側近と護衛
セリムは毎朝王宮へと出向く。そこで朝食を父である国王と一緒に済ませてから会議に出席するのが常である。会議によって出席する人間が変わり、側近であるハサンはその会議によって彼に控えない事もある。今日は軍議の為、ハサンは王宮内にある王太子用の執務室でメルトと向かい合って腰掛けていた。
「セリム殿下の様子は?」
「相変わらずです。戦場では自信を持って行動していたのですけれど、最近は別人のようです」
「セリム殿下にとってサマンサ様は女神らしい」
ハサンの言葉にメルトは納得したように頷いた。
「サマンサ様はどこか女神マナータに似ていますよね」
「そうか? 私にはそうは思えない」
ハサンは神殿に祀られている女神マナータ像を思い出したものの、サマンサと似ているとは思えなかった。
「優しく微笑んで見守ってくれそうな雰囲気があります」
「こちらとしては早く夫婦になって欲しいのだが。これ以上ゼフラ様に振り回されたくない」
「ゼフラ様の件、調べはついたのですか?」
メルトの問いにハサンは残念そうに首を横に振った。
「まだセリム殿下に報告出来るような段階ではない。黒を黒と証明するのがここまで難しいとは思わなかった」
ハサンはため息を吐いた。
「まだ暫く泳がせる必要があるのですね。この件をサマンサ様には言わなくても宜しいのでしょうか」
「言わなくていい。外敵ならメルトで何とか出来るだろう?」
「勿論可能です。ですがゼフラ様が外から攻めてくるとは思えません」
「あぁ、中だろうな。しかし何故かミライがサマンサ様から距離を置いた。取り入ると思っていたから、こちらもわからない」
ミライにサマンサの侍女をするように命じたのはハサンである。ハサンはミライの処遇について持て余しており、サマンサの傍に置く事で何か動きが出るかもしれないと思っての指示だったのだが、ミライはポーラがいれば十分なようだと家政婦長に報告をして、サマンサの侍女からはすぐに外れていた。
「ミライとはどのような女性なのですか」
「ゼフラ様がオルハン殿下に嫁がれた時に雇った使用人だ。ゼフラ様は懇意にしているようだが、ミライはどうもわからない。常に無表情なのだ」
「ミライの背景に不審な点はないのですか」
「彼女は両親を早くに亡くしていて兄弟もいない天涯孤独。別館で働く他の者と同じだ」
王太子が暮らす別館で働く者は孤児等、家族のいない者である。生きていくのが大変な市民を救うというのが表向きの理由であるが、実際は実家の派閥を持ち込まない人材を求めているのである。アスラン王国は正妻と側室が産んだ子供に差がない。男子にのみ生まれた順で王位継承権が与えられる。王子が多ければ多いほど、暗殺を企て自分に有利になる王子を立てようとする者が出てくる。それ故、王太子が暮らす別館では誰にも与しない、けれど自分の生活を守ってくれる雇い主に忠誠を誓う者を雇う事が慣習なのである。
「ゼフラ様に肩入れするのはセリム殿下への忠誠を誓えていないと思いますが」
「表向きミライに問題はない。ゼフラ様はセリム殿下の従姉であり、元兄嫁だ。表立って拒否するのは都合が悪い事はわかっているのだろう」
ゼフラの父は大臣である。それは彼の力ではなく、セリムの母を愛していた国王の取り立てによるものだ。それを己の力だと思い込み宰相の座を狙っていると言われているが、そのような器ではない事は本人以外誰でも知っている。ハサンもセリムの伯父である彼を邪険には出来ないのだが、出来ればセリムが王位に就く頃には排除したいと思っている。
「大臣に対抗するにはより強い力、そう思ってサマンサ様を迎えたのに、肝心のセリム殿下があれでは先が思いやられる」
「お二人が仲睦まじい雰囲気ならば、ゼフラ様は引くと思われますか?」
メルトの問いにハサンは少し考え、呆れ顔をしてゆっくり首を横に振った。
「引かないだろうな。それで引くなら既に引いているだろう。セリム殿下のこの二年の浮かれようを見ていて何も感じておられないのだから」
「あの方の自信は何を根拠としているのでしょうか? 正直私にはわからないのですが」
「セリム殿下と自分は結婚する、そう強く信じて疑わない雰囲気が私も不思議でセリム殿下に尋ねてみたが、幼い頃に約束をしたという事もないようだ」
ハサンがオルハンに仕え出した頃には既にゼフラはセリムに片思いをしているように見えた。だからこそ彼女の父がオルハンとの結婚話を持ち出した時は断ると思ったのだが、それを何故か受け入れた。しかし二人は形式上夫婦になっただけで、中身は従兄妹のままだった。
「他の使用人に聞いてもゼフラ様の事はわからないという。黒を黒と証明さえ出来れば問題ないのだが」
「ゼフラ様が黒なのか、大臣が黒なのかという事でしょうか」
