10. 氷の姫君は可愛らしい
フレヤは、氷の姫君が溶けていることに、何ひとつ気づいていない。
最近のフレヤはよく表情筋を押さえている。本人は無意識だが、今まで動かさなかった分、笑うと痛いからだ。
笑う場はまちまちで、フレヤの愛らしさに悶えていたり、友人の祝い事に感動して泣いていたり、俺が見るに堪えない姿を晒しているときが多い。
『ふっ』
と、口元は歪で、目を瞑ってしまうような下手で愛らしい笑顔を溢して、その場を去る。フレヤ自身は笑っていることにも笑顔が下手なことにも気づいていない。
あと、趣味嗜好も出てきて、静かに興味関心が旺盛になっている。執務室の本棚にたまたま並んでいたからと手に取ったこともあった。
『こちらは?』
『俺の本ではない。イザベラのを誰かが間違えたな』
今まで娯楽小説を読んだことがなかったのだろう。ホラー小説を気に入った結果、立ったまま一時間以上読んでいた。ページをめくる手以外微動だにしなかったのは、小説より怖かった。
俺はそんなに得意ではないが、妹のイザベラはホラー小説が好きだから、次の長期休暇で帰ってきたときは話が合うだろう。
好みだと、最近は食事の味付けやメニューも違う。料理長に頼んで変えてもらっている。実は大雑把な味の方が好きで、火傷に怯えているのを知ったからだ。
『???』
王都で火傷したあの時、幼子のように目を丸くして、俺を見上げていた。
衝撃的だったのだと思う。フレヤは案外思っていることが顔に出るし、素直だ。侯爵令嬢としての生活が当たり前だった分、人よりも純粋なのだと思う。
本人は完璧な仮面を被っているつもりだが、心が動いていないわけではない。
何より一番変わったのは、距離感だ。どこに行くにも側にいてじっとこちらを見てきて、たまに何かを訴えてくる。大抵誰かの頼みを聞いたりしているときだが、服の裾を掴んだりしている。
それに、夜の寝ている間はすり寄ってくる。夜中まで起きていることも、何かを恐れて起きることもない。不安を目だけに宿したまま、侯爵家の一人娘としての命を果たそうとすることもなくなった。
『んん……』
暑いのかと離れようとすれば不満を訴えてくるし、撫でれば満足げな顔をする。危うく窒息しかけたが、俺の寝言が煩ければ口をふさいでくる。寒がりなのに夜風が好きで、俺で暖を取りながら冷たい風を頬で感じるのが好みらしい。
本人は無意識でも、変わってきている。本来のフレヤが見え隠れしている。困ることもあるが、良い傾向だ。
空っぽなまま、生涯を終えないでほしい。俺のことなんて知らなくていいから、自分のことを知ってほしい。
フレヤは愛なんて求めていない。自分が不幸だとも幸せだとも思っていないし、救済も望んでいない。
だからこれは俺の我儘でしかない。
それでも、俺が与えられるものはなんでも与えたい。
侯爵家のように由緒正しい貴族の血はないが、お互いを尊重する家族がいる。大きな土地はないが、慕ってくれる領民がいる。国一番の腕を持つ料理人を雇ってはいないが、真心を込めてくれる料理人がいる。優秀でミスのない使用人はいないが、気の利く優しい者たちがいる。
きっと、今までフレヤが触れてこなかったものを、皆が持っている。その中で俺は、最上級の愛を捧げたい。
自分を理解した先で、命を果たすために俺の元を離れても、別の誰かを愛したとしても、フレヤが幸せでいてくれればそれでいい。よく寝て、起きて、おいしいものを食べ、心を許せる者たちと語り、健やかに過ごしてほしい。
婚約を結んだ時、愛することはないと言われて、戸惑った。健全な恋心は折られてしまった。失恋に苦しんで、それでも残る感情がすべてだと思った。
見返りを求める恋を捨てて、愛だけを育てることにした。だから、
『俺は愛してもいいか』
覚悟を持って、そう尋ねた。フレヤは不思議そうに頷いた。
頷いたから、結婚することに決めた。
机の上の手紙を確認していると、一通、王族の刻印の入ったものがあった。
「舞踏会への招待状か……」
もうそんな時期だった。少々憂鬱だが、国が開くとあれば出ないわけにはいかない。出なければ後から面倒なことになるのはわかっている。
両親を呼び戻しても良いが、向こうは向こうで久々の二人だけの生活を楽しんでいるらしく、呼び戻したところで後継として顔を広めるためにも我々が行くことになるだろう。
「フレヤのドレスをどうしようか……」
形も、色も、何もかも、フレヤが好きなものを。……ああ、だが。
「……今だけでも」
フレヤの気づかないところに、密かに、俺の色を。
俺とて、恋敵のゲイル・ブルックスを忘れたわけではないから。
「未熟だな、俺も」




