132話 返礼
「アオ、いけるか?」
「はい、多分大丈夫です」
僕らは遠藤さんの仏間に来ている。
仏壇の中にあるご位牌に向かって、アオは空中に何やら指で書き、両手で印のようなものを結ぶ。モザイクがかかったように見えていたご位牌が、一瞬はっきりと見えた。
「ソラさん、お願いします!」
「ほいきた!」
そう言って、用意してきた箱にご位牌を入れる。ご本尊さんもタオルにくるみ、クッション材代わりに丸めた新聞紙を放り込んで蓋をした。
そこにウミが組紐をグルグルと巻きつける。
アオ自身に霊を封じる力があるわけじゃない。大学で教わってきた通りに手順を踏んで、最後は善通院さんから預かってきた組紐で箱をグルグル巻きにする。これも空海様由来の紐らしいけど、怖いから詳しくは聞けない。
……うん、静かになった。
「ウミ、リーちゃん、悪いけどご本尊さんも動かしたから、一旦読経あげてくれる?ご先祖様とか、おっきいおばあちゃんのご位牌もあるし」
「うん、任せて」
そう言ってウミとリーちゃんは仏壇の前に座り、読経を始めた。靄が晴れるような感覚がある。これまで仏壇から漂っていた嫌な雰囲気は取り払われた。
ここに来るまでが大変だった。
アオと一緒にここへ来るなり、奥さんが立てていた蝋燭が倒れる。お供え物が飛ぶ。鴨居に掛けてあった遺影が落ちて、額のガラスが割れる。
いや、これ普通に人がおったらケガするところやん。
まあ、額はいつも遺影を作ってくれる写真館に持って行けば、いくらでも交換してくれる。
「奥さん、旦那さんの遺影が落ちたけど、額縁交換する?」
「額縁なぁ……それやったら、お父さんのもっと男前の写真あるから、写真ごと替えようかな?亡くなった時は慌ててたからそんなんしかなかったけど、これで作り直してもらえるかな?」
そう言って取り出してきたのは、どこぞの結婚式の二次会かなんかで、ご陽気に頭にネクタイ巻いて踊ってるところ。
「いや、これはちょっと陽気すぎへん?」
「辛気臭い写真、毎日見るのいややん?アホみたいにはめ外してる陽気な写真にしたいわ。この人ほとんど笑わんかったから貴重なんよ、それ」
なるほどなぁ。
「わかった!でもネクタイの鉢巻きはさすがに外すで。写真屋さんプロやから、ええようにしてくれるわ」
「ほんだら、もうちょっと髪の毛増やしてあげて」
「了解!」
とかいうやり取りをしていた。
しかし、ろくでもないヤバいもんが憑いてるなぁ……死神か。
ウミとリーちゃんの読経が終わる。一旦はこの家、真言宗で上書きしたぞ。
「よし、ウミ、リーちゃん、アオ、車に乗って!会館戻るぞ」
田中さんの愛車で会社に戻る。奥さんには助手席に乗ってもらい、うちの面々は後ろへ。
なんで田中さんの車かというと、八人乗りなのだ。僕の車をぶつけたんだから貸せ!と言ってキーを奪って乗って来た。
この道にはちょっとでかすぎるけど、多少擦ってもいいや。既にあちこちぶつけた跡あるし。
ホンマ下手くそやなぁ、田中さん。
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友引なので、今日は会館にお客さんは入っていない。貸し切りなので、二階の広間をぶち抜きで使う。
祭壇はどうしたもんかと思ったけれど、元々神道から派生した集まりだったってことなので、神式の祭壇を組んだ。別に葬式でも何でもないけど、奥さんに「前夜祭」って宣言したので、それっぽくしないとね。
「サトちゃん、手伝いサンキュー」
そう、お供えの用意や飾りつけはサトちゃんがやってくれた。祭壇はあらかた組んでから出たんだけど、鯛や果物はフレッシュなのを飾ろうと思ってたから。
「おい、ソラよ。お前の腕前見せてもらおうかの」
淵さんが、誰もいない参列者用の椅子の最前列に座ってる。
「休みやったんちゃうんかい」
「お前がおもろいことするって言うから見に来たんじゃ」
パンチにスーツだと、その筋の人にしか見えんぞ。無駄にでかいし。
もう一人、横にいるのが田中さん。
「あんた、事務所におらんでええんか?」
「ええんよ。事務員さんいてるし、なんかあったら携帯鳴るし」
「音、切っときや。前、司会してる最中に鳴らしてクレーム受け取ったやろ」
しょうがないおっさんである。
奥さんには最前列の椅子に座ってもらっている。
「奥さん、今からやることは仏教でも神道でもない、ごちゃまぜのでたらめな儀式です。お父さんと息子さんは明日ちゃんとご自宅で法要をしますので、今日は……」
