久々のやり取り
議会は大いに荒れていた。ジョージが色々と調べた情報を元に大臣の横領や不正を摘発したのだ。昨日は主にタラールを責め、今日はカエドと繋がっていた大臣を追求した。連日の王太子側からの告発に豪族達は怯えた。オルハンがいた頃は慎重だった者も、王太子がセリムに変わった後から徐々に気を緩ませていたのだ。それ故にハサンがこつこつと集めていた情報とジョージから提供された情報で摘発が可能となったのだった。
そのせいで政治的機能が麻痺してしまい、セリムは午後も別館へ戻る事が叶わなくなった。サマンサはセリムからの手紙を、まだ熱が下がらない状況で読んでいた。そこには国の為に暫く午後も戻れない事の詫びと、体調が良くなるのを祈っている旨が書かれていた。
サマンサは安心と寂しさが入り混じり思わずため息を吐いた。その様子をポーラが心配そうに窺う。
「いかがされましたか? 気の滅入るような手紙だったのですか?」
「セリムさんは政務が忙しくて戻って来られないそうよ。このように大変な状況で寝込んでいる自分が不甲斐ないだけ」
サマンサはポーラに手紙を差し出した。ポーラはそれを受け取ると折り畳み、レヴィから持ってきた箱へとしまう。それからポーラはグラスに水を注いでサマンサに渡す。サマンサはゆっくりと水を飲んだ。
「せっかくいい雰囲気になられたのに残念ですね」
サマンサが何も教えてくれないので、ポーラは勝手に二人の仲が進展したのだと思っている。サマンサはポーラに朝と同じように不機嫌な表情を向けた。朝少し下がっていた熱は昼を過ぎてまた上がり始めている。サマンサは水を飲み干すとグラスを脇机に置いて気怠そうに横になった。頑張っているセリムを支えられないのが嫌で、サマンサは一日も早く病気を治そうと思ったのだ。
夕食の時間になってもセリムは戻って来なかった。セリムが戻らないのでハサンとメルトも戻って来ない。サマンサもまだ熱が下がらなかった為、軽い物を部屋に運んでもらって夕食を取った。その後で体を拭いてもらい、寝衣を着替え敷布も交換して貰う。サマンサは立ちくらみに耐えてソファーに移動し、ポーラが敷布を交換しているのを、何となく見ながらセリムの事を思い出していた。彼の腕の中は温かく安心してすぐに眠ってしまった。しかし今眠くないのは昨日からずっと寝ているせいかもしれない。
昨日より手際よくポーラが交換を終えたので、サマンサは再びベッドに戻った。夜は家政婦長が代わりに看てくれる事になっているので私はこれで失礼しますと告げて、ポーラは部屋を出て行った。そして暫くして家政婦長が室内に入ってきた。
「セリムさん達は戻ってきた?」
「まだです。王宮に仮眠室はありませんから、そのうち戻ってくるとは思うのですけれど」
「今までこんなに遅かった事はあるの?」
「この時間になるのは宴の時くらいですね。ですがその場合も宴前に一旦こちらに戻られるので、これほど長い時間空けられるのは初めてでしょうか。サマンサ様は気にせず、おやすみになって下さい」
家政婦長はサマンサを諭すような穏やかな口調だった。サマンサも自分が起きていて何か出来るとは思えない。この流行病に特効薬はなく、ただ三日間安静にしているほかない。飲んでいる薬はあくまでも高熱になり過ぎないようにするだけだ。
「便箋とペンを用意してくれないかしら。セリムさんに手紙を貰ったから返事を書きたいの」
「伝言でしたら承ります」
サマンサは首を横に振るとベッドから起き上がる。
「ごめんなさい。家政婦長は侍女ではないのだから自分で用意しなければいけないわね」
「そのような事はありません。ですが大丈夫なのですか?」
「文字くらい書けるわ」
家政婦長は肩掛けをサマンサに掛けると、どこに便箋とペンが入っているかと尋ねた。そしてサマンサに指示された引き出しを開けてそれらを取り出すと、ベッドの脇机の上に置いた。
「ありがとう」
サマンサは微笑むとペンを持ち、少し悩んでから書き始めた。家政婦長は中身を見てはいけない気がして、少し離れた所で見守っていた。サマンサは書き終えると紙を折り畳み家政婦長に託す。そしておやすみと伝えると瞳を閉じた。手紙を書いた以上セリムとは顔を合わせたくなかったのだ。眠くないと思っていたのに、サマンサは五分もしないうちに眠りに落ちていった。
