第19話 こなき……
なんだこの泣き声は?
想像していたのと違う。赤ちゃんの泣き声がして見に行くと小さな赤ん坊が——一部では小さな老人という説もあるみたいだけど——可哀想に思い背中におぶってやると、どんどん重くなっていき最後には押しつぶして殺されるって話だったような?
「ウミ……これって」
「うん、赤ちゃんの声には聞こえないね」
「お年寄りの……お爺さんの声に聞こえるけど」とユイ。
どうなってんだ? 泣くというか腹の底から吠えるような声。こんな悲しげな声は今まで聞いたこともない。
「どっちから聞こえる? ユイ」
「お墓とは反対側の、私達が村に入ってきたのと逆の方みたい」
更に山に向かう方か。
「ウミ、これは霊とかの類か? 浮かばれていない魂が声を上げてるのか?」
「いや、違う。メガネをかけてもサングラスに変えても霊も妖怪も見えないよ」
「でも声はこんなにはっきり聞こえているのに」
「あ、ソラ! あそこ見て」
ユイが指差す方を見た。ん? 何も見えないぞ。朽ち果てた藁葺屋根と土壁と生活用品の残骸が転がっているだけだ。
「違う、その向こうの広場みたいなところに何かある」
何かってなんだよ。霊でも妖怪でもない何かって……動物かな?
でもユイははっきりと「いる」じゃなくて「ある」って言ったな。
ウミの仕事じゃなくて、僕の仕事のような気がするな、これは。
天秤棒(改)を握りしめて、ユイの指差す方へ向かう。
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広場といっても、さっき見たカチカチの地面が続いているところだろ?
近づいていくと何か白い物が固い地面に刺さっている。
……あ、これは刺さってるんじゃなくて地面の土が風で飛ばされて出てきたんだ。
白いものの正体は……骨だな。
慟哭の正体はこれか?
「ソラ君~何があったの?」
向こうからウミが走ってくる。
「ウミ、お前は来なくていいよ。俺の仕事だわ」と制す。
お前は見なくていいよ、ウミ。
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僕は人骨をこれまでに見たことがある。
山奥のそれこそこの場所みたいなところにあった先祖代々の墓を移設する手伝いで、中学生の頃に父と一緒に墓を掘り返したのだ。「50年近くも前に亡くなった爺さんの墓だからもうなんも残ってないわ。石でもあったらそれを骨がわりの印として新しい墓にいれたらええ」という言葉を真に受けて、少年の僕はスコップで掘り返した。
曾祖父さん、丸ごと1体分の骨を発掘した。
話が違うと父に訴えたら「酒のあてにイリコ食ってたけんのぉ」って。カルシウムだけの問題か?
とまあそんな経験もあるのですぐにこれは人の……大人の骨だとわかった。
しかしなんで墓でもないこんな広場の端、村の出口辺りに骨が?
そう思って骨に触ろうとした時だ。
「それ触っちゃダメ~! 危ないっ!」とユイが声を上げた。
え? っと思った時には粗忽な僕は既に骨を握っていた。
泣き声が止まった。
と同時に僕の中に何かが入ろうとしている。何だこれ? 視界がブラックアウトした。
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脊髄から何かが逆流してくるかのような感覚。そしてものすごい重さを背中に感じて、僕は自然と膝が折れ四つん這いの姿勢になった。
また耳からはさっきより激しく老人の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。赤ちゃんのオギャーじゃない。うぉおおおおおおおお~という物凄い叫び。吠える声。
老人の言葉が聞こえるわけでもなく叫びしか無いが、僕の頭には映像のような物が一気に流れ込んできた。
最初に見たあの集落だ。人々が暮らし、米が実り、野菜が畑に鈴生りだ。みんな幸せそうに笑っている。
そして次に見えたのは日照りだ。
あの滔々(とうとう)と流れていた吉野川が干上がっている。魚が干物のように干からびている。水田の稲は枯れ、畑の作物は地面に倒れしぼんでいる。それを野鳥やカラスがつついている。その枯れて鳥がついばんだあとのしなびたきゅうりや大根を村人が食べている。みんなやせ細り、川の水が枯れているので山の湧き水をすくって飲んでいる。村の雑草ももう全くない。村で口にできるものは全て口にした後なんだろう。
絶望……そんな気持ちが流れ込んだ。
僕はその絶望を感じている人の目を通して映像を見ているんだ。背中にかかる重さがまた一段と重くなった。
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「わしのせいじゃ……」
声が聞こえた。
「わしが決めた事じゃ」
「恨むならわしを恨めよ。とと、かかのせいとは違う。わしが決めた」
視線が、ボロボロになった小屋の土間に寝かされて泣いている生まれたばかりの赤ん坊に向けられた。
嫌だ、見たくない。こんなのを僕は見たくない!