「お祭りなんやろ?ソラちゃん。好きにして。私は見ておくだけ」
そう言って笑う。
「はい。じゃあ色々起こりますけど、びっくりせんといてくださいね」
「はいはい、見ときます」
「あと、今から見るのは夢みたいなもんですから忘れてください。あまり見たらいかんもんです」
「忘れるわよ、ソラちゃん」
「淵さんと田中さんも……あと、隠れて見てる社長もな!」
「了解!忘れる」
社長の声がどこかから返ってきた。
「OK。じゃあ、これより悪霊払いの儀を執り行います!」
そう言うと、アオが祭壇の前に封印した箱を置いて組紐を解き、蓋を開ける。中から大日如来と二つのご位牌を取り出して三宝の上に並べ、空中に文字を描き、印を結んだ。
アオがやっているのは、あくまで教わった手順通りに形を作ること。最後に手のひらを広げると、ご位牌にかかっていた封じが解け、またモザイクがかかったように見え始めた。
「ユイ、隠蔽解けるか?」
「無理、今の力じゃ……」
「ウミ、リーちゃん、ユイを手伝って。こっちの世界だと逆に真言宗のほうがアデヤ教より力を出せるはず!」
根拠は無いけど言い切ってみた。
ウミとリーちゃんの読経が音楽を奏でる。ウミの朗々とした低い声にリーちゃんの高い声が重なり、まるで歌のように聞こえる。思わず社長が「おおっ」と声を上げるほどだった。
その辺の寺の住職より朗々と響く低音と、リーちゃんの高音とのハーモニーが絶妙だ。その声に背中を押されるように、ユイが集中して祈りを捧げる。
突然、大日如来様の像の後ろから、
「キャキャキャキャキャ」
と、高い笑い声が聞こえた。
黒い顔の老婆の姿が見える。
こいつが隠れてたやつか。
大日如来様からするすると抜け出るように現れた老婆は、やがてはっきりと人の姿になった。
遠藤さんの奥さんは椅子からのけぞるようにして驚いている。その後ろに座る淵さんと田中さんも、思わず椅子ごと後ずさりしている。
「あっ!おい、あんた、鏡なんたらいう婆さんやないか?」
隠れていた社長が姿を現した。
「その格好、見覚えがある。天霧城の採石場近くの一軒家で孤独死しとる人がおるって、警察から連絡があってお迎えに行ったぞ。身元引受人がおらんから言うて、そのまま火葬場に行って無縁になったやつや」
あんた知っとったんか!天霧城の砕石場って吉原町のすぐ上だ。死んで下りてきたんか。
あれれ?最初から社長に聞けば一発でわかった感じ?これ。
「ああ?誰が無縁じゃ、誰が孤独死じゃ、このチビスケ!わしは教祖ぞ。未だ皆から慕われ、崇め奉られとるわ」
こいつ、自分が死んだことに気付いてないんか。
孤独死ってことは、もう死ぬ前に信者たちが離れて行ってたんや。アオやサトちゃんの調べだと、鏡光子が死んで聖光鏡会は解散したってことになってたけど、現実はちゃうかったんか。
「わしの祈りで救われる人間がいっぱいおる!だから死ぬわけにいかんし、死ぬわけがない!」
「待て待て。そこにお前を火葬場に連れてったっていう証人がおるやないか?死んだのに、頼まれてもいないのにに色んな人に呪いをかけて殺していってるんか?自分の死を受け入れてないだけやろ?自分では呪っているつもりでも、それがそのまんま返ってきて、死んでも死にきれてないだけちゃうか?なんぞその黒い顔は。誰にも求められてもないのに呪殺して自分の存在意義をアピールってか?頭おかしいんちゃうか?」
昨日アオが言ってた、人間の傲慢さだな。もろにしっぺ返しを食らって、死神みたいな存在になっとる。みたいな、じゃなくて死神になってしもうたんやな。
「うるさい!わしは不滅じゃ。神になったんじゃ!」
「神がなんで人の家の仏壇に入り込んで、人を祟って殺しとるんじゃ!神は神でも死神やろ!ただの人間だった聖光鏡会の鏡光子!」
「その名を呼ぶな!お前も死にたいんか?わしの、わしの祈りを舐めるなよ!」
はぅ……胸が苦し……く……なん……じゃこれ……。
祈りじゃなくて……呪いやないか。
「これが神の祈りの力じゃ。ほれ、そこのハゲも」
鏡光子が社長に手を向ける。
「おぉ……心臓が……握られ……はぁ、はぁ……」
社長まで苦しみだした。
あかん。
「おぅ、そこにおるんは、いつもわしにお供えをしてくれる女か。お前の旦那も息子もおるぞ。とっくにわしの信者じゃ。お前も……」
あ、遠藤さんの奥さんにまで手をかける気か!
