れば、またロイの事情に割り込みすぎる。


 これは班の安全に直結する場面ではない。


 なら、まず本人が判断するべきだ。


 リアナは口を閉じた。


 ロイはガレスを見る。


「必要か」


「逃げるのか?」


「授業前だ」


「言い訳か」


「違う。時間の確認だ」


 ガレスの周囲で笑いが起きた。


「いいから構えろ。十秒で済ませてやる」


「十秒か」


 ロイは《黒鳴》に手を置いた。


「なら足りる」


 空気が変わった。


 ガレスが剣を抜く。


 炎が刀身を包む。


 上級生だけあって、魔力の立ち上がりは速い。威力もある。並の二年生なら、近づく前に圧で止まるだろう。


 ロイは刀を抜かなかった。


 鞘に左手を添える。


 ガレスが踏み込む。


 炎の剣が振り下ろされる。


 ロイは半歩だけ横へ動いた。


 足首に黒雷。


 膝に黒雷。


 肩、肘、手首。


 五つで足りる。


 鞘が炎剣の腹を叩いた。


 軌道がずれる。


 次の瞬間、ロイの右手がガレスの胸元へ伸びた。


 柄頭が、心臓の位置に触れる。


 黒い火花が一つだけ弾けた。


 ガレスの炎が消えた。


「終わりだ」


 ロイが言った。


 実際、終わっていた。


 ガレスは剣を振り下ろした姿勢のまま止まっている。胸元に触れた柄頭。その位置から黒雷を流されれば、心臓か魔力回路が止まる。


 もちろん、ロイは流していない。


 触れただけだ。


 訓練場が静まり返った。


 十秒どころではない。


 三秒。


 ガレスの顔が赤くなる。


「今のは……!」


「炎の立ち上がりは速い。踏み込みも悪くない」


 ロイは柄を引いた。


「ただ、剣に魔力を寄せすぎだ。胸元が空いている」


 リアナが小さく息を吐いた。


 言い方は相変わらずだ。


 だが、以前より先に評価を言った。


 一応、学んでいる。


 ガレスは歯を食いしばった。


「舐めるな!」


 再び炎が上がる。


 その瞬間、訓練場に声が響いた。


「そこまで」


 エルナ教官だった。


 彼女はゆっくり歩いてくる。


「授業前に何をしている」


 ガレスは剣を下ろす。


「模擬戦です」


「今のは模擬戦ではなく、私闘になりかけていた。下がれ」


「しかし――」


「下がれと言った」


 ガレスは何か言いたげだったが、周囲の目を見て剣を納めた。


「……失礼しました」


 彼はロイを睨み、仲間を連れて離れていく。


 ミナが小さく息を吐いた。


「いきなり来たね」


 ヴァルターはロイを見る。


「今の上級生を、三秒か」


「相性が良かった」


「そういう問題ではない」


「そうか」


 リアナは訓練場の奥へ去っていくガレスを見た。


「これで、さらに目立つわね」


「挑まれたから受けただけだ」


「分かっている。でも、相手はそう受け取らない」


「嫉妬か」


 リアナが少し驚いたようにロイを見る。


「理解しているのね」


「昨日聞いた」


「そう」


 ロイはガレスの背中を見る。


 憧れに近づきたい者。


 近くにいる者が気に入らない者。


 それを否定するつもりはない。


 ただ、邪魔なら退かす。


 それだけだ。



 授業後、ガレスの敗北はすぐに広がった。


 三年序列二十一位が、編入生に三秒で止められた。


 しかも刀を抜かせることもできなかった。


 噂は昼までに二年棟、三年棟、そして四年の上位班にまで届いた。


 ロイは食堂でスープを飲んでいた。


 ミナは周囲を見ながら、少し疲れた顔をしている。


「視線が増えた……」


「そうだな」


「原因はロイだよ」


「挑まれた」


「勝ち方が問題なの」


「負けた方がよかったのか」


「それは違うけど」


 ヴァルターが静かに言う。


「学内序列戦の前に、上級生が動くかもしれない」


「なぜ」


「君を測るためだ。あるいは、潰すためだ」


「潰す?」


「序列戦では、勢いも評価に関わる。得体の知れない編入生が注目を集めれば、面白くない者は多い」


 リアナが頷く。


「特に今年は境界軍が来ている。視察の噂もある。上を狙う人ほど、あなたの存在は気になるはずよ」


 ロイは少し考える。


「面倒だな」


「ええ。かなり」


 ミナがパンをちぎりながら言った。


「でもさ、ちょっと楽しみでもあるよね」


「何がだ」


「ロイがどれくらい上まで行くのか」


 ヴァルターも黙っていたが、否定はしなかった。


 学内序列。


 四年制学院の中で、生徒たちが目指す塔。


 そこに、黒雷の編入生が現れた。


 嫉妬も、挑戦も、憧れも、これから増えていく。


 ロイはスープを飲み干した。


「必要なら上がる」


 ミナが笑う。


「その言い方、ロイらしい」


 リアナは何も言わなかった。


 ただ、窓の外の北区画を見る。


 学内序列戦。


 境界軍の調査。


 《翠門》の外域反応。


 全てが、同じ時期に重なり始めている。


 偶然か。


 それとも、誰かがそうなるように動かしているのか。


 答えはまだ見えない。


 だが、学院の日常はもう、静かには戻らなかった。


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