89話 渡海
ゼンさんの舟は小さく櫓を漕ぐタイプ。これ、めっちゃ難しい。おまけに湾内は複雑な潮流。ほんの少しの距離だけどかなりのテクニックが必要と思われる……にも関わらずグングンと水面を舟は進む。いや、割と揺れてるか……縦揺れ、横揺れ激しいな。
「ゼンさん、大丈夫ですか?外海はかなり波もありますけど」
「アホいいな、この程度の波、目を瞑ってでも行けるがじゃ。飯の時、箸持つんと同じじゃ」
さすが海の男。当たり前って事か。
「ソラ君、この手の舟って結構横揺れするんだね」
と顔を青くしたウミが言う。酔ったな?こいつ。
「シカちゃんは大丈夫?」
と横を見たら生唾を何度も飲み込んでいる。こっちもか。サトちゃんは……目を瞑っているな。みんな弱いのぉ~。
「ソラ君、なんでそんなに平気なんだよ。こんなに揺れているのに」
「揺れてるって言ったって、たった500メートルくらいの距離やろ?酔う前に着くって。それに俺、学生時代は夏の間田舎に帰省して、海の家でバイトさせられとったからの」
「なにそれ、初耳」
「親父の友達が夏の間だけ海の家経営しとっての、ちょっとオープンの手伝いに行ってやれって言われて行ったのよ、大学1回生の頃」
「うん」
「そしたらなし崩し的にず~っと働かされて、1年目から即戦力よ。ボート貸したり、パラソルやら浮き輪貸したり駐車場の料金回収したり……」
「青春してたんだ?」
「労働じゃ、労働。朝から晩まで強制労働。かき氷なんて何千杯作ったか。氷屋まで氷取りに行ってそれを分割して、かき氷機にセットしてやな」
「それと船酔いと何の関係があるのよ!」
とユイが切れる。
「ほんで、夕方仕事終わったら、親方が自慢のクルーザーに乗せてくれるんよ。アホみたいなスピードで走らせるんよな。そん時船の先に乗ってそれはもう上下に揺れまくって……慣れた。1年目の終わりには揺れるボートの先に立ってバランス取ってたわ」
「それって会社入るちょっと前の話でしょ?小学生時代だけじゃなく、学生時代も無茶苦茶だったんだね」
「普通や普通、田舎では」
「夏が終わって神戸に戻ると?」
「地味に4年間、夏以外は家庭教師しとった」
「落差ぁ!」
「まぁ夏の間だけはしゃいどったわ。バギーで砂浜走ったりの。親方が水上スキーをクルーザーで引っ張ってくれたりして遊びまくってた」
「神戸では?」
「地味に目立たない学生」
「想像がつかないね。結局、四国に戻って良かったね、本領発揮できてるじゃない」
「船酔い対策だけの」
とか言っているうちに無事向こう岸に着いた。
「ゼンさん、ありがとう。波もあって危ないのに舟を出してもらって。ゼンさんってアデヤ教徒?」
「あたりまえじゃ。今の御時世それ以外おらんろうが?うちは代々熱心なアデヤ教じゃきに」
「じゃあ御礼に……ユイ」
「なによ?」
と青い顔で口を押えたユイがしかめっ面で答える。
「御礼にアデヤ教聖女のサイン……署名をさせていただきます」
「え?聖女様ってか?」
「ユイ……この櫓に書いてあげて『ゼン様へ 聖女ユイ』って」
「ソラ君、なんか大谷選手がバットにサインしてプレゼントするみたいだね、うぷっ」
吐きそうになりつつツッコむウミ。ええねん、これで丸く収まるなら……アオの事で後で家庭内で揉めたら面倒やし。
「わかった。じゃあここに書きますね」
と言ってスラスラとマジックでサインをするユイ。手慣れてるな、コーチでノベルティ量産してる効果が出とる。
「あなたは聖女様じゃったか?これはこれはまっことありがたい事じゃ。あの…無理言いますが握手してもろうてええがですか?」
「はい、喜んで」
とユイが手を差し出すと、両手で押し抱くように手を握るゼンさん。ほんまもんの信仰心やな。
「ゼンさん、私達との出会いを作ってくれた奥様にもよろしくお伝えください」
「ああ、もちろんです。そこの男前の兄さん、うちのカカに声をかけてくれてありがとうな」
とアオに感謝するゼンさん。最初の眉間に皺を寄せてた人と同一人物とは思えんな。
「では、皆さん、この先気を付けて。この辺は磯女っちゅう得体の知れんもんが住み着いとるがじゃき。それはそれは不気味で皆こわがっちゅうき」
そう言ってゼンさんはウキウキで舟を漕いで戻って行った。
「さすがはソラ君、うまい事納めたね。夫婦喧嘩の元になりそうなアオの件まで解決して」
とどっかに行ってたウミが戻って来て言った。さては吐きに行ったな。
「シカ、揺れてる」
シカちゃんは視点が定まらず目玉がまだ上下している。
「ソラさん、この感覚って初めてシカちゃんの背中に乗った時に似てます~」
ああ、乗り物酔い2回目か。ユイはと言うと……。
「私は平気よ」
さすが、もう回復してる。
「お前、みんなにベホイミとかケアルガとかかけられんの?」
「ゲームや異世界ラノベじゃあるまいし、そんなのできるわけないでしょ。祈るくらいしかできないわよ」
「試しに祈ってみてよ」
そう言うとユイは目を閉じて跪き祈りを捧げる。ん?なんか涼しくなったような?
