疑い
「そろそろセリム殿下がお戻りの時間ですから、今日はここまでにしましょうか」
「そうね。また明日も一緒に織ってくれるかしら」
「完成までは是非ご一緒させて下さい」
家政婦長が微笑んだのでサマンサも笑顔で応え、二人は立ち上がるとサマンサの部屋へと向かった。サマンサの部屋の近くまできた時、セリムが慌てた様子で近付いてきた。
「サマンサ! 無事だった?」
「おかえりなさいませ。無事とは何の事でしょうか」
サマンサはセリムがゼフラが来た事を聞いて慌てているのだろうとは思ったのだが、無事という言い方が引っかかった。
「門衛にゼフラを館内に通したと聞いたから」
「立ち話というのもいかがかと思いますので中へどうぞ。家政婦長、今日はありがとう」
「いえ、それでは失礼致します」
家政婦長は一礼すると踵を返した。その奥からハサンとメルトも歩いてきた。
「セリム殿下、廊下は走らないで頂きたいのですけれど」
「緊急事態だったのだから大目に見ろ」
セリムがハサンを睨むと扉が開いた。騒がしいと思ったポーラが扉を開けたのだ。
「廊下での立ち話はアスラン流なのでしょうか? 出来ればサマンサ様に強要する事はやめて頂きたいのですけれども」
サマンサを立たせたまま話すのは礼儀がなっていないのではないかと、ポーラは非難するような視線をハサンに向ける。ハサンは反省の色を顕にした。
「いえ、そのような事はありません。サマンサ様、我々も中に入れて頂いて宜しいでしょうか」
セリムがハサンを睨んだ。しかしサマンサはそれを気にせずハサンに微笑む。
「どうぞ。ポーラ、皆の分の紅茶を用意して貰えるかしら」
「かしこまりました」
ポーラは一礼して調理室へと歩き出した。四人はサマンサの部屋に入り、メルトは扉を閉めると扉の脇に控えた。サマンサはいつも座っているソファーに腰掛ける。
「セリム殿下はいつもサマンサ様の横に腰掛けられるのですか?」
「向かいだよ。ハサンも座りたいのなら私の隣に座れ」
そう言いながらセリムはサマンサの向かいのソファーに腰掛けた。
「レヴィ王国では夫婦は向かい合って腰掛けるものなのですか?」
ハサンに尋ねられサマンサは一瞬考えた。両親が一緒の所を見た記憶はないし、貴族の屋敷での晩餐会に参加した事はあるが、食卓ではソファーを使わないので答えがわからない。彼女はよく茶会を主催していたものの、その場合招待をするのは女性だけだった。
「夫婦によると思うわ」
「さようでございますか。では失礼致します」
ハサンは一礼するとセリムの横に腰掛けた。
「ところで無事とは一体どう言う事でしょうか。内容によっては私も身の処し方を考えなければなりません」
サマンサはにっこりと微笑んでいるが目は笑っていない。セリムは彼女を怒らせたと思い助けを求めるようにハサンを見る。ハサンはその視線を感じて頭を下げた。
「この件に関しましては婚約期間に解決出来ると思っていたのですが、私の力不足でサマンサ様にまでご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございません。全て私の責任ですので、セリム殿下を責めるのは遠慮して頂ければ幸いです」
「それは内容によるわね。私の身に危険が迫っているのを知りながら黙っていたのだとしたら、信用問題になると思うのだけれど」
「サマンサ様を巻き込むべきではないと思い黙っておりましたが、私の判断が間違っておりました。申し訳ございません。ポーラが戻り次第、ゼフラ様の件をお話致します」
緊迫した空気のまま、一同はポーラが戻ってくるまで一言も話さなかった。紅茶の用意をして戻ってきたポーラは、その異常な空気に委縮しながらも紅茶を三人の前に出し、立ち位置に迷ってメルトの横に立った。
「オルハン殿下が亡くなった時、セリム殿下とメルトは戦場にいた為詳細は知りません。しかし私の目から見て明らかに不自然でした」
「殺されたとでも?」
