5. 氷の姫君は可愛い
氷の姫君……フレヤを知ったのは、学園に入ったばかりの頃だった。
ボーモント家は百年前では庶民で、叙爵の際、罪を犯した下級貴族から取り上げたられた土地をそのまま与えられた。つまり、主軸となる領地はど田舎だった。王都に親戚などいるはずもなかった。
本来の大貴族は中等部から学園に通うのが当たり前な中で、寮生であり高等部から急に現れた伯爵家である俺は、とても目立ったらしい。
貴族は群れるのが基本だが、成り上がりである我が家には派閥なんてものはない。
『エイダン様、この間は大変なご慈悲をいただき……』
『フン、損得で考えるべきだ』
『そんなっ、ボーモント家に得なんて……』
『別に感謝されるようなことはしていない』
縁のある家と話していただけでも、翌日には下級貴族を虐げているとの噂が流れていた。
成り上がり。下品。悪逆非道。残忍な男。学園に相応しくない血筋。
校内を歩くだけで囁かれる言葉に、少しだけ堪えてしまっていた。領地で愛ある言葉に囲まれていた分、煩わしかった。
『悪党貴族、か……』
悪党と言われるようなことは何もしていない。ただ一族揃って顔が怖いだけ。成り上がった理由だって、生前の曽祖父から大義のためだと聞いている。何も後ろめたいことはない。
それでも心が痛く思ってしまうのが、申し訳なかった。なのに。
『……失礼』
銀糸が日に透けて、輝いていた。アイスブルーの瞳が俺を捉えて、すぐに前を向いた。
氷の姫君の渾名を聞いたことがないわけではなかった。
それでも、実際に目にしただけで、俺は身震いがした。
ラッセル家は大きな派閥であり、一挙手一投足が見られている。四方八方から恨みを買っている。
それゆえに氷の姫君と囁かれても、周りから遠巻きにされても、彼女は気にも止めない。
ラッセル侯爵家の一人娘として、ただ自分のすべきことしか見ない。
彼女はただ、フレヤ・ラッセルとして生きていた。
────美しいと思った。
氷の姫君は、俺の憧れだ。貴族として、あんな人になりたい。家柄や噂など足蹴にすらせず、凛と生きていきたい。
『……俺は、俺でいいのか』
世間が俺の行動を悪党と見るのなら、俺は悪党でいい。悪党だと思うのなら、思わせておけばいい。
周囲に惑わされず、俺は俺の信じる道を歩むのだと、そう決めた。
それからというもの、学園生活の中で、氷の姫君を目で追うようになった。
常に同じ行動をし、静かに完璧に生きている。淑女教育の通りに歩き、走ることはない。表情筋は動かず、常に自分以外を見ている。
……でも、氷の姫君と言われる割に冬が苦手で、自分でも気づかないまま少し震えている。好き嫌いを自分でも気づいていなく、わずかに眉を寄せる。動物は好きではないのでなく、未知のものとして恐れているだけ。他人から渡された飲み物は毒を恐れて絶対に飲まない。
『……強者とは孤独なものだな』
彼女は何もかも知っていて、何もかも知らない。誰よりも裕福な家に生まれ、誰よりも厳しい環境で育った。
美しい彼女に惹かれ、可愛らしい彼女に恋をした。
とはいえ、一人で勝手に憧れて、勝手に恋に落ちただけで、高貴な彼女の目には、ただの成り上がり貴族なんて映らない。
どうにか彼女の視界に入りたかった。せめて成績だけでも並びたかった。声をかけても良いくらい、強い貴族になりたかった。
『やあ、悪党貴族君。私の後ろに着くのは楽しいか?』
……が、ラッセル家の政敵、ブルックス侯爵家の嫡男、ゲイルもまた彼女に恋をしているようだった。中央貴族の良質な教育を前に、俺は三年間敗北し続けた。
それでも、負けたくなかった。必死に学び、長期休暇のたびに家の改革を進めた。
血の滲むような努力の末、最後の期末テストで、俺は勝つ自信があった。
卒業を控えた舞踏会で、俺は腹を括った。
『おやおや、燭台の近くにいては、氷が溶けてしまうのでは?』
緊張して下手な誘い方になってしまったが、俺はついに、声をかけることに成功した。
『泣いて許しを請えと言うならそうしよう。婚約者がいないもの同士、どうか、一曲願えないだろうか』
卒業前の最後の思い出でもいいから、一緒に踊りたかった。
『では、婚約いたしますか?』
それがまさか、二転三転して恋が成就するとは思わないだろう。いまだに夢だと思っている。
無論、調査はした。真の悪党であるラッセル家からすれば、ここ数年でより大きな存在となった我が家は目の上のたんこぶだったわけだ。
だが、ラッセルは我が家を取り込むことに決めた。取り込まれるつもりはないが、敵でないことも確かだ。
何も問題はない。俺はただ妻となったフレヤを愛し、悪党として領地を守り続けるだけだ。
カーテンの隙間の朝日を浴びて、フレヤの長いまつ毛が震える。
新婚生活が、始まる。
「おはよう」
「……おはようございます」
愛しい妻が、可愛らしい顔で今日もたくさん驚いてくれるように。