「シカ、揺れが止まった!」
「凄いよ、ユイ、吐き気が無くなった」
それは既に吐いてすっきりしたからでは?
「確かに、楽になりました!」
時間たったしな。
「アオは?」
「私ですか?私は別に酔ったりしませんよ」
ほんの少しの酒で泥酔してベラベラ秘密喋るくせに。
「とりあえずみんな復活したな!じゃあ寺探すぞ、寺」
「ソラさん!」
「ん?どうしたアオ」
「一つ気づいたんですけど、ソラさん達って、たかが舟でちょっと移動するだけで、こんなに色んな事が起きるんですね?」
「なんも起きてないが?」
「普通に舟で渡っただけね」
「何か起きたかな?」
「特に何も記録するようなことは起きてないですよ」
「シカ、舟、酔った」
よしよし。まぁ普通に無事渡ったな。アオは何を言っているんだ?
「皆さん、感覚がマヒしてますよ。ソラさんはよくわからない経験談を長々と語り、ウミさんがそれに相槌打って、ユイさんは聞いている。サトさんとシカちゃんはなんかわからないけどふんふん頷いている。そうかと思えば聖女様は気軽に漁師さんと会話して聖なる署名を与えている」
そんな大層な。サインと握手だけじゃん。
「全然普通じゃないです。聖女様は目の前で奇跡を起こして酔った人を回復させているし、それをへらへらみんなで感想を述べて終わり。奇跡ですよ、奇跡が起きてるんですよ?なんで普通にしてられるんですか?サトさんも一切記録してないし」
「そんなん日常茶飯事やしなぁ。そんなん言うたらユイが羽出して飛ぶだけでも騒がなあかんやん」
「騒ぐべき事なんです!聖女様はその姿を現して空を飛ぶなんて大ごとじゃないですか」
「まあ、背中破れた言うて文句言うて騒いでるけどな」
「違うんですってば!」
「お前、反アデヤ教でアウル教団やろ?お前が騒がんでええやん。お前らからしたら邪教の使いが飛んでるだけやし」
「あの姿を実際に見て、アデヤ教を否定して邪教の使いなんて思えますか?」
「お前、なんか芯が揺らいどるの」
ふふん。
「揺らいで?何がですか?」
「いんにゃ、別に」
「アオ!」
「はい、ソラさん」
「ユイは一応俺の許嫁だからやらんぞ」
一応な。
「え、そんな、私は別に……」
いや、お前なんで顔を赤らめる?
「なんかややこしい事になりそうだから、先に行こうか、ソラ君」
「アオ君、男前ですからねぇ」
サトちゃん?何を。
「私は蓼食う虫よ、ふふ」
ホッ……?ホッてした自分が嫌だぞ。
「ソラさん、僕が言いたかったのは、なんかちょっとしたことでも皆さん、楽しそうでわちゃわちゃしてるなって事です。それが日常になってるのがいいなって思ったから」
「そうか、そうか。お前も一緒に旅する仲間やからもっとこっち側に入ってこい。ここに舟で来れたのもお前のお手柄。もう一緒になってわちゃわちゃする側やからな。そんな第三者的な目線いらんよ」
「ソラさん……わかりました!よろしくお願いします」
「密偵って第三者的な目線で見ないとダメなんじゃぁ……」
サトちゃん、それは言わない約束だよ。
その時、海岸の岩の向こうから
「声がしたと思ったら、やっと来たのね。ずっと待っていたわ」
と女の声がした。一同顔を見合わせる。
「多分磯女……だよな?シチュエーション考えたら」
頷くウミとユイ。シチュエーションの意味がわからないアオとサトちゃんとシカちゃん。ん~日本語で説明しづらい。
「サチ、先にどんな状況か見て来て!」
そう言うとサチは岩の向こうまで飛んで行ってくれた。さすが幽霊犬、と思っていたら少しの間を置いて
「ギャン!」
とサチの短い叫び声が聞こえて、沈黙。サチが……やられた?
*(90話へ続く)*




