150話 敵(かたき)
怒りの表情でアオは崖を飛び降りた。
こいつ、密偵だから他の人より耳がよかったんか!まさか上まで聞こえてるとは。
でもアオ、カッコよく飛び出てきたのはいいけど、あ~あ、ぬかるみに膝まで埋まって身動きとれんようになってるやん。
「アオイさんを殺したのはお前か!素手のアオイさんの首を鎌で掻き切ったのはぁああああ!」
アオが激昂している。
初めて見た。ライオンの咆哮のような声を上げ、目玉に迫ろうとしている。
まあ、足を取られて一歩も動けていないが。
「アオ、落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!こいつが!こいつが!」
「落ち着けって言うてるやろが!アオっ!」
僕も珍しく声を張り上げた。
ギョッとした目でこっちを見つめるアオ。目玉もこっちを見ている。
「今のお前に何ができる?」
「え……」
「アオイさんの霊刀でも斬るのに難儀していたブツブツの、その最下層にいた目玉の親玉に今のお前が何をできる?覚えたての般若心経でも唱えてみるか?」
「……」
「お前に、俺みたいにこいつをぶん殴る力があるか?」
そう言って僕は、今までぶん殴り続けていた右手を見せる。
「ソラさん、これは」
金剛杵を握った拳から二の腕にかけて、紫色の斑点が浮き出ている。
「アオ、近くで見るの初めてやろ?怨霊をぶん殴ると、多少なりとも念に体は浸食されていく。サチの時も岡豊城の侍たちを引き剥がす時もこうなったなぁ。お前にもできるかどうかやってみるか?お前ならできるかもしれんけど、これ結構体にこたえるんやで」
何体もの目玉を腕力だけで殴って引き剥がし続けた僕の右手は痙攣している。もう指が金剛杵を握った形で固まって指は伸ばせない。
ほれ、と金剛杵をアオに放り投げようとしたけど、やっぱり指から離れなかった。
「そんなになるまで……」
「だって手が痛いから、もう疲れたからここまで、なんてできんやん。相手がもうええ言うたら喜んでやめるけど、助けて、助けてって求められてるのにこっちの都合でやめれるか?今日はお前で終わり!なんてよう言わん」
「なんでそこまで……」
落ち着いてきたアオが尋ねる。
「だって、お前、みんなぶん殴られて引き剥がされて解放された後は、ありがとうって言ってくれるんだぞ。俺なんて力任せにぶん殴っただけなのに。本当にありがたいのは拝んでくれているお前や、ウミ、リーちゃん、ユイだろうに。俺なんて下処理しかしてないわ。でも俺にもありがとうって言うてくれるんもおるんや。やめれるか」
「ソラさん……」
「お前、俺も救おうとしているのか?」
唐突に目玉が口を開いた。口?どこやろ?
「目玉、お前、山賊の頭領やったんやな。そこの元気なやつの言う通り、俺らの仲間の敵っちゃ敵やな」
「ああ、そうだ。わしが悪い」
「ただ……アオ、お前が怒るのは筋違いだ」
「え?だってアオイさんの……」
「そりゃそうだ。でもな、お前が言う運命のアオイさん、もしこいつが村を襲撃してなくてご健在なら、今は七十歳前やぞ」
「あ……」
「お前の運命は、自分のおばあさんくらいの相手でも適用されるんか?」
「例えばさっきの村で、生存しているアオイさんがいたら、お前は一目惚れしたのか?いや、そもそも無事だったら、アオイさんもその後再婚して子供も生まれて、孫もおるかもしれん。人妻の……まあ霊になった今も人妻のままかもしれんけど、それでもお前は運命やって言うんか?」
「それは……」
「他人の奥さん、おばあちゃんにお前は横恋慕すんのかっちゅう話や!」
「いえ、それは……ないと思います」
「アオイさんが殺されるのが運命だったとは思わん。偶然や。で、亡くなった時のままの姿でお前に今会えたのも偶然。お前とアオイさんに過去に何があったかなんて、俺は興味ない。たまたま霊になっていたアオイさんにお前が出会った。それだけの話や。その原因となった頭領を、お前が断罪する権利はないぞ。この目玉がおらんかったら、お前らは出会えてない。そしてそれは運命でもなんでもない、たまたまの連続の結果。アオイさんしかこいつを罰する資格はないぞ」
「はい。ソラさんのおっしゃる通りです。僕が浅はかでした」
「でも、他人のためにそこまで怒れるお前は美しいよ。俺も誇らしい」
「ソラさん……」
「ま、最後の目玉がアオイさんを殺した山賊の頭領だって話は、みんなには黙っておこう。今さらアオイさんの敵だなんて言ったって、アオイさんも複雑だろうし」
「はい、もちろんです。アオイさんには決して知られてはいけないと思います」
「え~と、ソラ、ごめん」
ユイの声が頭に響く。
「あのね、戦闘中はそっちで何が起こっているか、みんなで共有すべきだと思って……今までの会話、全部筒抜けに……」
え?