「詩歌……様」
僕が声を絞り出すと、辺りに霞のようなものが立ち込め、雅楽の音色とともに、ゆっくりと美しく着飾った詩歌様が現れた。歩くでもなく、床面を滑るように優雅にするすると入ってくる。
田中さんと淵さんは口をぽかんと開けている。アホ面とはこのことだ。
「すまぬ遅くなった、ソラよ。この世界では準備に手間取ってしまっての。許せよ」
そう言って手に持った鈴をバッと横に払うと、今までの苦しさが嘘のように収まった。社長もハァハァと息を整えているが無事のようだ。
良かった。
「お前はなんじゃ!その格好はどこぞの神社の巫女か?取り込み中ぞ。何用じゃ?」
死神が問う。
「誰に向かって口を利いておる」
詩歌様が鈴を横に軽く振ると、死神は真横の壁にドーンと吹っ飛んだ。ひどく打ち付けられて床にズルっと落ちる。
「我に問うお前こそなんじゃ?己を神と言うたか?どこの国の神じゃ?言うてみぃ。北欧か?」
また鈴を反対に振る。シャンと鈴がなると死神が反対側へ飛んで行き、壁にぶつかる。
「ギリシャか?」
反対側へ。
「ケルトか?」
また反対側へ。
「メソポタミアか?エジプトか?インドか?」
詩歌様が左右に鈴を振るたびに、死神は壁にぶち当たっては床に転がる。
社長がハラハラしながら壁の様子を見ているが、死神の質量は少ないようで、それほどダメージは無いようだ。ホッとしている。
そっちの心配かい。若干石膏ボードが割れてるけど、直せる直せる。
何度も容赦なく壁に叩きつけられ、ボロボロになった死神が、
「わ、わしは……日本の……」
と呟いた。
その瞬間、詩歌様は両手を揃えて上に上げた。
「お前など知らぬわ」
下から上にゆっくりと手を持ち上げてから上から下に一気に鈴を持った手を振り下ろす。
死神は一旦天井まで持ち上げられたかと思うと、床に思い切り叩きつけられ、動かなくなった。
「お前、ソラをも殺そうとしたな?」
詩歌様は冷たい目で、動かない死神を見下ろしている。
遠藤さん、淵さん、田中さん、社長はこの様子を見て全員呆然としている。
「シカちゃん……詩歌様、これこのあとどうします?」
「祓う」
だよなぁ。それしかないな。
「詩歌様にお任せしていいですか?」
「無論」
詩歌様が答えた時、遠藤さんの奥さんが、
「待って!」
と声を上げた。
「最後に、なんでうちの家に憑りついたのか知りたいの!教えて」
転がったまま、死神が答える。
「山からおりて彷徨っているうちに、ちょうどいい塩梅の家があったからよ」
「たまたま……ですか?」
「たまたまじゃ。居心地の良さそうな家で、ちょうど婆さんの葬式の後か。坊主も仏も火葬場に行って空っぽじゃ、人も誰もおらんかったから入った」
「それで、そんな理由でうちの主人と息子は死んだんですか?」
「カカカ、人はいずれ死ぬ。遅いか早いかじゃ。嘆くことか」
倒れたままの死神が笑いながら答える。
「うちの周りの家の人たちもですか?」
「神も腹が減るからの。食わずにおれるか」
「人の命を、ですか?」
「人の命も、じゃ」
「そうですか……お待たせしました」
納得したのか、奥さんは詩歌様のほうを向いて頭を下げた。
それを見て詩歌様が頷く。
「散れや」
一言呟くと、祭壇の鏡が大きく光り、死神に向かって光の束が放たれた。
「ぐあああああ!」
死神が苦しそうに呻きながら抵抗する。
その時、奥さんがおもむろに立ち上がった。履いていたスリッパを右手に持ち、死神の頭を、
スパーン!
と思いっきりひっぱたいた。呪いのお礼やな。
その途端、抵抗していた死神は、
「あああああ……」
と叫び声を上げ、やがて光の粒になって弾け飛んだ。
「あ~すっきりしたぁ~!なんなのよ、あのバケモン」
いやいや、スリッパで頭はたくあなたもなんなんですか。
「ソラちゃん、ありがとう!すっきりしたわ。これで今夜から枕を高くして寝れるわ。さあ、これから長生きするぞぉ!」
爽やかな笑顔で笑う。
うそやん。さっき「たまたま」って死神が言った時、怒りで震えてたやん。
「詩歌様、念のために奥さんに悪いの残ってたらいかんから祓ってくれる?」
詩歌様が奥さんの頭の上で、手に持っていた鈴をシャンシャンと鳴らす。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
奥さんは手を合わせ、涙ぐんでいる。
ホッとしたんだろうな。
「ついでに、この場にいる人たちもお祓いしてあげてください」
さっき死にかけた社長、それから田中さんの頭上でも鈴を鳴らす。
最後に淵さんのところへ行ってシャンシャンと鈴を振った後、詩歌様は耳元で小さく、
「ロリ……」
と囁いた。
淵さんはきょとんとしている。まさかこれが、あのシカちゃんとは思うまい。
色々あったけど皆のおかげで明日はちゃんと法事ができる。ありがたい。
さあ片付けようと祭壇の解体にかかろうとした時、詩歌様が僕の耳元で子供のような声で言った。
「水族館まだ?」
*(133話へ続く)*