サマンサが眠ってから一時間ほどしてセリムが別館へ戻ってきた。彼は一目散にサマンサの部屋を訪ねた。
「サマンサの様子は?」
「落ち着いています。発熱は一定の所で止まっていますし、明後日には熱が下がるでしょう」
家政婦長の報告を聞きながらセリムはサマンサを見つめた。彼女は静かに寝息を立てている。彼は優しそうな微笑みを浮かべて彼女の頬を撫でると、家政婦長に向き合った。
「暫くはこの時間になると思う。ミュゲがいるから問題ないと思うが、サマンサの事を宜しく頼む」
ミュゲは家政婦長の名前だ。メルトの母である彼女は多少腕に覚えがある。別館前には常に警備兵が立っているが別館内は家政婦長とナディアが警備役である。
「名を呼んで頂いたのは久しぶりですね」
家政婦長は嬉しそうに微笑んだ。セリムは視線を外す。
「名前を呼ぶと昔の関係に引き戻されそうで避けていた。俺はもうミュゲに子供扱いされたくはない」
「それでしたら早々にサマンサ様と本当の夫婦になられて下さい。別館の者全員がやきもきしていますからね」
家政婦長の言葉にセリムは不快な表情を見せた。
「セリム殿下の優しさは時に方向性がおかしいと、以前から申し上げているではありませんか。サマンサ様が回復された後は向き合って下さい」
「ハサンも同じ事を言う。俺達の事を皆干渉し過ぎだ」
「散々サマンサ様はまだ来ないのかと聞かされていたのです。すぐに夫婦になって丸く収まると思えば、一体何をなさっておられるのですか」
セリムが幼い頃より世話役をしていた家政婦長は、彼に対して遠慮なくものを言う。彼もまた彼女の事を第二の母だと思っているので、それに関して文句を言った事はない。だが、今の言葉は彼にとって面白くなかった。
「愛おしい女性に愛されたいと思う事は、そんなにいけない事だろうか。彼女は賢いから政略結婚と割り切り、王太子妃として立派に振る舞う事が出来るだろう。だけど俺はサマンサに愛して欲しい。この結婚は政略結婚ではなく運命だと思って欲しい。それから夫婦になりたい。その為には時間が足りていない」
セリムは切なそうにサマンサを見つめた。彼は昨夜彼女に言われた言葉を、最初はそのままの意味で受け止め嬉しくて仕方がなかったのだが、朝ふと冷静になった。酒が入っている時に記憶が飛んでしまう彼女だから、発熱時も一緒だろうと思ったのだ。慣れない発熱に不安で人肌が恋しかった、それくらいの事だろうと判断していた。
家政婦長は困ったように微笑んだ。セリムの気持ちもわかるのだ。彼の母親は国王から愛されていた。しかし唯一だったわけではない。複数の中で一番であっただけで、他にも後宮には何人もの妃がいる。アスラン王家では当たり前の風習に、彼は幼い頃から疑問を呈していた。後宮内の女の争いの醜さを目の当たりにしている事も影響しているだろう。軍人となって戦地に赴きオルハン亡き後帰ってきた彼は、彼女には逞しく見えた。しかし中身は早々変わらない。一人の愛しい女性と幸せに暮らしたい、彼はその願いを王太子になっても捨てなかった。そしてそれが今叶えられようとしている事に、彼は気付いていない。
「人を愛おしく思うのに時間は関係ありません。いつも言っているではありませんか。セリム殿下は自信をお持ちになって下さい」
家政婦長にセリムは首を横に振る。
「サマンサは素敵な女性だ。今の俺では相応しくない」
「それはセリム殿下が決める事ではありません。サマンサ様が判断される事です」
「それなら尚更だ。彼女を急かしたくはない」
「ただ嫌われるのが怖いのですね」
家政婦長の指摘にセリムは泣きそうな顔をする。家政婦長は笑顔で先程サマンサから託された手紙を彼に差し出した。
「サマンサ様からです。内容は知りませんが、熱があるのにわざわざ手紙をしたためたサマンサ様の気持ちを考えてみて下さい」
セリムは手紙を家政婦長から受け取るとサマンサを見つめた。彼女は落ち着いた表情で寝ている。彼は家政婦長に礼を言うと自室へと戻った。そして深呼吸をしてから手紙を開いた。




