137話 時(とき)
「いらっしゃい。え〜と、お子さん入れて七名さん? お水どうぞ」
町で一番大きい宿の食堂。リーちゃんがいたサイタニ屋よりは小ぶりだけど、この辺りでは久々に見る規模の宿屋だ。内装も綺麗で、店員さんも若い子が多い。
「あ、八名で」
とリーちゃん。
アオイさんのこと、ちゃんと数に入れてるんだな。
「は、はい。このあとお連れさんが?」
お姉さんが僕らの数をもう一度数えたので、サトちゃんがすかさず口を挟む。
「そんな感じで〜」
「わかりました〜」
そう言って、誰も座っていないように見える席にも水を置いてくれた。
空席じゃないけどな。
「アオイさん、飲んで」
アオイさんは宝物でも抱くように、両手で木のコップを持ち上げて口に運ぶ。
でも物理的には、コップはテーブルの上に置かれたままだ。冷えた木の表面には結露まで浮かび、水もなみなみと入っている。
それなのにアオイさんは、手にしたコップから音が聞こえそうな勢いでゴクゴクと飲み干した。
「美味しい……」
小さく呟く。
あんな山の中で斬り殺され、誰にも見つけられないままずっといたんだよな。助けを求めて、お花も水も供えられないまま。
「僕のお水もどうぞ」
ウミが自分のコップを差し出す。
アオイさんは遠慮がちにそれを受け取り、また両手で持って飲み干した。
僕らに見えているコップは動かず、水もそのままだ。
水そのものじゃなくて、そこにある何かを霊体のアオイさんがいただいてるのかな。
「アオ、残ってる水飲んでみて」
「僕ですか?」
アオイさんが飲み干したはずの水を、アオに試飲させてみる。
アオにはまだアオイさんがよく見えていない。僕らの動きで何をしているかは察してると思うけど、見る力は弱いんだな。
一方のアオイさんはアワアワしている。
男前と間接キスになるのを気にしてるのかな。かわいいな。
ギロッとユイがこっちを睨んだけど、そういう意味じゃないから。
「じゃあ、いただきます!」
アオが水を飲み干し、首を傾げる。
「どうした?」
「これは……」
「これは?」
「水です!」
「当たり前のこと言うなよ。最初から水やが」
「いや、そうじゃなくて……なんでしょう。湯気を集めて水にした時の味に似てます」
「湯気?」
「隠密の技術を教えてくれた師匠が、泥水しかない時の飲み水の作り方を教えてくれたんです。水を沸かして、その湯気を集めるんですよ」
「ああ、蒸留水みたいな感じかな」
ウミがもう一つのコップを飲む。
「確かに。真水に近い感じかもね」
またアオイさんが照れて両手で顔を覆った。
どこのお嬢様だ。
ユイがまた横目で僕を見ているけど、知らん知らん。
「じゃあ料理もじゃんじゃん頼んで。アオイさん、お腹いっぱい食べて。残った分は僕らが食べるから」
ウミとアオがサムズアップ。
大食い二人……いや、横を見るとサトちゃんまで親指を立てている。
そうだった。この子も無尽蔵だった。
一鶴で、めちゃくちゃ硬いおや鳥を四本食べてたもんな。二羽分だぞ。おや鳥は量より顎が死ぬんだよ。味は濃くて美味しいけど、とにかく硬い。それを意にも介さずもりもり食っていた。
「お姉さん、テーブルに乗るだけ料理持ってきて!」
皆から拍手が上がった。
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「食った食った〜。アオイさん、お腹いっぱいになったかな?」
借りた宿屋の大部屋に、みんなで集まっている。
コーチの殿様がこの辺りを視察する時、泊まったり休憩したりするための部屋らしい。殿さんが発行してくれた書状のおかげで融通してもらえた。
どっから見ても変な格好をした怪しい集団だから、不都合があったら見せろと言われて渡された花押付きの身分証明だ。
助かる。
「皆さん、ありがとうございます。こんなに美味しいご飯は今まで食べたことがありませんでした。貧しい村でしたので、白米もこんなに一度に食べたのは初めてです」
「声も元気になったね。じゃあ今後のことを相談していい?」
「はい。タクミを探したいのはやまやまですが、生きていればもういい歳ということですね。普通に育っていても五十近いともなれば、亡くなっているかもしれません」
