8. 悪役貴族は嗤いました
応接室にて、旦那様は足と手を組んで片眉を釣り上げていました。
「おやおや、やっと我が家への借金を返したというのにわざわざご足労願えるとは」
舌の火傷が治った頃、男爵とその妻が訪ねてきました。彼らは学園で使用人のような扱いを受けていた下級貴族でした。
教科書を持たされ、物を買ってこさせられていた姿は多くの生徒が目撃していました。資金も地位もないことは周知されていたこともあり、脅されて虐げられているのだという共通認識がありました……が。
「使用人働きはもう終えたはずだろう?」
まさかの、使用人扱いではなく本当に使用人でした。
嫁いできてから幾度目かのこの状況。さすがにもうそろそろわかります。おそらく、借金を軽くするために名目上雇ったのでしょう。
「また金がなくなったのか。それとも多勢に無勢で反乱か?」
そして旦那様は、雇ったくせに貴族を使用人扱いすることを気にしていたのでしょう。心配と恐怖と……もう少し上手く話せないのですか?
旦那様の様子に男爵夫婦は慌てているようでした。何か勘違いをしていると気づいたのでしょう。
「め、滅相もございません。ただ、その、無事に卒業でき、妻との間に子ができましたので、恐れ多くも恩人の貴方様にちなんだ名をつけさせていただけないかと……」
旦那様のすべての動きをピタリと止めました。その反応に男爵夫婦が沈黙します。
私は、監視の命を重視しすぎて本来の役目である後継ぎの件を蔑ろにしていたことを思い出します。
そう、私は侯爵家の嫡男を産む義務があります。そのための優秀で派閥の関係ない結婚相手です。
しかしどうにも、旦那様が過労働でお疲れになっていたり、夜遅くまで領地経営について勉強なさっていたり、そのことになると何故か辛そうな顔をなさるので、円滑な結婚生活の方を優先した結果、ただ普通に寝る日が多く……。
「…………ハッ。浅はかだな」
私が考え始めた時、旦那様の蔑むような嗤いで沈黙は破られました。
「子供が育ってから、俺が由来であるせいで虐げられるかもしれない。名前は、貴様らが愛を持って、どんな風に育ってほしいかを祈り、子に一番最初に贈るものだ」
そこは、勝手に名付け親として我が家に取り入るだとか、いざという時の保険とするだとか、そういう思惑を指摘する部分ではないのですか。
それでは、ものすごく喜んだ上で、真面目に熟考しただけのいい人です。
男爵夫婦が涙ぐんでいます。もはや拝んでいます。
「後で祝いを送る。不調になる前に帰れ」
捨て台詞のように優しいことを伝え、旦那様は外套を靡かせて部屋から去りました。
追いかけるように執務室を訪ねれば、感極まって泣いていました。
「よかった。ほんとうによかった……」
嗚咽交じりの言葉を聞き取る限り、あの二人は幼い頃より許嫁だったそうです。しかし奥方の実家が破産し、婚約が破棄されかけた時に、男爵の方から声をかけられたというのです。男爵は両親を説得し、個人で旦那様に金を借り、それを元手に奥方の実家と事業を始め、ついには婚約は破られずに回復したのだと。
旦那様はその漢気を買い、学園にいる間だけ使用人として雇ったのだとか。
ドラマ性があるとは思いますが、そんなに泣く理由がわかりません。
政治の道具であり家を繁栄させる子が生まれたのは彼らにとって喜ばしいことですが、貴族同士の結婚はそんなに美しいものではありません。
「きっと可愛い子が生まれるだろう。俺も、抱かせてもらえるだろうか」
その前にご自分の子を気にして欲しいものです。
小姓にも領民の子にも優しく、好いて、好かれています。子供がお嫌いではないのでしょう。
ではなぜ、辛そうな顔をするのですか。私に触れるのを躊躇うのですか。
「想い合っているものが結ばれて、本当に良かった」
その一言で気づきました。
旦那様は、私を、ラッセル侯爵家の一人娘だと思っていないのです。
フレヤ・ラッセルが、想い人と結ばれ、愛され、幸せに子を産むことを、願っているのです。
これは、愛していると、いうことなのでしょうか。
侯爵家の一人娘である私には、何もわかりません。
「旦那様、ハンカチはご入用ですか?」
ただ、もう少しだけ、もう少しだけ旦那様を知ってからでも良いのではないかと、そう思ってしまいました。