全部?
アオイさんにもバレちゃった!
「あなた……あなたでしたか。タクミが殺したと聞いていましたが、まさかこんなところで会えるとは……」
疲れてふらふらになっていたはずのアオイさんが、ゆっくりと穴の中に下りてくる。
「アオイさん、来ちゃダメだ!帰って!」
アオが必死で止めるが、アオイさんは静かに首を振る。
「アオイさんはどうしたい?このまま穴の底に埋めて封印する?本人はそうしてくれって言ってるけど。気を晴らしたいなら、その霊刀で切り刻んで跡形も残らないくらいにして、永遠に葬り去ってもいいと俺は思うけど」
黙ってアオイさんは、山賊の頭領だった目玉に向かい大上段に構える。
今、ここで復讐する権利があるのはアオイさんだけだ。僕に止めることはできない。
大きな目玉は目を瞑った。
大上段から太刀一閃。
目玉は真っ二つに断ち切られ、左右に分かれて泥の中に沈んでいった。
静かに刀を鞘に納め、その様を眺めているアオイさん。
「ソラさんの鬼子母神より綺麗に斬れましたね」
緊張感のない声で、サトちゃんが穴の上から声をかける。
沈んだ泥の中から半透明の霊体が浮かび上がり、キョロキョロしている。
「頭領の因縁を切り離してあげたの?」
アオイさんに問う。
「はい。私も過去の因縁は切り捨てましたから」
アオイさんは微笑む。
「山賊の頭領さん。タクミもこれから自分のしたことの責任を問われ、罪を償います。あなたもそうしてください」
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「ユイ、これで全部だわ。始めよう。ウミ、頼む」
「了解」
ウミたちは一旦やめていた読経を再び始める。
ドロドロになったアオも自分の持ち場に戻り、一生懸命に般若心経を読んでいる。
もう迷いはなさそうやな。
「ユイ、サチ、この人らの魂をアデヤさんの元に……」
軽く手を上げて了解のサイン。
ユイは祈りの姿勢をとり、サチは上がっていく魂を導く。
「ありがとう~」
「さようなら」
「また会おうぞ」
最後、なんか嫌な感じの声も聞こえたが、みんな無事に上がっていけているようでよかった。
アオイさんは体力を使い果たしたのか、息を切らしながらサトちゃんの中に戻っていく。
「あれだけ頑固に抵抗してた魂も、ひょっとしたら家族に会えるかもと思うと、すんなり離れてくれたなぁ」
サトちゃんに言うと、
「みんな、きっかけが欲しかったんですよ。このままじゃダメだと思った時でも、周りがいるんで安心しきって何十年も経ったんですね。でも不思議です。ものすごい怨念を感じたのに、なんでこんな穴の中で何もせずにいたんでしょう?」
そうやなぁ。
ぶん殴っておきながらなんだけど、こんだけ力があったら悪事を働いてもおかしくないわな。
「ウミ、ほぼほぼ終わりかな……」
声をかけると、ウミが目線で広場の端の方を示す。
一体、なかなか上がれない魂がいるのか。
あ、あれは頭領か……。
まだなんかわだかまってるのか、思い残したことがあるのか。
そこへユイが近づいていく。
と、突然、頭領の霊を抱きしめた。
え?