「私はそう疑っています。オルハン殿下は健康とは言い難かったのですが、それでも日常生活が困難なほどでもなく、また聡明な方で王太子としての責務は果たされていました。元々気を遣う性格で議会での対立などがあると、胃が痛いとはよく言っておられましたが」
ハサンは一旦言葉を切ると紅茶を一口飲んだ。
「そしてゼフラ様と結婚されてから徐々に体調が悪くなっていったのです。よく発熱するようになり議会へ行けない日も増えました。そのような時にケィティからある薬を購入し、服薬し始めると発熱の頻度が減り、このままなら将来玉座に就けるだろう、そう思えるようになった頃でした。突然腹痛を訴えたと思ったら意識不明の重体の後、亡くなってしまったのです」
ハサンは視線を伏せた。サマンサは冷静な表情を浮かべている。
「オルハン殿下の食事などにゼフラ様が毒を盛ったと思っているのなら、それは浅慮ではないかしら。オルハン殿下が亡くなる事によって利がある者は他にもいるのではないの?」
「仰せの通りです。この屋敷の調理場にはゼフラ様は足を踏み入れた事はありません。食堂も常に誰かがおりますし、毒を盛るのは簡単ではありません」
「この家でなくとも、王宮で入れられた場合はわからないのではないの? セリム殿下と同じなら朝食は王宮でしょう?」
「しかしオルハン殿下が高熱を出して倒れたのは夕食後なのです」
「毒は全てが即効性ではなく、半日ほどかかる遅行性のものもあるそうよ。私は専門ではないから詳しくは知らないけれど、ゼフラ様だけを疑うのはどうかと思うわ」
「何故ゼフラ様を庇われるのですか?」
「庇っているつもりはないわ。ただ私には利用される側にしか見えなかったから」
サマンサにはいくらゼフラがセリムと結婚したいからといって、オルハンの命を奪うようには見えなかった。夫婦として成り立っていなかったのなら命を奪うよりも離縁をして欲しいと言った方が楽なので、回りくどい事は嫌いだと言っていたゼフラなら、そちらを選ぶ気がしたのだ。
「私も怪しんでいるのはゼフラ様の父君、大臣の方です。大臣でしたら王宮の朝食に細工をするのは可能かもしれません」
「だけどその大臣はオルハン殿下が生きている方が楽でしょう?」
「いいえ、オルハン殿下は賢い方ですので、能力のない大臣を重用しません。セリム殿下の方が余程操りやすいのです」
ハサンの言葉にセリムが彼を睨む。その様子を見てサマンサはセリムに問いかけた。
「いいように操られているのですか?」
「操られていない! その証拠にゼフラと結婚していないから」
セリムの答えにサマンサは納得したように頷いた。王家との繋がりを維持する為に、オルハン亡き後ゼフラをセリムへ嫁がせようと色々手を打ったに違いない。にもかかわらず、大臣一人では到底反対しきれない他国の王女と婚姻を結んだのなら、これほど面白くない話もない。
「その大臣にとって私は厄介な存在という事ですね」
「あぁ。伯父とゼフラの利害が一致するから、サマンサに何をされるか怖い」
「私は今日、ゼフラ様にはここを出て行って欲しいと言われただけですよ」
セリムはサマンサの言葉に悲しそうな表情を向ける。
「出て……いかないよね?」
「セリム殿下次第です」
サマンサはにっこり微笑んだが、やはり目は笑っていない。セリムは泣きそうな表情を浮かべる。
「セリム殿下、一応王太子なのですからもう少ししっかりして頂けないでしょうか」
「一応とは酷くないか?」
「一応でしょう? 王位継承権を捨てると仰っていたと伺っていますけれど」
「あ、いや、それは。メルト、また余計な事を言ったな?」
セリムは扉に控えているメルトを睨んだ。メルトは泰然としていて口を開こうともしない。
「話を横道に逸らす事はやめて下さい。今はサマンサ様の身の安全について話しているのですから」
「私を亡き者に出来ると思っているのは、余程国の事がわかっていない者だけよ。持参金を返せと言われても返せないでしょう?」
サマンサの言葉にハサンが反応をする。サマンサはハサンに笑顔を向けた。