視界が暗くなり、赤ちゃんの泣き声に交じりさっきから聞こえていた慟哭が一層激しくなった。耳が割れるようだ。大の大人の吠えるような泣き声、喚き声。
次に視界が開けた時は、そいつはじっと震えているシワシワの自分の手を放心したようにずっと見つめていた。その間も小さなうめき声は続いていた。
「わしのせいじゃ……」
また聞こえてきた。さらに体が重くなった。また別の家だ……そして次の家でも繰り返される同じようなシーン……一層強くなる慟哭。
同じような事を何度も繰り返した。違うのは最初に見た時より赤ちゃんの大きさが心なしかだんだん小さく、手足も細くなっていくのと、そいつが見つめる手のシワがしだいに深くなり、腕が枯れ枝のように細くなっていく事だった。
「全部わしのせいじゃ」
また声が聞こえた。
背中にかかる重さは増し、僕は腕立て伏せの限界が来て潰れたような体勢になったが、容赦なく背中、腰に重みがかかる。黒い煙のような何かに潰されそうだ。
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ようやく映像が途切れたと思ったら場面が変わった。
見える映像はそいつが立った状態で始まった。
枯れ枝のようなそいつの手を誰かがつかむ。「わしのせいじゃ」さみしそうな声が聞こえる。口々に周りの痩せた男女が何かを言ってそいつの手をつかむが、その手を振り払って歩き出した。だが少し歩くだけで息切れするようで視線が足元に落ち、枯れ枝の様な腕は膝を掴む。ボロボロの形だけの粗末な草履に今にも折れてしまいそうな細い脚。もう何日も何も食べていないのだろう。
「わしが決めた」とそいつは独り言を言った。
「村に子が生まれても、食うもんのない母からは乳が出ん。生まれたての赤子に何を食わすことができる? 何もできん。もう村には何もない。周りにもない。仕方ないじゃない。わしが決めた……」
と呟くと男から小さく嗚咽が漏れていた。
「すまなんだ、すまなんだ……全部わしじゃ。わしが決めた。これもわしが決めた」
そう言うとまた歩き始めた。休み休み歩くと小さな村が見えてきた……あ、ここだ。ここに着いた。そいつはふーっとため息をつくと、粗末なボロ家に入り板の間の床に寝転がった。
「これでいい。わしが言い出してわしが決めた。もうわしは働けん。わしがいても村の連中にとってええことは無い。わしが食うもんは動ける者でわけあえばええ。今さえ、せめてこの月さえ乗り切ればきっとまた雨が降って作物も育つ。今だけじゃ」
そう言うと静かに目を閉じた。
ぐっとまた背中が重くなった。
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これは……本当に子泣きじじいなのか? 妖怪なのか?
そうは思えない。霊はいないとウミは言った。じゃあこれはなんなんだ? 霊でも無い、妖怪でも無いモノ。
もっと知りたい。この重くて悲しいモノの正体を僕は知りたい。知らなきゃならない。だって救われてない!
昔、ここを通った誰かもこの重さを経験したんだろうか? その時の体験を人に語りそこから子泣きじじいという形で後世に残ったのだろうか?
教えてくれ、あんたはナンだ? ここで何をしているんだ?
ウミが、そしてユイも僕を助けようと駆け寄ってきた。声にならない声で僕は喉の奥から言葉を絞り出した。
「これは俺の仕事だ……大丈夫……知らんけど」
と最後はおちゃらけて言ってはみたが、重さはどんどん重くなる。息が苦しい。重さに肺から空気が押し出される。
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「わしが決めたんじゃ」
はっきり耳元で声が聞こえた。僕の問いかけに答えた?
