向き合う夜
二日後の朝、サマンサは急に平熱まで熱が下がり、診察をした医師からもう大丈夫だろうと言われた。しかし昨夜もセリムは遅くて会えていない。今夜も何時に戻ってくるのかわからなかった。
サマンサは久々に寝衣から着替えたものの、セリムがいなければ出かける事は出来ない。それで寝込んでいたが故に中断していた機織りを再開する事にした。午後まで織れば今日中に完成しそうなので、彼女は機織りに集中する。これを自分のベッドに敷いて彼に一緒に寝ようと言おうと考えながら。
しかし織物が出来上がったのは夕暮れだった。端の処理まで考えると今日中には仕上がらない。それでもサマンサは黙々と敷布の端の処理をしていた。
「サマンサ様、そろそろ夕食の時間です」
家政婦長に声を掛けられサマンサは顔を上げた。燭台に火を灯して作業をしているのだからいい時間なのはわかっていたが、セリム達はまだ戻ってきていなかった。
「セリムさん達は?」
「先程戻ると連絡がありました。食堂で御待ちしましょう」
サマンサは頷くと針を敷布に刺して作業台の上に置いた。そして立ち上がった後、両手を上げて身体を伸ばした。一日中座って作業をしていたので、少し凝りを感じていたのだ。
サマンサが食堂へ向かうと廊下の反対側からセリム達が歩いてきた。彼は彼女を見つけると駆け寄る。
「サマンサ。もう大丈夫?」
「えぇ、心配かけてごめんなさい。もう頭もすっきりしているから、議会の話でも何でも聞けるわ」
サマンサは久しぶりにセリムに会えた事が嬉しくて自然と微笑んだ。彼は彼女の寝顔を毎晩見ていたが、彼女は熱を出した夜以来だったのだ。
四人は食堂へと移動をし、定位置に腰掛ける。給仕がグラスに酒と水を注いでいく。
「大変な時に寝込んでいてごめんなさい。もしよかったら議会の事を教えてくれるかしら」
敷布は完成しなかったが、今夜寝る前にサマンサはセリムと話したかった。その為に議会の話は先に聞いておきたかったのだ。そんな彼女の気持ちなど彼にわかるはずもないが、彼女の要望通り食事をしながら話した。
タラールは横領及びサムルクの将軍と繋がっていた事で投獄されている事。タラールと繋がっていたエイメンも告発しようとしたが、その使用人が身代わりとなって投獄された事。カエドと繋がっていた大臣も投獄された事。そしてカエドへの和睦の使者を再度出した事。
「戻ってくる前にもう一度使者を?」
「あぁ。カエドもサマンサを誘拐しようとしていたようだが、大臣が白状したので未然に防ぐ事が出来た。その件を抗議すると共に和睦案を持たせた。ジョージ閣下の話では、カエドもサムルクも軍資金が底をついていて戦争は継続出来ないらしい。アスランも底を尽きかけている。この戦争で失ったものは大きい」
サマンサは他国の軍資金の話は知らなかった。それに対しハサンが淡々と説明を補足した。今回の戦争での勝利者はいない。カエドを嗾けアスランと戦争させていたサムルクは自滅したとの事だった。
「幸い我が国はケィティを通してレヴィと安定した交易が出来ている。支出が減るのだから国庫も少しずつ回復するだろう」
サマンサは兄達が帰った後に何かあったらと不安ではあったが、無事に平和が訪れると聞いて安心した。そして止まっていた食事を再開する。その様子をハサンは意外そうに見つめていた。
「サマンサ様は病み上がりなのに普通に食事をされるのですね」
「熱が出ていた時も軽くは食べていたから特に問題はないわ」
サマンサのかかった伝染病は本来なら咳や鼻水の症状も出るのだが、彼女は発熱のみだった。症状は個人差があり、彼女は比較的軽く済んだのだ。
「重篤化すると命にかかわる事もありますので、本当に軽く済んでよかったです」
ハサンの言葉にセリムも頷く。サマンサはそんなに大変な病気だと思っていなかったので驚いたものの、一度かかれば二度とかからないと聞いているので運が良かったとも思えた。もしかしたらこれも運命だからかもしれないとさえ感じていた。
夕食後、久しぶりにサマンサは入浴をして家政婦長にマッサージをしてもらった。今夜はいつもより丁寧に感じたが頭をよぎった考えは流し、きっと三日間寝込んでいた身体を解してくれたのだろうと気にしない事にした。
サマンサは自室のソファーでセリムを待っていた。今日は流石に酒を持ってくる事はないだろう。彼女は落ち着こうと深呼吸をした。一昨日書いた手紙の返事がない事が少し気がかりだったのだ。結婚前の手紙のやり取りではサマンサはセリムに何かを問うような事も願う事もなかった。だが、今回は病気が治った後に話を聞いて欲しい旨をしたためていた。