なんで?
みんなが訝しげに見つめる。
「ねえ、あなた……。タクミに殺されてから、ずっと他の浮かばれない霊、怨霊たちを守ってきたんでしょ?」
え?
守ってきたって?
なんだそれは。
「どす黒く淀んだ魂たちは、自力で上がりたくても上がれない。私たちみたいなのが来ない限り、そこにいるしかないものね。その人たちの苦しみ、悲しみ、怒りの感情や念も、全部あなたがまとめてあそこで抑え込んでいたのよね」
頭領がか?
「自分たちが害した人たちが、さらに他の人に害を及ぼさないように。罪を重ねないで済むように。悲しい思いをした魂が、さらに悲しい思いをしないで済むように。ゴミ捨て場の底で、あなたはじっと彼らの魂を抑え込んでいた」
自分が奪った魂を、悪事で汚させないように守ってたのか……。
「ごめんなさい。アデヤ教がもっとしっかりできてたらよかったんだけど。あなたみたいな人に負担をかけずに済んだのかもしれない。でも、あなたが生前してきたことは絶対に悪。最終的にタクミに殺されたからといって、それが帳消しにはならない。奪ったものが多すぎる。でも、死んでから今日まで決して楽ではなかったはず。自分がこれまで殺してきたり、奪ってきたりした人たちの怒りを一身に受けて、抑え続けてきたんですもの」
何十年も毎日、大勢の魂になじられ続ける日々か。
きついな。
「これからあなたが空に上がったとしても、幸せになれることは絶対にないと思う。でも、あなたが死んでから今日までしてきたことを、私は認めます」
頭領の霊が泣いている。
「ありがとう。今日までお疲れ様。ゆっくり休みなさい。今日でおしまいよ。あとは空の上でのお話ね」
ユイがそう言って再びきつく抱きしめると、頭領の霊は涙を流してユイに手を合わせる。
「こちらこそありがとう。埋められ、封印される覚悟をしていた。もし俺の村が山賊に襲われていなけりゃ……いや、泣き言は言いますまい。誰もが俺のようになる可能性がある世の中だ。俺が特別だったとは思わんよ。許しを乞う気はないが、報いはちゃんと受けるわ」
「それがいい。ちゃんとアデヤさんとこで痛い目に遭うといい」
「おう、兄ちゃん、世話になったな。ありがとうよ。お前みたいなやつに跡目を継がせるべきだったな。地位に執着しすぎて、育ての子に殺されてしもたわ。後の祭りやけどな」
「跡目なんていらんわい。そんなんなるわけがない」
「そうか。でもな、覚えとけ。境遇によっては誰もが俺みたいになる可能性がある。自分の意志に関わらずな」
「でも俺はならんさ。さて、もうみんな上がったぞ。俺らも忙しいんや。そろそろ上がりな。怖い怖い女神さんが目を吊り上げて待ってるぞ」
「そうか。それは怖いの。そうだ、さっきの姉さん。すまんかったな。あの日、追いかけてきたお前の殺気が怖すぎての。一流の武芸者と対峙した時のような緊張が走って、丸腰のお前の首を斬ってしまった。すまん」
それを聞いて、サトちゃんから半身出てきたアオイさんが言う。
「刀さえあれば、あなた程度の賊は一刀両断でした。見ましたか?さっきの私の剣筋。目にも留まらぬ袈裟斬りでしたでしょ?五分の条件なら私の圧勝ですよ」
「違いねえ。俺の負けだ。完敗だ」
ニヤリと微笑んで、頭領は空へ向かっていった。
あまりに動きが遅いので、痺れを切らしたサチにお尻を噛まれながら、よたよたと上がっていき、やがて見えなくなった。
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「ところで、ソラさん!アオイさんを捕まえて『お姫様』ってどういうことですか?」
アオがしょうもないことに食いついてくる。
言葉のあやじゃん。
真に受けるなよ。
「どういうことよ!」
ユイ、お前もか……。
めんどくさいなぁ、こいつら。
「ユイ、アデヤ像は?」
「あったわよ!で、どういうことなの?説明……」
あったんかい!
*(151話へ続く)*