「全部わしが決めた。わしのせいじゃ」とそれは話し続けた。何度も聞いた言葉だ。
「あんた、この下の村の長だったのか? あんたが子供の間引き……を決めたのか?」
「わしが決めた、わしのせいじゃ」
「俺はだれのせいとか聞いてない! あんたが決めてそれをやったんか」
「わしが決めた」
「飢饉のせいか?」
「ああ、ひどい年じゃった」
そいつはこんな事を語り始めた。話している間くらい重量かけるのやめてくれよ…容赦ないな、マジ。
日照りが続き水が干上がり、作物は枯れ果て皆が食うに困り、道に生えてる草、木の皮、虫すら何でも食った。村人は日々やせ細り湧水を飲んで飢えをしのいだ。そんな状況の中、自然と子は生まれる。生まれても母親は栄養失調で乳も出ない。出たとしても十分な栄養なんて与えられるほどの物は出ない。結局衰弱死が見えているので村長の立場だった村の長だったそいつが泣く泣く手をかけていた。子泣きか…子を亡きにするじじいだったのかもな、あんた。
そこらじゅうの食べられそうなものを動ける者が取りに行ってはシェアしていたが、体力のない老人から衰弱していきバタバタと死んでいく。そこでまたそいつは決めた。「もう食料を取る事もできない年寄りは村を出るべし」今をしのげばきっと来年は良くなる。だから今年、今をを乗り切るために、働ける者たちを少しでも生かすために年寄りを切り捨てる。その決断をしたと。
「わしが決めたんじゃ」とまた言う。
そのいわゆる姥捨て山としてここを選んだ。全く農作に向かない地でとっくに放棄された村。そこに見放された年寄りを、自分で歩ける者が自ら歩き、歩けない者は背負われて連れてこられる。どんな気持ちだったんだろうな。
「わしのせいじゃ……」また言う。
その決断をした村長——こいつはまず一番最初に自らの足でここに来て、最初にここで死んでそのままここにいる。
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「わかった、じじい。あんたはその時のみんなの思いを自分で背負ってここにいるんやな? 生まれてすぐ母親の乳の味もわからぬまま消えざるをえなかった赤子たちの思い、捨てられた年寄りたちの思いをお前はここでずっと背負ったままずっとおるんやな?」
また慟哭。さっきより重い……苦しい。
「それからあんた、自分が死んで次から次にくる年寄りたちが死んでもずっと誰かに気付いてほしくてここで泣いてたんか?けどな、もう誰も通らんよ? こんな場所。とっくに人から忘れ去られて久しい地でずっとあんたはここにおったんやな?」
叫ぶような泣き声に変わる。
「ソ……ソラ君。大丈夫? 何が起きてるの? ふざけてる?」
ウミには見えていないのか。やはり霊じゃないのか。偏光サングラスにしても見えてないんだな。まぁ背中で何が起こってるかなんて僕にもわからん。でもなんかおるのは間違いない。何よりこの重さ。まだ声が出るうちに聞いておこう。
「ユイ……これは何? なんか見えるか?」そばで心配そうに見ているユイに尋ねる。
「私にも見えない。でも明らかにソラの背中に何かありそうなのは感じるけど……ゆらぎかしら?霊でも妖怪でも無いわ。おそらくこれはここに残っている誰かの『念』じゃないかしら。念、恨み、思いは私でも可視化できないのよ」
「念が残るってこういう事か」
とっくに体もなんも無いのにこの重さ……重いな……おもい……思い……。
こいつ、みんなの恨みや悲しみを全部自分で背負った気になって、死んでからも、霊体すらなくなっても思いだけが留まってここに囚われているのか。誰にこうしろと言われたわけでもなく、自分の後悔、慚愧の念か。
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「じじい! 聞こえるか? あんた、もういいんだよ。とっくに誰もここにはいない。あんたを恨んで死んだ霊なんていない。俺らが霊も妖怪もいないって確認してる。ここにはなんもないんだ。あんたの思いだけが何百年もここでとどまってるんだ。もう十分だよ。いいんだよ。楽になっていいんだ。もうみんなとっくに楽になってるんだよ。あんたが、あんたの後悔の念だけが、みんなの思いを背負っていると思い込んで離れられないんだ。もう楽になれ!」
と叫んだ。
……だがさらに重さが増した。自分の思いを、重いを知れって事か?