暫くしてセリムが部屋に入ってくると、少し緊張した様子でサマンサの横に腰掛けた。それを見て彼女も緊張する。二人の間に暫く沈黙が訪れた。
「あの、話を聞いて貰える?」
沈黙を破ったのはサマンサだった。彼女はセリムを見つめたが、彼は視線を逸らした。
「聞く。聞くけど少し待って。忙しくて心の準備をする時間がなかったから」
セリムの言葉にサマンサは自分の考えが甘かった事に気付いた。先日は病気だったから手を繋いで眠るだけで済んだが、彼女は完全に回復している。夫婦で一緒に寝ようと言えばそういう事だ。彼女は病み上がりのせいかそこまで頭が回っておらず、彼の心の準備が終わる前に何とか否定しなければと焦った。
「ごめんなさい。今夜はもう少し軽い感じがいいの」
サマンサの言葉にセリムは視線を上げると、何かを探るように彼女を見つめた。
「軽い感じとはどういう意味?」
今度はサマンサが視線を外した。口付けまでと思っていても、それを言葉にするのは恥ずかしい。しかしセリムが察してくれるとは思えなかった。彼女がどうしようか迷っていると、彼は意を決したように強い眼差しを彼女に向けた。
「意味はわからないけど遠慮は要らない。何を言われても受け止める」
サマンサはセリムの強い眼差しを感じで視線を戻す。ソファーで隣に腰掛けて話すのは初めてでもないのに、彼女は急に恥ずかしくなって顔を背けた。今まで好みではないと思っていたのに、何故だか彼が格好良く見えてしまったのだ。
再び室内に沈黙が訪れる。サマンサはセリムが察してくれない事を少々恨めしく思いながら、黙っている彼の方へ顔を向けた。
「熱を出した日の夜に私が言った事は覚えている?」
セリムは緊張した表情で頷いた。何故嬉しそうではなく、何かを恐れているような表情なのかサマンサは疑問に思ったものの、話をそらすと言えなくなりそうなので気にしない事にした。
「あの日、自分でも迂闊な事を言ったと思う。熱があって上手く考えられなかったの。でもセリムさんが一緒に寝てくれて嬉しかったのよ。だから今夜から一緒に寝てくれる?」
セリムは眉を顰めた。サマンサがその表情を見て不安になったと同時に彼は自分の頬を抓った。何をしているのだろうと彼女が不思議に思っていると、彼は困惑の表情を浮かべた。
「痛いから夢ではないと思うのだけど、それはどういう意味で捉えたらいい?」
「先程言ったように軽い感じで。夫婦だからというのはわかっているけれど、今はまだ気持ちの準備が出来ていないから、それはもう少し待ってくれると嬉しい」
サマンサははにかんだが、セリムは困惑の表情から変わらない。彼女は彼を困らせるような事を言ったつもりはないのに、何故表情が変わらないのか不思議で仕方がなかった。
「サマンサはあの日、俺と話した事は全部覚えている?」
「手を繋いでくれて言葉を発した後すぐ眠ってしまったから、そこまでなら」
セリムはサマンサが高熱でも覚えていた事に驚きながら、それでも彼女が発した大好きの意味をどう捉えていいのか迷った。
「俺はサマンサの事を女性としてとても愛おしく思っている。サマンサは俺の事をどう思っているの?」
「私もセリムさんの事を男性として好きよ。ただ私は自覚したのが最近だから、セリムさんと同じ気持ちになるのに、もう少し時間が欲しい」
セリムは嬉しそうに笑うとサマンサを抱きしめた。彼は異性として彼女に好かれていると思っていなかったので、愛し合える関係になれる事がとても嬉しかったのだ。
「急がなくていいよ。俺は何年でも待てる」
「何年も待たれたら困るわ。セリムさんも努力して距離を縮めて欲しい」
これから何年もこの状況というのはサマンサには耐えがたかった。彼女は使用人達が二人の仲を心配しているのを感じていたのだ。特にハサンがセリムに時々送る冷たい視線が気になっていた。
「サマンサがここにいてくれるなら何でもするよ」
セリムはサマンサを抱きしめる腕の力を強めた。彼女も彼を抱きしめ返す。それが嬉しかったのか彼は彼女の頬に口付けた。彼女も嬉しそうにはにかむと彼の頬に口付ける。彼女はとても幸せな気分になっていた。二人は至近距離で視線を合わせ、同時にはにかんだ。
サマンサは少し抱きしめる力を弱めると期待を胸に瞳を閉じた。セリムは一瞬戸惑ったものの、彼女の頬に手を添えゆっくりと唇を重ねた。




