14. 悪党貴族は剣を取りました
「な……」
誰よりも衝撃を受けたゲイル・ブルックスは、その場に崩れ落ちます。項垂れ、床にいくつもの水滴が落ちました。
「ハ、ハハッ……なんだ、なんだよ、それ」
床を叩き、地に伏す姿はあまりにも醜い。
けれど、彼を諫める者は、今ここには誰もいない。
私は彼の前に立ち、ただ見下ろしました。ゲイル・ブルックスは息を呑み、顔を上げます。
私を見つめる顔は、幼い頃と何も違いがありませんでした。
救済、憧憬、信仰、嫉妬……すべてが混じった、面倒な瞳です。
「……お立ちなさい、ゲイル・ブルックス」
彼は政敵ですが、グリフィナード王国の双頭であることは変わりありません。
「侯爵位において、その姿は許されません」
ラッセルの冠する侯爵位を守るため、私の矜持を守るため、私は告げました。
……いつの日か、同じようなことがありました。
この国で唯一同じ位にいる、同じく侯爵家のために育てられた身。それでも決して交わることのない彼を、知らないわけではありませんでした。
「っあ、ああ、あああ」
ゲイル・ブルックスは座り込んだままに叫びます。
「フ、フレヤ……。私は、貴女になりたかった。貴女を手に入れたかった。貴女の一瞥が欲しかったっ」
彼がここまで盲目的に旦那様を敵視し、婚約者を作らなかった理由が、初めてわかりました。
「気高い貴女が、なぜ悪党貴族なんかを選んだんだ。なぜ、私ではダメだったんだ。どうして、私を選んでくれなかったんだ」
私は何も答えません。そこまで私に執着していたのは意外でしたが、彼は分かっているはずです。
「侯爵家に生まれたから貴女に恋焦がれたのに、侯爵家に生まれたせいで貴女と結ばれない!」
これは、何の意味もないこと。彼だけの問題で、彼が消化すべきこと。そう思っていたのに。
「ボーモントと結ばれて、貴女は変わってしまった。変わらないでほしかった。全部、ボーモントのせいだ」
ただその言葉だけが、私を揺さぶりました。
────侯爵家の一人娘。ボーモントの妻。フレヤ・ラッセル。
私は何も変わっていない。私は変わっている。その両方が、私の何かを巣くっている。
侯爵家の一人娘としてエイダン・ボーモントを選び、ボーモントの妻として目の前の不都合を払いのけ、フレヤ・ラッセルとして旦那様に愛されている。
「あの舞踏会の日、貴女は笑っていた!」
私は最初から、エイダン・ボーモントが、理解できなかった。理解しようとしていた。
私は、旦那様を、知りたかった。
「……貴方が言うのなら、そうなのでしょうね」
誰よりも氷の姫君を知っている、貴方が言うのなら。
あの声を掛けられたときから、燭台よりも強い熱に、溶かされていたのでしょう。
「旦那様」
すぐに駆け付けられるくらいの距離で、後方で見守っていた旦那様の方を振り向きます。
数歩だけ足を運んで、タイを掴んで、そのまま顔を引き寄せました。柔らかいそこに重ねて、一度離して、もう一回。今度は抱きつくように首ごと捕まえて。
長い沈黙と、唇が離れて漏れた吐息。多幸感と、安堵。
「…………ファ!?」
息を吹き返した旦那様が何か奇声を発していますが、大事なことではありません。
「私は、この人の妻です」
私の宣言に、旦那様は目を見開きました。
まだ、私はわかりません。ゲイル・ブルックスの感情も、旦那様の愛も、何より私自身のことも。
私は、きっとここから分かろうとするのです。何もかもに向き合っていくのです。
「この人を陥れようとしたことを、私は許しません。たとえ侯爵家でなくとも、貴方を見ることはありません」
私がこれから愛し、理解し、全ての感情を向ける相手は、私の旦那様は、エイダン・ボーモントなのです。
「いい加減、目を覚ましなさい。私は貴方の幻想ではありません」
そう告げた時、肩に手が置かれました。
「……旦那様?」
覚悟を決めた面持ちの旦那様は静かに首を振って私を止め、ゲイル・ブルックスの前に立ちます。
「ゲイル・ブルックス殿。俺は、貴殿からの決闘を受け付けよう。俺は貴殿に勝ち、その上で貴殿を許そう」
決闘。それは上流階級において名誉を回復するために戦う行為。
「同じ人に恋焦がれた身として、俺が貴殿の幻想を砕こう」
……旦那様は、何を考えているのでしょうか。