この頑固じじい! もう肺が潰れそうで声が出にくい。
「ウミ、できるかどうかわからんけど、下してくれ! ここの連中!」
咄嗟に思いついたことをかすれる口で伝えた。
「下ろす?ここに?」と怪訝そうなウミだが、そこは天才、1を伝えると10理解してくれる。その場でウミは手を合わせて読経を始めた。ユイは潰されそうな僕のサポートで祈りを捧げてくれている。フッと少し呼吸が楽になる。
「般若波羅蜜多~」
弔う用意なんてしていないので、いつものジャージ姿、お香も鈴も何もない即席の読経だ。
しばらくすると上空から綿のような物が落ちてきた。
「ユイ、ごめん、悪いけど俺のメガネをポケットから出してかけさせて。裸眼じゃ見えん……」
僕、乱視やし。
ぼやっと綿のように見えていたのは人の形をしていた。老人や小さな子供たち。それらは僕の周りに集まってきて次々に覆いかぶさってきた。
おいおい、これ以上おぶさってきたら死ぬ……重…と思ったら逆で、1人背中におぶさるごとに体が軽くなっているる?2人、3人と乗っかられるとどんどん僕は楽になっていく。子供らは手をつないで一気に「どーん」と背中に飛び乗ってきた。
軽い衝撃を受けた後スッと背中は軽くなり、這いつくばった姿勢から立膝をつけるほどに……。
僕に乗っかった後、子供たちはあっちの方に連なって駆けていった。嬉しそうに。
年寄りのたちの霊は僕の周りに残っていた。
「もうええんやで、じじい。誰もじいさんを責めてないやん」と呼吸が楽になった僕が言う。
目の前の痩せたおばあさんは、地面から飛び出している骨に手を合わせて拝んでいる。その隣のおじいさんは痩せているけど微笑みを浮かべている。見ればそこら中の年寄りたちは微笑みを浮かべているじゃないか。
「誰も最初からじいさんを恨んでなんておらんて……」
また1人分軽くなった気がした。じじいの分か?この消えた重みは。
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向こうに行っていた子供らが手に手に壊れた玩具を持って帰ってきた。竹とんぼの軸、コマ、こっちの子は風車の棒だけか?そんなんで遊べへんやろうに。
みんな嬉しそうに笑っている。遊びたかったんか…みんなで。
また激しいじじいの泣き声が聞こえた。
「もうええんやで」
そう言って僕は手を合わせた。ユイは最初から最後まで祈りの姿勢を崩さず、祈り続けてくれていた。
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今度は空から下りてくれたみんなをまた空に返すために、きちんと弔いの準備をした。
香炉を焚いてお鈴も用意して、袈裟をつけたウミが読経を始める。
子供らが遊んだ後のおもちゃを僕の周りに置いていく。「そんなんいらんて、片付けめんどうやから。持っていけよ」と小声で言いながら空に上がっていく子供らに手を振る。来てくれてありがとうな!
じいさんばあさんの霊たちも手を合わせて上がっていく中、一人の老婆がユイに気づきユイの祈りのために結んだ手をそっと上から握って、深くお辞儀をして上がっていった。
それからは次々とユイの手を握り、お辞儀をして上がっていく。
どういうことだ?
最後に残った霊が周りを見渡し、地面から突き出た骨のそばにくすぶる小さな火のようなものを両手で包み込んでから、ゆっくりとお辞儀をして上がっていった。
あれがじじいの念なのか?
いつの間にか泣き声はもう聞こえなくなっていた。上でいっぱいみんなと話したらええぞ、じじい。
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「なあユイ! なんでみんなお前の手を取ってから上がっていったんだ? なんかええことあるんか?」
「知らないわよ。昔の霊に知り合いなんていないし」
「子女神でもご利益あるんかの?」そう言っておもむろにユイの手を握ってみた。
弁慶の泣き所に激痛が走った。
「あんたほんとにバカね!」と耳を赤くしたユイに言われた。
耳が赤いって指摘するとハイキックが来そうなので黙っていた。
さぁ山を下りるか!
先頭切って歩き始めた僕の後ろ姿を見てウミが「あっ!」と声を上げた。
「え? なんかおるの? 背中にまだ誰か憑いてる? やめてよ~弔いミスったのウミ?」と慌てる。
ユイがそっと僕のスーツの襟から何かを取り出した。
……壊れた風車の棒。
あのクソガキ……。
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*(第20話へ続く)*