「もしくは他の者の可能性もある。ゼフラ様を唆すのはそこまで難しくないだろう。あの人はセリム殿下と結婚出来るのならば何をしてもおかしくない。だからこそサマンサ様に何かされては困る。大臣の娘がレヴィ王女に無礼な事をして、国家間の問題にでもなれば我が国はひとたまりもない」
「以前海賊の本拠地を合同で叩きに行った時、力の差を見せつけられたと聞いています」
「あぁ。しかも先方の総司令官はサマンサ様の実兄。テオ殿からもジョージ閣下は怒らせると怖いからくれぐれも気を付けるように言われている」
「先日お会いした時はとても穏やかな人でしたよ。隙はありませんでしたが」
「二年前、あのセリム殿下をすぐ捕まえた。軍人としても一流だろう」
セリムは剣の腕と素早さには定評がある。メルトは常に護衛をしているが、セリムの素早さが勝ち撒かれてしまう事もある。だが二年前のサマンサとの顔合わせの時、サマンサに抱きつく勢いのセリムの両手を背中の後ろで簡単に捻って動きを止めたのはジョージである。
「そう言えばそのような事もありましたね。あのセリム殿下が完全に動きを封じ込められていました。我が国にはそのような事が出来る軍人はまずいないでしょう」
「ジョージ閣下は我が国を攻めるような事はしないとは思う。だが賠償を求められるのは辛い」
アスラン王国は隣国との戦争で国庫は非常に緊迫した状況である。サマンサの持参金がそれを一時的に緩和しているものの、それでもいつかは底をつく。今日の議題は停戦に向けてどうするかというものであり、セリムは前向きにこの件を推し進めている。
「サマンサ様がセリム殿下に心を許せば、レヴィ王国から更にお金を引き出すおつもりですか」
「それは考えていない。二国間はあくまで友好を保ちたいし、サマンサ様もそういう事はされない方だろう。どちらかといえば、我が国が豊かになるように振る舞って頂ければと思っている。この国の施設を視察されているのも、それを期待して目を瞑っている」
本来ならこの国では夫婦で出かけない。結婚をした女性は家を守るのが主な仕事であり、買い物でさえ使用人に任せたり、訪ねてくる商人から購入したりするのが常である。だからハサンとしてはサマンサを連れ回すセリムを咎めたい所なのだが、視察という名目がある以上口を挟めない。勿論、アスラン王国で国内の工場を視察した王太子妃は今までいない。
「セリム殿下がもう少し自信をお持ちになって下さったなら宜しいと思うのですけれど」
「そこを責めてはいけない。セリム殿下は成人するとすぐ軍人になられた。女性との付き合い方を学ぶ時間がなかったのだろう」
「二人きりで食事もとれませんからね。食事といえば、エイメン殿下の事はどうされるのですか?」
「断る事は出来ないから近日中夕食に招く事になる。こちらも面倒で仕方がない」
ハサンは小さくため息を吐いた。エイメンがサマンサに興味を持つとは予想していなかったのだ。
「セリム殿下はサマンサ様がエイメン殿下に惹かれたら、御自分は身を引くそうですよ」
ハサンは不機嫌そうな表情をメルトに向けた。
「サマンサ様の幸せが第一優先なので、自分は廃太子してもらって軍人に戻ると先日仰っていました」
「そこは引く所ではなくて押す所だろう?」
「セリム殿下が押す事はないでしょう」
メルトとセリムの付き合いは長い。メルトのセリム評をハサンは信用していた。
「戦争を終結させる為の会議に出ながら、自分が軍人に戻るというのはいささかおかしくないか?」
「戦争を終わらせたいのは王太子として国の事を考えての行動、軍人に戻るのはサマンサ様が他の男性と幸せに暮らしているのを見たくないという情けない男の行動ですね」
ハサンは目を閉じると深いため息を吐いた。彼はオルハンからセリムの事を頼まれて、ここまで側近として仕えてきた。オルハンが弟を大事に思っていたのを知っていたので自分も出来るだけセリムを支えようと思っている。しかしセリムはオルハンと比べるとどうも頼りなく、果たしてこれで将来国王になれるのか甚だ疑問であった。
「エイメン殿下を王太子にという声は未だにある。セリム殿下にはその声も抑えて欲しいのだが」
「今は王太子でないとサマンサ様を妻に出来ないという一点で頑張っておられますが、元々は王太子になど興味のない方ですから難しいですね」
「エイメン殿下との夕食会を早々に整えて、サマンサ様がどう反応するのかを見てからでないと話は進まなさそうだな」
ハサンは視線を伏せた。レヴィ王女に勧めるには弱いセリムであるが、いい人なのは間違いない。サマンサがセリムに心を寄せてくれればそれで問題がないのであるが、実際エイメンに惹かれる可能性は否定出来ない。国王としての資質もエイメンの方が上に見えるのだ。彼は打てる手は何か思考を巡らせた。




