無意識の本音
「ポーラ、水を頂戴」
サマンサは眠りから醒めるとそう呟いた。部屋が暗いのでまだ夜だろうとは思ったが、彼女は喉の渇きが不快だった。
「少し待って、先に明かりをつける」
サマンサはポーラではない声に驚き、目を見開いた。セリムはテーブルの上に置いてある燭台に火を灯すと、ベッドの脇机に置いてあった水差しからグラスに水を注いだ。
「セリムさんが何故ここに」
「ポーラに無理を言ってサマンサの看病を交代して貰った」
セリムはサマンサの背中に腕を入れると、ゆっくりと彼女の身体を起こした。枕をベッドのヘッドボードに立てかけ、彼女が凭れ掛かりやすいようにする。そして先程水を入れたグラスを彼女に差出し、彼女はそれを受け取ると、喉を潤したかったのでそのまま口に運んだ。それから彼女は彼の方を見る。
「私なら大丈夫だからセリムさんは自室で休んで。明日も議会があるでしょう?」
「俺なら座っていても寝られるから大丈夫だよ。こうして声をかけられればすぐに起きるし」
セリムは元軍人なので王子であるにもかかわらずどこででも眠れるし、物音や声がするとすぐに目が覚める。しかし軍人の事など知らないサマンサは、自分のせいでセリムに無理をさせてしまったと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「それは全然大丈夫ではないわ。しっかり眠らないと辛いわよ」
「サマンサは俺がいると寝難い?」
サマンサは視線を落とし、グラスを両手で握りしめながら頷いた。そうすればセリムが自室で休んでくれると思ったのだ。しかし彼は少し寂しそうな表情を浮かべる。
「俺はサマンサとの距離が縮まったと思っていたけど、まだみたいだね。今からポーラや他の使用人を起こすのは可哀想だから今夜は我慢して。明日からは交代制で出来るように指示をするから」
セリムの声色が寂しそうでサマンサは視線を上げた。辛そうな表情をしている彼に対し、彼女は首を横に振った。
「セリムさんに迷惑をかけたくないの」
「迷惑だなんて思っていない。サマンサの事が心配で側にいたいだけ。それがサマンサにとって迷惑になる所までは考えが至らなくてごめん」
セリムの表情が辛そうなのに、サマンサはまだ熱が下がりきらなくて上手く考えが纏まらない。彼女はグラスに残っていた水を飲み干すとグラスを脇机に置いた。
「迷惑ではないわ。ただセリムさんにはきちんと休んで議会に臨んで欲しいの。だから無理をして欲しくない」
「俺に無理をして欲しくないのなら、ここに居させて。隣の部屋でサマンサが苦しんでいないかと悩むよりは、ここで寝顔を見ている方が安心する」
「それならこのベッドで横になって。座っているよりは休まるでしょう?」
ここまで言えばセリムも部屋に戻るだろうと、サマンサはあえてそう言った。彼は一瞬驚いたものの結婚初日のように首を横に振る事はなく、真っ直ぐに彼女を見つめている。
「本当に横になるけど、サマンサはそれでいいの?」
サマンサは言葉を選び間違えたと思ったがもう遅い。ここで嫌だと言えばセリムはベッドの横で朝まで座っているだろう。流石に王太子にそのような事はさせられないと思い、彼女は頷いた。彼は枕を取ってくると言って一旦部屋に戻り、枕を持って戻ってきた。その枕にはサマンサが織った枕カバーがかかっている。彼はそれをベッドの端に置くと彼女をベッドへと寝かせた。そして燭台を脇机の上へ運び、ベッドの端へと潜り込んだ。
「そんなに端では危ないわ」
サマンサはセリムが寝ている方向に身体を向けた。彼は困ったように微笑む。
「サマンサの言葉が俺を気遣っての事だというのはわかってる。サマンサの眠りを邪魔したくないから、ここで大丈夫」
「そこではセリムさんが落ちないか心配で眠れないわ。もっとこっちに来て」
サマンサは無意識に唇を舐めた。それは乾燥した唇を潤そうとしただけだが、発熱のせいでいつもより赤みを帯びている唇を舐めるという仕草が、セリムの平常心を奪う。彼は起き上がると燭台の灯を消し、彼女に背を向けたままベッドに腰掛けた。
