スクリーンの向こうの、もうひとりの俺
またお越しいただきありがとうございます。
今回はしがない営業マンのもう一つの人生をご覧ください。
雨の夜、その映画館は現れる。
しがない営業マン・佐藤悠真は、いつものようにくたびれたスーツのまま帰路についていた。数字に追われ、頭を下げ続ける毎日。誰にでもある、特別じゃない人生。
ふと、見慣れないネオンに気づく。
「星屑シネマ?」
古びた看板には、かすれた文字でそう書かれていた。
中に入ると、客はいない。受付に立つ支配人が、無機質な声で告げる。
「本日の上映は一本のみです」
渡されたチケットには、こう印字されていた。
『あなたが、あの日やめなかった人生』
暗闇の中、上映が始まる。
最初に映ったのは、大学の小さな舞台だった。
そこに立っているのは——自分。
若い頃の自分が、必死にセリフを叫んでいる。
佐藤は思い出す。
演劇サークル。楽しかった日々。だが、就職活動を理由に、途中でやめた。
スクリーンの中の自分は、やめなかった。
時間が進む。
舞台は少しずつ大きくなり、観客も増えていく。
だが、順風満帆ではなかった。
オーディションに落ちる。バイトに追われる。仲間が辞めていく。
狭い部屋で、ひとり台本を握りしめる姿。
「こんなの、現実的じゃない」
かつて自分が吐いた言葉が、胸に刺さる。
やがて、転機が訪れる。
小さな役をもらい、舞台に立つ。
スポットライトの下、震えながらもセリフを言い切る。
拍手は、ほんのわずかだった。
それでも——その顔は、今の自分よりずっと、生きていた。
さらに年月が流れる。
大きな成功はない。テレビにも出ない。名前も知られていない。
だが、地方の劇場で、常連客に囲まれながら舞台に立つ“自分”。
終演後、観客のひとりが声をかける。
「あなたの芝居、好きなんです」
その言葉に、スクリーンの中の自分は、少し照れながら笑う。
その笑顔が、妙にまぶしかった。
上映が終わる。
館内が静まり返る。
佐藤はしばらく動けなかった。
成功していたわけじゃない。
むしろ、今の自分の方が安定している。収入も、社会的な信用もある。
それでも——
「……あっちの方が、いい顔してたな」
思わず、口に出る。
支配人が静かに言う。
「それが、あなたが選ばなかった人生です」
「……戻れますか?」
少しの期待と、ほとんどの諦めを込めて尋ねる。
「戻ることはできません」
きっぱりとした答え。
「ですが——」
わずかに間を置いて。
「今からでも、“近づく”ことはできます」
外に出ると、雨は止んでいた。
振り返ると、映画館は消えている。
手の中には、半券だけが残っていた。
数日後。
仕事帰り、佐藤は駅とは逆の方向に歩いていた。
小さな劇場の前で立ち止まる。
「社会人向け演劇ワークショップ 参加者募集」
しばらく見つめたあと、深く息を吐く。
そして、ドアを開けた。
特別な才能も、派手な成功もないかもしれない。
でも、あのスクリーンの中の自分が持っていたもの。
それは——
“自分で選んでいる”という感覚だった。
その夜、空き地にネオンは灯らなかった。
もう、見せる必要がないからだ。
彼は、自分の人生を、自分の目で見始めたのだから。
いかがでしたでしょうか。
皆様も戻りたい過去やあきらめたくなかったことがあると思いますが決して過去に戻ることもやり直すこともできませんが、その時の努力や苦労は消えませんのでこれからに生かしてみてください。