「昔は寿命短いって言うもんな。平均四十歳とかやろ?」
「ソラさん、それはちょっと違いますよ」
とサトちゃん。
「赤ちゃんや子どもの死亡率が高かったから、平均寿命が下がってるんです。大人になってから長生きした人もたくさんいましたよ」
「そうだね。医療が今ほど発達してないから亡くなる人は多かっただろうけど、五十歳だから珍しいってほどじゃないと思うよ」
とウミ。
「じゃあ、タクミさんは生きている前提で探そう」
話を戻す。
「それと、アオイさんの村は無くなっていましたが、ご親族も探しますか? 旦那さんは? ひょっとしたらまだ生きていらっしゃるかも」
アオイさんは悲しそうに首を振った。
「主人は山賊が来た時に、私を庇って殺されました。命がけで守ってもらった命を、私は無駄にしてしまいました……」
いや、子どもを攫われたらしょうがないですよ。
「アオイさんは間違ってない。死んでなお、子どもを助けようとあそこでずっと人を待っていた。そのおかげで僕らがこうして動いている。ただし……」
「ただし?」
皆が僕を見る。
「その結果が、いいものになるか悪いものになるかはわかりません。アオイさんにとって、もっと辛いことになるかもしれない。それでもいい?」
「もっと辛いこと……」
アオイさんが僕を見る。
「子どもを攫われ、その安否もわからないまま……四十年でしたか? 私はもう時間の感覚もわかりません。ただ、永遠に続くように思っていました。胸が張り裂けそうな悲しみの中で、ずっと……これが地獄なのかと思っていました」
そして静かに問いかける。
「これ以上、悲しく辛いことがありましょうか?」
「ある……かもしれません」
僕は答えた。
「これ以上……」
「それでも?」
「それでも構いません。タクミがどうしているのか知りたい。亡くなっていたとしても受け入れます。どうか、タクミを!」
「わかりました。覚悟はあるんですね?」
「はい」
「じゃあ僕の腹も決まりました。全力でお手伝いします」
「ソラ、何か懸念があるの?」
ユイが怪訝そうにこっちを見る。
僕は小声で言った。
「俺の心を読め」
ユイに、僕が考えている一番最悪のシナリオを見せる。
「!! そんなこと……」
ユイが絶句した。
「いつも言ってるやろ? スタート時点でゴールを想定して動いてるって。外れたら外れた時のシナリオを用意する。分岐点に来るたびにゴールを変える。その中で、一番起きてほしくないものを見せただけや」
「……そうじゃないことを祈ろう」
「そうやな」
僕はみんなを見る。
「アオ、聞き込み頼む。山賊がまだいるのか。最近、この町や周辺で被害があったのか。あれば人数や規模も知りたい」
「わかりました。町中で聞いてきます!」
「アオイさんの話だと、この町出身の山賊もいるかもしれん。身内や間者がおる可能性もあるから気をつけてな」
「わかりました!」
そう言うと、アオはとっとと宿を飛び出していった。
「サトちゃんは、アオイさんの村について知っている人がいないか聞いてみて。生き残った人がこっちに逃げてきて住み着いた可能性もある」
「了解、任せて!」
「ウミは代官んとこに殿さんの書状持って行って、山賊についてどこまで把握してるのか、どんな対処をしてるのか聞いてきて。殿さんの食客って言えば、ぞんざいには扱われんやろ」
「わかった」
「ソラさん、私は?」
「リーちゃんはアオイさんの話をいろいろ聞いてあげて。今後のケアに役立てたい」
「送らないんですか?」
「結末わかったから、はい、アデヤさんの元へどうぞ……とはできんわ。俺にとって四十年は長すぎる」
『イングリッシュ・ペイシェント』なんて映画、見なきゃよかった。
数日、愛する人を置き去りにするだけでも、あれだけ苦しい。
それが四十年だぞ。
「アオイさんには、この世に生まれてきて良かったって思ってから送りたい」
「ソラさん、そういうとこ好きですよ」
リーちゃんが言った。
え?
と思う間もなく、ユイが立ち上がる。
それを見てリーちゃんは笑った。
「ウミさんの次に、フフ」
サチが、くぁ〜っとあくびをしながら伸びをした。
*(138話へ続く)*