「どうしたの?」
「少ししたら横になるから気にしないで」
セリムは静かに深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせる。サマンサは彼がベッドから起き上がった事に気落ちしていた。言葉選びを間違えたと思っていたのに、一緒に寝てくれないのが思った以上に寂しかったのだ。
「私がもっと端に寄るから横になって。セリムさんが倒れたら大変だもの」
「俺の事は気にしなくていいよ。サマンサは病気を治す為にもぐっすり眠った方がいい」
「それなら一緒に寝て。寂しくて眠れないわ」
サマンサの悲しげな声にセリムは振り返る。彼女はとろんとした目で彼を見つめた。
「昨夜もお酒は要らなかった。セリムさんと一緒に居たかった。私の気持ちが何なのかを知りたかった。運命だと信じたいのに、どうして一緒に寝てくれないの?」
サマンサは慣れない発熱で考えが纏まらないので、考える事を放棄した。本当は自分の気持ちを整理してからセリムに話そうと思っていたのに、何も言わないで眠る事は出来なかった。
セリムはサマンサの言葉をどう受け止めていいのか迷い、ベッドに腰掛けたまま彼女を見つめる。
「俺がここで寝てもいいの? 本当に?」
「寝て欲しくなかったら横になるように勧めないわ」
サマンサは急に恥ずかしくなってきて視線を逸らした。セリムとは一緒に眠れないと思っていたはずなのに、一緒に寝てくれない事が寂しくて仕方がない。そんな彼女の様子を見て、彼は一旦立ち上がると枕を少し中央に寄せてからベッドへと横になった。彼女は彼にはにかむ。
「手を握ってくれる?」
サマンサの問いにセリムは頷くと彼女の手を優しく握った。彼女は嬉しそうに微笑む。
「ありがとう、セリムさん。大好き」
そう言ってサマンサは瞳を閉じた。セリムは予想していなかった告白に一瞬目を見開いたのち、表情を緩めた。安心してかすぐに眠りに落ちた彼女の寝顔を彼は暫く見つめていた。
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
目を覚ましたサマンサにポーラが声を掛ける。彼女は手の温もりがない事に落胆したが、部屋は明るい。議会が始まっていてもおかしくない時間だろうと思えた。
「まだ熱はあると思う。セリムさんは出かけたの?」
「はい、いつものように王宮へ向かわれました。昨夜は申し訳ありませんでした。どうしても自分が側にいるとセリム殿下が仰せになるので、断りきれませんでした」
「気にしないで。おかげでよく眠れたわ」
そう言ってサマンサは昨夜の事を思い出し、急に恥ずかしくなった。目を閉じる前に告げた言葉を彼女は覚えていた。それは無意識に出た言葉だったが、無意識だったからこそ本心だろうと思えた。
「セリム殿下も看病でお疲れになった様子はなく、むしろとても元気そうでした」
ポーラは昨夜何があったのか教えて欲しいと、興味心丸出しの表情でサマンサを見つめる。サマンサはそれを受け流した。
「そう。喉が渇いたから水を頂戴」
サマンサはベッドから身体を起こす。ポーラはつまらなさそうな表情をしながら水差しからグラスに水を注ぐとサマンサに差し出した。サマンサはそれを受け取ると一口飲んだ。
「それで、昨夜は何があったのですか?」
耐えきれずポーラはサマンサに尋ねる。サマンサは黙々と水を飲むとグラスをポーラに渡した。
「私はまだ熱があるの。寝るわ」
「食欲はありませんか? 苺だけでなくバナナもありますよ」
「少し食べるわ。早く治したいし」
「やはり何かありましたよね?」
しつこいポーラにサマンサは不機嫌そうな表情を向けた。ポーラはこれ以上聞くのは得策ではないと判断し、朝食の準備をしますと言って部屋を出て行った。
サマンサはベッドのヘッドボードに寄りかかったまま両手で顔を覆った。今日セリムが戻ってきたらどのような態度で接すればいいのか考えるだけで恥ずかしかったのだ。考えるだけで熱が上がりそうだと彼女は思った。




